タカハマが消えたという一報が俺のもとに届いた翌日。
俺は足早に監獄の廊下を歩きながら状況の報告を受けていた。
……といってもタカハマのことだ。自分につながる証拠など欠片も残していないだろう。
「食事を持って行った時には、もう部屋の中はもぬけの殻で」
慌てた様子の看守の言葉は信じてもいいのだろうが、疑おうが信じようが何の意味もない。
「テーブルの上に、意味深なメッセージだけが……」
「知っている。『再演を始めるとしよう』とかいうものだろう」
犯罪を舞台、芸術と表現する。
相変わらず、タカハマの行動はこちらにとって「屑の骨頂」というべきか。
ドアを開けると、ふわりとあの香りがした。
そういえば、と思い出す。あの男はコロンをしていた。
あの男の残り香だけが残った部屋に、あの男は影も形もない。
静かに足を踏み入れる。
テーブルの上には勝負途中のチェスの盤面。
いくつか取り寄せさせたという本。
囚人のくせにワインまで置いてある。
「ずいぶんいい暮らしをしてたみてぇだな」
「ほ、本来許されることではないのですが……」
「わかった。現場を検証する。いったん席をはずせ」
「わ、わかりました。では済みましたらお呼びください」
話しかけられても邪魔なだけだ。
あの男がこの監獄で超法規的な立ち位置を自分で築き上げていたのは理解している。
監獄長ですら頭が上がらなかった。
囚人たちに崇拝されているという話も聞いている。
情報だって自由に手に入っただろう。
あるいは、意図的に情報を流すことだって。
ことによれば、前世のように無条件で従う信奉者を作り出していた可能性すらある。
手にしたワインボトルを揺らす。
中身はほとんど飲まれていない。
目についた本を手に取りぱらぱらとめくってみる。
――と、はらりと落ちた紙片が視線を横切った。
「……ん?」
膝をつき、それを拾い上げる。
書かれている内容を読み上げた。
「『完成された死こそ、至高の芸術』……ふざけやがって」
犯罪の計画だろうか。いや、あの男がただの計画で済ませるとも思えない。
何が言いたいのか知らないが、何か犯罪を企んでいるなら今度こそ止めてやるまで。
「……いや、まて」
あのタカハマが、意味のないものを残すはずがない。
ならば何か、この紙にも意味があるはず。
あいつは、俺がこの部屋を調べることを知っているはずだ。
ならば、俺の視線を導くように何かを配置している。
手にした本を放り出して別の本を手繰り寄せる。
同じようにめくっていくと、同じような紙片が滑り落ちる。
地面に落ちる前にくしゃりと捕まえ、読み上げる。
「『芸術には、観測者が必須となる』」
その本をまた放り出し、別の本へ。
この本には……ない。
こっちの本も――違う。
三冊目を拾ってページをめくる。――あった。
「『舞台は、高いほうがよく見える』……どういうことだ」
「ケイジ捜査官!」
その時、部屋に看守と同僚が飛び込んできた。
「脱獄です!」
「知ってる」
ぼそりと返して視線を向けもしない俺の耳に、同僚の切羽詰まった声が突き刺さる。
「違います、同時に二人! 広域犯罪の容疑者が!」
「――なに?」
俺は初めて振り返る。
広域犯罪、あの妙なトクリュウ型事件で捕まったのは、神父ともう一人。
「なぜだ、見張りは!」
「わかりません、鍵が破られていて……!」
「なんだと!」
「で、でも外には出ていないようです! 階段を上がっていく姿が目撃されているので……」
いやな予感に血の気が引く。
タカハマの失踪と奴らの脱獄。
同時に起きるなんて偶然、考えられるか。
タカハマがもし、二人になんらかの情報を渡してからここを出ていったとするなら。
それによって、二人が「脱獄せざるを得ない」状況に立たされたとするなら。
――「完成された死こそ、至高の芸術」――
――「芸術には、観測者が必須となる」――
――「舞台は、高いほうがよく見える」――
――……まさか。
「け、ケイジ捜査官?」
――まさか。
ふらりと立ち上がる。
ふわりと目の前がくらむ。
頭を押さえる。
ずきりと、目の奥が痛む。
「――まさか!」
部屋の入り口にいた二人を突き飛ばして走り出す。
目指すのは監獄の最上階。
あの男のやり口だ。
死ぬ気がないやつであろうが、「その気にさせる」。
そのために最適な行動を起こして、「結果死ぬ」。
一度でもあの男の掌に乗ってしまったら、もう逃げられない。
逃げようとしたその意思すら、「利用される」。
させてたまるか。
これ以上。
「これ以上、てめぇの掌の上で人殺しなんてさせてたまるか……!」
喉の奥から出た唸り声は自分でも言葉には聞こえなかった。
ゼイゼイと肺が悲鳴を上げるのを無視してひたすら走る。
屋上のドアを蹴り開けて外へ飛び出す。
いつの間にか降っていた雨と風で、一度視界が奪われる。
息を吸い込もうと必死な肺を罵りながら何とか顔を上げ、あたりを見渡す。
そこに――いた。
家令が神父に掴みかかっている。
神父はうなだれて、応えようとしてはいないようだ。
よかった。間に合った。――そう思った。
「――待て!」
叫んで手を差し出す。
神父が顔を上げた。
俺の顔を見て少し驚いた顔をした後、何かに納得したように微笑み。
「――……」
口をわずかに、動かす。
それは唇の動きを読もうにも、あまりにもかすかで、速く、意図をはかることはできなかった。
「待て、何言ったてめ……!」
叫ぶより。
「――ッ!」
神父が動く方が早かった。
自分に掴みかかる家令の腕をつかみ返し、自ら後ろへ下がる。
屋上の縁、その先に何もない虚空に向かって。
まずい、と思うよりも早く体が動いた。
駆け寄り、二人の体をつかもうと手を突き出す。
だがそれより。
二人の体が空に投げ出されるほうが、わずかに早かった。
家令の服の裾をつかみそこねた俺の指が空を掻く。
とっさに縁から外を覗いた。
雨に叩かれながら、二人の体が地面に向かって落ちていく。
まるでそれは、スローモーションのような――。
神父と、もう一度目が合った。
その目はどこか昏く、雨空を映して「灰色」にも見えた。
神父は俺と目を合わせたまま、家令とともに落ちていく。
その顔には、光景には不釣り合いなほどの晴れやかな笑みが――
――どしゃり。
濡れた土袋がたたきつけられるような重い音がこちらにも響く。
――この光景を、俺は知っている。
――「忘れるな! たとえここで死んだとしても、俺はお前を追い詰める!」――
――「死んでもお前を許さない! 何度生まれ変わっても必ず殺す!」――
そう叫んで、俺はあの男に掴みかかった。
男はつかんだ俺の腕をつかみ返し、自分から後ろへ下がった。
屋上の縁、何もない虚空に向かって。
――「素晴らしい。実に素晴らしい執念だ! では私も、死してなおいつまでも君を待ち続けるとしよう!」――
そして、死ぬまで俺と目を合わせたまま、そう叫びながら……。
「……ぅぐぅッ!」
喉がひっくり返り、迫り上がってくるものに思わず膝をついて口を押さえる。
視界が歪む。
くそ、思い出すな。
どうしてお前はこれを見せようとした。
どうして、俺を放っておいてくれない。
タカハマ、どうして。
「ちく……しょう……!」
同僚が屋上へ助けに来るまで、俺は嘔吐と嗚咽を繰り返した。
◆ ◆ ◆
「……死亡したのは、前リードマン男爵家の家令アルバート・サンロッドと、クランドット教会の神父をしていたウェイオン・リー。転落時打ちどころが悪かったのか、ともに即死でした」
「……そうか」
ようやく吐き気が落ち着いた俺のもとにやってきた同僚が、重苦しい声で報告する。
「ケイジ捜査官、なんだったんです一体。どうして奴らは突然自殺なんて」
「自殺じゃねえ」
低い声で、相手の声をさえぎる。
「で、ですがケイジ捜査官、屋上に通じる道は一つしかありませんし、ケイジ捜査官が不審な人物を見ていない以上――」
「犯人はわかってる」
「本当ですか!」
期待するような同僚の声。俺はそれに投げやりに答えながら立ち上がった。
「失踪したタカハマだ。さしずめやつに何か吹き込まれたんだろうさ」
「いや……バカな。だって、死ねって言われて死ぬ奴なんてそうそういませんよ!」
「……だろうな」
「だったらなんでそんなこと言うんですか!」
「タカハマが死ねつったら、死ぬんだよ」
「意味が分かりませんよ!」
その意味が分からないことをやらかすのが、タカハマの恐ろしいところだ。
とはいえ、こんなことを言ったところで誰一人信じはしないだろう。
「それに、もし本当に何か吹き込まれて死んだとして、この状況じゃ……」
「そんなことはわかってる。やつは決して自分で手を下すことはしない」
ただ、それぞれの人間が自分の最善だと思う道を選んだ結果として、「人が死ぬ」。
それがタカハマの「やり方」だ。
「そ、そんな奴がなんでこんな監獄に?」
「知るか。あいつの気持ちなんざ知らねえし知りたくもねえ」
吐き捨て、歩き出す。
一歩を踏み出しかけて、足が地面をとらえ損ねた。
タイミングが合わない。
「っとと、大丈夫ですか!」
よろける体を同僚が咄嗟にという感じで支える。
腕を振って同僚を振りほどき、体勢を立て直す。
知るか、と言ったところで、それが通用するわけがないことはもうわかっていた。
「転落現場に行くぞ」
「だ、大丈夫なんですか、ケイジ捜査官」
「心配してる暇があったら、現場から何か少しでもわかることがないか探せ」
「は、はい。……わかりました」
奴が動き出した以上、普通の捜査方法で止めるのはほぼ不可能だ。
前世の捜査技術が確立した世界でさえ、あれを阻止することはできなかった。
奴は証拠どころか、自分に疑いが向く痕跡は欠片すら残さない。
だから、ここからはタカハマの思考を読んで動きを予測する必要がある。
前世の思い出したくもない記憶が呼び覚まされる。
目の前がくらむような、足元が揺れるようないやな感触だけが、俺を突き動かす。
「次は何をやらかす気だ、タカハマ……!」
中庭に出て、二人が転落した現場に到着する。
落ちた二人の体が、担架に乗せられて運ばれていく。
雨に洗い流されていく血痕。
この「死」はおそらく、俺へのメッセージだ。
でなければ、あそこまで前世の俺たちの「死」に状況を寄せるはずがない。
当然、俺をその場に呼び寄せる必要も。
本に挟まれたメモを思い出す。
「やはりあれは、俺に自分の『作品』を観測させるための小細工か」
タカハマは俺に、前世の自分たちの「死」をなぞった光景を見せようとした。
それで俺がどう反応するか、手に取るようにわかっていたのだろう。
そこも含めての「作品」だったのだ。
首筋に滴った雨水に体を震わせる。ひどい雨だ。
そういえば、「あの日」――タカハマと俺が落ちた日は、雨が降っていなかった。
雨が降っていたのは、「あいつ」の――。
「……待て」
なぜ「こっち」なんだ。
タカハマと俺が関わった「死」は二つある。
一つは「俺とタカハマ」自身の死。
そして――もう一つ。
タカハマはなぜこちらの死を選んだ。
何か理由があるのか。
「……違う」
どちらも俺の反応が見たいはず。
どちらも俺を観測者に仕立てて再現したいはず。
なら……この事件はまだ、終わらない。
「おい!」
同僚を呼び止める。
「俺が最近関わった事件の中で、『哀れな境遇』の『女』をリストアップしろ」
同僚は困惑した顔をしながらも、手帳を確認しながら返事をする。
「最近……ケイジ捜査官が『レイ・タカハマ』と関わるようになってからの事件でしたら……一人かと」
考え込みながら同僚が挙げたのは、「前リードマン男爵」の夫人、アイリーン・リードマンだった。
「夫婦仲はもともと良くなかったそうですが、夫が殺人犯として捕まりかけたところで服毒自殺してますし、その夫が殺した相手というのが、リードマン夫人の幼馴染だったということもありますし……。いや、でもまさか」
「今からアイリーン・リードマンの家に行く。お前はここで現場検証を続けろ」
慌てる同僚をしり目に、俺は走り出した。
◆ ◆ ◆
リードマン邸にたどり着いたときには、雨はさらにひどくなっていた。
ひどい動悸に襲われながら、呼び鈴を鳴らす。
呼び鈴の音にも、屋敷の中は静まり返っている。
まるで、もう誰もいないかのような静寂に、いやな予感が増す。
しばらくして出てきたのは、まだ若いメイドだった。
「領主直轄捜査官のトウヤ・ケイジだ」
「……何か、ご用でしょうか」
「リードマン夫人に面会したい」
メイドの目に敵意がにじむ。
「奥様はどなたにもお会いになりません」
「いいから取り次げ。彼女の身に危険が及ぶ可能性がある」
「危険? あなたのほうがよほど危険に見えます」
「こっちは捜査で来てんだ。夫人に危害を加えるはずがないだろうが!」
そういっても、メイドは動こうとしない。
俺が男爵を追い詰めたことを知っているからだろう。
だがそれでも、無理にでも彼女の無事を確認する必要がある。
最悪の場合無理やりにでも押し入らせてもらおうか、と身構えた瞬間。
「奥様、奥様ぁ――!」
屋敷の奥から聞こえてきたのは悲鳴。
「どけ!」
叫んでメイドを押しのけ、飛び込む。
周囲を見渡したが、悲鳴以外慌てふためく使用人の姿はなく、屋敷の中はがらんとしていた。
もしや――「すべて片付けたあと」か。
「夫人の部屋は!」
尻もちをついたメイドを怒鳴りつけると、震える指が二階を指さす。
申し訳ないが気にしている暇はない。
俺は階段を駆け上り、悲鳴のした方を探す。
手当たり次第にドアを開ける。
いない。
もう一つ開ける。
こっちも違う。
角を曲がったところで――いた。
メイドがその場にうずくまっている。
駆け寄り、部屋の中を確認――するまでもなく。
それは、視線のど真ん中に飛び込んできた。
バタつく足。
苦悶にゆがむ顔。
アイリーン・リードマンが――首を、吊っていた。
「夫人!」
叫び中に飛び込み、何とか足を支えて持ち上げようとする。
「夫人、今助けます! おい何してる! そこの椅子で夫人の足を支えろ!」
恐怖のあまり動けずにいるメイドに絶叫する。
がつ、と胸を蹴りつけられ、息が止まった。
「夫人しっかり! 今――」
足を支えながら見上げた先で、アイリーンと目があう。
彼女は――なぜか、笑っていた。
どこか、ほっとした、というような顔で。
それは、……その顔は、俺の記憶の中にある、「彼女」の最期の表情と、泣きたくなるほどに一緒だった。
――「来て、くれたんだね」――
――「でも、いいの。もう、いいの」――
苦悶の表情が、安らかに、穏やかに変化していく。
彼女の全身から、力が抜けたのが、わかった。
瞳から輝きが消える。
食いしばった歯が口内を食い破ったのか。
ほんの少し開いた唇から、赤い血がつうっと顎を伝って落ちてくる。
ぱた、と頬に温かい雫が当たった。
それが彼女の唇から溢れた血だと理解した瞬間、全身が震え始める。
「あ……ぁあ、あ……!」
(ダメだ)
支えていたはずの膝から、力が抜けた。
目の前が真っ暗になっていく。
ギィ、ギィ、と視線の先で彼女が揺れる。
ガラスのように何も映さない瞳。
穏やかに笑んだ表情。
もう、彼女は動かない。
そんな目で。そんな顔で、逝かないでくれ。
――「君は、誰も救えはしない」――
「――ッ!?」
――不意に、声が聞こえた気がした。
振り返る。
窓の外、広い庭の向こう側。
道の向こうに銀灰色の髪を見つけた。
この灰色の空の下で、見間違えたのか。
いや――あれは。
(……違う)
……タカハマ。
そしてそのまま――それは集まってきた人混みの中に消えていった。
「……ッ!」
がり、と奥歯が鳴った。
これが――これがお前の「作品」か。
――ふざけんな。
人が死んでんだぞ!
3人も! 3人もだ!
「たか、はま……!」
アイリーンはまるで救われたように見えた。――だが違う。
こんなものが救済であっていいはずがない。
許してたまるか。
こんな……こんな、ふざけた……!
許せる訳があるか!
「――髙濱ァァァァ!!」
声をかぎりに絶叫する。
俺はお前を、何度でも叩き潰す――!
俺は足早に監獄の廊下を歩きながら状況の報告を受けていた。
……といってもタカハマのことだ。自分につながる証拠など欠片も残していないだろう。
「食事を持って行った時には、もう部屋の中はもぬけの殻で」
慌てた様子の看守の言葉は信じてもいいのだろうが、疑おうが信じようが何の意味もない。
「テーブルの上に、意味深なメッセージだけが……」
「知っている。『再演を始めるとしよう』とかいうものだろう」
犯罪を舞台、芸術と表現する。
相変わらず、タカハマの行動はこちらにとって「屑の骨頂」というべきか。
ドアを開けると、ふわりとあの香りがした。
そういえば、と思い出す。あの男はコロンをしていた。
あの男の残り香だけが残った部屋に、あの男は影も形もない。
静かに足を踏み入れる。
テーブルの上には勝負途中のチェスの盤面。
いくつか取り寄せさせたという本。
囚人のくせにワインまで置いてある。
「ずいぶんいい暮らしをしてたみてぇだな」
「ほ、本来許されることではないのですが……」
「わかった。現場を検証する。いったん席をはずせ」
「わ、わかりました。では済みましたらお呼びください」
話しかけられても邪魔なだけだ。
あの男がこの監獄で超法規的な立ち位置を自分で築き上げていたのは理解している。
監獄長ですら頭が上がらなかった。
囚人たちに崇拝されているという話も聞いている。
情報だって自由に手に入っただろう。
あるいは、意図的に情報を流すことだって。
ことによれば、前世のように無条件で従う信奉者を作り出していた可能性すらある。
手にしたワインボトルを揺らす。
中身はほとんど飲まれていない。
目についた本を手に取りぱらぱらとめくってみる。
――と、はらりと落ちた紙片が視線を横切った。
「……ん?」
膝をつき、それを拾い上げる。
書かれている内容を読み上げた。
「『完成された死こそ、至高の芸術』……ふざけやがって」
犯罪の計画だろうか。いや、あの男がただの計画で済ませるとも思えない。
何が言いたいのか知らないが、何か犯罪を企んでいるなら今度こそ止めてやるまで。
「……いや、まて」
あのタカハマが、意味のないものを残すはずがない。
ならば何か、この紙にも意味があるはず。
あいつは、俺がこの部屋を調べることを知っているはずだ。
ならば、俺の視線を導くように何かを配置している。
手にした本を放り出して別の本を手繰り寄せる。
同じようにめくっていくと、同じような紙片が滑り落ちる。
地面に落ちる前にくしゃりと捕まえ、読み上げる。
「『芸術には、観測者が必須となる』」
その本をまた放り出し、別の本へ。
この本には……ない。
こっちの本も――違う。
三冊目を拾ってページをめくる。――あった。
「『舞台は、高いほうがよく見える』……どういうことだ」
「ケイジ捜査官!」
その時、部屋に看守と同僚が飛び込んできた。
「脱獄です!」
「知ってる」
ぼそりと返して視線を向けもしない俺の耳に、同僚の切羽詰まった声が突き刺さる。
「違います、同時に二人! 広域犯罪の容疑者が!」
「――なに?」
俺は初めて振り返る。
広域犯罪、あの妙なトクリュウ型事件で捕まったのは、神父ともう一人。
「なぜだ、見張りは!」
「わかりません、鍵が破られていて……!」
「なんだと!」
「で、でも外には出ていないようです! 階段を上がっていく姿が目撃されているので……」
いやな予感に血の気が引く。
タカハマの失踪と奴らの脱獄。
同時に起きるなんて偶然、考えられるか。
タカハマがもし、二人になんらかの情報を渡してからここを出ていったとするなら。
それによって、二人が「脱獄せざるを得ない」状況に立たされたとするなら。
――「完成された死こそ、至高の芸術」――
――「芸術には、観測者が必須となる」――
――「舞台は、高いほうがよく見える」――
――……まさか。
「け、ケイジ捜査官?」
――まさか。
ふらりと立ち上がる。
ふわりと目の前がくらむ。
頭を押さえる。
ずきりと、目の奥が痛む。
「――まさか!」
部屋の入り口にいた二人を突き飛ばして走り出す。
目指すのは監獄の最上階。
あの男のやり口だ。
死ぬ気がないやつであろうが、「その気にさせる」。
そのために最適な行動を起こして、「結果死ぬ」。
一度でもあの男の掌に乗ってしまったら、もう逃げられない。
逃げようとしたその意思すら、「利用される」。
させてたまるか。
これ以上。
「これ以上、てめぇの掌の上で人殺しなんてさせてたまるか……!」
喉の奥から出た唸り声は自分でも言葉には聞こえなかった。
ゼイゼイと肺が悲鳴を上げるのを無視してひたすら走る。
屋上のドアを蹴り開けて外へ飛び出す。
いつの間にか降っていた雨と風で、一度視界が奪われる。
息を吸い込もうと必死な肺を罵りながら何とか顔を上げ、あたりを見渡す。
そこに――いた。
家令が神父に掴みかかっている。
神父はうなだれて、応えようとしてはいないようだ。
よかった。間に合った。――そう思った。
「――待て!」
叫んで手を差し出す。
神父が顔を上げた。
俺の顔を見て少し驚いた顔をした後、何かに納得したように微笑み。
「――……」
口をわずかに、動かす。
それは唇の動きを読もうにも、あまりにもかすかで、速く、意図をはかることはできなかった。
「待て、何言ったてめ……!」
叫ぶより。
「――ッ!」
神父が動く方が早かった。
自分に掴みかかる家令の腕をつかみ返し、自ら後ろへ下がる。
屋上の縁、その先に何もない虚空に向かって。
まずい、と思うよりも早く体が動いた。
駆け寄り、二人の体をつかもうと手を突き出す。
だがそれより。
二人の体が空に投げ出されるほうが、わずかに早かった。
家令の服の裾をつかみそこねた俺の指が空を掻く。
とっさに縁から外を覗いた。
雨に叩かれながら、二人の体が地面に向かって落ちていく。
まるでそれは、スローモーションのような――。
神父と、もう一度目が合った。
その目はどこか昏く、雨空を映して「灰色」にも見えた。
神父は俺と目を合わせたまま、家令とともに落ちていく。
その顔には、光景には不釣り合いなほどの晴れやかな笑みが――
――どしゃり。
濡れた土袋がたたきつけられるような重い音がこちらにも響く。
――この光景を、俺は知っている。
――「忘れるな! たとえここで死んだとしても、俺はお前を追い詰める!」――
――「死んでもお前を許さない! 何度生まれ変わっても必ず殺す!」――
そう叫んで、俺はあの男に掴みかかった。
男はつかんだ俺の腕をつかみ返し、自分から後ろへ下がった。
屋上の縁、何もない虚空に向かって。
――「素晴らしい。実に素晴らしい執念だ! では私も、死してなおいつまでも君を待ち続けるとしよう!」――
そして、死ぬまで俺と目を合わせたまま、そう叫びながら……。
「……ぅぐぅッ!」
喉がひっくり返り、迫り上がってくるものに思わず膝をついて口を押さえる。
視界が歪む。
くそ、思い出すな。
どうしてお前はこれを見せようとした。
どうして、俺を放っておいてくれない。
タカハマ、どうして。
「ちく……しょう……!」
同僚が屋上へ助けに来るまで、俺は嘔吐と嗚咽を繰り返した。
◆ ◆ ◆
「……死亡したのは、前リードマン男爵家の家令アルバート・サンロッドと、クランドット教会の神父をしていたウェイオン・リー。転落時打ちどころが悪かったのか、ともに即死でした」
「……そうか」
ようやく吐き気が落ち着いた俺のもとにやってきた同僚が、重苦しい声で報告する。
「ケイジ捜査官、なんだったんです一体。どうして奴らは突然自殺なんて」
「自殺じゃねえ」
低い声で、相手の声をさえぎる。
「で、ですがケイジ捜査官、屋上に通じる道は一つしかありませんし、ケイジ捜査官が不審な人物を見ていない以上――」
「犯人はわかってる」
「本当ですか!」
期待するような同僚の声。俺はそれに投げやりに答えながら立ち上がった。
「失踪したタカハマだ。さしずめやつに何か吹き込まれたんだろうさ」
「いや……バカな。だって、死ねって言われて死ぬ奴なんてそうそういませんよ!」
「……だろうな」
「だったらなんでそんなこと言うんですか!」
「タカハマが死ねつったら、死ぬんだよ」
「意味が分かりませんよ!」
その意味が分からないことをやらかすのが、タカハマの恐ろしいところだ。
とはいえ、こんなことを言ったところで誰一人信じはしないだろう。
「それに、もし本当に何か吹き込まれて死んだとして、この状況じゃ……」
「そんなことはわかってる。やつは決して自分で手を下すことはしない」
ただ、それぞれの人間が自分の最善だと思う道を選んだ結果として、「人が死ぬ」。
それがタカハマの「やり方」だ。
「そ、そんな奴がなんでこんな監獄に?」
「知るか。あいつの気持ちなんざ知らねえし知りたくもねえ」
吐き捨て、歩き出す。
一歩を踏み出しかけて、足が地面をとらえ損ねた。
タイミングが合わない。
「っとと、大丈夫ですか!」
よろける体を同僚が咄嗟にという感じで支える。
腕を振って同僚を振りほどき、体勢を立て直す。
知るか、と言ったところで、それが通用するわけがないことはもうわかっていた。
「転落現場に行くぞ」
「だ、大丈夫なんですか、ケイジ捜査官」
「心配してる暇があったら、現場から何か少しでもわかることがないか探せ」
「は、はい。……わかりました」
奴が動き出した以上、普通の捜査方法で止めるのはほぼ不可能だ。
前世の捜査技術が確立した世界でさえ、あれを阻止することはできなかった。
奴は証拠どころか、自分に疑いが向く痕跡は欠片すら残さない。
だから、ここからはタカハマの思考を読んで動きを予測する必要がある。
前世の思い出したくもない記憶が呼び覚まされる。
目の前がくらむような、足元が揺れるようないやな感触だけが、俺を突き動かす。
「次は何をやらかす気だ、タカハマ……!」
中庭に出て、二人が転落した現場に到着する。
落ちた二人の体が、担架に乗せられて運ばれていく。
雨に洗い流されていく血痕。
この「死」はおそらく、俺へのメッセージだ。
でなければ、あそこまで前世の俺たちの「死」に状況を寄せるはずがない。
当然、俺をその場に呼び寄せる必要も。
本に挟まれたメモを思い出す。
「やはりあれは、俺に自分の『作品』を観測させるための小細工か」
タカハマは俺に、前世の自分たちの「死」をなぞった光景を見せようとした。
それで俺がどう反応するか、手に取るようにわかっていたのだろう。
そこも含めての「作品」だったのだ。
首筋に滴った雨水に体を震わせる。ひどい雨だ。
そういえば、「あの日」――タカハマと俺が落ちた日は、雨が降っていなかった。
雨が降っていたのは、「あいつ」の――。
「……待て」
なぜ「こっち」なんだ。
タカハマと俺が関わった「死」は二つある。
一つは「俺とタカハマ」自身の死。
そして――もう一つ。
タカハマはなぜこちらの死を選んだ。
何か理由があるのか。
「……違う」
どちらも俺の反応が見たいはず。
どちらも俺を観測者に仕立てて再現したいはず。
なら……この事件はまだ、終わらない。
「おい!」
同僚を呼び止める。
「俺が最近関わった事件の中で、『哀れな境遇』の『女』をリストアップしろ」
同僚は困惑した顔をしながらも、手帳を確認しながら返事をする。
「最近……ケイジ捜査官が『レイ・タカハマ』と関わるようになってからの事件でしたら……一人かと」
考え込みながら同僚が挙げたのは、「前リードマン男爵」の夫人、アイリーン・リードマンだった。
「夫婦仲はもともと良くなかったそうですが、夫が殺人犯として捕まりかけたところで服毒自殺してますし、その夫が殺した相手というのが、リードマン夫人の幼馴染だったということもありますし……。いや、でもまさか」
「今からアイリーン・リードマンの家に行く。お前はここで現場検証を続けろ」
慌てる同僚をしり目に、俺は走り出した。
◆ ◆ ◆
リードマン邸にたどり着いたときには、雨はさらにひどくなっていた。
ひどい動悸に襲われながら、呼び鈴を鳴らす。
呼び鈴の音にも、屋敷の中は静まり返っている。
まるで、もう誰もいないかのような静寂に、いやな予感が増す。
しばらくして出てきたのは、まだ若いメイドだった。
「領主直轄捜査官のトウヤ・ケイジだ」
「……何か、ご用でしょうか」
「リードマン夫人に面会したい」
メイドの目に敵意がにじむ。
「奥様はどなたにもお会いになりません」
「いいから取り次げ。彼女の身に危険が及ぶ可能性がある」
「危険? あなたのほうがよほど危険に見えます」
「こっちは捜査で来てんだ。夫人に危害を加えるはずがないだろうが!」
そういっても、メイドは動こうとしない。
俺が男爵を追い詰めたことを知っているからだろう。
だがそれでも、無理にでも彼女の無事を確認する必要がある。
最悪の場合無理やりにでも押し入らせてもらおうか、と身構えた瞬間。
「奥様、奥様ぁ――!」
屋敷の奥から聞こえてきたのは悲鳴。
「どけ!」
叫んでメイドを押しのけ、飛び込む。
周囲を見渡したが、悲鳴以外慌てふためく使用人の姿はなく、屋敷の中はがらんとしていた。
もしや――「すべて片付けたあと」か。
「夫人の部屋は!」
尻もちをついたメイドを怒鳴りつけると、震える指が二階を指さす。
申し訳ないが気にしている暇はない。
俺は階段を駆け上り、悲鳴のした方を探す。
手当たり次第にドアを開ける。
いない。
もう一つ開ける。
こっちも違う。
角を曲がったところで――いた。
メイドがその場にうずくまっている。
駆け寄り、部屋の中を確認――するまでもなく。
それは、視線のど真ん中に飛び込んできた。
バタつく足。
苦悶にゆがむ顔。
アイリーン・リードマンが――首を、吊っていた。
「夫人!」
叫び中に飛び込み、何とか足を支えて持ち上げようとする。
「夫人、今助けます! おい何してる! そこの椅子で夫人の足を支えろ!」
恐怖のあまり動けずにいるメイドに絶叫する。
がつ、と胸を蹴りつけられ、息が止まった。
「夫人しっかり! 今――」
足を支えながら見上げた先で、アイリーンと目があう。
彼女は――なぜか、笑っていた。
どこか、ほっとした、というような顔で。
それは、……その顔は、俺の記憶の中にある、「彼女」の最期の表情と、泣きたくなるほどに一緒だった。
――「来て、くれたんだね」――
――「でも、いいの。もう、いいの」――
苦悶の表情が、安らかに、穏やかに変化していく。
彼女の全身から、力が抜けたのが、わかった。
瞳から輝きが消える。
食いしばった歯が口内を食い破ったのか。
ほんの少し開いた唇から、赤い血がつうっと顎を伝って落ちてくる。
ぱた、と頬に温かい雫が当たった。
それが彼女の唇から溢れた血だと理解した瞬間、全身が震え始める。
「あ……ぁあ、あ……!」
(ダメだ)
支えていたはずの膝から、力が抜けた。
目の前が真っ暗になっていく。
ギィ、ギィ、と視線の先で彼女が揺れる。
ガラスのように何も映さない瞳。
穏やかに笑んだ表情。
もう、彼女は動かない。
そんな目で。そんな顔で、逝かないでくれ。
――「君は、誰も救えはしない」――
「――ッ!?」
――不意に、声が聞こえた気がした。
振り返る。
窓の外、広い庭の向こう側。
道の向こうに銀灰色の髪を見つけた。
この灰色の空の下で、見間違えたのか。
いや――あれは。
(……違う)
……タカハマ。
そしてそのまま――それは集まってきた人混みの中に消えていった。
「……ッ!」
がり、と奥歯が鳴った。
これが――これがお前の「作品」か。
――ふざけんな。
人が死んでんだぞ!
3人も! 3人もだ!
「たか、はま……!」
アイリーンはまるで救われたように見えた。――だが違う。
こんなものが救済であっていいはずがない。
許してたまるか。
こんな……こんな、ふざけた……!
許せる訳があるか!
「――髙濱ァァァァ!!」
声をかぎりに絶叫する。
俺はお前を、何度でも叩き潰す――!


