深窓のウロボロス――殺したい刑事と裁かれたい犯罪者

 戻ってきた俺を見て、同僚が息を呑んだのが分かった。
 そりゃそうだろう、とんでもなく悪い顔色をしている自覚がある。

「け、ケイジ捜査官、今日はもう、帰ったほうが」
「いやいい」

 その気遣いを一刀のもとに切り捨て、俺は確認を進めた。

「それより目撃証言の中に『コロンを使っていた給仕係』がいたという話があったな」
「あ、はい」

 同僚は手帳をめくって確認する。

「妙に香りが独特で、それで印象に残ったと」
「普通に考えて、そんな特殊なコロンを使える給仕係などいない」
「ですが実際――」
「給仕係に扮した誰か、だ」

 言葉をさえぎってそう言う。
 ガシガシと頭を掻きむしって自分の頭を殴りつける。

「あれだけの給仕係がいれば紛れることはできる。咎めるやつもほとんどいないだろう」

 なぜ気づかなかったのか。あの男に指摘されるまでこんな簡単なことに。

「でも、それが事実だとして、それじゃ犯人は」
「この条件に合う奴なんて一人しかいない!」

 『無礼講』の仮面夜会を計画した。
 給仕係の衣装を事前に用意できる。
 そのうえで、コロンをつけることが習慣化している。

「――犯人はドラグ・リードマン男爵だ」

 ひゅ、と同僚ののどが鳴る。
 それを聞いていた者たち全員の表情が一気に青ざめた。

「もし、そうだとして……」
「ど、どうする」
「確たる証拠がなければ、如何に怪しいといっても……」

 領主が巻き込まれ迅速な解決が求められる事件とは言え、「怪しい」の一言で爵位を持つ相手を拘束することは難しい。
 物的証拠が必要だ。

「せめて、男爵が夜会のさなかに給仕係の姿をしていたということが証明できれば……」

 その言葉に、タカハマの言葉が脳裏によみがえった。

 ――「人間というのはね、『自分を定義するもの』を手放せないものなのだ」――

 もし、それが本当であるとすれば。
 ――急がなければ。

「ど、どこに行くんですかケイジ捜査官!」

 俺は身をひるがえしながら叫んだ。

「一か所だけアタリがある!」

 ◆ ◆ ◆

「領主直轄捜査官のトウヤ・ケイジだ」

 ――リードマン男爵邸。
 身分証を見せて名乗った俺を見て家令と思しき執事姿の男は苦々しい顔をした。

「ご用件は」
「昨夜の夜会で使用人が使用した装備をすべて確認させていただきたい」
「お断りいたします。いかに領主ガランディア侯爵閣下のご命令とはいえ――」

 俺は家令の胸ぐらをつかんで扉に叩きつける。
 ガツ、という音とともに家令の顔が歪んだ。

「――フレシアンの実を蒸留した毒物」
「……」
「心当たりがあるな?」

 家令は黙して語らない。
 その胸ぐらをさらに締め上げ、俺は続ける。

「それが夜会で使われた」
「……証拠など、どこにもございませんでしょう」
「特徴的な毒の香りに気づかないほど、捜査官は無能じゃねえぞ」
「…………」
「閣下も男爵のお立場を憂慮しておられる」
「――……かしこまりました」

 絞り出すような家令の言葉に、俺はようやくその手を離した。

「――案内しろ」
「……こちらへどうぞ」

 案内された屋敷の裏には、かごに山盛りになった洗濯物が置いてある。

「中を検めさせてもらう」

 腕まくりをして洗濯物の中に手を突っ込む。
 シャツの山。
 焦りに任せて手にした布地を地面に叩きつける。
 パンツの山。下着の山。手袋の山。
 ――それらしいものは、ない。

「……ん?」

 しかし、ふと気になる香りが鼻をかすめた。
 鼻の奥に妙に残る、――独特の芳香。

 この香りは、あの夜会で嗅いだ――。

「おい、そこの!」

 叫んでそばを行き過ぎたメイドを呼び止める。
 袋の中はごみの山だ。それを奪い取って中身をひっくり返す。

「何をなさいます!」

 叫ぶメイドと家令の声を無視して、中身を探った。
 この、ごみの中でも妙に残る独特の香りの出どころ。

「……あった」

 手袋が丸めて捨てられていた。給仕係のものと同じデザインだ。
 鼻を寄せなくてもわかる。この手袋からは、あの香りがした。

 その中に芯のようなものを感じた俺は、手袋を広げて軽く振る。
 ころん、と出てきたそれをのぞき込み、俺は大きく息をついた。

「――っくく」

 笑いがこみ上げる。
 鼻につく甘ったるい芳香が、吐き気がするほどの悪臭に感じた。

「ははは……!」

 やったことは隠せない。
 どんなに浅知恵を絞ろうが。

「終わりだ、リードマン男爵」

 ――つぶす。

 ◆ ◆ ◆

「トウヤ・ケイジ捜査官。猛者揃いのガランディア侯爵閣下直属の捜査官殿の中でも特に優秀とか。会えてうれしいよ」
「……恐れ入ります」

 翌日。俺はリードマン男爵邸の応接室で、男爵本人と向き合っていた。

「それで、犯人が分かったとか」
「ええ、男爵には夜会主催者ということで、いの一番にお伝えせよと閣下からのご命令です」

 給仕係が紅茶を運んでくる。
 その手が震えているのを見ながら、俺は静かに切り出した。

「当局が注目したのは、夜会参加者の中からの証言です。……給仕係の一人から、コロンの香りがしたと」
「それは、当家としても許しがたいな。いかに無礼講とはいえ、使用人にそこまでの許可はしていない」
「ええ、それとそのコロンをつけた給仕係が、被害者にワインを給仕した直後に、被害者は泡を吹いて倒れたと」
「つまりその給仕係を当家から見つけ出せばよいのか」
「いえ、それには及びません」

 俺は手を差し出して結論を急ごうとするリードマン男爵を止める。

「そもそも、今回の夜会は仮面をつけた無礼講。人相を特定する決め手はどこにもありません。
 ――だから犯人は、給仕係に変装して被害者に近づいた」
「……ほう」

 リードマン男爵は余裕のある笑顔で俺を見つめている。
 ――そんな顔をしていいられるのも今のうちだ。

「男爵閣下のもとで働く使用人は優秀ですね。『旦那様』の命令を守り、誰一人コロンをつけていない。守れなかったのは、毎日コロンを使う習慣が染みついた犯人だけです」

 俺の皮肉に気づいたのか、男爵の頬がひきつった。

「――何が言いたい」
「コロンは上流階級のたしなみ。男爵閣下もつけておられる。
 ずいぶんと、鼻に残る独特の香りを好まれるようですね」

 言いながら、昨日押収した手袋と、その中に入っていた「あるもの」を見せる。

「使用人の何人かに確認したところ、この手袋は確かに夜会用に買いそろえた使用人用のものであると証言が取れました。
 そしてその手袋の中から出てきたものが――これです」

 はじめて、男爵の顔から血の気が引いた。

「それ、は……!」
「この指輪、男爵が奥方と結婚される際に誂えた品だそうですね。
 内側に刻まれた文言まで一致している。
 ――あんたが夜会で給仕係に変装し、被害者に毒入りワインを給仕した証拠だ」
「貴様……!」

 叫ぶ声に殺気が混じる。
 俺はあえて足を組み、見下すように男爵をにらんだ。

「動機は何だ」
「無礼な……! 貴様に語る義理はない!」
「自分から言えばプライドはまだ傷つかずに済んだろうにな。痴情のもつれだろう。奥方を寝取られた」

 男爵の目が昏く濁る。図星の証拠だ。

 同僚が被害者の交友関係を調べてくれた。
 被害者のエドワード・カルセットは男爵の妻であるアイリーンと幼馴染。そのよしみで衣装の取引が始まった。
 そして、被害者は幼馴染の結婚が決して幸せでないことを、周囲に漏らしていたこともわかっている。

「……もう、やめて差し上げてください、だとさ」

 しばらくの沈黙の末、男爵はそううめいた。

「アイリーンをものか何かのように扱うのはもうやめて差し上げてくださいだと。
 この私の『所有物』を奪っておいて、何を偉そうに――!」

 冷めた目で、激昂する男爵を見る。
 恥も外聞もない。もう一人の男でしかなかった。

「……くだらねぇ」
「なんだと?」
「くだらねぇと言ったんだ。プライドと独占欲を傷つけられるたびに殺しが許されるなら、そもそも殺人が罪になるはずねえだろうが」

 立ち上がり、吐き捨てる。

「爵位持ちを拘束するにもいろいろ手続きがある。面倒をかけさせるな。
 ――ああ、あとな」

 給仕された紅茶――奇妙な芳香のするそれの入ったカップを持ち上げ、一瞬見つめる。
 そしてそのまま、テーブルにひっくり返した。
 びしゃびしゃと琥珀色の液体が滴り落ちて飛び散る。

「……な……」

 なぜわかった、という顔をしている男爵の目の前で、空になったカップを床に放り出す。
 放り出したカップはそのまま、ガシャンと音を立てて割れた。

「こっちは毒の香りを知ってんだ。二度目が通用すると思うな、馬鹿が」

 ◆ ◆ ◆

 翌日、捜査官を動員して容疑者の拘束に向かう前に、ドラグ・リードマン男爵の死体が発見された。
 傍らからは妙な芳香を発する酒。死因は服毒死。……自殺として処理された。

 「疑われた時点で終わる」。
 この世界の「真実」の軽さは、爵位を持っているものにこそ致命的だ。

 自分の被った「爵位」という仮面ごとたたき割られ、本性を世間の目にさらされる。
 自分を守る仮面の後ろから放たれる非難の目。
 その苦痛と屈辱に、耐えられるほど人間は強くはない。

 ドラグ・リードマンもそれに耐えられなかったのだろう。
 遺書はなかった。
 あるいは、家令あたりが彼の名誉のために処分したのかもしれない。

 罪を犯しておきながら、その罰を恐れて死に逃げる。
 完璧に逃げ切ることもできないくせに、不名誉だけを家族に押し付けて。

「それなら最初から、人なんて殺してんじゃねえ」

 呻いた言葉はどこまでも空虚だった。

 俺の目を逃れようとしたくせに。
 罪から逃れようとしたくせに。
 最後まで逃げ切れないとわかった瞬間、すべて終わらせようとするその性根が気に食わなかった。

 閉鎖空間で発生した殺人。
 偽装工作を意図的に行うと決めたのなら。
 俺の目をごまかすと決めたのなら、最後まで――。

「ケイジ捜査官!」

 同僚の声で我に返る。

「……どうした」
「どうした、じゃありませんよ、ぼーっとして。毒物のかぎ分け方について教えてくれるって約束じゃないですか」
「そうだったか」

 言って席を立つ。
 何を考えていたのやら。犯罪者の偽装工作に、自分の手ごたえを感じている暇などないはずだ。

 人間がいる限り、犯罪は起き続ける。
 だがこの時はまだ、俺は予想だにしていなかった。
 この世界の犯罪が、俺の意図を超えて「変異」を遂げるということなど。