深窓のウロボロス――殺したい刑事と裁かれたい犯罪者

 領主様直属の捜査官殿が出張る事件でもないと思うんですがねえ、と年嵩の捜査員が呟く。
 明らかに歓迎されていないことにため息が漏れた。

 ――俺だって管轄外の事件に首を突っ込むのは嫌いだ。
 ナワバリの外の事件に関わってもいいことは基本的にない。そんなことは俺自身がよくわかっている。

 とはいえ領主直接の命令がある以上、俺もはいそうですかと黙って引き下がるわけにはいかない。
 何のために俺がここへ派遣されたのかを確認するように、低い声で嫌味を返した。

「それならさっさと犯人を特定してほしいものだが」

 何か言いかけた捜査員は、苦々しげにそっぽを向いた。
 ――ち、とかすかに聞こえた舌打ち。

 なるほど、と俺はうなずいた。
 きっと前世俺がたてついたエリートも、こんな気分で俺の舌打ちを聞いたのだろう。

 ――それが分かったところで何ひとついいことなどないのだが。

「領主様直属の捜査官様なんてエリート中のエリートが、『たかが』いち地域の空き巣の捜査だなんて。よほどお暇なんでしょうかねえ」
「本来は君たち各地域の捜査員たちに任せるべき事案であることは理解している」

 だったら出張ってくる必要もないでしょうに、と聞こえてきたのは、隠す気もない毒にまみれた声だ。

「そりゃ、被害が拡大していることは理解してますがね」
「あくまで俺がするのは捜査のサポートだ。犯人捕縛のための手伝いが増えたという程度に考えてくれればいい」
「そりゃ無理というものでしょう。うちと捜査官殿では立場ってものが違います」

 事情を知らないエリート警察官僚がコメントだけしに来たようなものだ。
 しかも、所轄の刑事が必死に捜査をしている忙しい時間に。
 現場の捜査員が「何しにきやがった」、という態度になるのは、俺としても理解はできる。

 できる、が。
 ため息と舌打ちを必死に押し隠す。
 当然のように反抗的な視線と嫌味を浴びせられる羽目になった俺だけが貧乏くじを引いた気分だ。

「……前世は噛み付く側だったんだがなぁ」
「何か?」
「いや、なんでもない」

 現場捜査官に嚙みつかれる中間管理職とエリートの気分を同時に味わいながら、俺は何度目かになるため息をかみ殺した。
 とはいえ、俺としても文句を聞ける立場ではない。

「申し訳ないが今回の捜査参加は俺の意思ではなく、閣下の命令だ」
「はいはい、存じ上げておりますよ。領主様の懇意にしている宝飾店がうちの管轄にあって、しかも空き巣被害にあったとあっては、捜査官殿ものんびりしてはおれんでしょう」

 わかっているなら噛みついてくるなよ、と嫌味を言いかけ、俺は静かにうなずいた。
 無駄話をしても嫌味しか返ってこないし、嫌味しか返せない。
 時間を浪費する会話はできるだけ封印して、さっさと捜査の話を始めるに限る。

 とりあえず、俺は自分の前をいく捜査員に呼びかけた。

「送ってもらった捜査資料には一応目を通したが、改めて状況を教えてもらえるか」
「基本的には報告させていただいた捜査資料の通りです」

 苦々しい顔で捜査員は続ける。

 この地域で空き巣が多発するようになったのは数日前から。

「はじめのうちは使用人が疑われておりましたが、複数の資産家の家や店舗が被害を訴えるようになり、同一犯の可能性を考慮して捜査を進めております」
「1件ごとの被害額がずいぶん小さい印象だが」
「ええ、ネックレスや金貨を数点盗む程度で、通報を取り下げる被害者もいるほどです」
「それで同じ手口を繰り返しているのか。ずいぶん手慣れた犯行だな」
「資料一つで分析までこなされるとは、さすがエリート殿は違いますな」

 嫌味が飛んできて、たまりかねた俺はため息を隠し損ねる。

「……不審者の目撃情報は」
「そんなものがあれば、とっくに犯人を挙げとります」

 即座に帰ってきたのは苛立ちを隠しもしない低い声。
 自分より年下の俺に横柄な態度を取られるのがよほど気に食わないのだろう。

 前世公務員だった俺としても、宮仕えの苦しみは理解できる。
 それだけに、高圧的に出る気にもなれない。
 俺はため息をついて考え込む。

 資産家の家には多くの人間が出入りする。
 使用人の格好は流石に目立つだろうが、客人を装って入り込めば見過ごされることも間々あるだろう。
 資産家の、あるいは高級な物品を取り扱う商店であれば、一点でも盗難に成功すればかなりの収益になる。
 しかも、被害者側が盗まれたことに気づかない可能性も高い。

 金に困った犯人が、盗んでもばれにくい家を狙って空き巣に入っている。
 客人になりすまして堂々と屋敷へ入り込み、金目のものを少量ずつ盗んでは換金している。
 そんな犯人像が思い浮かぶ。

 だとすれば、目撃証言の中に同一人物が紛れ込んでいる可能性も捨てきれない。

 前世の捜査体制で、これだけの人員と証言が揃っていて捜査が進展しないことなどあり得なかった。

 周辺聞き込みと、下足痕の収集。
 科学捜査が進んでいなかったとしてもできることは多い。
 とはいえ、現状当局にあるのはやる気と、そして経験だけ。
 ノウハウがない捜査は早々に行き詰まる。

 ちらりと周囲に目を走らせる。

 捜査員たちは書類の山に埋もれ、各々が断片的な情報を拾っては捨てている。

 誰もが忙しそうに動いているが、その実、同じ場所をぐるぐると回っているだけだ。

 足跡はある。
 証言もある。

 だが、それらを繋ぐ意志がない。

 ――だから、進まない。

 ……仕方がない、組織捜査の方法を伝えるだけでも、進展は見込めるはずだ。

「……目撃証言は」
「まとめてあります。こちらへどうぞ」

 差し出された書類を受け取り、ざっと目を通す。

 ……一枚目で、違和感。
 二枚目で、確信に変わる。
 三枚目で、あまりのずさんさに思考が止まった。

「この目撃証言」
「はい」
「いつの話だ」
「三日前ですな」
「知っている。三日前の、何時ごろの話だ」
「……さあ」

 待て。その正確性を失った証言を目撃証言と言えるのか。

 問題はそれだけではなかった。

「この証言、かなり矛盾しているが」
「そうでしょうか」

 矛盾点を、誰も追及していない。

「それにこちらの……この証言、先ほどのこの証言と同じ人物のことでは」
「ん? ああ、そうかもしれません」

 証言の比較検討を一切していない。

「何か問題が? 不審者ではないのですから、特に重要な証言でもないでしょう」

 ――ああ、そうかそういうことか。

 彼らは「怪しい人物」だけを探しているのだ。
 だから他の証言を見落とす。追求しない。

 そもそも――検証すらしていない。

「……はぁ」

 思わず、息が漏れた。

 これは捜査ではない。
 ただ情報を並べているだけだ。

 ――なるほど。

 これは、想定していた以上に、ひどい。

 俺はその場で、静かに理解する。

 ――誰も、この事件を『解こうとしていない』。
 だから、解けない。

 犯罪に対して、後手に回る捜査。
 いや、捜査という概念すら存在しないかもしれない。

 現行犯でなければ捕縛もできない。
 犯罪者が簡単な策を弄するだけで、たやすく当局が混乱する。
 だから、この程度の手口が常習化する。

 捜査員たちへの失望と、単純すぎる犯罪者への侮蔑。
 二つの感情で頭痛がひどくなるのを感じながら、俺は瞼をもみ込んだ。

 ――いや、嘆いている場合ではない。
 逆に言えば、このタイミングこそ好機なのだ。
 まだ犯罪が複雑化していない、この世界だからこそできることがあるはず。

 犯罪者はことごとく捕縛する。
 どのような策を弄したところで、必ず捕まえる。
 そのことを強く印象付けるためにも、俺がやるべきは一つだ。

 無意識に噛みしめた奥歯が鳴った。
 虚空をにらみながら息を吐きだす。
 ――犯罪の手口のずさんさに憤った事実など、見えないふりをして。

 ◆ ◆ ◆

「――捜査会議を行う」

 すべての捜査資料に目を通した俺は、一旦全員を集めた。
 この状況を放っておいたら、いつまで経っても……それこそ、空き巣犯が自分から致命的なミスでもしない限り、真相究明には程遠い。

 捜査員たちは忙しい手を止めさせられて不機嫌そのものの顔をしながら集まってきた。

「まず、捜査方針の刷新から始める。この目撃証言では、犯人を挙げられない」

 まとめられた捜査資料を掲げて言えば、その顔に一様に怒りの表情を浮かべている。

「おれたちの苦労を知りもしないくせに」
「これだからお偉いさんは困る」

 聞こえてきた文句は意識的に耳をふさいでやり過ごした。

「君たちは自分が誰にも怪しまれずに誰かの家に忍び込むとして、怪しいと一目でわかる格好をしていくか」

 重ねて問えば、バカにしたように鼻を鳴らされた。

「そんなことするわけないじゃないですか」
「では、その怪しい格好とはどんな格好だ」
「そりゃ、黒ずくめとか。そういう格好でしょう」

 誰かがそう叫ぶと、どっと笑い声が上がる。
 俺はその笑い声がおさまってから、静かに返した。

「だろうな。――ならば犯人も、黒ずくめなどの怪しまれる格好など最初からしていない」

 あ、とどこかから声が漏れた。

「犯人は我々よりも姑息で狡賢いと想定しろ。犯人の心理状態、行動原理を簡単に分析することも時には必要になる。この場合――残念ながら怪しい人物だけを追っても、犯人を特定するには限界がある、ということだ」

 その言葉に、悔しげに下を向く捜査員たち。
 気持ちはわかる。だが下を向いていても何も進まない。
 俺は息を吸い込み、断言した。

「目撃証言を取り直す。怪しいといえる証言だけじゃない、一見関係ないと思われるような証言も精査し、それらを詳しく分析しなければ、犯人は特定できない」

 それを聞いた捜査員たちはみな怒りを顔ににじませて反抗的な態度を俺に向けた。

「でも、今からですか?」
「次に犯人が狙う家もわからないのに」
「足踏みしてる暇なんて」

 そこでさらに、もう一つ気づいた。

 彼らは「防ぐ」ことしか考えていない。
 だから――解こうとしていない。

 当然ながら次に犯人が狙う家などわかるわけがない。
 それには詳細な犯人像プロファイリングと科学捜査、防犯カメラによる周辺地域の監視などが必須になる。
 前世の最新技術を駆使した捜査を、こちらでやろうとしている。
 そんなもの、不可能に決まっている。

 そもそも、被害者宅の指紋照合から防犯カメラの確認。
 前世の捜査方法であれば、この程度の空き巣犯の特定はたやすい。

 技術もない、科学捜査も使えない。
 前世でできていた「当然の捜査」のほとんどが使えない。
 だがそれができない以上、この捜査官たちが自分の手でもできる捜査方法は一つだ。

「この場合、犯罪が起きた瞬間に犯罪者を捕縛することはほぼ不可能だ。だが、起きてしまった事件をしっかり調べることで、その事件を起こした犯人を特定し、後日証拠をそろえて検挙することは可能となる」
「でも、そんな方法なんて知りませんよ」
「そうです、目撃証言と言ったって怪しいやつはいなかったし」

 聞こえてくる文句の声に手を挙げていったん注目を集める。
 それから捜査方針を打ち出した。

「犯人はおそらく、客人に扮して被害者宅に侵入、ポケットや小さなバッグなどに入る程度の少量の金品を盗み出し、換金しているものと思われる。
 つまり、すべての被害者宅には必ず同一人物が訪問しており、かつ換金可能な商店にこれまで盗んだ金品を持ち込んでいる可能性が高い」
「でも、それをどうやって確認するんですか」

 捜査員の一人がそう声を上げる。その捜査員に向き直り、俺は続けた。

「似顔絵を使う」
「似顔絵?」
「いや、オレたち画家でもないですし……」
「画家レベルで描ける必要はない」

 俺は紙を取り出すと、一番前にいる一人の捜査員の顔を見据えた。

「丸顔か、面長か。鼻は大きめか、小さめか。目は垂れ目か、吊り上がっているか。唇は厚めか、薄めか」

 言いながら、ペンを走らせる。
 困惑した顔の捜査員の顔を見ながら、その顔を紙に描き上げていく。
 
「目撃者に確認をとりながら、都度修正を加えて記憶の人物像に沿わせていく。芸術性は必要ない。俺でもある程度は――」

 そう言いながら俺が出来上がった似顔絵を見せれば、おお、と周囲からどよめきが上がった。

「今後は1件目で使用人たちが目撃した客人を全員似顔絵に起こし、2件目以降の被害者宅で似た人物を見ていないか聞き込みを行う」
「そこで浮上した人物が怪しい、ということですね」
「そうだ」

 頷いて、続ける。
 それから忘れてはならないのが。

「その後物品の換金が可能な商店を巡り、捜査線上に上がった人物が最近物品の換金に来ていないか確認し裏を取る」
「裏をとる……とは?」

 質問されて言葉に詰まる。

 そうかそこからか。裏取り捜査の方も指南しなければならないとは。

「そいつが間違いなく犯人か、別の角度からも確認するということだ。今回の場合例えば、似顔絵の人物が持ち込んだ物品が盗難品だと立証できれば、持ち込んだ本人が犯人である可能性が高まる」

 指紋や下足痕など、物的証拠を積み上げることができない現状では、誤認逮捕を防ぐ意味でも裏取りは確実に必須となる。

「同時に似顔絵を複製し、換金が可能な商店全てに配布する。その人物が来た時には、即座に当局へ報告させる。これで犯人の足取りを掴むことも容易くなるだろう」

 捜査員たちの間に、ざわめきが走った。

 先ほどまであからさまに不満を浮かべていた連中が、互いに顔を見合わせている。

「……それなら、いけるかもしれん」
「同一人物、か……」
「今までの証言、全部洗い直せば――」

 小さな声が、次第に熱を帯びていく。
 誰もが、同じ方向を見始めていた。

 暗礁に乗り上げた捜査が前へ進みだしたのを感じたのだろう。

 ――ようやく、捜査になり始めた。

 顔を見合わせうなずきあう捜査員に、俺は声をかけた。

「――これまでは犯人に好き勝手されてきたが、もうそれも終いだ。ノウハウは俺が伝える。君たちの力で犯人を挙げてほしい」

 おう、と一斉に声があがった。捜査員たちの目は、前世俺が捜査を共にした仲間たちと、同じ熱を帯び始めている。

「絵心が多少あるものを全員集めろ。俺が似顔絵捜査の基本を伝える」

 ◆ ◆ ◆

 捜査員たちの懸命の聞き込みと導入した似顔絵捜査によって、一人の人物が捜査線上に浮上した。

 ローランド・クロウェル。領内の私設軍で2年前まで勤めていた退役軍人だ。
 現在はギャンブルの負けが込んで借金を抱えているらしい。

 ローランドの周辺に聞き込みを行ったところ、最近金回りがよくなったという証言も得ている。
 だが問題が発生した。

「退役軍人とはいえ、これまで実戦を積んできた相手を確保した経験はありません」

 すがるような目で見てくるのは、出会ったときは俺に「出張る必要などない」と嫌味を言ったあの年嵩の捜査員だ。

「捜査官殿は生前特殊な訓練を受けてこられたとのうわさ、どうか捕縛まで力を貸していただけないでしょうか」

 ふざけるな、そのくらい自分たちでやれ。
 ……とはさすがに言えず、ため息を漏らして俺はいま、ローランドの自宅前に立っている。

 家は静まり返っている。
 生活の気配はある。だが、妙に静かだ。

 逃げる準備をしている人間の部屋ではない。

 ――なら。
 奴はまだ、自分が疑われているとは思っていない。

「包囲は?」
「済んでいます」

 背後で短く返る声。
 俺は一度だけ深く息を吐いた。

 ……ここまでは、予定通りだ。

 息を吸い込んで、ドアをノックしながら声をかけた。

「ローランド・クロウェル! いるか、話がある!」

 奥から人が動く気配。
 しばらくしてドアが開き、男が顔を出した。
 ひげを蓄え、それなりの服装に身を包んだ男。
 「資産家の客を装う手口」――どうやら考えた推論で間違っていなかったようだ。

「ローランド・クロウェルだな?」
「……あんたは」
「領主直轄捜査官、トウヤ・ケイジだ。一連の空き巣事件について――」

 言いかけた瞬間、ローランドが動いた。
 俺を押しのけて逃げようとする。

「……っ、待て!」

 叫んで反射的にローランドの腕をつかんだ。
 振り返りざまに放たれたローランドの拳に空を切らせ、そのまま壁に押さえつけて掴んだ左腕を背中にねじり上げる。

「いてえ、やめろ、離せよ!」
「おとなしくしろ!」
「わ、わかった、わかったから!」
「14時22分、容疑者確保――!」

 俺の叫びに、捜査員たちが一斉にローランドにつかみかかった。
 俺がその腕を離したところで、もがく男の体に縄がかけられる。

「ローランド・クロウェル、一連の空き巣事件の容疑者として、当局で事情を聞かせてもらう」
「くそ、俺じゃない! 証拠なんてどこにもないだろう!」

 へたり込んで叫ぶローランドの目の前で、聞き込みで使った似顔絵をちらつかせる。

「残念なことにな、お前が被害にあった家に『お客さん』として入り込んだうえ、近くの店で盗難品を換金してることまで、こっちは調べ上げてんだよ」
「な、どうして――」
「商店じゃご丁寧に自分の署名まで残してくれてな。まさか自分にたどり着くとは思わなかったか? 舐めんのもいい加減にしろよ、オイ」

 ローランドは一瞬で顔色を変える。
 この程度で動揺して、まるで自白しているようなものだ。

(……くだらない)

「この程度で揺れるな!」

 前世ではここからが本番だった。
 一見完璧に見えるアリバイを崩し。
 捜査線上に上がらぬようと苦心して作り上げたと思しい偽装工作を暴き立て。
 証拠がないと一蹴する容疑者の目の前に証拠の山を積み上げ。
 完全でひびなどないと思われた証言に穴を穿つ。
 そこまでやってようやく、容疑者も顔色を変えるものだ。

 それを――それを。

 似顔絵に似ている、程度で。
 署名が残っている、程度のことで。

 俺が犯人でもいくらでも言い訳を思いつける、この程度の捜査内容で。
 もう終わりだと諦めるのか。

「――違う」

 言いかけた言葉を飲み込む。
 自分はいま――何を言いかけた?

「――連れていけ!」

 俺の怒号に応えて捜査員たちがローランドを引きずっていく。
 その背中を見送って、俺は強く舌打ちした。

「さすが領主直轄捜査官殿、この捜査方法は今後我々もぜひ使わせていただきたいところです」

 残った捜査官の世辞にも反応できない。

「捜査官殿?」

 問いかけられてようやく正気に戻った。

「あ……ああ、何か捜査手法などで困ることがあったら、いつでも聞きに来てほしい」

 俺は取り繕うようにそう呟く。
 仲間たちを追って去っていく捜査官の背中を見ながら、俺はしばらく動けなかった。

「……クソが」

 言いかけた言葉を罵声に塗り替えて、俺は吐き捨てた。

 足元に残るのは、荒れた土と引きずられた跡。
 つい先ほどまでここにいた男が、すでに「ただの犯人」に成り下がったことを示している。

「……終わり、か」

 小さく呟く。

 こんなにも、手応えがない。

 抵抗はあった。逃走もあった。
 それでも――終わってみれば、あまりにも呆気ない。

 まるで最初から、結末だけが決まっていたかのような。

 いや、決まっていたのは、結末ではない。

 「疑われた時点で終わる」という、この世界の仕組みそのものだ。

 前世なら、ここからが始まりだった。
 取り調べ、裏取り、証拠の積み上げ。
 そうしてようやく「事件が終わる」。

 逆に言えば容疑者も、捜査線上に上がっても逃れる知恵を凝らす者もいた。
 証拠がないと、捜査の網を潜り抜けようとする者も。

 だがこの世界では違う。
 捕まえた時点で、すべてが終わる。

 ――軽すぎる。

 まるで、人一人の罪が、それだけの重さしか持っていないかのように。
 真実など、軽々しく扱っていいものであるかのように。

 ――取り調べの結果、ローランド・クロウェルは犯行を全面自供した。

 動機は金。
 借金で首が回らなくなることを恐れ、犯行に及んだという。
 資産家を狙えば明るみに出るまで時間がかかると踏んで、少しずつ盗む手口。
 供述した手口も動機も、全てが想定通りだった。

「……馬鹿馬鹿しい」

 思わず声に出して吐き捨てた。
 刑事に手口も動機も一瞬で見抜かれる、行き当たりばったりにも近い犯罪。
 だが、その程度の犯行ですら、この世界では迷宮入りする可能性があった。
 そのことに寒気が走った。
 この程度の稚拙な。

「……ち」

 なぜか思い浮かんだ、タカハマの銀灰色の髪を思考の外に追い出す。
 稚拙。行き当たりばったり。いかにもあの男が言いそうなセリフだ。
 それを思い浮かべてしまった事実に、吐き気がした。

 ローランド・クロウェルは当局に連れて行かれた時点で、素直に取り調べに応じている。
 一切抵抗をせず、自らどの家に盗みに入ったか自供している。
 中には被害の訴えがない家もあり、慌てて捜査員が該当の家に確認に走る有様だ。

 前世では取り調べでもかなりの苦労を強いられたものだった。
 嘘で証言を塗り固める犯人を追い込むテクニックが必須だった。
 犯罪者の供述を引き出す力が、経験が。
 その裏を取って送検にまでもっていく実力が。
 どうしても求められた。

 だが、この世界では「捕まれば終わり」。
 いや、当局に「疑われた時点で終わり」だ。

 取り調べも、証拠の積み上げも、裏取り捜査も。
 ――必要ない。

 やけに呆気ない、幕切れだった。

 犯行現場近くの商店に配布された似顔絵とその捜査手法は、犯罪取り締まりの象徴として領内に広まっていった。

 犯罪者は捕まる。
 どれだけ隠れようと、決して逃げられない。
 犯人に対する強い姿勢と検挙率の向上。
 それは、犯罪の抑止力となるはず――そう思っていた。

 ――俺はまだ知らなかった。
 その「似顔絵」が――いや。
 俺の捜査が、この世界を歪めることになっていくとは。