「――それで? 今日はどんな話題を持ってきてくれた?」
長い足を組み直した男は「レイ・タカハマ」と名乗った。
生前から名を変えてはいないらしい。
まあ、俺にはどうでもいい話だ。
男はこちらが顔を背けているのを見て楽しげに苦笑する。
俺は心の中を見透かされたような不快感に、激しく舌打ちした。
タカハマはこちらの心証など気にしないとばかりに仮面を付け直し、首を傾げる。
「私を扱き使うと言っただろう。残念だが肉体労働は苦手でね、君が言った通り、やるなら頭脳労働だ」
とんとん、と自身のこめかみを突いてみせる。
俺は黙ったままタカハマを睨み据えた。
やつは脚を組み替え、促すように首を傾げる。
「私の頭脳を必要としているのだろう? 差し詰め何かの事件かな」
「うぬぼれるな。利用してやると言っている」
「それならそれでいいさ。君が来てくれるというのなら、この退屈な牢獄生活にも彩がふえるというものだ」
俺は口を閉ざし、やつの真意を探ろうとする。
しかし結局、仮面の向こうの顔色は読めない。
――相変わらず食えない野郎だ。
ため息と共に懐から手帳を取り出す。
無駄話などする気は、一切なかった。
「……被害者の名はアルベット・ディルファス45歳。ディルファス子爵の弟だ。自身でも商売を手広くやっていて、それなりの影響力を持つ資産家でもある」
「ほう、それなりに力と金を持った人物というわけだ」
事件はとある上流階級のサロンで起きた。
13人の資産家や貴族、その子息などが集まった「ある会合」。
その会合の最中、参加者の目の前でアルベット・ディルファスは死んだ。
「集まって会合をしている最中突然灯りが落ち、暗闇に包まれたそうだ。その間に悲鳴が聞こえ、復旧した時にはテーブルに被害者が突っ伏して死んでいた」
「死因は?」
「捜査資料では不明とだけ。検死もしていない状況では、死因など詳しくわかるわけもないだろう」
「その状況で、資料だけで私に謎を解かせようと?」
「……捜査を言い訳にして外に出られるとでも思ったか。立場をわきまえろ」
まあ、言っても詮無いことか、とタカハマはわざとらしくため息をつく。
わかっていて、こちらとの会話を長引かせるために無駄な話題を振っていることは明らかだった。
「逆に資料だけでお前が解けないのであれば、お前の価値は地に落ちるというだけのことだ」
「それは大変。腰を据えて事件を紐解いてみようか」
「さっさと結論を言え」
「仰せのままに」
恭しい礼とともに、あの独特な、首をかしげてこちらをうかがう所作を見せる。
鬱陶しい動きにかけては、前世と変わらず一級品というべきか。
「とはいえ、まずは前提からだ。暗闇になっている間に移動して殺した、と考えるのが自然だが」
「自然な考えなどお前に聞きに来るか。そんな事はすでに検証済みだ」
うんざりとした調子でタカハマの言葉を遮る。手帳に視線を戻して続けた。
「それだけの時間はない。体感的にだが暗闇だった時間は数秒、長くとも10秒もなかったと聞いている」
「なるほど。それで幽霊が殺したと騒ぎになっているわけだ」
――タカハマのその言葉に、俺は手を止めた。
この男に事件の概要は伝えていないし、そもそも監獄内から外的情報など仕入れる機会はないはず。
「……なぜ」
「最近上流階級で流行っていることくらい知っているさ。降霊術だろう?」
……それにしたって、外の情報に触れられるはずがない。通常なら。
「にしても、趣味がいい。みんなで手をつないで幽霊を呼びだして、いったい何をしようとしていたのやら。そうは思わないか?」
黙っていると、勝手にタカハマはしゃべりだした。
「前世でも心霊研究は珍しくなかったな。著名なミステリ作家が晩年降霊術に手を出していたという話も――」
「お前の無駄話を聞く気はない」
趣味がいい、という言葉が嫌味なのかそれとも本気でそう思っているのかは理解できない。
ただそれだけで黙っていたが、勝手にしゃべりだすのならこちらから強引に話を進めてしまうのだった。
俺は不機嫌をそのまま伝えるつもりで舌打ちして、手帳に意識を戻して続けた。
「その日コールデン・ハイド氏のサロンで降霊術が行われた。その最中にハイド氏が現れた霊へ、己が現れた証を見せよと言った瞬間に灯りが落ちたそうだ」
「その明かりというのは?」
俺は手帳をめくってサロンの見取り図を確認する。
部屋の中央には大きな丸テーブル。
全員で席について、手をつないで霊とやらを呼んでいたらしい。
明かりはたしか。
「雰囲気作りか、床に書かれた五芒星の頂点にそれぞれ一本ずつ、蝋燭を灯していたそうだ」
「雰囲気作り、ねえ。そうだな、五芒星と言えば確かに」
「無駄話をする気はないと言ったぞ。魔法だの幽霊だので人を殺したと言いたいのでなければ、さっさと結論を寄越せ」
「魔法だの幽霊だのをそうばかにしたものではないと思うが?」
「だとしたらお前の存在意義そのものがないことになるな。明日にでも断頭台へ行くか」
「それも魅力的だが、残念ながら結論としては幽霊などいなくても、殺人は可能だからね。もう少し私の頭と体はつなげたままにしておいてもらった方がよさそうだ」
楽しそうに笑うタカハマにため息が漏れる。
何がそんなに楽しいのか、知りたくもないし興味もない。
だがタカハマはこちらの意図など知ったことかとばかりに、頬杖をついてニコニコとこちらを観察している。
「で、君はどう思う。ディルファス氏は本当に幽霊に殺されたのだと思うかい?」
聞かれて、吐ききった息を小さく吸う。
俺はその息をそのまま吐き出しながらうめいた。
「……馬鹿馬鹿しい。幽霊が人を殺せるなら苦労はしない。そもそもアルベット・ディルファスはこう言った類のものにはこれまでほとんど参加したことはない。信じてもいなかった」
「では降霊術に参加した誰かがディルファス氏を殺したことになる」
「だがあの暗闇で動けるものはいないだろう。同じ時間帯に明かりを消してみたが、鼻を摘まれてもわからないレベルだった」
部屋の外から誰かが侵入したのならすぐにわかる。
つまり、容疑者はあの部屋の中の被害者を除いた12人。
しかし、暗闇の中で悲鳴があがり、明かりが復旧した時にはアルベット・ディルファスはテーブルに突っ伏していた。
……あの暗闇の中で人を殺すことは不可能に近い。
「チープな言葉を使うとすれば、不可能犯罪――と言ったところか」
お前が言うなという言葉を飲み込む。
前世お前がやってきたことを棚に上げて。
みしりと自分の手元で握りしめたペンが音を立てたのに気づく。
落ち着け。今はこの男を殺す時ではない。
そんな俺の態度を知っているだろうに、タカハマはまったく怯えたふりも見せない。
組んだ足の上で頬杖をついてこちらを見つめていた。
「この世界ならあながちみんな信じるかもしれないね、死者が生者を殺す、なんてスリリングな展開を」
――そう、この程度の出来事でも。
歌うような声は弾んでいる。
しかしその表情は俺だけに向けられ、明らかに事件への興味を失いかけていた。
――まるで、この程度では話にならないと言わんばかりに。
◆ ◆ ◆
何が言いたいのかは知らないが、殺人事件を前に声を弾ませる異常者は無視するに限る。
俺はイライラと手帳を指で叩きながら無言で続きを促した。
タカハマは俺の態度に応えようとはせず、肩をすくめて問いかけてくる。
「とはいえ、君も信じたわけではないのなら、どこかで考えたはずだが? 幽霊がディルファス氏を殺害した、なんて物語を可能にする演出を」
「……無駄口を叩くな。お前は俺のいう通り、黙ってその脳みそを俺に差し出せばいい」
そう言い放って相手を睨む。
じっとこちらを覗き込んでいたタカハマと目が合った。
しばし、睨み合ったまま、沈黙がその場を支配する。
――ややあって、俺は言葉を絞り出した。
「……捜査員たちはみな一様に『幽霊の呪い』を信じている。そんなものはないと一蹴したところで、捜査員たちの恐怖心は拭えない」
「君、というより君の部下たちを安心させるためにも、早急に幽霊の仕業ではないと立証し、犯人の手口を解明したほうがいいというわけか」
「そういうことだ。現場の捜査員の士気は事件解決に如実に影響する」
「では、今回はそういうことにしておこうか」
ふ、と再び息をついた。
それを誤魔化すように俺は視線を逸らして髪を掻き上げる。
――その瞬間、わずかに空気が変わるのが分かった。
これまでの軽薄極まる空気が、ほんの少しだが沈む。
背筋を冷たいものが走った。
理由はわからない。だが本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。
こいつは今――遊びに本気を出し始めたのだと。
思わず顔を上げれば、タカハマは満面の笑みを浮かべていた。
はたして、これまでの遊びに飽きた子どもが、新しいおもちゃを見つけたかのような目の輝きをして。
「まったく困ったものだよ。この程度の問題でこの私を煩わせるだなんて。君でなければ口をきくことすらしてやらないのに」
「だが今はその俺がお前の頭脳を差し出せと言ってる。つべこべ言わずに考えを言え」
「仰せのままに、捜査官殿」
タカハマは仰々しく頭を下げる。
それはさながら、舞台に上がる俳優のようなわざとらしくも華やかで優雅な動きだった。
タカハマはかたりと椅子を鳴らして立ち上がる。
やつの衣服につけられているのだろう芳香が、ふわりとこちらにまで漂ってきた。
左手を後ろに回し、右手を掲げて人差し指で天井をさしながらくるりと踵を返す。
そしてそのまま、石造りの部屋に小さく開けられた窓に向かって歩いていった。
「ディルファス氏が死んだ件については初歩中の初歩と言わざるを得ない」
「……ほう?」
「一つ、暗闇の中で悲鳴が聞こえた」
人差し指で天井を指し示す。
「二つ、灯りが復旧した時被害者は突っ伏していた」
次に、親指が伸びる。
「三つ。暗闇では誰も動けない」
最後に中指。
掲げられるたびに確認される事実。
繰り返し確認されずとも、もう何度も捜査資料は読んだ。
回りくどい。この男の楽しみ方を俺はどうしても好きになれない。
俺はイライラと返す。
「そんな事はすでに検証済みだと何度言えば――」
「よって暗闇の中でディルファス氏を殺害することは不可能。以上、証明は終了だ」
振り返り、ぱちん、と指を鳴らす。
まるで子供が簡単な手品でも披露したあとのような、軽薄な仕草だった。
そのくせ、あの独特の首をかしげてこちらをうかがう所作でやつの視線は、一切俺から外れない。
――試すように。
値踏みするように。
――まるで、出来の悪い生徒を見る教師のように。
――いや。
「さて」
わざとらしく肩をすくめ、タカハマは薄く笑う。
「ここまでで、どこまでついて来られているかな?」
それは確かに、俺の理解度を確かめていた。
――ふざけているのか。
そんなことは誰に言われるまでもなくわかっている。
わかりきったことをそのまま証明されても、そんなものは説明でも推理でもない。
思わず怒号をあげかけて、無理やり押し殺した。
こんなところで激昂すれば奴の思う壺だ。
不可能を可能にする考えを聞いているというのに、タカハマは「不可能」と言い切る。
性根は腐り切っていても、タカハマはその頭脳だけは本物だ。
つまり、本当に不可能なのだろう。
そして、そこまでは誰もがたどり着く。
――その瞬間、自分の中にあった推察が一気に実像を帯びる。
それならば、「不可能」であろうが関係ない。
だが、と俺は心の中で頭を打ち振る。
それはあまりにも荒唐無稽にすぎる発想だった。
己の頭に浮かんだ考えを顔には出さず、俺は低く唸る。
「――ふざけている暇があるならさっさと結論を言ったらどうだ。それともお前にもわからないか、『この程度』が」
「おや、この私に向かって挑発とは。随分と嬉しい事をしてくれる」
挑発はいなされ、むしろ悦ばせるだけに終わった。
ため息を押し殺して、視線だけで続きを促す。
「簡単さ。君だってもう、答えは見えているはずだ」
ぺろ、と薄い唇を舐めた赤い舌が、ひどく目に焼き付く。
無言を貫き続ける俺に、タカハマはにぃ、と濡れた唇を深く笑みの形にゆがめた。
「――ディルファス氏を暗闇に乗じて殺害するのは不可能。そう、暗闇の中では、ね」
「……」
「つまり、殺害されたのは明るくなった後だ」
(――理解は。理解は、できる)
簡単な時間差トリック。それは自分も、一瞬たどり着きかけた結論だ。
アルベット・ディルファスは明るくなってから殺された。
暗闇で悲鳴をあげて突っ伏したのは――。
……いや。
一瞬、形になりかけた推察を、意識的に押し潰す。
あまりにも、馬鹿げている。
それが自分の頭の中から出てきた推論だとは、絶対に思いたくない考えだった。
被害者自身の行動を前提にしなければ成立しない推論など――。
そんなものは、推理ですらない。
目の前にいるのがこの男でなければ、「くだらない」と一蹴したような単なるこじつけ。
何よりも、この男が好みそうなやり口だ。
それが、自分の脳から出てきたのだと考えるだけで吐き気がする。
奥歯がぎりりと鳴った。
悪趣味な悪戯。それで人が死んだ。
だが、それでも奴の笑顔は揺らがない。
己の考えを、確信して疑わないその顔。
それは明らかに、こちらの反応を見て楽しんでいた。
◆ ◆ ◆
「――馬鹿馬鹿しい」
俺は低く吐き捨てた。
誰が自分の死を誤認させるような真似をするのだ。
それこそ被害者と加害者が協力体制になければできることではない。
「降霊術の参加者は暗闇の中ではアルベット・ディルファスの悲鳴を聞いている。聞き間違いではないと全員が証言したし、事実明かりが復旧した時被害者は一人でテーブルに突っ伏していた」
「それはどうかな。ディルファス氏は幽霊なんて信じていなかった。それが突然何かトリックを使って明かりが消えたんだ。私なら、確実に氏の次の行動を予測できる」
――子どものころ、確かにやる奴はいた。
暗闇になった瞬間悲鳴を上げたり、くすくす笑ったり。
悪ふざけの延長、子どものいたずら――それが、アルベット・ディルファスの最期を決定づけたとでもいうのか。
「あるいは、犯人に焚き付けられたのかもしれないね、参加者は皆降霊術を信じているから、みんなを揶揄うために死んだふりでもしてみてはどうか、と」
そういうと、ことさらゆっくりとタカハマはこちらへ向き直った。
窓から漏れる灯りが逆光になって、タカハマの鉄仮面を暗がりに隠す。
「ディルファス氏は暗闇に乗じて悲鳴をあげ大袈裟にテーブルに突っ伏して見せた。幽霊に害されたと信じるものは、流石に彼に触れたいとは思うまい」
被害者にとってはさぞ愉快だっただろう。――この男のように。
そしてまさに俺を観察して楽しんでいるタカハマは、こちらに目を合わせて微笑んだまま、芝居めいた動きで両手を広げる。
陽光がシルエットを映し出し、さながら舞台を見せられているような気分になる。
「やがて顔を起こしたディルファス氏はただの悪戯だと笑ってことを収めるつもりでいたが……そうはならなかった」
「近づいた犯人がアルベット・ディルファスの無事を確認するように見せかけて、毒針か何かを使って彼を殺害した」
「その通り。つまり、この時点で犯人は当然一人か二人程度に絞られると思うが、どうかな」
俺は手帳をめくって事件当夜の流れを確認する。
倒れた被害者に最初に近寄り、死んだことを周囲に報告したのは――
「――コールデン・ハイド。降霊術の主催者だ」
「ならば答えは簡単だ。彼が犯人。倒れたが死んでいない被害者を『死なせる』ことができる唯一の人物だ」
「…………」
ならば降霊術中に灯りが落ちたのも簡単だ。
空気より重い気体を床に這わせれば自ずと火は消える。
全ては「姿なき何者か」を演出するための小細工。
(――反吐が出る)
人の死を演出に使う。
恐怖も混乱も、すべて計算に入れた上で、「それらしく見せる」ためだけに組み上げられた構図。
そこにあるのは悪意ですらない。
ただの、効率と都合だ。
だからこそ、気に食わない。
もっと原始的で、もっと衝動的であれば、まだ理解できる。
だがこれは違う。
自らの罪を逃れるために、即物的に、かつ冷徹に。
一つの命を奪うことを、作業工程とみなす行為。
――だというのに。
そこまで考えて、思考が一瞬だけ止まる。
……まるで、やり口だけがこの男に似ている。
やり口だけだ。
完成度も低く、俺にすら想定が可能な初歩トリック。
焚きつけたとはいえ、被害者の気まぐれに左右される成功確率。
だが実際に、現場の捜査員はいもしない幽霊に振り回されて呪いを信じた。
成功してしまえば、こんなにも愚かしいトリックが成立してしまう。
人をだますことが、これほどまでにたやすい。
こんなにも、この世界で「真実」の価値は軽い。
いや――違う。「軽い」では済まされない。
人が死んでいるのだ。
動機はどうあれ、一つの命が奪われたのだ。
これは明らかな死への冒涜。
さらに言えば、犯罪行為をまるでゲームのようにもてあそぶ行為。
「ろうそくの明かりを消すトリックに至っては、前世なら初等教育で習う範疇、といったところかな」
「降霊術そのものが偽物、ってことか」
「タイミングを合わせるのは多少難しいが、今回は上手くいったという程度の話だ」
なんともつまらないな。
言い捨てて、タカハマはパタンと音を立てて腕を下ろす。
そのままスタスタと戻ってきて静かに椅子に腰を下ろした。
「まさか君、この私とこの犯人を同列に見ているわけではあるまいね」
「…………」
俺は黙ったままタカハマをにらみつけていた。
犯罪行為へのゆがんだ認知。
それでいて、作業のような冷徹さ。
シミュレーションしていたような、整った手口。
まるで――。
俺の目を見て言いたいことを理解したのだろう。
タカハマは心外そうに肩をすくめた。
「ひどいな。私ならもっと美しくできる」
「犯罪に醜いも美しいもあるか。俺にとってはこの事件の犯人もお前も、どちらも下劣な犯罪者だ」
愚弄の意図をたっぷりと乗せて言ってやる。
だが肩をすくめたままくつくつと笑ったタカハマは、心外な、と言い返してきた。
「犯罪の手口を己の罪を逃れるための手段としか考えない即物的な愚か者と一緒にされてはたまらない。何より――」
わずかに声の調子が落ちる。
男は小さく首を傾げ、こちらを上目遣いで見て微笑みを浮かべた。
「――何より、こんな稚拙かつ行き当たりばったりな手法で満足するならば、最初から何もしない方がいい」
稚拙、かつ行き当たりばったり。
その言葉が刺さる。
確かに、この男であれば、被害者を確実に殺し、かつ「完璧に幽霊に罪をかぶせる」ことくらいやってのけるだろう。
そうなれば、この世界において真実を明らかにすることは不可能となるかもしれない。
――いや、それ以上に。
俺がいながら、この程度のトリック一つで事件が暗礁に乗り上げた。
この程度の、完成度の低いトリックごときで、タカハマのような犯罪者の手を借りて――。
――いや。
俺は考えかけた言葉を静かに脳内で握りつぶした。
犯罪は犯罪。どんなに策を弄したところで同じこと。
俺がするのは、どんな手を使ってでもそれを暴き立てて犯罪者を牢にぶち込むことだけだ。
「……犯罪に完璧を求めるか。やはりお前は狂ってる」
「そうかな。まあ狂っているとして、それで君と楽しめるのなら、私にとって正気でいるより狂気の方が金にも勝る価値がある」
うっとりとした口調に吐き気を催す。
無言で俺は踵を返した。
「もう帰ってしまうのか?」
「言ったはずだ。俺が必要としているのはお前の頭脳であってお前自身ではない。利用価値がなくなれば容赦なく殺す。覚えておけ。俺にはその権限がある」
「それは嬉しい。その瞬間を心待ちにしているよ」
――まるで自分がこの男に愛を囁いてしまったかのように錯覚した。
うっかり振り返る。
倒錯した悦を口調と口元に宿し、タカハマは仮面の下で笑っていた。
「まあ君が来てくれるならなんでもいい。この世界もようやく楽しめそうになってきたところだ」
「囚人の分際で楽しめるような世界だと思うか」
「囚人であることなど何の意味もないさ。私の存在意義はこの頭脳にある。そういったのは君だ」
「…………」
「ただわがままを言っていいのなら、次はもう少し面白い話題を頼むよ。これではせっかく来てくれても楽しみが半減だ」
「――くそったれ」
大きな音を立てて扉を閉め、足早にその場を後にした。
その後の調べで、コールデン・ハイドの屋敷からは二酸化炭素生成用の器具と即効性の毒、そして毒針が押収され、犯人は逮捕された。
取り調べで分かったことは、容疑者が降霊術を用いた詐欺行為を行なっていたこと。そして、それを被害者に悟られ、強請を受けていたこと。
被害者がやった死んだふりも、悪戯をしてみてはどうかと容疑者から焚き付けたものだったそうだ。
どの世界でも、犯罪者の動機はどこまでも即物的だ。
――ただ一人、あの男だけが例外だ。
犯罪そのものを「芸術」と称し、その完成度に命すらかけようとする。
前世俺が追い詰めるまで、決して表舞台に姿を現すことのなかった「深窓のウロボロス」。
「――いつか」
はめた革手袋がギリギリと音を立てる。
いつか、あの男を。
長い足を組み直した男は「レイ・タカハマ」と名乗った。
生前から名を変えてはいないらしい。
まあ、俺にはどうでもいい話だ。
男はこちらが顔を背けているのを見て楽しげに苦笑する。
俺は心の中を見透かされたような不快感に、激しく舌打ちした。
タカハマはこちらの心証など気にしないとばかりに仮面を付け直し、首を傾げる。
「私を扱き使うと言っただろう。残念だが肉体労働は苦手でね、君が言った通り、やるなら頭脳労働だ」
とんとん、と自身のこめかみを突いてみせる。
俺は黙ったままタカハマを睨み据えた。
やつは脚を組み替え、促すように首を傾げる。
「私の頭脳を必要としているのだろう? 差し詰め何かの事件かな」
「うぬぼれるな。利用してやると言っている」
「それならそれでいいさ。君が来てくれるというのなら、この退屈な牢獄生活にも彩がふえるというものだ」
俺は口を閉ざし、やつの真意を探ろうとする。
しかし結局、仮面の向こうの顔色は読めない。
――相変わらず食えない野郎だ。
ため息と共に懐から手帳を取り出す。
無駄話などする気は、一切なかった。
「……被害者の名はアルベット・ディルファス45歳。ディルファス子爵の弟だ。自身でも商売を手広くやっていて、それなりの影響力を持つ資産家でもある」
「ほう、それなりに力と金を持った人物というわけだ」
事件はとある上流階級のサロンで起きた。
13人の資産家や貴族、その子息などが集まった「ある会合」。
その会合の最中、参加者の目の前でアルベット・ディルファスは死んだ。
「集まって会合をしている最中突然灯りが落ち、暗闇に包まれたそうだ。その間に悲鳴が聞こえ、復旧した時にはテーブルに被害者が突っ伏して死んでいた」
「死因は?」
「捜査資料では不明とだけ。検死もしていない状況では、死因など詳しくわかるわけもないだろう」
「その状況で、資料だけで私に謎を解かせようと?」
「……捜査を言い訳にして外に出られるとでも思ったか。立場をわきまえろ」
まあ、言っても詮無いことか、とタカハマはわざとらしくため息をつく。
わかっていて、こちらとの会話を長引かせるために無駄な話題を振っていることは明らかだった。
「逆に資料だけでお前が解けないのであれば、お前の価値は地に落ちるというだけのことだ」
「それは大変。腰を据えて事件を紐解いてみようか」
「さっさと結論を言え」
「仰せのままに」
恭しい礼とともに、あの独特な、首をかしげてこちらをうかがう所作を見せる。
鬱陶しい動きにかけては、前世と変わらず一級品というべきか。
「とはいえ、まずは前提からだ。暗闇になっている間に移動して殺した、と考えるのが自然だが」
「自然な考えなどお前に聞きに来るか。そんな事はすでに検証済みだ」
うんざりとした調子でタカハマの言葉を遮る。手帳に視線を戻して続けた。
「それだけの時間はない。体感的にだが暗闇だった時間は数秒、長くとも10秒もなかったと聞いている」
「なるほど。それで幽霊が殺したと騒ぎになっているわけだ」
――タカハマのその言葉に、俺は手を止めた。
この男に事件の概要は伝えていないし、そもそも監獄内から外的情報など仕入れる機会はないはず。
「……なぜ」
「最近上流階級で流行っていることくらい知っているさ。降霊術だろう?」
……それにしたって、外の情報に触れられるはずがない。通常なら。
「にしても、趣味がいい。みんなで手をつないで幽霊を呼びだして、いったい何をしようとしていたのやら。そうは思わないか?」
黙っていると、勝手にタカハマはしゃべりだした。
「前世でも心霊研究は珍しくなかったな。著名なミステリ作家が晩年降霊術に手を出していたという話も――」
「お前の無駄話を聞く気はない」
趣味がいい、という言葉が嫌味なのかそれとも本気でそう思っているのかは理解できない。
ただそれだけで黙っていたが、勝手にしゃべりだすのならこちらから強引に話を進めてしまうのだった。
俺は不機嫌をそのまま伝えるつもりで舌打ちして、手帳に意識を戻して続けた。
「その日コールデン・ハイド氏のサロンで降霊術が行われた。その最中にハイド氏が現れた霊へ、己が現れた証を見せよと言った瞬間に灯りが落ちたそうだ」
「その明かりというのは?」
俺は手帳をめくってサロンの見取り図を確認する。
部屋の中央には大きな丸テーブル。
全員で席について、手をつないで霊とやらを呼んでいたらしい。
明かりはたしか。
「雰囲気作りか、床に書かれた五芒星の頂点にそれぞれ一本ずつ、蝋燭を灯していたそうだ」
「雰囲気作り、ねえ。そうだな、五芒星と言えば確かに」
「無駄話をする気はないと言ったぞ。魔法だの幽霊だので人を殺したと言いたいのでなければ、さっさと結論を寄越せ」
「魔法だの幽霊だのをそうばかにしたものではないと思うが?」
「だとしたらお前の存在意義そのものがないことになるな。明日にでも断頭台へ行くか」
「それも魅力的だが、残念ながら結論としては幽霊などいなくても、殺人は可能だからね。もう少し私の頭と体はつなげたままにしておいてもらった方がよさそうだ」
楽しそうに笑うタカハマにため息が漏れる。
何がそんなに楽しいのか、知りたくもないし興味もない。
だがタカハマはこちらの意図など知ったことかとばかりに、頬杖をついてニコニコとこちらを観察している。
「で、君はどう思う。ディルファス氏は本当に幽霊に殺されたのだと思うかい?」
聞かれて、吐ききった息を小さく吸う。
俺はその息をそのまま吐き出しながらうめいた。
「……馬鹿馬鹿しい。幽霊が人を殺せるなら苦労はしない。そもそもアルベット・ディルファスはこう言った類のものにはこれまでほとんど参加したことはない。信じてもいなかった」
「では降霊術に参加した誰かがディルファス氏を殺したことになる」
「だがあの暗闇で動けるものはいないだろう。同じ時間帯に明かりを消してみたが、鼻を摘まれてもわからないレベルだった」
部屋の外から誰かが侵入したのならすぐにわかる。
つまり、容疑者はあの部屋の中の被害者を除いた12人。
しかし、暗闇の中で悲鳴があがり、明かりが復旧した時にはアルベット・ディルファスはテーブルに突っ伏していた。
……あの暗闇の中で人を殺すことは不可能に近い。
「チープな言葉を使うとすれば、不可能犯罪――と言ったところか」
お前が言うなという言葉を飲み込む。
前世お前がやってきたことを棚に上げて。
みしりと自分の手元で握りしめたペンが音を立てたのに気づく。
落ち着け。今はこの男を殺す時ではない。
そんな俺の態度を知っているだろうに、タカハマはまったく怯えたふりも見せない。
組んだ足の上で頬杖をついてこちらを見つめていた。
「この世界ならあながちみんな信じるかもしれないね、死者が生者を殺す、なんてスリリングな展開を」
――そう、この程度の出来事でも。
歌うような声は弾んでいる。
しかしその表情は俺だけに向けられ、明らかに事件への興味を失いかけていた。
――まるで、この程度では話にならないと言わんばかりに。
◆ ◆ ◆
何が言いたいのかは知らないが、殺人事件を前に声を弾ませる異常者は無視するに限る。
俺はイライラと手帳を指で叩きながら無言で続きを促した。
タカハマは俺の態度に応えようとはせず、肩をすくめて問いかけてくる。
「とはいえ、君も信じたわけではないのなら、どこかで考えたはずだが? 幽霊がディルファス氏を殺害した、なんて物語を可能にする演出を」
「……無駄口を叩くな。お前は俺のいう通り、黙ってその脳みそを俺に差し出せばいい」
そう言い放って相手を睨む。
じっとこちらを覗き込んでいたタカハマと目が合った。
しばし、睨み合ったまま、沈黙がその場を支配する。
――ややあって、俺は言葉を絞り出した。
「……捜査員たちはみな一様に『幽霊の呪い』を信じている。そんなものはないと一蹴したところで、捜査員たちの恐怖心は拭えない」
「君、というより君の部下たちを安心させるためにも、早急に幽霊の仕業ではないと立証し、犯人の手口を解明したほうがいいというわけか」
「そういうことだ。現場の捜査員の士気は事件解決に如実に影響する」
「では、今回はそういうことにしておこうか」
ふ、と再び息をついた。
それを誤魔化すように俺は視線を逸らして髪を掻き上げる。
――その瞬間、わずかに空気が変わるのが分かった。
これまでの軽薄極まる空気が、ほんの少しだが沈む。
背筋を冷たいものが走った。
理由はわからない。だが本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。
こいつは今――遊びに本気を出し始めたのだと。
思わず顔を上げれば、タカハマは満面の笑みを浮かべていた。
はたして、これまでの遊びに飽きた子どもが、新しいおもちゃを見つけたかのような目の輝きをして。
「まったく困ったものだよ。この程度の問題でこの私を煩わせるだなんて。君でなければ口をきくことすらしてやらないのに」
「だが今はその俺がお前の頭脳を差し出せと言ってる。つべこべ言わずに考えを言え」
「仰せのままに、捜査官殿」
タカハマは仰々しく頭を下げる。
それはさながら、舞台に上がる俳優のようなわざとらしくも華やかで優雅な動きだった。
タカハマはかたりと椅子を鳴らして立ち上がる。
やつの衣服につけられているのだろう芳香が、ふわりとこちらにまで漂ってきた。
左手を後ろに回し、右手を掲げて人差し指で天井をさしながらくるりと踵を返す。
そしてそのまま、石造りの部屋に小さく開けられた窓に向かって歩いていった。
「ディルファス氏が死んだ件については初歩中の初歩と言わざるを得ない」
「……ほう?」
「一つ、暗闇の中で悲鳴が聞こえた」
人差し指で天井を指し示す。
「二つ、灯りが復旧した時被害者は突っ伏していた」
次に、親指が伸びる。
「三つ。暗闇では誰も動けない」
最後に中指。
掲げられるたびに確認される事実。
繰り返し確認されずとも、もう何度も捜査資料は読んだ。
回りくどい。この男の楽しみ方を俺はどうしても好きになれない。
俺はイライラと返す。
「そんな事はすでに検証済みだと何度言えば――」
「よって暗闇の中でディルファス氏を殺害することは不可能。以上、証明は終了だ」
振り返り、ぱちん、と指を鳴らす。
まるで子供が簡単な手品でも披露したあとのような、軽薄な仕草だった。
そのくせ、あの独特の首をかしげてこちらをうかがう所作でやつの視線は、一切俺から外れない。
――試すように。
値踏みするように。
――まるで、出来の悪い生徒を見る教師のように。
――いや。
「さて」
わざとらしく肩をすくめ、タカハマは薄く笑う。
「ここまでで、どこまでついて来られているかな?」
それは確かに、俺の理解度を確かめていた。
――ふざけているのか。
そんなことは誰に言われるまでもなくわかっている。
わかりきったことをそのまま証明されても、そんなものは説明でも推理でもない。
思わず怒号をあげかけて、無理やり押し殺した。
こんなところで激昂すれば奴の思う壺だ。
不可能を可能にする考えを聞いているというのに、タカハマは「不可能」と言い切る。
性根は腐り切っていても、タカハマはその頭脳だけは本物だ。
つまり、本当に不可能なのだろう。
そして、そこまでは誰もがたどり着く。
――その瞬間、自分の中にあった推察が一気に実像を帯びる。
それならば、「不可能」であろうが関係ない。
だが、と俺は心の中で頭を打ち振る。
それはあまりにも荒唐無稽にすぎる発想だった。
己の頭に浮かんだ考えを顔には出さず、俺は低く唸る。
「――ふざけている暇があるならさっさと結論を言ったらどうだ。それともお前にもわからないか、『この程度』が」
「おや、この私に向かって挑発とは。随分と嬉しい事をしてくれる」
挑発はいなされ、むしろ悦ばせるだけに終わった。
ため息を押し殺して、視線だけで続きを促す。
「簡単さ。君だってもう、答えは見えているはずだ」
ぺろ、と薄い唇を舐めた赤い舌が、ひどく目に焼き付く。
無言を貫き続ける俺に、タカハマはにぃ、と濡れた唇を深く笑みの形にゆがめた。
「――ディルファス氏を暗闇に乗じて殺害するのは不可能。そう、暗闇の中では、ね」
「……」
「つまり、殺害されたのは明るくなった後だ」
(――理解は。理解は、できる)
簡単な時間差トリック。それは自分も、一瞬たどり着きかけた結論だ。
アルベット・ディルファスは明るくなってから殺された。
暗闇で悲鳴をあげて突っ伏したのは――。
……いや。
一瞬、形になりかけた推察を、意識的に押し潰す。
あまりにも、馬鹿げている。
それが自分の頭の中から出てきた推論だとは、絶対に思いたくない考えだった。
被害者自身の行動を前提にしなければ成立しない推論など――。
そんなものは、推理ですらない。
目の前にいるのがこの男でなければ、「くだらない」と一蹴したような単なるこじつけ。
何よりも、この男が好みそうなやり口だ。
それが、自分の脳から出てきたのだと考えるだけで吐き気がする。
奥歯がぎりりと鳴った。
悪趣味な悪戯。それで人が死んだ。
だが、それでも奴の笑顔は揺らがない。
己の考えを、確信して疑わないその顔。
それは明らかに、こちらの反応を見て楽しんでいた。
◆ ◆ ◆
「――馬鹿馬鹿しい」
俺は低く吐き捨てた。
誰が自分の死を誤認させるような真似をするのだ。
それこそ被害者と加害者が協力体制になければできることではない。
「降霊術の参加者は暗闇の中ではアルベット・ディルファスの悲鳴を聞いている。聞き間違いではないと全員が証言したし、事実明かりが復旧した時被害者は一人でテーブルに突っ伏していた」
「それはどうかな。ディルファス氏は幽霊なんて信じていなかった。それが突然何かトリックを使って明かりが消えたんだ。私なら、確実に氏の次の行動を予測できる」
――子どものころ、確かにやる奴はいた。
暗闇になった瞬間悲鳴を上げたり、くすくす笑ったり。
悪ふざけの延長、子どものいたずら――それが、アルベット・ディルファスの最期を決定づけたとでもいうのか。
「あるいは、犯人に焚き付けられたのかもしれないね、参加者は皆降霊術を信じているから、みんなを揶揄うために死んだふりでもしてみてはどうか、と」
そういうと、ことさらゆっくりとタカハマはこちらへ向き直った。
窓から漏れる灯りが逆光になって、タカハマの鉄仮面を暗がりに隠す。
「ディルファス氏は暗闇に乗じて悲鳴をあげ大袈裟にテーブルに突っ伏して見せた。幽霊に害されたと信じるものは、流石に彼に触れたいとは思うまい」
被害者にとってはさぞ愉快だっただろう。――この男のように。
そしてまさに俺を観察して楽しんでいるタカハマは、こちらに目を合わせて微笑んだまま、芝居めいた動きで両手を広げる。
陽光がシルエットを映し出し、さながら舞台を見せられているような気分になる。
「やがて顔を起こしたディルファス氏はただの悪戯だと笑ってことを収めるつもりでいたが……そうはならなかった」
「近づいた犯人がアルベット・ディルファスの無事を確認するように見せかけて、毒針か何かを使って彼を殺害した」
「その通り。つまり、この時点で犯人は当然一人か二人程度に絞られると思うが、どうかな」
俺は手帳をめくって事件当夜の流れを確認する。
倒れた被害者に最初に近寄り、死んだことを周囲に報告したのは――
「――コールデン・ハイド。降霊術の主催者だ」
「ならば答えは簡単だ。彼が犯人。倒れたが死んでいない被害者を『死なせる』ことができる唯一の人物だ」
「…………」
ならば降霊術中に灯りが落ちたのも簡単だ。
空気より重い気体を床に這わせれば自ずと火は消える。
全ては「姿なき何者か」を演出するための小細工。
(――反吐が出る)
人の死を演出に使う。
恐怖も混乱も、すべて計算に入れた上で、「それらしく見せる」ためだけに組み上げられた構図。
そこにあるのは悪意ですらない。
ただの、効率と都合だ。
だからこそ、気に食わない。
もっと原始的で、もっと衝動的であれば、まだ理解できる。
だがこれは違う。
自らの罪を逃れるために、即物的に、かつ冷徹に。
一つの命を奪うことを、作業工程とみなす行為。
――だというのに。
そこまで考えて、思考が一瞬だけ止まる。
……まるで、やり口だけがこの男に似ている。
やり口だけだ。
完成度も低く、俺にすら想定が可能な初歩トリック。
焚きつけたとはいえ、被害者の気まぐれに左右される成功確率。
だが実際に、現場の捜査員はいもしない幽霊に振り回されて呪いを信じた。
成功してしまえば、こんなにも愚かしいトリックが成立してしまう。
人をだますことが、これほどまでにたやすい。
こんなにも、この世界で「真実」の価値は軽い。
いや――違う。「軽い」では済まされない。
人が死んでいるのだ。
動機はどうあれ、一つの命が奪われたのだ。
これは明らかな死への冒涜。
さらに言えば、犯罪行為をまるでゲームのようにもてあそぶ行為。
「ろうそくの明かりを消すトリックに至っては、前世なら初等教育で習う範疇、といったところかな」
「降霊術そのものが偽物、ってことか」
「タイミングを合わせるのは多少難しいが、今回は上手くいったという程度の話だ」
なんともつまらないな。
言い捨てて、タカハマはパタンと音を立てて腕を下ろす。
そのままスタスタと戻ってきて静かに椅子に腰を下ろした。
「まさか君、この私とこの犯人を同列に見ているわけではあるまいね」
「…………」
俺は黙ったままタカハマをにらみつけていた。
犯罪行為へのゆがんだ認知。
それでいて、作業のような冷徹さ。
シミュレーションしていたような、整った手口。
まるで――。
俺の目を見て言いたいことを理解したのだろう。
タカハマは心外そうに肩をすくめた。
「ひどいな。私ならもっと美しくできる」
「犯罪に醜いも美しいもあるか。俺にとってはこの事件の犯人もお前も、どちらも下劣な犯罪者だ」
愚弄の意図をたっぷりと乗せて言ってやる。
だが肩をすくめたままくつくつと笑ったタカハマは、心外な、と言い返してきた。
「犯罪の手口を己の罪を逃れるための手段としか考えない即物的な愚か者と一緒にされてはたまらない。何より――」
わずかに声の調子が落ちる。
男は小さく首を傾げ、こちらを上目遣いで見て微笑みを浮かべた。
「――何より、こんな稚拙かつ行き当たりばったりな手法で満足するならば、最初から何もしない方がいい」
稚拙、かつ行き当たりばったり。
その言葉が刺さる。
確かに、この男であれば、被害者を確実に殺し、かつ「完璧に幽霊に罪をかぶせる」ことくらいやってのけるだろう。
そうなれば、この世界において真実を明らかにすることは不可能となるかもしれない。
――いや、それ以上に。
俺がいながら、この程度のトリック一つで事件が暗礁に乗り上げた。
この程度の、完成度の低いトリックごときで、タカハマのような犯罪者の手を借りて――。
――いや。
俺は考えかけた言葉を静かに脳内で握りつぶした。
犯罪は犯罪。どんなに策を弄したところで同じこと。
俺がするのは、どんな手を使ってでもそれを暴き立てて犯罪者を牢にぶち込むことだけだ。
「……犯罪に完璧を求めるか。やはりお前は狂ってる」
「そうかな。まあ狂っているとして、それで君と楽しめるのなら、私にとって正気でいるより狂気の方が金にも勝る価値がある」
うっとりとした口調に吐き気を催す。
無言で俺は踵を返した。
「もう帰ってしまうのか?」
「言ったはずだ。俺が必要としているのはお前の頭脳であってお前自身ではない。利用価値がなくなれば容赦なく殺す。覚えておけ。俺にはその権限がある」
「それは嬉しい。その瞬間を心待ちにしているよ」
――まるで自分がこの男に愛を囁いてしまったかのように錯覚した。
うっかり振り返る。
倒錯した悦を口調と口元に宿し、タカハマは仮面の下で笑っていた。
「まあ君が来てくれるならなんでもいい。この世界もようやく楽しめそうになってきたところだ」
「囚人の分際で楽しめるような世界だと思うか」
「囚人であることなど何の意味もないさ。私の存在意義はこの頭脳にある。そういったのは君だ」
「…………」
「ただわがままを言っていいのなら、次はもう少し面白い話題を頼むよ。これではせっかく来てくれても楽しみが半減だ」
「――くそったれ」
大きな音を立てて扉を閉め、足早にその場を後にした。
その後の調べで、コールデン・ハイドの屋敷からは二酸化炭素生成用の器具と即効性の毒、そして毒針が押収され、犯人は逮捕された。
取り調べで分かったことは、容疑者が降霊術を用いた詐欺行為を行なっていたこと。そして、それを被害者に悟られ、強請を受けていたこと。
被害者がやった死んだふりも、悪戯をしてみてはどうかと容疑者から焚き付けたものだったそうだ。
どの世界でも、犯罪者の動機はどこまでも即物的だ。
――ただ一人、あの男だけが例外だ。
犯罪そのものを「芸術」と称し、その完成度に命すらかけようとする。
前世俺が追い詰めるまで、決して表舞台に姿を現すことのなかった「深窓のウロボロス」。
「――いつか」
はめた革手袋がギリギリと音を立てる。
いつか、あの男を。

