首を吊ったアイリーンの部屋から、遺書が発見された。
たった一言。「これで、わたしは自由」。
彼女は目を閉じさせられ、そばにあるベッドへ寝かされている。
……首を吊ったにしては穏やかな表情のまま。
「ケイジ捜査官、使用人は昨日ほとんど別の職場を紹介されて暇を出されていたようです」
知らせを受けて到着した同僚がそう報告してくる。
「本当に、全部……全部覚悟を決めて、片づけてから、首を吊ったようですね」
アイリーンが己の最期に選んだ衣服は、男爵夫人と呼ぶには少々、いや、かなり質素な服装だった。
淡い空色のワンピース。
胸元を飾るのは、小さなロケットペンダント。
指には、何の指輪もはまっていない。
――指輪?
「指輪は?」
「えっ」
「指輪だ。男爵夫人なら、夫のドラグ・リードマンが誂えた指輪を持っているはずだろう」
そう呟いて周囲を探す。
ベッドの下。――違う。
床の隅。――ここでもない。
「ケイジ捜査官! これじゃないですか?」
同僚の声で振り返ると、彼の指さす先――化粧台の上に指輪が無造作に置かれていた。
外の明かりを取り込む一番明るい場所。
だが、裏をのぞき込めば文字が逆さまになっている。
上下逆に置いているようだ。
「……結婚生活の否定、ってところか」
「無造作に置いただけじゃないです?」
「違う。これは普通に外したものを置いただけじゃなく、わざわざひっくり返してる」
選んでいるのか。自分の最期を飾るものを。
衣服や、アクセサリに至るまで。
そういえば、髪もずいぶん質素なまとめ方をしている。
「……奥様は、旦那様が亡くなられてからほとんどご自身のものを売ってしまわれて……」
最初に俺に応対したメイドが、涙をこらえるような表情でそう呟く。
「最後のほうは、ほとんど私たちと同じような、質素な衣装ばかりで。でも、その衣装だけはお気に入りなんだと笑って、よく眺めておられました。旦那様が亡くなる前から」
「……眺める?」
「はい、旦那様はその衣装を着るのをお許しになりませんでしたから……」
「なぜだ」
「結婚前から持っている衣装だからだろうと、奥様は」
結婚前の服装――本当にそれだけなのか。
アイリーンのそばに近寄り、胸元のロケットペンダントを拾う。
固くなったそれを苦心して開ければ、そこには見覚えのある顔があった。
「エドワード・カルセット……」
「え、エドワードってあの夜会で殺された?」
「……ああ」
アイリーンは「選んだ」のだ。
おそらく、幼馴染と幸せに暮らしていたころのものに包まれて「終わる」ことを。
逆に、夫から受け取った「全て」を拒絶して「この世を去る」ことを。
だが、その死にざまはあまりにも「美しすぎる」。
覚悟がきれいに決まりすぎている。
終わりを受け入れすぎている。
自殺しようとする者も、最期を前にすれば迷いが生まれる。
首吊りだって同じだ。こんなに整うはずがない。
苦悶に顔がゆがみ、着衣は乱れる。
もう一度、丁寧にロケットペンダントを戻してその顔を見る。
まるでいい夢でも見ているかのような、穏やかな、穏やかすぎる笑みすら浮かべ、アイリーンは死んでいる。
これでいい。これで救われる。そう言っているようにも見えた。
一瞬でも、そうやって終われた彼女に、感動のようなものが沸いてしまいそうになる。
前世、俺の目の前で死んだ「彼女」も、同じように幸せそうに、俺の腕の中で逝ったから。
その顔は、この世の全てに納得したような、本当に晴れやかで――。
ちがう――違う!
「……これが、これが救済であるものかよ……!」
吐き捨て、周囲を見渡す。
アイリーンは自ら死を選んだ。
だが、その最後の一押しを、誰かに「整えられた」。
おそらくは、いや、間違いなくタカハマだ。
タカハマが彼女の死に深く関わっていることはもう間違いない。
でなければ、こんなにタイミングよく二つも「俺に近しい死」が現れるわけがない。
アイリーンが誰かに主張するように、よく見える形で「自分の願い」を示す必要はない。
「見せている」――間違いなく、俺へのメッセージとして。
「で、でも……それって本当に『殺人』なんでしょうか」
小さくつぶやいた同僚を振り返る。
「だ、だって。だって、ですよ。
リードマン夫人は、自ら部屋に入って、ロープに首を通して、首を吊ってて……これで、誰かに殺されたって、そんなこと証明なんかできないでしょう」
「……そう思うのが普通だ。お前は戻って報告書を作成しろ。ここから先は俺一人でやる」
ケイジ捜査官、とたしなめるような声が聞こえたのを無視する。
振り返り、その場にいる使用人たちに向かって声をかけた。
「申し訳ないがしばらく現場検証させてもらうぞ」
◆ ◆ ◆
遺体は運ばれ、部屋の中には俺一人が残された。
部屋の中央、蹴り倒された椅子。切られたロープ。
文机の引き出しを開ければ、むなしくなるほど何も残っていなかった。
茶会や夜会など、それなりに社交はこなしていたはずだが、覚悟を決めた時にすべて捨てたのか。
「……どこにだ」
紙、特に手紙を捨てるのに、普通にゴミ箱を使うとは思えない。
見えないように裂くか燃やすか……だとすれば考えられるのは暖炉か。
備え付けの暖炉に向かい、そばにあった火かき棒で中をかきまわす。
ふと、燃え残りの紙の束が出てきた。
視界の隅を走る言葉に、一瞬思考が止まる。
「『望み……』――社交の手紙じゃねえな」
膝をつき、燃え残った紙の束をつかみだす。
そこにある言葉を、読める範囲で読み取っていく。
「『選択』……『あなたはもう――』……『美しく』……」
そして、別の紙の隅に書かれた、小さな小さな丸。
それは……己の尾を噛む蛇のようにも、見える。
「――やりやがった……!」
証拠にはなりえない。
書かれている言葉は、どれもこれも「死」を連想させる言葉としては遠い。
それでも……これは確実に、タカハマの手紙。
残ったとしても、残らなかったとしても。
この手紙がタカハマにつながることは永久にない。
これがあの男のやり口だ。
アイリーンは最期まで、自分が自分の意思で死を選んだように感じていただろう。
だが違う。それ以外の選択肢を、奴が全て奪い去っていった。
だから、そうせざるを得なかったのだ。
……奴に、そこまで追い込まれただけだ。
「……だが、目的はなんだ」
一連の「死」の芸術。
見せるからには、巻き込んだからには、その理由がどこかにある。
部屋の真ん中で考える。
俺がタカハマなら、次はどう出る。
俺を殺す? ありえない。それならもっと別の方法で来る。
「……いや」
やがてたどり着いた気づきに、俺は頭を抱える。
もし、もしそうだとして。
いや、だとしたら。
静かな絶望が、心の中を占める。
逃げ場が、――ない。
俺がタカハマを追う以上、避けては通れない。
そして、俺がタカハマを追うために……奴はいつまでも、「芸術」を作り出し続ける。
しかもタカハマの芸術はこんなものでは終わらない。
まだ不満なはずだ。まだ不十分なはずだ。
もっと、――もっと完全なものを、もっと「素晴らしい」ものを、奴は求め続ける。
そして、そのために観測者が必要だ。
タカハマを追い続けるものが。
――俺が。
「……あの、ケイジ様」
ふと、顔を上げると、困惑した顔をしたメイドがドアを開いてこちらを見ていた。
「ノックをさせていただいたんですが、お返事がなかったので……」
「……なんだ」
息を整えて聞くと、メイドは静かに一歩部屋に入り、それから小さく頭を下げた。
「伝言をお預かりしております」
「伝言? 誰から」
「わかりません。お名前は名乗られませんでした。ただ『蛇』と言えば伝わる、と」
息が止まる。
蛇。円環を示す巨大な蛇。ウロボロス。
「メッセージはなんと」
「はい、あの……『再会のあの場所で待っている』、と」
「……」
「あの、ケイジ様?」
声も出ない俺を気遣うように、メイドがのぞき込んでくる。
それを腕を振って追い払い、俺は静かにうなずいた。
「わかった。現場検証は終わりだ。協力に感謝する」
「あ、は、はい、かしこまりました」
動けないメイドを押しのけて部屋の外へ出る。
階段を下り、屋敷の外に出た瞬間、重いため息が漏れた。
待っている。
待っている、か。
ご丁寧に、俺の考えに答え合わせでもしてくれるつもりだろうか。
「……っくく」
乾いた笑い声が漏れる。
なぜ笑いが漏れたのか、自分でもわからない。
舌打ちして奥歯を噛み締めた。
まだ降り続く雨の中、歩き出す。
奴の考えなど分かりたくもない。
分かりたくもないが――わかる。
わかってしまう。
だからこそ……気に食わない。
息を止めて自分の拳を頬に叩きつける。2度。3度。
揺れるな。
奴を追い詰めるためには。
奴を追い落とすためには。
避けては通れない道だ。
「――これ以上、好きにさせてたまるか……!」
喉から漏れた声は、自分のものとは思えないほど歪んでいた。
◆ ◆ ◆
雨の中、俺がたどり着いたのは監獄だった。
タカハマとの再会の場所。
この世界に生れ落ちてから、転生の因縁を最も濃く感じた場所。
――「再会のあの場所で待っている」――
メッセージの内容を思い出す。
おそらくここで、間違いない。
意を決してドアを開ければ、そこにはカンテラを持った一人の男が立っていた。
恭しく頭を下げられ、思い出す。
その男は、初めてタカハマと「再会した」その日、タカハマの独房まで俺を案内した看守だった。
だが何かがおかしい。
どこか雰囲気が違う。
「お待ちしておりました、トウヤ・ケイジ様。――蛇様がお待ちです」
その言葉で、俺はようやく、看守から覚えていた違和感の正体に行き当たる。
「てめえも『そっち側』か」
「はい、蛇様に忠誠を誓うものの一人でございます」
ち、と舌を打つ。
予想通りだ。奴はすでに、監獄内に「信奉者」を作っていた。
前世と同じように。
監獄は完全に、奴に私物化されていたのだろう。
「いつからだ」
「ケイジ様を初めてご案内した時には、既に」
「とんだトカゲ野郎だ」
言い捨て、歩き出す。
看守はその前に立ってカンテラで道を照らした。
「ご案内いたします」
「独房じゃねえのか」
「ご歓談の場所として、あまりに不釣り合いでございましょう」
言って、看守が歩き出した先は確かに、独房へつながる道ではない。
業腹だが、黙って案内されるほうがよさそうだ。
歩きながら、俺は看守に問いかける。
「何が原因だ」
「原因、とは何のことでございましょう」
「『そっち側』に堕ちた原因だ」
ああ、と特に感動もなさそうに、ただ恭しさだけは残して、看守は答える。
「救っていただいたのです」
「何から」
「申し上げても仕方のないことでございましょう」
無機質な回答に、ため息とともに質問を重ねる。
「本当にそれは救済だったのか」
「蛇様がそのように仰るのですから、わたくしは救っていただいたのです」
「自分がどう感じるかについて聞いたつもりなんだが?」
「蛇様のご深慮を、わたくしごときが理解できるはずもありません」
「…………」
「それに、蛇様に選んでいただいたことそれ自体が、わたくしにとって身に余る栄誉でございますから」
「……そうかよ」
ああ、と思う。
こいつは、「自分で考えることをあきらめた」のだ。
ただタカハマの言う通りに動けばそれでいい。
タカハマの都合のいい操り人形であることを選んだ。
それがタカハマの最も忌み嫌う存在であるにもかかわらず。
それきり俺は何も言わず、黙って看守の後をついて歩いた。
――案内されたのは、囚人たちが祈りを捧げるという礼拝堂だった。
「こちらでお待ちください」
言い置いた看守が足音を立てずに歩き去るのを見送る。
そのまま、長椅子の隅に腰を下ろした。
ステンドグラスが曇天のなかで薄暗く神の姿を浮かび上がらせる。
手前の祭壇には神と天使の像。
この監獄の屋上から落ちた神父のことを思い出す。
こちらを見て、何かを悟ったような顔をしていた。
あの神父が死んだのは、取り調べがおおかた終了した直後のことだった。
取り出せるだけの情報を俺が聞き出したとわかったところで、タカハマが動いたのは明白だ。
俺をトリガーに行動を起こすよう、神父に何か吹き込んでいたのだろう。
――おそらくは、神父が心酔していた「あのお方」とやらの言葉と勘違いするように。
家令に関してはもっと簡単だ。
自分を犯罪に加担させたのが神父だと教えてやればいい。
あとは二人のタイミングを合わせて屋上に誘い出す。
この監獄内に信奉者を作っていたタカハマであれば造作もないだろう。
――ふと、祭壇のろうそくが揺れた。
「――いかがだったかな、私の『芸術』は」
背後から聞こえた声に、俺は振り返らなかった。
振り返れば終わる。
なぜだか、そんな確信があった。
正面の祭壇をにらんだまま、俺は低く吐き捨てる。
「……吐き気がする」
「それは重畳」
クス、と密やかに笑う声。
「感動とは心を激しくかき乱すこと。吐き気を催すほど感動してくれたとは光栄だ」
「感動じゃねえ嫌悪だ。芸術とやらのために人を、しかも、3人も」
言いかけて、奥歯をかみしめる。
どこまでも、この男は人を不快にさせる。
「前世、君と私が関わった二つの死。どちらも君に見せたかったものだ」
「見せてどうする。俺に後を追って死ねとでも言いたいのか」
「いいや、あの『美しさ』を君とも共有したくてね」
「それなら残念だったな。俺はてめえほど美意識が歪んでねえんだよ」
「それはどうだろう」
くすくす、と笑う声が少し大きくなったように感じた。
「君は二つの死に私の影を認め、私の思考を追い、ここにたどり着いた。自慢ではないが、私の思考を読める者はそういまい」
「…………」
反論すべきだ。反論できる。
そう思うのに、喉も舌もうまく動いてはくれなかった。
「間違っても、私を捕まえようとした執念がそれを成したのだ、とは言わないでくれよ。この世界において私のしたことが、どのような罪に問われるのか明言できるならば話は別だが」
「ふざけやがって……!」
今回タカハマがしたのは、「情報を吹き込む」ことだけだ。
だが、それによって3人死んだ。
それができるのが、タカハマという男だ。
とはいえ、それは「何の罪にもなりえない」。
これまでのやり口から確信できる。
タカハマは、自らの口で一度も「死ね」とは言っていない。
3人とも、自分の意思で死ぬように「誘導」された。
決して、己の手を汚すことはしない。
それこそが、タカハマの「芸術」の「芸術」たる所以なのだから。
今回の事件で、タカハマを捕まえることはできない。
逮捕どころか――本来は任意の事情聴取すら。
「それなのに、君は私を追ってきた。なぜ?」
「それは……」
「捕まえるため、ではない。君とてもう、理解はできているはずだ。
「…………」
「君はもう、『こちら側』に片足を踏み込んでいる」
「ちが、違う……!」
「そう拒絶することもあるまい。君だって感じたはずだ。アイリーンのあの笑顔を見て」
「アイ、リーン……」
「晴れやかだったろう。彼女がそう望み、そう選び、そう実行した。だからこその表情だ」
違うと言いたい、そう叫びたい。
だが、考えてしまう。
なぜ、タカハマは家令と神父の死を前世の「俺たちの死」になぞらえたのか。
なぜ、俺はアイリーンの死を「整いすぎている」と断言できたのか。
なぜ、家令と神父の転落から、アイリーンの死を導き出してリードマン邸に踏み込めたのか。
それは――。
「私はまだ不満なんだ」
声を低め、タカハマは言う。
「君が取り逃がした、『作曲者』。あのような芸術を汚す愚か者が生まれてしまった以上、私も黙ってはいられない」
「この上まだ何かやらかす気か……!」
「君とて、あのような汚らわしい存在を許すことなどできるわけがあるまい。それに――」
タカハマの声が甘くとろける。
それはさながら、満開に開いた花を愛でるような、至高の芸術品を鑑賞するような声で。
「それに君と共に落ちたあの死。あれは私が経験した中で最も美しかった。だが――それでもまだ未完成だ」
ぐ、とトーンが下がる。
タカハマが何を言おうとしているのか、理解しかけた俺は頭の中で必死にそれを打ち消した。
だがそれを無視するように、タカハマの言葉は俺の予想通りの内容を伝えてくる。
「前世を思い出した時には震えが走ったよ。完成されていたと思っていた私の芸術はまだまだ高みへ登れる。まだ、私の芸術は改善の余地がある」
反論の余地を探していた俺は、必死にその言葉をせせら笑う。
「自分も死のうってか、とんだ自殺願望の持ち主だな」
「いいや。ただあの時、例外的に君が現れたことで、予想に反して私も舞台に上がらざるを得なくなった。それこそがあの領域の芸術を生み出すに至ったと私は考えている」
「……お前にも予想外なんてもんが起こるんだな」
「そう。その執念、その明晰さ。君だけが私の予想を超えてみせてくれた」
「お前に褒められたってうれしくねえんだよ」
「そうかな。君は本当に素晴らしい。君は私の芸術を、更に高みへ引き上げてくれる」
耳元に、ふう、吐息が吹きかけられたような気がした。
ぞっと背中に走った悪寒を懸命にこらえる。
「もっと私を追いたまえ、『洞爺敬司』。君が私を追いかけ、より高みへ至ることで、私の芸術もまた高みへ上がる」
「……ふざけるな……!」
もう我慢がならなかった。
振り返る必要もない。
わかりたくもない男の与太話に付き合い続ける理由もない。
そう、そのはずだ。
だが――それでも、俺は……振り返ってしまった。
椅子を蹴立てる勢いで立ち上がる。
後ろには誰もいない。――いないように、見える。
だが俺は止まらなかった。
認められない。認めたくない。
俺は確かに犯罪に詳しい。
タカハマの行動原理もある程度言語化できる。
いや、――理解できる。できてしまう。
だからこそ、……だからこそ、認めるわけにはいかなかった。
「何度でも言ってやる、俺はお前を死んでも許さん!
お前を理解できるのが俺だけなら、たとえ、たとえ俺一人になっても……!」
吐き気で目の前がくらむ。
それでも、唾を吐き捨てて怒鳴った。
「……お前だけは、お前だけは終わらせてやる……!」
くすくす、と笑い声が返った。
「光栄だ、ケイジ捜査官。私も芸術を完成させた暁には、君にすべてをゆだねると約束しよう。
――それほど、君には強い執着を覚えているんだ。どうか私を幻滅させないでくれたまえよ」
◆ ◆ ◆
「『深窓のウロボロス』――か」
窓際、雨粒がガラスにあたってはじけるのを見ながら、その人物は低くつぶやいた。
「周囲には一切痕跡を残さず、一度きりの犯罪を演出する。確かにすごい技術だ。……けど」
座っていた椅子からゆっくりと下り、とんとん、とデスクに開いたままのノートをたたく。
ノートには――『広域強盗計画』の文字。そのほかにも、様々な「計画」の文字が躍る。
「残念だな、無駄が多すぎる」
言いながらペンを取りあげ、さらさらとノートに書きこんでいく。
「『広域強盗計画』――『改善の余地あり』、と」
一度ペンを止めたその人物は、うーん、とまるで今日の献立を考えているかのような軽いトーンで続ける。
「やっぱり殺しは非効率的かな。でも証拠隠滅には確実だしなぁ。――ああそうだ、これも忘れちゃだめだね」
さらに、「要注意人物:トウヤ・ケイジ、レイ・タカハマ」の文字。
ぱたりとノートを閉じたその人物は、どこか朗らかな声でひそやかに呟いた。
「さてと、次はどんな計画を立ててみようか」
たった一言。「これで、わたしは自由」。
彼女は目を閉じさせられ、そばにあるベッドへ寝かされている。
……首を吊ったにしては穏やかな表情のまま。
「ケイジ捜査官、使用人は昨日ほとんど別の職場を紹介されて暇を出されていたようです」
知らせを受けて到着した同僚がそう報告してくる。
「本当に、全部……全部覚悟を決めて、片づけてから、首を吊ったようですね」
アイリーンが己の最期に選んだ衣服は、男爵夫人と呼ぶには少々、いや、かなり質素な服装だった。
淡い空色のワンピース。
胸元を飾るのは、小さなロケットペンダント。
指には、何の指輪もはまっていない。
――指輪?
「指輪は?」
「えっ」
「指輪だ。男爵夫人なら、夫のドラグ・リードマンが誂えた指輪を持っているはずだろう」
そう呟いて周囲を探す。
ベッドの下。――違う。
床の隅。――ここでもない。
「ケイジ捜査官! これじゃないですか?」
同僚の声で振り返ると、彼の指さす先――化粧台の上に指輪が無造作に置かれていた。
外の明かりを取り込む一番明るい場所。
だが、裏をのぞき込めば文字が逆さまになっている。
上下逆に置いているようだ。
「……結婚生活の否定、ってところか」
「無造作に置いただけじゃないです?」
「違う。これは普通に外したものを置いただけじゃなく、わざわざひっくり返してる」
選んでいるのか。自分の最期を飾るものを。
衣服や、アクセサリに至るまで。
そういえば、髪もずいぶん質素なまとめ方をしている。
「……奥様は、旦那様が亡くなられてからほとんどご自身のものを売ってしまわれて……」
最初に俺に応対したメイドが、涙をこらえるような表情でそう呟く。
「最後のほうは、ほとんど私たちと同じような、質素な衣装ばかりで。でも、その衣装だけはお気に入りなんだと笑って、よく眺めておられました。旦那様が亡くなる前から」
「……眺める?」
「はい、旦那様はその衣装を着るのをお許しになりませんでしたから……」
「なぜだ」
「結婚前から持っている衣装だからだろうと、奥様は」
結婚前の服装――本当にそれだけなのか。
アイリーンのそばに近寄り、胸元のロケットペンダントを拾う。
固くなったそれを苦心して開ければ、そこには見覚えのある顔があった。
「エドワード・カルセット……」
「え、エドワードってあの夜会で殺された?」
「……ああ」
アイリーンは「選んだ」のだ。
おそらく、幼馴染と幸せに暮らしていたころのものに包まれて「終わる」ことを。
逆に、夫から受け取った「全て」を拒絶して「この世を去る」ことを。
だが、その死にざまはあまりにも「美しすぎる」。
覚悟がきれいに決まりすぎている。
終わりを受け入れすぎている。
自殺しようとする者も、最期を前にすれば迷いが生まれる。
首吊りだって同じだ。こんなに整うはずがない。
苦悶に顔がゆがみ、着衣は乱れる。
もう一度、丁寧にロケットペンダントを戻してその顔を見る。
まるでいい夢でも見ているかのような、穏やかな、穏やかすぎる笑みすら浮かべ、アイリーンは死んでいる。
これでいい。これで救われる。そう言っているようにも見えた。
一瞬でも、そうやって終われた彼女に、感動のようなものが沸いてしまいそうになる。
前世、俺の目の前で死んだ「彼女」も、同じように幸せそうに、俺の腕の中で逝ったから。
その顔は、この世の全てに納得したような、本当に晴れやかで――。
ちがう――違う!
「……これが、これが救済であるものかよ……!」
吐き捨て、周囲を見渡す。
アイリーンは自ら死を選んだ。
だが、その最後の一押しを、誰かに「整えられた」。
おそらくは、いや、間違いなくタカハマだ。
タカハマが彼女の死に深く関わっていることはもう間違いない。
でなければ、こんなにタイミングよく二つも「俺に近しい死」が現れるわけがない。
アイリーンが誰かに主張するように、よく見える形で「自分の願い」を示す必要はない。
「見せている」――間違いなく、俺へのメッセージとして。
「で、でも……それって本当に『殺人』なんでしょうか」
小さくつぶやいた同僚を振り返る。
「だ、だって。だって、ですよ。
リードマン夫人は、自ら部屋に入って、ロープに首を通して、首を吊ってて……これで、誰かに殺されたって、そんなこと証明なんかできないでしょう」
「……そう思うのが普通だ。お前は戻って報告書を作成しろ。ここから先は俺一人でやる」
ケイジ捜査官、とたしなめるような声が聞こえたのを無視する。
振り返り、その場にいる使用人たちに向かって声をかけた。
「申し訳ないがしばらく現場検証させてもらうぞ」
◆ ◆ ◆
遺体は運ばれ、部屋の中には俺一人が残された。
部屋の中央、蹴り倒された椅子。切られたロープ。
文机の引き出しを開ければ、むなしくなるほど何も残っていなかった。
茶会や夜会など、それなりに社交はこなしていたはずだが、覚悟を決めた時にすべて捨てたのか。
「……どこにだ」
紙、特に手紙を捨てるのに、普通にゴミ箱を使うとは思えない。
見えないように裂くか燃やすか……だとすれば考えられるのは暖炉か。
備え付けの暖炉に向かい、そばにあった火かき棒で中をかきまわす。
ふと、燃え残りの紙の束が出てきた。
視界の隅を走る言葉に、一瞬思考が止まる。
「『望み……』――社交の手紙じゃねえな」
膝をつき、燃え残った紙の束をつかみだす。
そこにある言葉を、読める範囲で読み取っていく。
「『選択』……『あなたはもう――』……『美しく』……」
そして、別の紙の隅に書かれた、小さな小さな丸。
それは……己の尾を噛む蛇のようにも、見える。
「――やりやがった……!」
証拠にはなりえない。
書かれている言葉は、どれもこれも「死」を連想させる言葉としては遠い。
それでも……これは確実に、タカハマの手紙。
残ったとしても、残らなかったとしても。
この手紙がタカハマにつながることは永久にない。
これがあの男のやり口だ。
アイリーンは最期まで、自分が自分の意思で死を選んだように感じていただろう。
だが違う。それ以外の選択肢を、奴が全て奪い去っていった。
だから、そうせざるを得なかったのだ。
……奴に、そこまで追い込まれただけだ。
「……だが、目的はなんだ」
一連の「死」の芸術。
見せるからには、巻き込んだからには、その理由がどこかにある。
部屋の真ん中で考える。
俺がタカハマなら、次はどう出る。
俺を殺す? ありえない。それならもっと別の方法で来る。
「……いや」
やがてたどり着いた気づきに、俺は頭を抱える。
もし、もしそうだとして。
いや、だとしたら。
静かな絶望が、心の中を占める。
逃げ場が、――ない。
俺がタカハマを追う以上、避けては通れない。
そして、俺がタカハマを追うために……奴はいつまでも、「芸術」を作り出し続ける。
しかもタカハマの芸術はこんなものでは終わらない。
まだ不満なはずだ。まだ不十分なはずだ。
もっと、――もっと完全なものを、もっと「素晴らしい」ものを、奴は求め続ける。
そして、そのために観測者が必要だ。
タカハマを追い続けるものが。
――俺が。
「……あの、ケイジ様」
ふと、顔を上げると、困惑した顔をしたメイドがドアを開いてこちらを見ていた。
「ノックをさせていただいたんですが、お返事がなかったので……」
「……なんだ」
息を整えて聞くと、メイドは静かに一歩部屋に入り、それから小さく頭を下げた。
「伝言をお預かりしております」
「伝言? 誰から」
「わかりません。お名前は名乗られませんでした。ただ『蛇』と言えば伝わる、と」
息が止まる。
蛇。円環を示す巨大な蛇。ウロボロス。
「メッセージはなんと」
「はい、あの……『再会のあの場所で待っている』、と」
「……」
「あの、ケイジ様?」
声も出ない俺を気遣うように、メイドがのぞき込んでくる。
それを腕を振って追い払い、俺は静かにうなずいた。
「わかった。現場検証は終わりだ。協力に感謝する」
「あ、は、はい、かしこまりました」
動けないメイドを押しのけて部屋の外へ出る。
階段を下り、屋敷の外に出た瞬間、重いため息が漏れた。
待っている。
待っている、か。
ご丁寧に、俺の考えに答え合わせでもしてくれるつもりだろうか。
「……っくく」
乾いた笑い声が漏れる。
なぜ笑いが漏れたのか、自分でもわからない。
舌打ちして奥歯を噛み締めた。
まだ降り続く雨の中、歩き出す。
奴の考えなど分かりたくもない。
分かりたくもないが――わかる。
わかってしまう。
だからこそ……気に食わない。
息を止めて自分の拳を頬に叩きつける。2度。3度。
揺れるな。
奴を追い詰めるためには。
奴を追い落とすためには。
避けては通れない道だ。
「――これ以上、好きにさせてたまるか……!」
喉から漏れた声は、自分のものとは思えないほど歪んでいた。
◆ ◆ ◆
雨の中、俺がたどり着いたのは監獄だった。
タカハマとの再会の場所。
この世界に生れ落ちてから、転生の因縁を最も濃く感じた場所。
――「再会のあの場所で待っている」――
メッセージの内容を思い出す。
おそらくここで、間違いない。
意を決してドアを開ければ、そこにはカンテラを持った一人の男が立っていた。
恭しく頭を下げられ、思い出す。
その男は、初めてタカハマと「再会した」その日、タカハマの独房まで俺を案内した看守だった。
だが何かがおかしい。
どこか雰囲気が違う。
「お待ちしておりました、トウヤ・ケイジ様。――蛇様がお待ちです」
その言葉で、俺はようやく、看守から覚えていた違和感の正体に行き当たる。
「てめえも『そっち側』か」
「はい、蛇様に忠誠を誓うものの一人でございます」
ち、と舌を打つ。
予想通りだ。奴はすでに、監獄内に「信奉者」を作っていた。
前世と同じように。
監獄は完全に、奴に私物化されていたのだろう。
「いつからだ」
「ケイジ様を初めてご案内した時には、既に」
「とんだトカゲ野郎だ」
言い捨て、歩き出す。
看守はその前に立ってカンテラで道を照らした。
「ご案内いたします」
「独房じゃねえのか」
「ご歓談の場所として、あまりに不釣り合いでございましょう」
言って、看守が歩き出した先は確かに、独房へつながる道ではない。
業腹だが、黙って案内されるほうがよさそうだ。
歩きながら、俺は看守に問いかける。
「何が原因だ」
「原因、とは何のことでございましょう」
「『そっち側』に堕ちた原因だ」
ああ、と特に感動もなさそうに、ただ恭しさだけは残して、看守は答える。
「救っていただいたのです」
「何から」
「申し上げても仕方のないことでございましょう」
無機質な回答に、ため息とともに質問を重ねる。
「本当にそれは救済だったのか」
「蛇様がそのように仰るのですから、わたくしは救っていただいたのです」
「自分がどう感じるかについて聞いたつもりなんだが?」
「蛇様のご深慮を、わたくしごときが理解できるはずもありません」
「…………」
「それに、蛇様に選んでいただいたことそれ自体が、わたくしにとって身に余る栄誉でございますから」
「……そうかよ」
ああ、と思う。
こいつは、「自分で考えることをあきらめた」のだ。
ただタカハマの言う通りに動けばそれでいい。
タカハマの都合のいい操り人形であることを選んだ。
それがタカハマの最も忌み嫌う存在であるにもかかわらず。
それきり俺は何も言わず、黙って看守の後をついて歩いた。
――案内されたのは、囚人たちが祈りを捧げるという礼拝堂だった。
「こちらでお待ちください」
言い置いた看守が足音を立てずに歩き去るのを見送る。
そのまま、長椅子の隅に腰を下ろした。
ステンドグラスが曇天のなかで薄暗く神の姿を浮かび上がらせる。
手前の祭壇には神と天使の像。
この監獄の屋上から落ちた神父のことを思い出す。
こちらを見て、何かを悟ったような顔をしていた。
あの神父が死んだのは、取り調べがおおかた終了した直後のことだった。
取り出せるだけの情報を俺が聞き出したとわかったところで、タカハマが動いたのは明白だ。
俺をトリガーに行動を起こすよう、神父に何か吹き込んでいたのだろう。
――おそらくは、神父が心酔していた「あのお方」とやらの言葉と勘違いするように。
家令に関してはもっと簡単だ。
自分を犯罪に加担させたのが神父だと教えてやればいい。
あとは二人のタイミングを合わせて屋上に誘い出す。
この監獄内に信奉者を作っていたタカハマであれば造作もないだろう。
――ふと、祭壇のろうそくが揺れた。
「――いかがだったかな、私の『芸術』は」
背後から聞こえた声に、俺は振り返らなかった。
振り返れば終わる。
なぜだか、そんな確信があった。
正面の祭壇をにらんだまま、俺は低く吐き捨てる。
「……吐き気がする」
「それは重畳」
クス、と密やかに笑う声。
「感動とは心を激しくかき乱すこと。吐き気を催すほど感動してくれたとは光栄だ」
「感動じゃねえ嫌悪だ。芸術とやらのために人を、しかも、3人も」
言いかけて、奥歯をかみしめる。
どこまでも、この男は人を不快にさせる。
「前世、君と私が関わった二つの死。どちらも君に見せたかったものだ」
「見せてどうする。俺に後を追って死ねとでも言いたいのか」
「いいや、あの『美しさ』を君とも共有したくてね」
「それなら残念だったな。俺はてめえほど美意識が歪んでねえんだよ」
「それはどうだろう」
くすくす、と笑う声が少し大きくなったように感じた。
「君は二つの死に私の影を認め、私の思考を追い、ここにたどり着いた。自慢ではないが、私の思考を読める者はそういまい」
「…………」
反論すべきだ。反論できる。
そう思うのに、喉も舌もうまく動いてはくれなかった。
「間違っても、私を捕まえようとした執念がそれを成したのだ、とは言わないでくれよ。この世界において私のしたことが、どのような罪に問われるのか明言できるならば話は別だが」
「ふざけやがって……!」
今回タカハマがしたのは、「情報を吹き込む」ことだけだ。
だが、それによって3人死んだ。
それができるのが、タカハマという男だ。
とはいえ、それは「何の罪にもなりえない」。
これまでのやり口から確信できる。
タカハマは、自らの口で一度も「死ね」とは言っていない。
3人とも、自分の意思で死ぬように「誘導」された。
決して、己の手を汚すことはしない。
それこそが、タカハマの「芸術」の「芸術」たる所以なのだから。
今回の事件で、タカハマを捕まえることはできない。
逮捕どころか――本来は任意の事情聴取すら。
「それなのに、君は私を追ってきた。なぜ?」
「それは……」
「捕まえるため、ではない。君とてもう、理解はできているはずだ。
「…………」
「君はもう、『こちら側』に片足を踏み込んでいる」
「ちが、違う……!」
「そう拒絶することもあるまい。君だって感じたはずだ。アイリーンのあの笑顔を見て」
「アイ、リーン……」
「晴れやかだったろう。彼女がそう望み、そう選び、そう実行した。だからこその表情だ」
違うと言いたい、そう叫びたい。
だが、考えてしまう。
なぜ、タカハマは家令と神父の死を前世の「俺たちの死」になぞらえたのか。
なぜ、俺はアイリーンの死を「整いすぎている」と断言できたのか。
なぜ、家令と神父の転落から、アイリーンの死を導き出してリードマン邸に踏み込めたのか。
それは――。
「私はまだ不満なんだ」
声を低め、タカハマは言う。
「君が取り逃がした、『作曲者』。あのような芸術を汚す愚か者が生まれてしまった以上、私も黙ってはいられない」
「この上まだ何かやらかす気か……!」
「君とて、あのような汚らわしい存在を許すことなどできるわけがあるまい。それに――」
タカハマの声が甘くとろける。
それはさながら、満開に開いた花を愛でるような、至高の芸術品を鑑賞するような声で。
「それに君と共に落ちたあの死。あれは私が経験した中で最も美しかった。だが――それでもまだ未完成だ」
ぐ、とトーンが下がる。
タカハマが何を言おうとしているのか、理解しかけた俺は頭の中で必死にそれを打ち消した。
だがそれを無視するように、タカハマの言葉は俺の予想通りの内容を伝えてくる。
「前世を思い出した時には震えが走ったよ。完成されていたと思っていた私の芸術はまだまだ高みへ登れる。まだ、私の芸術は改善の余地がある」
反論の余地を探していた俺は、必死にその言葉をせせら笑う。
「自分も死のうってか、とんだ自殺願望の持ち主だな」
「いいや。ただあの時、例外的に君が現れたことで、予想に反して私も舞台に上がらざるを得なくなった。それこそがあの領域の芸術を生み出すに至ったと私は考えている」
「……お前にも予想外なんてもんが起こるんだな」
「そう。その執念、その明晰さ。君だけが私の予想を超えてみせてくれた」
「お前に褒められたってうれしくねえんだよ」
「そうかな。君は本当に素晴らしい。君は私の芸術を、更に高みへ引き上げてくれる」
耳元に、ふう、吐息が吹きかけられたような気がした。
ぞっと背中に走った悪寒を懸命にこらえる。
「もっと私を追いたまえ、『洞爺敬司』。君が私を追いかけ、より高みへ至ることで、私の芸術もまた高みへ上がる」
「……ふざけるな……!」
もう我慢がならなかった。
振り返る必要もない。
わかりたくもない男の与太話に付き合い続ける理由もない。
そう、そのはずだ。
だが――それでも、俺は……振り返ってしまった。
椅子を蹴立てる勢いで立ち上がる。
後ろには誰もいない。――いないように、見える。
だが俺は止まらなかった。
認められない。認めたくない。
俺は確かに犯罪に詳しい。
タカハマの行動原理もある程度言語化できる。
いや、――理解できる。できてしまう。
だからこそ、……だからこそ、認めるわけにはいかなかった。
「何度でも言ってやる、俺はお前を死んでも許さん!
お前を理解できるのが俺だけなら、たとえ、たとえ俺一人になっても……!」
吐き気で目の前がくらむ。
それでも、唾を吐き捨てて怒鳴った。
「……お前だけは、お前だけは終わらせてやる……!」
くすくす、と笑い声が返った。
「光栄だ、ケイジ捜査官。私も芸術を完成させた暁には、君にすべてをゆだねると約束しよう。
――それほど、君には強い執着を覚えているんだ。どうか私を幻滅させないでくれたまえよ」
◆ ◆ ◆
「『深窓のウロボロス』――か」
窓際、雨粒がガラスにあたってはじけるのを見ながら、その人物は低くつぶやいた。
「周囲には一切痕跡を残さず、一度きりの犯罪を演出する。確かにすごい技術だ。……けど」
座っていた椅子からゆっくりと下り、とんとん、とデスクに開いたままのノートをたたく。
ノートには――『広域強盗計画』の文字。そのほかにも、様々な「計画」の文字が躍る。
「残念だな、無駄が多すぎる」
言いながらペンを取りあげ、さらさらとノートに書きこんでいく。
「『広域強盗計画』――『改善の余地あり』、と」
一度ペンを止めたその人物は、うーん、とまるで今日の献立を考えているかのような軽いトーンで続ける。
「やっぱり殺しは非効率的かな。でも証拠隠滅には確実だしなぁ。――ああそうだ、これも忘れちゃだめだね」
さらに、「要注意人物:トウヤ・ケイジ、レイ・タカハマ」の文字。
ぱたりとノートを閉じたその人物は、どこか朗らかな声でひそやかに呟いた。
「さてと、次はどんな計画を立ててみようか」


