今朝、下駄箱にラブレターが入っていた。
拝啓、大上 満さま。昼休み、南校舎二階の旧音楽室で待っています。
と、中の便箋にはそれだけ。差出人不明。小さな丸文字から女だと推察される。
この数少ない要素だけでラブレターと断定できたのは、封を閉じるシールがつるつるしたピンクのハート型であること、そして告白され慣れた俺自身の経験則ゆえに他ならない。
特に断る理由も手段もなく、昼休みのチャイムが鳴ったあと、所定の場所に向かった。数年前に校舎を建て替え、使われなくなった旧音楽室。塗装のはげた扉をスライドして開けると、
「……え?」
ひとりの男が待っていた。
ほこりっぽい黒板側に詰められたグランドピアノと簡素な勉強机と椅子の塊、そこからぽんと投げ出されたように部屋後方の窓際に置かれた一脚の錆びついた椅子。それに深く腰を据えたその男は、肩越しに窓の外を眺めていた。
陽を高くした初夏の空に、透けて光る髪がゆるやかに波打つ。
窓の縁に置かれた左腕はたくましく、シャツ一枚の装備が今にもはち切れそうだ。態度悪く組まれた長い脚を覆う学校指定のズボンは、グレーの生地にブルーの二本線。俺の一個下、一年生の印だ。
「なあ」
声をかけると、外の空気にさらしていた顔がふらっと俺のほうになびいた。その軽やかな動作とは裏腹に、逆光で暗くなった顔面は重圧を放った。
顔の中心部に陰を描いた、彫りの深い顔立ち。男にしては長い、首の根まである髪は天を向いて流れ、直線的に引き締まったフェイスラインをあらわにした。研ぎ澄まされた双眸はわずかな光をまとい、獲物を定めた野生動物さながらにぎらついた。
美形というより男前と称するにふさわしい容姿だ。ラブレターの丸文字やハートの封緘シールとはとてもじゃないが結びつかない。
「俺のこと呼んだの、君?」
扉を全開にした右手をそのままに、ラブリーな手紙を携えた左手を軽く上げた。
ただでさえ切れ長の男の眼が、いっそう角を尖らせて数秒。俺を真似るように、彼は右手をのそりと動かした。
「それはこっちのセリフ」
その骨張った人差し指と中指に、世界的人気を誇るねずみのキャラクターを扱ったメモ帳の一枚が挟まっていた。メモには何か文字が書いてあった。距離的にはっきりと読み取れないが、大体の見当はつく。
「あー……ダブルブッキングか」
南校舎は人気がなく、密会に打ってつけだ。
今まで何ごともなかったことのほうがふしぎに思えてきた。
「わかった、じゃあおまえはこのままここ使ってくれ。俺のほうはそれらしい子が来たら、廊下とかそこらへんで対応する」
返答はなかったが、つまり異論はないということだろう、さっさと扉を閉めた。
サイドラインに赤い二重線が引かれたズボンのポケットに、手紙をつまんだ指ごと突っこんだ。
廊下の窓から見える空も、目が眩むほど青かった。
せっかくきれいなその景色に、室内にいた男の腕ほどに太い枝が亀裂を入れていた。校門横に根を張る桜の木の一部だ。花はとうに散り、若葉が芽吹き始めていた。
ラブレターに貼られたシールは、もしかしたらハートではなく、今年最後の桜のかけらだったのかもしれない。
くしゃり、とポケットの内で手紙が折れた音がくぐもって外に響いた。辺りはどこまでも静かだった。
無事に告白を受けて自分のクラスに戻った。
クラスメイトをはじめとする大勢の生徒は、俺への告白結果にいちいち騒がない。正確には、騒がなくなった。
俺が高校入学した昨年から、告白は頻繁に行われている。当初は一回の呼び出しごとに学校中で過度に盛り上げられたが、三ヶ月経てば日常になった。結果が基本同じなことも起因しているだろう。視線を感じたりこそこそ噂されたりすることは今でもあるが、その程度だ。事情聴取のために包囲され、祭りのようにどんちゃん騒ぎし始めることはもうない。
はずだったのだが。
「えっ、ついに出会っちゃったの!? 我が校の月と太陽が!?」
今回は例外のようだ。
窓際、前から二番目にある俺の席の、前と隣に座る、わりと親しいクラスメイトが世間話の流れで聞いてきたので正直に話したら、こうなった。
男女で分かれた座席の構成上、俺の隣の席で妬み嫉み羨望を一手に引き受けなければならなくなった苦労人、帆波が話を聞いたとたん、トレードマークのツインテールをぶん回す勢いで立ち上がり叫んだのだ。どうやら告白の結果よりも食いつきたくなる要素があったらしい。教室を余裕で越える声量だった。教室内はおろか廊下からも何ごとかと視線が集まった。なんてはた迷惑なオーバーリアクション。
一時間きっかりの昼休みは残り半分もない。俺は気にせず、教室に戻る道中に購買で入手した、あまりもののサンドイッチで手軽に栄養を摂取した。
「は? なんだって? 月と太陽? そんなキショい呼び名ついてんのこいつ」
俺の代わりにリアクションを返したのは、視力が悪すぎるあまり俺の前、つまり最前の席になった百田だ。見るからに野球部っぽい坊主頭をしているが、実はラグビー部の期待の新人だ。
「キショいとか言うなし! かっこいいでしょ、月と太陽!」
日々鍛えられた分厚い体は、女こどもにべちんっ! と叩かれてもびくともしない。帆波は仕方なく口で説得にかかった。
「東校舎のお月様こと大上くんは、入学以来そのクールな美貌と性格で数多の女子を虜にしてきた、まさに魔性の王子様!」
ほう、そんなふうに思われていたとは知らなかった。
しかし、まあ、我ながらバランスの整った外見をしていると思う。的確にパーツを配置した顔。食べても太らない体質なうえに少食な体。全身に贅肉らしい贅肉はなく、百田ほどに筋肉もなく、絶妙にしゅっとして見える。ルッキズムが進むイマドキでは万人受けする容姿だろう。王子様と形容されることも一度や二度ではない。
夜を象徴する月にたとえられたのは、日本人にありふれた黒目黒髪が、人より深い漆黒に見えるからだろうか。それとも、どちらかというと静かなタイプだからだろうか。
どちらにせよ俺に思うことは別にない。人知れず騒がられることには慣れている。それが憧れであれ、憎しみであれ。
「そ、し、て! 新年度になって彗星のごとく現れたのが、西校舎のお天道様こと宍戸 昇くん! ワイルドなルックスにダウナーな雰囲気な一匹狼で、これまた乙女のハートにドストライク! 大上くんの対の存在として話題になったの!」
言われてみれば、たしかに、対照的な外見だった。
頭部の丸みに沿ってカットした真っ黒な直毛に、主張のない素材を黄金比率で収めた顔をした俺とはちがう。
金のような茶のような明るい色をしたパーマヘアーに、陰影を刻む目鼻立ちが特徴的で目を引く顔。ラグビー部次期エースほどではないが、サバイバル生活をしてもたやすく生き延びそうな、ガタイのいい肉体。後輩らしからぬ威圧的な風格。
その相貌につく名前を、サンドイッチとともに咀嚼した。
宍戸昇。
なんとなく口触りがよく感じた。しかし舌にざらりとした何かが残った。無味無臭。きっと、同情か何かだ。
校舎が東西で分かれていることも、対の存在にはちょうどよかったのだと、帆波は供述した。
ちなみに東校舎は理系、西校舎は文系のクラスがまとまっている。俺は東校舎、理系クラスの2-1の在籍だ。
「月と太陽以外にもあるよ! 青龍と白虎! 氷のプリンスと炎のエース!」
「言ってて恥ずかしくねえか?」
「どこに出しても恥ずかしくないよ! 我が校が誇る二大イケメンだもん!」
俺に対する視聴率は今もなお上昇している。
「はーん? 俺ははじめて聞いたけどなー。その呼び方、誰か他に使ってんの?」
「使ってるよ! あゆちゃんでしょ、美里でしょ、それからひとちんに花奈も!」
「ほとんど身内じゃねえか」
「あたしの周りみーんな言ってるよ! あ、糸田先生も言ってたよ」
「それ絶対からかってるやつじゃん。はあ~……おまえも何か言ってやれよ、満。ナントカ権侵害だ~とかテキトーに訴えたら勝てるぞ」
百田に加勢を求められたが、俺は冷静にあしらった。
別に思うこともなければ言うこともない。どうりで学年が上がって告白回数が若干減ったわけだと納得したくらいだ。
「つーかさー、満、おまえ、告白はどうしたよ。いつもどおりOKしたん?」
「うん」
「うわーやっぱそうかー。彼女できんの早すぎだろー。おととい別れたばっかじゃん」
「でも告白されちゃったからね」
好きですと言われた。付き合ってくださいとも言われた。だからいいよと応えた。それだけの話だ。
淡々と口周りだけを動かす俺の顔を、百田は忌々しげに睨んだ。その表情は渾身の変顔並みに大きく湾曲している。
「ね、じゃねえよ! 来るもの拒まず去るもの追わずにもほどがあるわボケクソナスビ」
「ざんねーん! 彼はナスビではありません、イケメンです。イケメンは何をしても許されるのです」
「許されてたまるかあーっ!」
お月様やら氷の王子ははじめて聞いたが、女好きやらプレイボーイと揶揄されたことならある。高校入学から三ヶ月、ちょうど俺への関心度が安定し始めたころだ。
俺は、基本、告白を断らない。例外はただひとつ、彼女持ちのときだけだ。
交際は毎回長く続かず、最長三ヶ月しか持ったことがない。
そうと知った外野は、それはもう言いたい放題だった。熱が冷めてドン引きする人もいたし、イケメンなのにもったいないと憐れむ人もいた。
それでも俺の出す答えは変わらない。いじめに悩む子も、ふくよかな体型の子も、自認腐女子の子も、ビッチと噂される子も、陰口が好きな子も。フリーな状態であれば付き合った。
本当に誰でも受け入れるものだから、やがてこぞって俺の彼女役を志願するようになった。人生で一度は王子様と付き合いたい、そんな少女的な夢を叶えたい層が意外と多いのだと、帆波か誰かが語っていたっけ。
あくまでいっときの夢でしかないからこそ、俺も相手もなかなか本気にならず、フったりフラれたりを繰り返した。交際期間が三ヶ月以下なのはそのせいだ。
そうしてまた告白され、早々に新しい恋人ができるまでがテンプレート化した。今回もきっとそうなる。
「んで? 誰なん? そのできたてほやほやの今カノは」
「一年六組の、フウカちゃんって子」
「えっ、あの陸上部のマネージャーの!? あざとかわいい妹系の!?」
「たぶんそう」
「まーじかよー! 俺ちょっと狙ってたのに」
「ごめんね」
「ごめんで済んだら警察いらねえんだよコノヤロー。おまえほんと見境ねえな」
「人聞き悪いな」
「あっ、ねえねえ!」
帆波があわてた様子で会話をぶった切った。長く硬くきらめくネイルで突っついていたスマホの画面を、ねえ見て! と俺たちに向けた。
「西の太陽のほうも、またいつもどおりフったらしいよ」
あゆちゃん情報! とネイルの先端でスマホ画面を指差した。
そのあゆちゃんという子との個人チャットに、ぽこんっぽこんっ、と湧き出るふきだしが止まらない。どうやら帆波はこの流れの速さでリアルと電子それぞれ円滑にコミュニケーションを取っていたようだ。器用な人だと思った。そのネイルもおそらくセルフなのだろう。
俺の机に肘を置いた百田は、過ぎ去るふきだしを流し見しながら、髪を限りなくなくした頭をその机の上の腕で支えた。
「ふーん? あっちはいつもフってんだ?」
「いまだかつてOKされた子はいないんだよ。百戦錬磨のせりな先輩もだめだったって」
「はあー? 去年のミスコングランプリでだめならもうだめじゃん。意味わかんねー。B専かよ」
さっきは俺のことをボケだのクソだの言っていたくせに調子のいい口をしている。そういう雑なところが、一緒にいて気楽な理由だったりするんだけど。
「まじで正反対だな、ふたり」
「みたいだね」
俺はうなずきながら空になったサンドイッチの包装を捨てに席を立った。辺りがざわっと浮き足立った。
俺と宍戸昇が互いに認識したという事実は、あっという間に校内に知れ渡った。
その日以降、南校舎二階の旧音楽室が、告白の定番スポットになった。
とはいえ、ダブルブッキングはそう起きなかった。何も毎日告白イベントがあるわけではないし、彼女持ちのときは告白回数が激減する――ただしゼロにはならない――ので、告白される日時と場所がぴったり重なる確率はかなり低いのだ。
次ミラクルが起きるのは半年後か、あるいは。と考えていた矢先、旧音楽室で噂の彼と再会した。はじめましてから一ヶ月が経った、梅雨入りの日だった。
「どうも、二度目まして」
今朝から続いた雨が昼休みの始まりとともに落ち着き、室内は静謐としていた。
以前と変わらず後方に放置された椅子に我が物顔で座る彼は、閉め切った窓ガラスに寄せた側頭部を緩慢に起こした。湿気で逆立った明るい髪は、さながら獅子のたてがみのよう。だなんて見入ってしまったのは十中八九、太陽や白虎などというおかしなあだ名を聞かされたせいだ。
彼の存在感に鳥肌を立てたように窓ガラスの全面に雨粒が付着していた。
彼は何も言わず俺をじっと見つめた。俺の目から口へ、そして無防備に下げた手へ、視線がくだった。俺の手は左右どちらも空っぽだ。彼はやはり黙って眉をひそめた。
俺はかまわず室内に立ち入った。その躊躇のない足も、視線でひと舐めされた。空を流れる雲もこんなふうに追っていたのだろう。ネコ科のたとえは案外お似合いなのかもしれない。
黒板側に押しこめられた机と椅子の山から、俺は椅子をひとつ拝借した。山の近くに背を向けるように置き、浅く腰かけた。床に規則的に組まれた正方形の木目を、俺から見て右横に六個数えた先に彼がいる。飽きずにまだ俺を見ていた。
「今回は居座んだ?」
特に感情のこもっていない声だった。
「そういうご指定なので」
赤外線がしみこんだような制服のズボンに備え付けられたポケットからスマホを取り出した。
今回の呼び出しは、今朝、SNSのDMに届いた。
呼び出し方法はラブレターがダントツで多いが、たまにこうしてスマホアプリのメッセージに届くこともある。一番手っ取り早いであろう対面での呼び出しはめったにない。よく言えばクール、悪く言えば無愛想な俺に直接話しかけるのは勇気がいるらしい。これも帆波か、いつかの元カノから聞いたことだ。それでも原始的か現代的な媒体を介してまで告白してくるのは、断られない自信があるからに他ならない。
SNSのアカウント自体は高校ではじめてできた彼女に半ば強引に作らされ、フォロー通知がとんでもないことになった思い出がある。すぐにアカウントに鍵をかけ、きっかけの彼女とも別れてからはほとんど手をつけていない。DMも普段は封鎖しているのだが、こうしてたまに鍵垢前にフォロワーになった約三百名のうち、早々にDMまでしてきた数十名の誰かが、不定期にメッセージを送ってくる。今回はそのひとつだ。
旧音楽室に来て。話がある。
と、今朝。
少し遅れそうだから中で待ってて。
と、昼前、授業中に受信。
発信者「Ayane」のアカウントとDMの履歴から推測するに、おそらく相手は三年の先輩だ。俺はふたつともにわかりましたとだけ返信し、ここに来た。
来てみて察した。中で待ってて、とわざわざ明言したわけを。
今回のダブルブッキングは偶然ではなく、仕組まれたのだ。
現に彼は、居座る俺にいやな素振りを見せず、出ていこうともしない。彼も似たような指示を受けているのだ。大方、噂を聞いて一緒にいるところをひと目拝みたくなったのだろう。俺と彼は巷では対の存在で人気らしいから。
人の欲求とは難儀なものだ。減ることはあっても滅することはないそれに、いつからか、俺の世界は囚われていた。
その世界にありふれた背景の一部のごとく俺の姿を、彼は視界に映し続けた。色素の薄い瞳は、水たまりに反射する陽射しのように澄んでいた。
すると瞳の形が、ふ、と歪んだ。三日月にもなれるんだ、とバカみたいな感想がよぎった。
「あんた、もう別れたんだ」
明けきらぬ雲が、光源を隠す。
依然として感情が読めなかった。ただ一点、表情の温度がよりいっそう下がったことだけはよくわかった。
俺も他人のことは言えない。どうせわかりづらいとかなんとか、似たようなことを彼にも思われているだろう。それもあって視線が厳しく感じた。
「ああ、記念受験ノリだったらしい。一ヶ月の交際でお腹いっぱいだって」
最新の元カノ、ふうかちゃんと別れたのはつい昨日のことだ。告白を受けた日から一ヶ月、毎日ともにした帰り道でフラれた。円満な別れ話だった。もちろん後腐れなく、悲しみもない。表情ひとつ変えずに事務的に明かすこともできる。元より隠すことではない。いずれ全校生徒に知れ渡る話だ。
彼は相槌もなく視線を外した。
「あ、ちなみに、俺、二年ね。二年一組」
「知ってる」
「そっか」
「あー敬語? 年功序列とか気にしてる系?」
「いや、それは敬う気になったらつかって」
俺だけ一方的に知っているのはフェアじゃないよな、と思って伝えたのだが、いらぬお世話だったみたいだ。
太い首を逸らした彼の横顔が、窓に反射した。窓の裏に貼りついた雫が映りこむ顔を濡らし、さらにその奥にはびこる曇天が肌色を吸い尽くした。ぼやけた横顔の輪郭は、きれいとかきれいじゃないとか、そんな美的感覚が作用する次元にはなかった。空気がそこにあるように、ときおり水が降るように、彼はいる。景色を越え、世界を生成する自然の一部と化していた。
この学校に入学してまだ三ヶ月ほどにもかかわらず、このなじみ具合。そうとうここに呼び出されているんだろうなと悟った。
「あんたさ」
窓の雫を数えていた彼と、窓ガラス越しに目が合った。
「二年の、大上満先輩。だろ?」
「敬称はつけるんだ」
「なんか寛容な心の持ち主らしいから」
褒めてるわけではないんだろう。
彼は頬下まである散らかった前髪を気だるそうに耳うしろへ払った。
「一年、宍戸昇。そういう君は、孤高らしいね」
俺は手元のスマホの黒い画面に目を落とした。新しい通知はまだ来ない。
「なんで告白にOKしないんだ?」
「逆になんですんの」
「なんでって、言われたから。付き合ってって」
「あんたの意思は?」
「交際はふたりの意思だろ。それに、付き合ってみないとわからないこともある」
抑揚なく言うと、すげえな、と息をたっぷり混ぜてつぶやかれた。それも明らかに褒め言葉ではなかった。
「わかんねえのに付き合えんのか」
俺は肩をすくめた。
「わからないままでいるの、損してる気分にならないか」
「別に、得でもねえし」
まあ、たしかに。
否定はしなかった。
類まれなる容姿は損にも得にもなったり、ならなかったりする。きらわれるより好かれることのほうが圧倒的に多く、人並み以上に生きやすい人生ではあるだろう。
しかし、それは同時に、生きにくい要因にもなる。他人の感情が降り注ぎ、注目を余儀なくされる人生。どうしたって独りにはなれない。自由を奪われる。今もそう、俺の昼休みもSNSも、もはや俺のために存在しない。
それでも俺たちは柔軟にこの生に適応している。彼も、得にならないと言いながら、呼び出しに律儀に応じている。根は真面目なようだ。
何気なく視線を流すと、ガラス越しではなく直接目が合った。芯を灯した瞳が、俺を食らう。
静寂がふたりの隙間を結んだ。
――まじで正反対だな、ふたり。
正直、根本はもう少し似ているかと思ったけれど。
対の存在とはやし立てられようと、やはり他人は他人。似ているようで、似ていない。
手の中がぶるりと震えた。
それから五分ほどして、カラカラ、と音を極限にすり消しながら扉が開かれた。入ってきたのは、ロングの巻き髪の女。二回ほど折られた短いプリーツスカートは、緑のチェック柄。俺のひとつ上、三年生だ。
俺を呼び出したSNSのアイコンと同じピンク味の強い髪色で、すぐにぴんときた。俺をここに呼び出し、彼とふたりきりにさせた犯人だ。SNSのアカウント名が「Ayane」の先輩。
「あっ、なんかしゃべってた? いーよ、続けて。あたし、聞きたい」
「たいした話じゃないですよ。先輩のほうこそ話があるんですよね? 一旦廊下出ますか?」
「えー、まー、そーだけど」
髪と同色に塗られた唇が、ちょっと不服そうにふくらんだ。
欲望の塊。
うらやましいほどに脂が乗り、ひどく新鮮。それを惜しげもなくひけらかして笑っている。
人並み以上に生きやすいはずの俺でも、いや、だからこそか、彼女のようにさらけ出すことはできない。心に燻る欲望にも自由はない。骨と肉の檻に閉じこめ続けている。
俺が、もしも、人ではなく化け物であったなら。目が三つあり、手足が六本あり、感情がなかったなら。王子様などともてはやされることなく、いるだけで人を傷つける獣であったなら。そしたらきっと、もっと純粋に、本能のまま生きられただろう。
だけど残念ながら俺は理性の働く人間で、そのうえ他人より注目されている。そうとわかっていながら、ときに自他を崩壊させる欲望を軽率に表に出せるわけがない。
今はそのときではないのだと思いとどめている。
「じゃあお先」
俺は平然と彼のいる旧音楽室に背を向けた。



