諸手続きを済ませ、午前の授業を終えた俺は、かつてない疲労感に満ちていた。
――まずい、本当に授業が分からない。
二ヶ月間の遅れを授業だけで取り戻せるなんて、なぜ俺はそんな浅はかなことを思ってしまっていたのだろうか。
中学の頃はオカルトと涼太と遊ぶこと以外に特段の趣味もなかったため、ひたすら勉強をしていた。おかげで成績は大変よく――むしろあの好青年風の見た目をしている涼太の方があまり勉強ができるとは言えず、よく俺が勉強を教えていたっけ。……などと現実逃避をしながら、なんとか午前の授業を乗り切ったのだが。
――つ、疲れた。
隣の席にはバチバチにメイクをしたギャルが座っている。親切にしてくれるクラスメイトは何名かいたが、少なくとも今日は友達と呼べるような存在は現れなさそうだ。
――涼太。
無意識に涼太のことを考えてしまう。まさに今、ぼっちを痛感している俺を、いつでもそばで見守ってくれていたのが彼だった。
そういえば、涼太は何組なのかを聞きそびれてしまった。尋ねようと思いメッセージを開くと、まるで俺の気持ちを読んでいるかのように、彼からのメッセージを受信していた。
『教室迎えきたよ。後ろ。鍵あるから屋上でお昼食べよう』
「は? 迎え?」
後ろを振り向くと、空いた扉の向こう側、廊下で1人、涼太が立って待っていた。
「涼太!」
心細さを抱えた俺の今にとっては非常にありがたい救いの手だ。思わず名前を呼ぶ声は、思ったより大きく教室に響いてしまったようだ。
大して仲良くなれそうもないクラスメイトたちが一斉に俺――というよりも、涼太の方を振り向き、異様な注目を集めてしまった。
――やべ、目立ってる。
俺は急いで教室を飛び出し、涼太の待つ方へと向かった。
*
屋上の風は爽やかだった。晴天に、初春の心地よい気温、そして程よい風が俺の髪を撫でた。
「あーーっ、気持ちいい!!」
両手を空に掲げ、大の字を作るように思い切り伸びをする。
「てか、屋上って入っていいのかよ。誰もいないけど」
涼太が当たり前のように鍵を持って現れたため、てっきりお昼の定番スポットなのかと思っていた。しかし、周囲には俺たち以外の人影はなく、日常的に誰かが使用している形跡もない。風で運ばれてきた砂がコンクリートの隅に吹き溜まっており、なんとなく放置された空間のようだった。
「いや、ダメだったはず。でも俺、先生と仲良くなって……こっそり借りてんだ」
「嘘だろ!? ダメならダメだろ、それ!!」
「でもさ……気持ち良くない? ちゃんと安全に配慮するって約束してるし」
涼太は座って静かに目を閉じた。風を感じているようだが、不思議なことに彼の髪は全く靡いていない。一体何を感じているのだろうか。
「もし怒られても、悪いのは俺だから。全部俺が責任持つからさ、大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないだろ…………」
俺は文句を言いつつも、手にした弁当箱を見つめた。母親が気合いを入れて作ってくれたその弁当は、ずっしりとした重みがあり、尋常ではない質量を感じる。事故に遭った俺を案じる母の想いが詰まっているのだと、一瞬にして理解できた。
「まあ、落ち着いて味わいたいしな……」
立ち入り禁止の屋上に侵入するという罪悪感を、そんなもっともらしい理由でねじ伏せ、俺は涼太の横にゆっくりと腰を下ろした。
「嬉しい、俺、尚樹と高校でお昼食べてる」
「何、大袈裟に」
「大袈裟にもなるって。夢だったもん。しかも屋上で、2人きり」
「2人きり、は余計だろ」
男の俺を口説いてどうするつもりだ。そう心の中でツッコミつつ軽くあしらい、甘めの味付けが施された卵焼きを齧る。
「そういえば、今日はオカルトトークないの?」
オカルトトーク。そう、いつも俺はこの男に好き勝手ペラペラと趣味のオカルトトークを繰り広げていたのだ。
だが、俺には二ヶ月分の空白がある。当然新しいオカルト情報など仕入れているはずもない。
「2ヶ月も寝てたんだぞ。なんもないよ」
「そっか。今日はなんもないデーだ」
「てか、それどころじゃない。授業がガチでやばい」
「……授業がやばい? 嘘、尚樹が?」
「嘘じゃない。高校って授業のスピードすげえ早いんだな……」
午前中の焦りを涼太へ共有したことで、焦る気持ちが少しずつ落ち着いていく。
「なあ、涼太どれくらいやってる? ちょっと教えて欲しいところあるかも」
「え、俺ほとんどなんも覚えてないよ」
「……お前ってやつは〜!」
「はは、俺が尚樹に教える? 無理無理」
確かに中学時代の涼太は、最低限赤点を取らなければそれでいいと言う風で、俺も赤点を取らないための勉強しか教えた記憶がない。
そんな相手に、さらにハイレベルとなった高校の勉強を教えてくれと乞うこと自体が愚の骨頂ではあるのだが。
「……それにしたって2ヶ月だろ? 流石の涼太でも、俺より知ってることあるだろ」
「え、じゃあ、たとえばどこを教えてほしいの?」
「数学とか?」
「はは、無理だ。俺、数学全部寝てる」
くつくつと笑う涼太を、目を細めて見つめる。だめだこいつは、という無言の突っ込みは果たして伝わっているだろうか。
それからもいくつか他愛のない話を続けた。
涼太と過ごす昼休みは俺の弱った心によく効いた。母親の作ったおかずでギチギチの弁当は病み上がりの身体に重たく、すべて食べきることはできなかったが、午前中の焦りはいくらか落ち着いたように思えた。
屋上を出た、階段の踊り場で涼太と別れ、誰も俺のことを待っていない教室へと戻る。気は重いけれど、午前中の絶望感に比べたらよっぽどマシに思えた。
