キスとハグを封じられた部長が導き出した代替案は、俺にとって最悪の結果を生んだ。
こんなことは涼太の前では口が裂けても言えないが、いっそキスやハグの方が、まだマシだったかもしれない。
部室で机の上に並べられた衣服を見て、俺は昨日、勢いで部長との偽装カップル案を受け入れたことを後悔していた。
「……なんですか、これは」
「大丈夫さ。コスプレ用のちゃちいものなんかじゃなくて、ちゃんと本物を用意しているから」
「それは何に対する回答なんですか」
目の前には、女性用の衣服がずらりと並べられていた。
しかも、よくあるチャイナとかドレスとか安っぽい代物じゃなくて、本当にレディース用として売っているのであろう洋服ばかりだ。
「これ、まさか、俺がこの服着て、男女カップルを装いましょうとかそういうことですか」
恐る恐る問うてみる。今日は珍しく涼太が学校を休んでいるようで、朝から『今日は学校に行けない。部長に気を付けて』という、なんとも親切なメッセージがスマホに入っていた。
……この場に涼太がいたら、大激怒するのではないだろうか。
しかも、不運にも今日は全国的に電波障害が起きてしまっているようで、俺はまだ彼に返信ができていないのだ。
「すごい! ご名答だよ。尚樹君は頭の回転が速いんだねえ」
「え、そうですか?」
涼太以外から褒められることなどあまりないため、俺は思わず頬が緩む。って、違う、そうじゃない。
「いやいやいやいや、これならよっぽど涼太とカップルやってる方がそれらしくなるでしょうよ。急にそんな外見的な、なんなんですか」
「僕が思うに、学校で昔死んだ女の子の霊が原因の呪いだとしたら、片方が女の子じゃなければ意味がないと思うんだよねえ」
「え、その女の子の話って、本当だったんですか」
もし本当だとしたら、話が少し変わってくる。
「まあね、知らない? 10年前くらいにここで殺された女の子がいるって。学校の事件なんて珍しいから、昔はテレビニュースでもその話題で持ち切りだったと思うけど」
「……マジか」
10年前というと俺が小学生くらいのころだ。そのころからオカルトやホラーは好んでいたが、残念ながらそのニュースの記憶は残っていなかった。
「しかも、他殺なんですね」
「そうだと思うよ。三角関係だったみたいだねえ。近い学校だったから、小さいころは怖かったよ。人は誰しも、事件や事故なんて自分とは無関係の絵空事のように思っているのだから」
部長は窓の外を見つめる。
夕暮れに照らされてシルエットになった部長の姿は、いつもの不気味な雰囲気とは少し違って見えた。
「……それはあり得ますけど、でも10年前の事件ですよね? その呪いが、なんで今になって出てくるのでしょうか」
「まあ、これは仮説にすぎないからね。そうかもしれないし、違うかもしれない。ただ、何かが起こり得る原因が、少なくともゼロではないということさ」
「うーん……」
なんだか釈然としない。
「ま、いいか。今はこの僕が頑張って家からかき集めてきた女性ものの服が君にフィットするのか否か、それが重要さ」
「家からかき集めてきたの!?」
思わずツッコミを入れてしまった。変わった人だから、そういうこともあり得るのか。特殊性癖か。うわ、あまり触れたくない。
「確認ですけど、これ、自分で着てたとかそういうことはないですよね!?」
「僕にそんな趣味はないよ。探してきただけだから大丈夫さ」
「まさか妹とか姉とか!? まずいって怒られるだろ!」
「ははは! 妄想力が豊かだなあ」
部長は空笑いをすると、服を俺の身体にあてがう。
「うーん、尚樹君は小柄だし、顔もかわいいから、こういう甘めの服が似合うんじゃないかなあ。体型もうまく隠せるんじゃないか、あ、眼鏡はかけたままでもいいか」
「や、やめませんか……、俺……」
「尚樹君、これは作業だよ。羞恥心は捨てるんだ」
「じゃあ、お前が女装しろよ……」
「無理だね。僕がこの服を着るには、身体が大きすぎる」
部長は細身だが、身長は普通の高校生男子よりはるかに高い。確かに現実的に考えて、女装をするなんて無理があるように思う。
部長は一応俺にも何か着たい服はないかと尋ねてきたが、そんなことはどうでもいいから、俺は早くこの時間を終わらせたいと考えていた。
フィッティングを終えたらしい部長は、俺に2、3着のセットアップの洋服を手渡してきた。
「綺麗な身体だねえ」
着替えている間も、部長は俺のことをじっと見つめており、時折そんな感想を零すから最悪の気分だった。
着替えが終わった俺は、自分の身体をまじまじと見る。
梅雨入りして肌寒いとはいえ、それは秋の装いだった。落ち着いたワインレッドのセーターは男っぽい体型を隠せるほどのオーバーサイズである。ロングスカートはこれまた大人っぽいかっちりとした生地で、裾だけふんわりと広がっているおしゃれなデザイン。
この服は、俺と同じくらいの身長の人が着用することが想定されているのだろうか。
部長はそんな俺の姿を上から下まで嘗め回すように見て、言った。
「まあ、悪くはないね。でも結局男の子だな」
そりゃそうだ。俺は童顔だと言われることがあるが(主に涼太から)、メイクも何もしなければ顔は男のままだと思う。
「メイクかあ。一応、道具は持ってきてみたけれど、あいにく僕はメイクしたことないんだよねえ」
「……なあ、やっぱり誰か家族のやつパクってきてんだろ。一応、誰の服なのか教えてくれてもいいんじゃないですか」
さっきの問いもはぐらかされたままだ。というか、この不思議な男は、家では一体どのように過ごしているのだろうか。
「尚樹君は慎重だなあ。それは僕の母親の服だよ。僕は一人っ子だし」
「母親の!? 姉妹と大して変わらん!!」
「はは、大丈夫大丈夫。怒る人はもう誰もいないからさ」
「は?」
「さあ、このまま放課後デートだ! あまり多くの人に見つからない場所がいいな。……そうだ、海へ行こう!」
「まて、誰もいないってどういう」
「さあ、行くぞー!!!」
部長は俺の手を強引に引いて部室を飛び出していった。というか、このまま出かけるのなら先に言ってくれ。特段海辺の町というわけではないし、近くの海水浴場までは電車を使わないとたどり着けない。
「行くぞってどうやって!? てかめっちゃ見られている!!!」
放課後残っている生徒、部活中の生徒、先生等、色々な人からジロジロと見られる。その目線に浮かんでいるのは、もはや好奇心ではなく嫌悪だ。
せめて顔だけは見られてないように顔を伏せ、あーだこーだと文句を言いながら部長に手を引かれる、
そうしてたどり着いたのは、校舎裏の駐輪場だった。
「はい、後ろにどうぞ」
部長はヘルメットを装着し、大きな原付に跨りながら俺を誘導する。
「部長、免許持ってたんですか」
「まあね。かっこいいでしょ~」
「…………」
なるほど。これなら、少なくとも移動中は周りの目を過剰に心配する必要はない。
俺は履きなれないスカートで、原付の後ろに跨った。
「背中、ちゃんと捕まってた方がいいよ」
言われるがままに手を回すと、部長の大きな背中から僅かな体温が伝わってきた。運転手は「よし」と微笑を浮かべると、その破天荒なイメージとは似つかわしくない安全運転で、俺を海水浴場まで運搬した。
*
梅雨時期の海には、当然誰もいない。しかも雨が降っているものだから、いつもより激しく波打っているような気がして不安が煽られる。
原付に乗って海へ向かう間、雨合羽も何も着用していなかったため、せっかく着せてもらった女性服がびしょびしょに濡れてしまった。振り落とされないように抱きついていた部長の背中から伝わる熱が、俺の体温を辛うじて保たせてくれていた。
「さあ、尚樹君。ここできゃっきゃうふふをしよう」
「なんですかそれは」
「漫画でカップルがやってるやつさ!」
「全然わかんね~」
突然海に向かって走りだした部長の背中を見つめ、俺はゆっくりと歩みを進めた。雨を遮るものがなく、とても寒い。これ、家に帰ったら母親になんと説明すればいいんだろう。
靴を砂まみれにするわけにもいかず、俺は裸足になって砂を踏んだ。湿っていて気持ち悪いが、俺の体重で沈んだ砂が足を包む感覚は、嫌いではなかった。
「尚樹君、早く早く。海に近づけば近づくほど、霊が僕らを呼ぶ力が強くなるからね」
「怖いこと言わないでください」
「ええ~、オカルトを愛すものなら、夏の海なんて鉄板中の鉄板でしょうが」
「まあ、そうですが……」
たしかに、心霊スポットに海はつきものだ。だが、そこに足を踏み入れるためには、細心の準備と、故人への最大の敬意をもって臨まなければならないのではないか。
この違いが俺を『意外と常識人』たらしめるのか。そんなことを考え耽っていると、何の躊躇いもなく、制服のままズブズブと海に沈んでいく部長を視界に捉えた。
「ちょちょちょ、待て待て! アンタなにやってんですか!」
急いで駆けつけ、半分くらい海に沈んだ部長の腕を引っ張り上げる。部長から借りた服のスカートの裾が、荒波のせいで滅茶苦茶だ。
「こんな天気が悪い日に、海とか霊関係なく危ないだろ!」
ようやく浜辺まで部長を引きずり上げた。しかし、焦るあまり引っ張る力が強すぎたようだ。バランスを崩して後ろへ転倒し、その勢いで、部長が俺に多い被さるように重なる。俺は意図せず、浜辺で部長に押し倒されるような格好になってしまった。
「って……!! 何するんですか!」
「いやいや、僕を引っ張ってきたのは君の方じゃないか。ひどいなあ、僕は海に還りたいのに」
「魚か! 離れてくださいッ……! って、え」
俺を見下ろす部長の髪が潮水に濡れ、いつもよりまとまっている。その隙間からは、いつもは前髪に邪魔されて見えない素顔がよく見えた。
昨日キスされたときには少ししか見えなかった碧眼が、俺を覗く。顔は整っているが、涼太とは違う……外国人の血が混ざっているようなくっきりとした鼻筋、シャープな顎。そして長いまつげ。
涼太のようなイケメンを見慣れている俺でも、つい見惚れてしまうような、そんな美形がそこにはあった。
俺が目を見開いて見つめていると、部長の口が動いた。
「……なに? そんなに情熱的に見つめて。キスしてほしいの?」
そう囁くと、こちらがイエスもノーも言う前に、俺の頬に口づけが落ちた。
「……!? うわあああ!!!」
俺は反射的に部長の胸を両手で押し戻し、とっさに距離を取る。
「おい! なにやってんだ!! てか、や、約束!! 破りましたね!!! もう今日で偽装終わりで、いいですか……!?」
昨日の今日で約束を破られたらたまったものではない。俺は昨日の怒りに満ちた涼太の表情を思い出していた。
「まあまあ、キスなんて挨拶みたいなものじゃない? 昨日の涼太君も、怒りすぎだよね」
「キスが挨拶……?」
先ほど覗き見た部長の素顔が脳裏に浮かぶ。
「……部長ってもしかして、ハーフだったりするんですか?」
「お、鋭いね~」
「で、そのご両親って……」
「ん。とっくの昔に死んでるよ」
その衝撃的な事実は、あまりにもサラッと言い放たれた。
「父が海外の人で、母が日本人。母は女性にしては身長の高い人だったから、君に着せた服もぴったりだったね」
「そんな、俺が着てるの、大切な形見じゃないですか。こんな雨と海でべちょべちょにしたら、部長のお母さんに申し訳ないですよ」
「はは。いいんじゃないの。もういないし」
「部長……」
部長は海を眺めながら続けた。
「僕が小学6年生のころにね、父と母はね、帰省するっていって、飛行機で向こうへ渡ったんだ。その帰り道、墜落事故が起きた」
それは俺も知っているくらいの大きなニュースだった。子供ながらに飛行機への恐怖心が煽られる、悲惨な事故だったと記憶している。
「2人の最期の姿はね、僕も見ていないんだ。……まあ子どもだったから、どちらにせよ叔父さんたちは僕に見せなかっただろうね」
部長がフランス人と日本人のハーフなら、キスやハグに対して抵抗が極めて薄いことにも納得がいく。おそらく、彼の家庭にとってそれらの行為は日常茶飯事だったのだろう。
「僕にとって、2人が墜落した海が、大きな墓石のようなものだ。……もし本当に呪いがあるのなら、君と僕を引きはがすために、ここで連れ去ってくれるかと思ったんだが」
部長はこちらを振り返って、にこりと笑う。
「君に、連れ戻されてしまったね」
「……あ、当たり前です」
物騒な発言とは裏腹に、寂しげに笑う部長に対して、どんな言葉を投げたら良いのか分からない。
「それに理屈がおかしいですよ。学校の呪いなんだから。部長のご両親の事故と学校の呪いは、さすがにかけ離れすぎています」
「……それもそうか」
うーんと頬に指をあてて空を仰ぐ部長は、いつも通りの様子に戻っていた。
「あ、そうだ。僕の身の上話と引き換えに、君の身の上話も聞こうじゃないか。ずっと気になっていたんだ。君と涼太君は、なぜ2ヶ月もの間、部活に入っていなかったのか」
「ああ、そういえば言ってませんでしたね。俺、実は入学式の後事故に遭っちゃって。2ヶ月間入院していたから、あの日がそもそも登校したばかりだったんです」
「なるほど。……うんうん。どんな事故だったんだい?」
「それが、まったく覚えていなくて、なんというか、記憶が曖昧なんです。母が言うには、退院した後もショックでかなり意識が混濁していて、それが戻るのに2ヶ月かかった、っていうことらしいのですが……」
「へえ、それはそれは。非常に貴重な臨死体験ができたのに、記憶を有していないとはもったいないねえ」
「貴重な臨死体験って……」
2ヶ月間のことは、母親に聞いても父親に聞いても、言いにくそうに話を濁されてしまう。涼太に聞いてもだ。俺は事故のショックでよっぽど発狂状態だったのだろうと納得し、必要以上に心配をかけないように、自分からその話題を人に振るのを極力避けていた。
「……で、涼太君はその間、何を?」
「ああ、あいつは俺と同じ部活に入りたくてずっと待っていたらしいです」
「ははは!」
部長は手を叩いて大声で笑った。涙が出るほど爆笑した後、「いやー、涼太君らしいねえ」と涙を右手で拭った。
「でもすごいんだねえ、彼も。ここの学校、部活決めないと担任から鬼のように急かされるんだよねえ。僕も逃げ惑うのに必死で、オカルト部じゃなくて先生から逃亡部だったよ」
「あ、でも、あいつは器用だから。多分どこかに1回入ってすぐ退部したんだと思います」
「ふーん……なるほどねえ」
そんな話をしていると、雨脚がだんだんと強まってきた。こんな雨の中、長々と身の上話を続けるものじゃない。
「そろそろ帰りませんか。俺、風邪ひきそう」
「ん? ああ、そうだね」
2人で帰る支度をする。身体についた砂を払いながら、部長が鞄の中からタオルと雨合羽を取り出した。
「合羽あるんじゃねーか!!」
「おお! 鋭いツッコミ!! いいねえ」
「こんなびしょびしょになってからじゃ意味ないですよ……」
「ははは」
出来る限りの防寒をして、2人は原付バイクに跨った。
「実のところ、君と涼太君は、僕の両親に似ているんだ。……僕の父も、母に対して過剰に心配するそぶりを見せていた。当然、1人っ子の僕にもだ」
「え、そうなんですか」
「ああ。だから2人を見ていると、なんだか子どものころに戻ったように楽しくてね。退屈しない」
「……それは、よかったです」
「ねえ」
部長は、せっかく跨った原付から降りた。そして、まだ跨っている俺に向かって両手を広げた。
「ハグをしよう。また明日、の挨拶だ」
「……約束」
「涼太君はいない。怒る人は誰もいないさ」
「ひどいな、マジで……」
悪態をつきながら、俺は原付を降りた。
「今日だけですよ」
「ああ、それでいい」
そう言って俺はそっと部長に近づいた。そんな俺を、部長は優しく抱き包んだ。海を背景に、男が2人、雨合羽を着て、しかも片方はヒラヒラのロングスカートを揺らしている。とてもロマンチックな光景だとは言えない。
部長の頬が俺の頬に触れる。これも挨拶か。
体温が、俺の身体に伝わる。腕にはいつの間にか力がこもっていた。
――寂しかったのか。
オカルト研究部の何が部長の気を紛らわせているのかは知らないが、俺みたいな、クラスではいないも同然なちっぽけな存在でも、この男の助けになっているのかもしれない。
そんなことを想うと、俺は自然と、彼の背中に腕を回していた。
こんなことは涼太の前では口が裂けても言えないが、いっそキスやハグの方が、まだマシだったかもしれない。
部室で机の上に並べられた衣服を見て、俺は昨日、勢いで部長との偽装カップル案を受け入れたことを後悔していた。
「……なんですか、これは」
「大丈夫さ。コスプレ用のちゃちいものなんかじゃなくて、ちゃんと本物を用意しているから」
「それは何に対する回答なんですか」
目の前には、女性用の衣服がずらりと並べられていた。
しかも、よくあるチャイナとかドレスとか安っぽい代物じゃなくて、本当にレディース用として売っているのであろう洋服ばかりだ。
「これ、まさか、俺がこの服着て、男女カップルを装いましょうとかそういうことですか」
恐る恐る問うてみる。今日は珍しく涼太が学校を休んでいるようで、朝から『今日は学校に行けない。部長に気を付けて』という、なんとも親切なメッセージがスマホに入っていた。
……この場に涼太がいたら、大激怒するのではないだろうか。
しかも、不運にも今日は全国的に電波障害が起きてしまっているようで、俺はまだ彼に返信ができていないのだ。
「すごい! ご名答だよ。尚樹君は頭の回転が速いんだねえ」
「え、そうですか?」
涼太以外から褒められることなどあまりないため、俺は思わず頬が緩む。って、違う、そうじゃない。
「いやいやいやいや、これならよっぽど涼太とカップルやってる方がそれらしくなるでしょうよ。急にそんな外見的な、なんなんですか」
「僕が思うに、学校で昔死んだ女の子の霊が原因の呪いだとしたら、片方が女の子じゃなければ意味がないと思うんだよねえ」
「え、その女の子の話って、本当だったんですか」
もし本当だとしたら、話が少し変わってくる。
「まあね、知らない? 10年前くらいにここで殺された女の子がいるって。学校の事件なんて珍しいから、昔はテレビニュースでもその話題で持ち切りだったと思うけど」
「……マジか」
10年前というと俺が小学生くらいのころだ。そのころからオカルトやホラーは好んでいたが、残念ながらそのニュースの記憶は残っていなかった。
「しかも、他殺なんですね」
「そうだと思うよ。三角関係だったみたいだねえ。近い学校だったから、小さいころは怖かったよ。人は誰しも、事件や事故なんて自分とは無関係の絵空事のように思っているのだから」
部長は窓の外を見つめる。
夕暮れに照らされてシルエットになった部長の姿は、いつもの不気味な雰囲気とは少し違って見えた。
「……それはあり得ますけど、でも10年前の事件ですよね? その呪いが、なんで今になって出てくるのでしょうか」
「まあ、これは仮説にすぎないからね。そうかもしれないし、違うかもしれない。ただ、何かが起こり得る原因が、少なくともゼロではないということさ」
「うーん……」
なんだか釈然としない。
「ま、いいか。今はこの僕が頑張って家からかき集めてきた女性ものの服が君にフィットするのか否か、それが重要さ」
「家からかき集めてきたの!?」
思わずツッコミを入れてしまった。変わった人だから、そういうこともあり得るのか。特殊性癖か。うわ、あまり触れたくない。
「確認ですけど、これ、自分で着てたとかそういうことはないですよね!?」
「僕にそんな趣味はないよ。探してきただけだから大丈夫さ」
「まさか妹とか姉とか!? まずいって怒られるだろ!」
「ははは! 妄想力が豊かだなあ」
部長は空笑いをすると、服を俺の身体にあてがう。
「うーん、尚樹君は小柄だし、顔もかわいいから、こういう甘めの服が似合うんじゃないかなあ。体型もうまく隠せるんじゃないか、あ、眼鏡はかけたままでもいいか」
「や、やめませんか……、俺……」
「尚樹君、これは作業だよ。羞恥心は捨てるんだ」
「じゃあ、お前が女装しろよ……」
「無理だね。僕がこの服を着るには、身体が大きすぎる」
部長は細身だが、身長は普通の高校生男子よりはるかに高い。確かに現実的に考えて、女装をするなんて無理があるように思う。
部長は一応俺にも何か着たい服はないかと尋ねてきたが、そんなことはどうでもいいから、俺は早くこの時間を終わらせたいと考えていた。
フィッティングを終えたらしい部長は、俺に2、3着のセットアップの洋服を手渡してきた。
「綺麗な身体だねえ」
着替えている間も、部長は俺のことをじっと見つめており、時折そんな感想を零すから最悪の気分だった。
着替えが終わった俺は、自分の身体をまじまじと見る。
梅雨入りして肌寒いとはいえ、それは秋の装いだった。落ち着いたワインレッドのセーターは男っぽい体型を隠せるほどのオーバーサイズである。ロングスカートはこれまた大人っぽいかっちりとした生地で、裾だけふんわりと広がっているおしゃれなデザイン。
この服は、俺と同じくらいの身長の人が着用することが想定されているのだろうか。
部長はそんな俺の姿を上から下まで嘗め回すように見て、言った。
「まあ、悪くはないね。でも結局男の子だな」
そりゃそうだ。俺は童顔だと言われることがあるが(主に涼太から)、メイクも何もしなければ顔は男のままだと思う。
「メイクかあ。一応、道具は持ってきてみたけれど、あいにく僕はメイクしたことないんだよねえ」
「……なあ、やっぱり誰か家族のやつパクってきてんだろ。一応、誰の服なのか教えてくれてもいいんじゃないですか」
さっきの問いもはぐらかされたままだ。というか、この不思議な男は、家では一体どのように過ごしているのだろうか。
「尚樹君は慎重だなあ。それは僕の母親の服だよ。僕は一人っ子だし」
「母親の!? 姉妹と大して変わらん!!」
「はは、大丈夫大丈夫。怒る人はもう誰もいないからさ」
「は?」
「さあ、このまま放課後デートだ! あまり多くの人に見つからない場所がいいな。……そうだ、海へ行こう!」
「まて、誰もいないってどういう」
「さあ、行くぞー!!!」
部長は俺の手を強引に引いて部室を飛び出していった。というか、このまま出かけるのなら先に言ってくれ。特段海辺の町というわけではないし、近くの海水浴場までは電車を使わないとたどり着けない。
「行くぞってどうやって!? てかめっちゃ見られている!!!」
放課後残っている生徒、部活中の生徒、先生等、色々な人からジロジロと見られる。その目線に浮かんでいるのは、もはや好奇心ではなく嫌悪だ。
せめて顔だけは見られてないように顔を伏せ、あーだこーだと文句を言いながら部長に手を引かれる、
そうしてたどり着いたのは、校舎裏の駐輪場だった。
「はい、後ろにどうぞ」
部長はヘルメットを装着し、大きな原付に跨りながら俺を誘導する。
「部長、免許持ってたんですか」
「まあね。かっこいいでしょ~」
「…………」
なるほど。これなら、少なくとも移動中は周りの目を過剰に心配する必要はない。
俺は履きなれないスカートで、原付の後ろに跨った。
「背中、ちゃんと捕まってた方がいいよ」
言われるがままに手を回すと、部長の大きな背中から僅かな体温が伝わってきた。運転手は「よし」と微笑を浮かべると、その破天荒なイメージとは似つかわしくない安全運転で、俺を海水浴場まで運搬した。
*
梅雨時期の海には、当然誰もいない。しかも雨が降っているものだから、いつもより激しく波打っているような気がして不安が煽られる。
原付に乗って海へ向かう間、雨合羽も何も着用していなかったため、せっかく着せてもらった女性服がびしょびしょに濡れてしまった。振り落とされないように抱きついていた部長の背中から伝わる熱が、俺の体温を辛うじて保たせてくれていた。
「さあ、尚樹君。ここできゃっきゃうふふをしよう」
「なんですかそれは」
「漫画でカップルがやってるやつさ!」
「全然わかんね~」
突然海に向かって走りだした部長の背中を見つめ、俺はゆっくりと歩みを進めた。雨を遮るものがなく、とても寒い。これ、家に帰ったら母親になんと説明すればいいんだろう。
靴を砂まみれにするわけにもいかず、俺は裸足になって砂を踏んだ。湿っていて気持ち悪いが、俺の体重で沈んだ砂が足を包む感覚は、嫌いではなかった。
「尚樹君、早く早く。海に近づけば近づくほど、霊が僕らを呼ぶ力が強くなるからね」
「怖いこと言わないでください」
「ええ~、オカルトを愛すものなら、夏の海なんて鉄板中の鉄板でしょうが」
「まあ、そうですが……」
たしかに、心霊スポットに海はつきものだ。だが、そこに足を踏み入れるためには、細心の準備と、故人への最大の敬意をもって臨まなければならないのではないか。
この違いが俺を『意外と常識人』たらしめるのか。そんなことを考え耽っていると、何の躊躇いもなく、制服のままズブズブと海に沈んでいく部長を視界に捉えた。
「ちょちょちょ、待て待て! アンタなにやってんですか!」
急いで駆けつけ、半分くらい海に沈んだ部長の腕を引っ張り上げる。部長から借りた服のスカートの裾が、荒波のせいで滅茶苦茶だ。
「こんな天気が悪い日に、海とか霊関係なく危ないだろ!」
ようやく浜辺まで部長を引きずり上げた。しかし、焦るあまり引っ張る力が強すぎたようだ。バランスを崩して後ろへ転倒し、その勢いで、部長が俺に多い被さるように重なる。俺は意図せず、浜辺で部長に押し倒されるような格好になってしまった。
「って……!! 何するんですか!」
「いやいや、僕を引っ張ってきたのは君の方じゃないか。ひどいなあ、僕は海に還りたいのに」
「魚か! 離れてくださいッ……! って、え」
俺を見下ろす部長の髪が潮水に濡れ、いつもよりまとまっている。その隙間からは、いつもは前髪に邪魔されて見えない素顔がよく見えた。
昨日キスされたときには少ししか見えなかった碧眼が、俺を覗く。顔は整っているが、涼太とは違う……外国人の血が混ざっているようなくっきりとした鼻筋、シャープな顎。そして長いまつげ。
涼太のようなイケメンを見慣れている俺でも、つい見惚れてしまうような、そんな美形がそこにはあった。
俺が目を見開いて見つめていると、部長の口が動いた。
「……なに? そんなに情熱的に見つめて。キスしてほしいの?」
そう囁くと、こちらがイエスもノーも言う前に、俺の頬に口づけが落ちた。
「……!? うわあああ!!!」
俺は反射的に部長の胸を両手で押し戻し、とっさに距離を取る。
「おい! なにやってんだ!! てか、や、約束!! 破りましたね!!! もう今日で偽装終わりで、いいですか……!?」
昨日の今日で約束を破られたらたまったものではない。俺は昨日の怒りに満ちた涼太の表情を思い出していた。
「まあまあ、キスなんて挨拶みたいなものじゃない? 昨日の涼太君も、怒りすぎだよね」
「キスが挨拶……?」
先ほど覗き見た部長の素顔が脳裏に浮かぶ。
「……部長ってもしかして、ハーフだったりするんですか?」
「お、鋭いね~」
「で、そのご両親って……」
「ん。とっくの昔に死んでるよ」
その衝撃的な事実は、あまりにもサラッと言い放たれた。
「父が海外の人で、母が日本人。母は女性にしては身長の高い人だったから、君に着せた服もぴったりだったね」
「そんな、俺が着てるの、大切な形見じゃないですか。こんな雨と海でべちょべちょにしたら、部長のお母さんに申し訳ないですよ」
「はは。いいんじゃないの。もういないし」
「部長……」
部長は海を眺めながら続けた。
「僕が小学6年生のころにね、父と母はね、帰省するっていって、飛行機で向こうへ渡ったんだ。その帰り道、墜落事故が起きた」
それは俺も知っているくらいの大きなニュースだった。子供ながらに飛行機への恐怖心が煽られる、悲惨な事故だったと記憶している。
「2人の最期の姿はね、僕も見ていないんだ。……まあ子どもだったから、どちらにせよ叔父さんたちは僕に見せなかっただろうね」
部長がフランス人と日本人のハーフなら、キスやハグに対して抵抗が極めて薄いことにも納得がいく。おそらく、彼の家庭にとってそれらの行為は日常茶飯事だったのだろう。
「僕にとって、2人が墜落した海が、大きな墓石のようなものだ。……もし本当に呪いがあるのなら、君と僕を引きはがすために、ここで連れ去ってくれるかと思ったんだが」
部長はこちらを振り返って、にこりと笑う。
「君に、連れ戻されてしまったね」
「……あ、当たり前です」
物騒な発言とは裏腹に、寂しげに笑う部長に対して、どんな言葉を投げたら良いのか分からない。
「それに理屈がおかしいですよ。学校の呪いなんだから。部長のご両親の事故と学校の呪いは、さすがにかけ離れすぎています」
「……それもそうか」
うーんと頬に指をあてて空を仰ぐ部長は、いつも通りの様子に戻っていた。
「あ、そうだ。僕の身の上話と引き換えに、君の身の上話も聞こうじゃないか。ずっと気になっていたんだ。君と涼太君は、なぜ2ヶ月もの間、部活に入っていなかったのか」
「ああ、そういえば言ってませんでしたね。俺、実は入学式の後事故に遭っちゃって。2ヶ月間入院していたから、あの日がそもそも登校したばかりだったんです」
「なるほど。……うんうん。どんな事故だったんだい?」
「それが、まったく覚えていなくて、なんというか、記憶が曖昧なんです。母が言うには、退院した後もショックでかなり意識が混濁していて、それが戻るのに2ヶ月かかった、っていうことらしいのですが……」
「へえ、それはそれは。非常に貴重な臨死体験ができたのに、記憶を有していないとはもったいないねえ」
「貴重な臨死体験って……」
2ヶ月間のことは、母親に聞いても父親に聞いても、言いにくそうに話を濁されてしまう。涼太に聞いてもだ。俺は事故のショックでよっぽど発狂状態だったのだろうと納得し、必要以上に心配をかけないように、自分からその話題を人に振るのを極力避けていた。
「……で、涼太君はその間、何を?」
「ああ、あいつは俺と同じ部活に入りたくてずっと待っていたらしいです」
「ははは!」
部長は手を叩いて大声で笑った。涙が出るほど爆笑した後、「いやー、涼太君らしいねえ」と涙を右手で拭った。
「でもすごいんだねえ、彼も。ここの学校、部活決めないと担任から鬼のように急かされるんだよねえ。僕も逃げ惑うのに必死で、オカルト部じゃなくて先生から逃亡部だったよ」
「あ、でも、あいつは器用だから。多分どこかに1回入ってすぐ退部したんだと思います」
「ふーん……なるほどねえ」
そんな話をしていると、雨脚がだんだんと強まってきた。こんな雨の中、長々と身の上話を続けるものじゃない。
「そろそろ帰りませんか。俺、風邪ひきそう」
「ん? ああ、そうだね」
2人で帰る支度をする。身体についた砂を払いながら、部長が鞄の中からタオルと雨合羽を取り出した。
「合羽あるんじゃねーか!!」
「おお! 鋭いツッコミ!! いいねえ」
「こんなびしょびしょになってからじゃ意味ないですよ……」
「ははは」
出来る限りの防寒をして、2人は原付バイクに跨った。
「実のところ、君と涼太君は、僕の両親に似ているんだ。……僕の父も、母に対して過剰に心配するそぶりを見せていた。当然、1人っ子の僕にもだ」
「え、そうなんですか」
「ああ。だから2人を見ていると、なんだか子どものころに戻ったように楽しくてね。退屈しない」
「……それは、よかったです」
「ねえ」
部長は、せっかく跨った原付から降りた。そして、まだ跨っている俺に向かって両手を広げた。
「ハグをしよう。また明日、の挨拶だ」
「……約束」
「涼太君はいない。怒る人は誰もいないさ」
「ひどいな、マジで……」
悪態をつきながら、俺は原付を降りた。
「今日だけですよ」
「ああ、それでいい」
そう言って俺はそっと部長に近づいた。そんな俺を、部長は優しく抱き包んだ。海を背景に、男が2人、雨合羽を着て、しかも片方はヒラヒラのロングスカートを揺らしている。とてもロマンチックな光景だとは言えない。
部長の頬が俺の頬に触れる。これも挨拶か。
体温が、俺の身体に伝わる。腕にはいつの間にか力がこもっていた。
――寂しかったのか。
オカルト研究部の何が部長の気を紛らわせているのかは知らないが、俺みたいな、クラスではいないも同然なちっぽけな存在でも、この男の助けになっているのかもしれない。
そんなことを想うと、俺は自然と、彼の背中に腕を回していた。
