灰被りの剣姫と帝國の皇子

 織部の里は人家が固まって建っており、そこを抜けると蚕草の畑が広がっている。
 空は白んでいるがまだ辺りは薄暗く、蚕草が帯びる淡い金色の光が幻想的だ。

「名残惜しいですか?」

 隣を歩く神祇卿宮が尋ねてきた。

「そうですね。少しだけ」

 帝都に出たら、よほどの事がない限り寧々はここに戻るつもりはなかった。
 だから自宅もこの景色も今日で見納めかもしれないと思うと少し感情的になる。

「里帰りすれば歓迎されそうな感じではありましたよね。勢津子さんの態度からすると」

 ――体には気を付けて、しっかりとお仕えするのよ。
 ――何かあったら連絡なさい。すぐに駆けつけるから。
 ――くれぐれも宮様によろしく。それとなく美栄によいご縁が来るようにお話してくれないかしら? でも、不興は買わないようにね。

(他には何を言われたっけ……)

 寧々は、帝都に女官として出仕すると決まってからの勢津子の言動を思い出して顔をしかめた。

「意味がわからなくて気持ち悪かったです」

「あなたを通して俺を利用したいんでしょう。勢津子さんはなかなかの俗物でしたね」

「申し訳ないです……」

「慣れているので謝罪は結構です」

 神祇卿宮は苦笑いを浮かべた。

「謝らなければいけないのはむしろこちらかと。俺の特別な女性だと思わせておいた方が寧々さんを連れ出しやすいと思って、勢津子さんの勘違いを否定しませんでした」

「いえ、わかっていましたから!」

 寧々はぶんぶんと首を横に振った。

「あの時に勢津子さんに伝えた言葉も本音ではありません。どんな理由があったとしても姉妹を差別するのは親としていかがなものかと思います」

 神祇卿宮の発言に寧々は動揺する。

「あの……わざわざ……いえ、お気遣いありがとうございます」

(優しい方だな)

 この人のためにできる限りのことをしたい。自然とそう思った。

「でもこれからどうするんですか? 母は私が宮様に囲われるって信じきっていましたけど……」

「訂正は必要ないかと。寧々さんには不本意かもしれませんが、誤解させておいた方が勢津子さんからの干渉を防げると思います」

「宮様がそれでいいのなら私も構いませんけど……」

 偽りとはいえ、自分のような人間を選んだと思われて嫌ではないのだろうか。
 寧々は後ろめたさから眉を下げた。

「その宮様という呼び方、やめませんか? 長い付き合いになりそうなので千晃でいいですよ。名を許します」

「えっ……」

 寧々は大きく目を見開いた。
 皇族の御名を呼ぶのは不敬にあたる。誰もが知っている常識である。

(断るのも不敬になる……? どうしよう……)

「こういう時は、『御名をお許しいただき光栄です』と答えればいいんですよ」

「……御名をお許しいただき光栄です。これでいいですか?」

「はい。せっかくなので千晃と呼んでください」

「ち、千晃様……?」

 おそるおそる呼びかけると、神祇卿宮――千晃は満足げに頷いた。



 ほどなくして里と外界を隔てる結界の境界線にたどり着いた。
 寧々は自分が丸腰なのを思い出し、途端に怖くなる。

「千晃様、私、ご指示通りに武器を置いてきましたが、本当にいいんでしょうか?」

 彼から何も持たなくていいと言われたから、愛用の弓矢も予備の霊刀も置いてきた。枝を払うための短刀はあるがそれだけだ。里の近くは禍物(まがもの)がうろついているのでどうにも不安である。

「刀は山を降りたら邪魔になります。民間人の帯刀は禁止されているので」

「あ……そっか、廃刀令……」

 千晃の指摘に寧々は御一新の後に出された勅令を思い出した。
 禍物がよく出る織部の里では特例で許可されているが、里の外で武器の所持を許されているのは、軍人、警察官、神祇官など一部の官吏だけである。
 見咎められたら織部の守人だと証明しなければいけないので面倒だ。

「代わりにこれを使ってください」

 そう言いながら、千晃は手の平から羽々斬を出した。

「それ、どうなってるんですか?」

「所有者の俺の体が鞘になっているんです。いつでも手元に戻せるので紛失の心配はありません。どうか何も気にせずに受け取ってください」

「そういうことなら……」

 寧々はおずおずと羽々斬に手を伸ばした。

「その剣は生き物や器物は斬れません。斬れるのは禍物だけなので気を付けてください」

「そうなんですね」

 さすが神器というべきか、普通の刀剣とは違うらしい。
 寧々は感心しながら羽々斬を帯に挟んだ。



   ◆ ◆ ◆



 結界の外に出た千晃は、そこかしこに立ち込める禍物の気配に眉をひそめた。
 往路でも味わっているはずだが、ずっと結界の中にいたせいか、より強くその気配が体にのしかかってくる。

「息苦しいですね。蚕草は魔性の植物だと思い知らされます」

 滞在中に見せてもらった畑の様子を思い浮かべながらつぶやくと、隣を歩く寧々が頷いた。

「里の結界から外に出ると、いつも体が重くなります。しばらく歩くと慣れて平気になるんですけど……」

 彼女の発言の途中で千晃は何かの気配を察知した。

「止まってください。何かいます」

 千晃は手を広げて寧々を制すと、右側の茂みに視線を向けた。

「まずいな。気付かれたみたいだ」

 感知能力には自信があったが雑多な気配に邪魔をされて気付くのが遅れた。
 それほど強い禍物ではなさそうだが、二体、何かがこちらに向かってくる。

 寧々がまとう気配が変わった。

 気弱そうな雰囲気が消え、抜き身の剣のように鋭く凛とした表情になる。
 彼女は羽々斬を手にすると、千晃を庇うように茂みの前に進み出た。

(この程度の雑魚相手に守られるほど弱くはないんだけどな)

 複雑な気持ちになりながらも、千晃は自身の影に向かって呼びかける。

「小夜、手伝ってくれ」

「猫使いが荒いわねぇ……」

 半人半獣の姿をとった猫又が、不機嫌そうに琥珀色の瞳を半目にしながら影の中から現れた。

「寧々さん、こいつは俺の式神で小夜と言います。猫又です」

「初めて会った時に一緒にいた猫ちゃんですよね」

 寧々はちらりと小夜に視線を向けた。

「禍物は二体だ。一体は小夜に任せる」

 千晃は小夜に命じる。

「仕方ないわね」

 小夜は気怠そうに承諾ししながら妖気を凝縮させて二本の剣を作り出し、寧々の隣に並んだ。

「羽々斬の適合者、間違ってもそれで私を斬るんじゃないわよ」

「寧々さん、小夜の位置には気を付けてください。その剣で斬ってしまったらおそらく消滅します」

 千晃が小夜の発言を補足すると、寧々は目を見張った。

「そっか、そういう剣ですよね。わかりました。気を付けます」

「もう来た」

 小夜は舌打ち混じりに吐き捨てると、地を蹴って茂みに飛び込んだ。

 ぎゃあ、という声が聞こえる。一体は首尾よく彼女が抑えたようだ。

 妖力の位置からそう判断した直後、茂みから仔馬くらいの大きさの(むじな)が現れた。

 千晃はあらかじめ準備しておいた攻撃神術を放とうとする。
 しかし、先に寧々が動いたため、すんでのところで踏みとどまった。

 寧々は柄だけの羽々斬を横に薙ぎ、その動作の途中で青白く輝く光の刃を出した。

 狢の体は胸を境目に両断されて消滅する。
 斬る時にだけ刃を出したのは消耗を防ぐためだろう。
 大して強くない禍物が相手とはいえ、思っていたよりも反応がいい寧々の姿に千晃は驚いた。

「やっぱりその剣、禍物殺しね。たった一撃で仕留めるなんて」

 茂みから小夜が出てきた。光の加減によって金色にも見える瞳には警戒心が溢れている。

「ありがとう、小夜」

 彼女が交戦していたと思われるもう一体の妖力は既に感じ取れない。
 小夜は得意気な表情を千晃に向けると、手にした双剣を消した。人間に近い形態の時に彼女が使う武器は、妖力でできているので自在に出したり消したりできる。

「ご苦労さま。戻っていい」

「嫌よ」

 小夜は千晃の命令を拒否すると、本来の姿である二本の尾を持つ黒猫に姿を変えた。
 そして、地を蹴って千晃の肩に飛び上がる。

「そこの小娘と二人きりだと危ないわ。人里に出るまでは私が千晃を守ってあげる」

 恩着せがましく告げると、彼女は千晃が担ぐ行李(こうり)の上へと移動した。
 寧々は目を丸くしてこちらを見ている。

「何よ」

 小夜がじろりと睨みつけると、寧々は慌てた様子で目をそらした。

「ごめんなさい! 猫ちゃんの姿になっても人の言葉でお喋りするのに少しびっくりして……」

「そりゃ喋るわよ。猫又だもの」

 小夜は寧々に馬鹿にするような目を向けた。

「……ごめんなさい」

「あんた、禍物がいなくなった途端に人が変わったみたいね。人間にしてはそこそこやるんだからもっと堂々としていたらいいのに」

 寧々は小夜のきつい物言いに体をすくませた。

「こら小夜。寧々さんが困ってる」

 千晃が窘めると、小夜は不貞腐れた顔で丸くなる。

《この子を見ていると腹が立つのよね》

 不機嫌そうな小夜の声が頭の中に響いた。
 式神と千晃は念話で会話ができる。

《俺も同感だけど生まれ育った環境を考えたら今の寧々さんには難しいと思う》

 男と変わらない速度で山道を歩く体力があり、反応速度や勘がいい寧々は、千晃から見たら充分以上に優秀な人材だ。
 だが、幼少期から無能と謗られ続けてきたのが影響しているのだろう。寧々の自己評価はとても低い。それを覆すには時間がいる。

「小夜が失礼な物言いをして申し訳ありませんでした。あまりここに長く留まりたくないので行きましょう」

 謝罪してから移動を促すと、寧々はハッと我に返った表情をして羽々斬を帯に挟んだ。

「麓までの道はあなたの方が詳しいと思うので、案内をお任せしてもいいですか?」

「はい。もちろんです」

 寧々は頷くと先導して歩き始めた。