灰被りの剣姫と帝國の皇子

 庭木の水やりをしていたのだろうか。母は手にブリキの如雨露(じょうろ)を持っていた。

「どうして宮様が寧々と……」

 こちらに近付いてきた母の顔は強ばっている。

「寧々さんのお見舞いにと思ったんですが、お元気そうなので驚きました。どうして嘘を?」

 神祇卿宮はしれっとした表情で尋ね返した。

「それは……行儀のなっていない娘なので失礼があってはいけないと思ったからです」

「失礼? 特に何も感じませんでした。むしろ俺は寧々さんを気に入っています」

 神祇卿宮の発言に勢津子は目を大きく見開いた。

「だからこそ気になるんですが、姉妹なのに寧々さんと美栄さんで随分と扱いが違うようですね」

「それは……」

 勢津子は言葉を詰まらせた。

「隠さなくても結構ですよ。わざわざ説明されなくても寧々さんや周囲の方々の表情を見たらわかります」

「寧々と美栄では立場が違います。寧々は守人で美栄は織手、それも織姫です。里にもたらす利益が違う……」

「だとしても後ろめたさはあったのでは?」

 神祇卿宮の指摘に勢津子は震えた。

「ああ、責めるつもりはないんです。寧々さんと美栄さんは歳が離れていらっしゃるようですし、美栄さんが産まれるまで心無い言葉を投げかけられることもあったのではないですか?」

「…………おっしゃる通りです」

 わずかな間があって、勢津子は肯定した。

「私、いけないと思いつつも、いくら教えても満足に霊布を織れなかった寧々にきつく当たるのをやめられませんでした。後から生まれた美栄は何でも教えたらすぐにできる子で、つい比べてしまって……」

 ぽつりぽつりと語り出した勢津子の目には光るものがある。

(……やっぱり私、お母様に嫌われていたのね)

 普段の態度からわかってはいたけれど、本人の口から突き付けられると胸が締め付けられた。

「母親だからといって無条件に子供を愛せる訳ではない。きょうだいの間で愛情に差が出ることもある。親だって人間ですから。理解はできます」

 その言葉を聞いた直後、遂に勢津子の涙腺が決壊した。

「一度物理的に離れてみてはいかがでしょうか? 寧々さんには既にお伝えしたんですが、俺は彼女に女官として出仕して欲しいと思っています」

「女官? 美栄ならともかく、寧々がお役に立てるとは思えないんですが……」

「そんな事ありません。実は個人的に腕が立って、長く務めていただけそうな女性を探していたんです。寧々さんが野槌の首を刎ねた姿は素晴らしかったです」

 神祇卿宮は真の力を発揮した羽々斬を思い出したのか、どこかうっとりとした表情で勢津子に告げた。

「どうか寧々さんを俺に預けていただけないでしょうか?」

 不審そうに眉をひそめて神祇卿宮の誘い文句を聞いていた勢津子は、ハッとした顔をする。

「回りくどい言い方をなさっていますが、もしかしてそういう意味で寧々を……」

 勢津子は神祇卿宮と寧々の顔を見比べる。

 ――母は誤解しているようだ。

 寧々はどうしていいかわからず神祇卿宮に視線を向けた。すると、彼は蕩けるような笑みを浮かべる。

「まさか見抜かれるとは思いませんでした。お恥ずかしいのですがその通りです」

 認めるような発言に寧々はギョッとした。

「いいんですか? この子は二十四です。宮様よりも年上では……」

「確かに俺の方が年下ですが、気になるような年齢差ではありません。寧々さんが刀を振るう姿が頭の中から消えてくれないんです。どうしても帝都に連れて帰りたいと考えているんですがいかがでしょうか? 皇族との繋がりをより強くするのは、この里にとっても悪くないと思います」

 どうやら神祇卿宮は、誤解を解かない方が勢津子を丸め込みやすいと判断したようである。
 鮮やかに方針を変えて、情熱的に話し始めた彼の姿に寧々は呆然とした。

(よくもまあこれだけありもしないことをペラペラと。凄いわ……)

 皇子ではなく詐欺師としてもやっていけそうである。

「…………かしこまりました。そこまで宮様が寧々を買ってくださるのならお受けします」

 しばしの間の後、勢津子は折れた。

「ありがとうございます!」

 神祇卿宮はぱあっと顔を輝かせる。

「予定通り俺は明日ここを出立しようと思っています。寧々さんを連れて行っても構いませんか?」

「随分と急ですね」

 勢津子は目を丸くした。

「申し訳ありません。寧々さんと離れたくないんです」

 神祇卿宮は照れ臭そうに頬を染めた。

「……宮様のお気持ちは承知いたしました。では、できれば美栄には何も知らせずに出発していただけないでしょうか? 私がいけないのですが、あの子は私以上に寧々を嫌っています。寧々が宮様に見初められたと知ったら大騒ぎすると思うんです」

「それは……想像がつくような気がします」

 神祇卿宮は顔を曇らせた。

「あの子ったら、まさか私の見ていない時に宮様を困らせるような行動を……?」

「いえ! そういう訳では。積極的な女性だなとは思いましたが……」

 彼の発言はどうも歯切れが悪い。
 寧々は不安を覚えて神祇卿宮を見つめた。

「寧々さんが気にするようなことは何もありませんよ」

 こちらの視線に気付いたのか、神祇卿宮は穏やかな笑みを浮かべながら改めて否定する。

「それでは勢津子さん、寧々さんを雇い入れるにあたっての条件を詰めたいんですが、お時間を取っていただけますでしょうか?」

「もちろんです。ここでするお話ではないと思いますので居間への移動をお願いできますでしょうか? 寧々も来なさい」

「はい」

 寧々は頷くとその場を立ち上がった。



   ◆ ◆ ◆



「寧々、今少しいいかしら」

 条件の話し合いが終わり、自分の部屋で荷造りをしていた寧々は勢津子の声に顔を上げた。

「何でしょうか、お母様」

 寧々は警戒しながら返事をする。

「荷造りは順調?」

 勢津子の声はいつになく優しい。

「そうですね。当座の着替えだけでいいと言われましたので……」

「着替えってこれ? そんなことだろうと思ったから新しい着物を持ってきたのよ。あなたに任せておくと駄目ね。こんな襤褸(ぼろ)を持って行こうとするなんて……」

 そう言いながら勢津子は手にしていた風呂敷包みを畳の上に置き、開封して中身を寧々に見せた。
 中に入っていたのは娘らしい華やかな柄の着物だ。

「美栄のために仕立てたものだけど背格好が似ているから問題なく着れるでしょう。あまり変な服を持っていかれたら困るわ。うちが貧しいみたいじゃない」

(既に宮様にはバレてるんだから今更では……)

 ――と思ったが、反論するのも面倒なので寧々は黙って着物を入れ替えた。

「わざわざありがとうございます。お母様」

「用件はそれだけではないのよ」

 勢津子は懐に手を入れると袱紗(ふくさ)を取り出して寧々に差し出した。

「帝都で何か入り用があればこれを使いなさい」

 寧々は袱紗を受け取りながら勢津子をまじまじと見つめた。

「今まで悪かったわね。役立たずと勝手に決めつけて、酷い態度を取ってきたのを反省しているのよ」

 勢津子は気まずげに目を逸らしながら告げた。

(お母様が私に謝った……?)

 寧々は信じられなくて大きく目を見開く。

「帝都ではしっかりと宮様にお仕えするのよ。それが結果的に里のためになるんだから」

(そっか。利益があるから私に謝ったのね……)

 寧々は落胆と呆れが入り交じった視線を勢津子に向ける。
 これまで家長として絶対的な存在だった母の姿が急に小さく見えた。