灰被りの剣姫と帝國の皇子

「話には聞いていましたがこの辺りは凄いですね。あちこちに禍物の気配がある」

 里に向かう道すがら、藤澤神祇官は周囲を見渡しながらつぶやいた。

「帝都とは全然違うでしょうね」

 孝志が相槌を打った。
 霊布の納品は守人衆の仕事だ。
 家の恥とされ外部の人の前に出ることを禁じられている寧々には回ってこないが、孝志は何度も帝都に出ている。

「蚕草の影響ですよね? 標本でしか見たことがないので群生しているところを是非見たいと思っていたんです」

「実が成るのは秋なので今はただの草ですよ。発光はしますけど」

 霊力を蓄える蚕草は常に淡い金色の光を帯びている。
 昼間はあまり目立たないが、夜の栽培地は幻想的だ。

「標本は光らないので楽しみです」

 藤澤神祇官はにこにこと上機嫌だ。
 寧々はそんな彼の姿に内心で驚いていた。
 手荷物を孝志が引き受けたとはいえ、こちらが普段通りの速度で歩いても問題なくついてくる。
 里に至る道はろくに整備されておらず、倒木や岩を乗り越えねばならない場所もあるというのに息一つ切らしていない。

(育ちが良さそうに見えるけど神祇官だもんね……)

 神祇官は禍物が人里に現れたら対処しなければいけないから、鍛え方が違うのだろう。



   ◆ ◆ ◆



 あと少しで里に着く、というところで突然藤澤神祇官が立ち止まった。

「藤澤様?」

 寧々が声をかけると、藤澤神祇官は真剣な表情をこちらに向けてきた。

「強い禍物の気配があります」

 そう告げると、彼は里の方向を指差した。

「言われてみれば……」

 孝志がつぶやく。どうやら神術の技術だけでなく、感知能力も藤澤神祇官はかなり高いようだ。

「この気配……昨日の野槌かも」

「えっ」

 孝志の発言に寧々は目を見張る。

「どういうことですか?」

 藤澤神祇官は首を傾げる。

「実は昨夜、里が野槌に襲われて手負いの状態で逃がしてしまったんです。それで今守人衆総出で山狩りを……」

 孝志が説明した。

「逃がしたのは私なんです」

 寧々は失態が恥ずかしくてうつむいた。

「なるほど……。それであなた達は里を出ていたんですね。そこに運良く私は出くわしたと」

 藤澤神祇官は里の方向を見つめた。
 釣られて寧々も同じ方向に視線を向け、大きく目を見張る。

 ――黒い煙が立ち上っていた。

「まさか里が襲われてる……? まだこんなに日が高いのに」

 寧々は呆然とつぶやいた。

「寧々、戻るぞ!」

 孝志が促す。

「急ぎましょう。私も協力します」

 藤澤神祇官が続いた。帝都の神祇官の助力は心強い。
 寧々は頷くと二人を追って駆け出した。



 煙の源に居たのは巨大な野槌(のづち)だった。

「あれがあなた達の探していた禍物ですか?」

 藤澤神祇官が尋ねてくる。

「はい。間違いないです。妖力の特徴が全く同じです」

 答えたのは孝志だ。
 野槌は昨日と同じように結界を破ろうと体当たりを繰り返しており、こちらよりも先に駆け付けた守人衆が様々な霊具を駆使して進行を止めようとしていた。

「おい寧々、お前まさか刀でやり合うつもりか?」

 寧々が腰の刀を抜いたのを見て、孝志が声をかけてきた。

「弓だとまた同じことになるかも。矢よりも刀の方が霊力を込めやすい」

 この刀は神祇庁の工匠が打った霊刀だ。父の形見で量産品の(やじり)とはものが違う。

「寧々さんの判断は正解だと思いますよ。あれだけの妖気を放つ大物だとその矢では心許ない」

 藤澤神祇官が寧々を支持した。

「藤澤様のお力でどうにかできませんか?」

 孝志の質問に藤澤神祇官は眉を下げた。

「実はここに来るまでにかなり霊力を使ってしまいまして。足止め程度なら何とか……」

「十分です。よろしくお願いします」

 少し落胆しながらも寧々は藤澤神祇官に頭を下げた。



   ◆ ◆ ◆



 藤澤神祇官が神術を起動させると、糸状に変化した霊力が野槌を雁字搦めに縛り付けた。
 それを見た寧々は、足止めしかできないのかと彼に対してがっかりした自分を恥じる。

(この人、やっぱり凄い)

 霊力の量も質も格が違う。さすがは帝都の神祇官である。
 周囲の守人衆には、山の中で藤澤神祇官と出会ったことと作戦を孝志から伝えてもらった。

 今日は昨夜よりも余裕を持って刀に霊力を纏わせられる。
 寧々は精神を集中し、柄に体の中の霊力を流した。

 だが――。
 刀からパキリと嫌な音がして、寧々は目を見張った。
 その直後である。刃が中央から真っ二つに折れた。

(嘘っ)

 寧々は呆然と折れた刀を見つめる。

「寧々さん! これを使ってください!」

 藤澤神祇官が叫んで何かを投げて寄こした。
 今はまだ自失している場合ではない。寧々は我に返ると折れた刀をその場に棄て、こちらに向かって投げられたものを空中で掴んだ。

 それは、刃のない刀の柄だった。

「霊力を流せば刃が出ます!」

 迷っている暇はない。藤澤神祇官の言葉に従って柄に霊力を流すと、青白い光の刃が出現した。
 だが、一気にかなりの霊力を持っていかれ、くらりと目眩を覚える。

「それで野槌を! 長くは持たない!」

 切羽詰まった声に、寧々は残る霊力を体に流して地面を蹴った。
 霊力は、武器だけでなく身体能力を強化することもできる。

 野槌の目の前まで駆けた寧々は、核のある(くび)を目指して跳躍し――思い切り腕を振り抜いた。

 次の瞬間、手応えは全くなかったのに野槌の首が飛んだ。
 そして、大きく目を見張った寧々の前で、野槌の体が霧散する。

「寧々さん、凄いです! 青い刃が出るなんて予想外でした!」

 光の刀の思わぬ威力に呆然としながら着地した寧々に、藤澤神祇官が駆け寄ってきた。
 興奮気味の彼とは対照的に、孝志も他の守人達も驚いた表情で硬直している。

「何なんですか? これ……」

 寧々は手の中の光の刀を見つめる。
 霊力を流すのをやめたら、それはただの柄になった。

「特別な霊具です」

 答えながら藤澤神祇官は目の前に移動してきた。

 寧々は柄を彼に返すと、きょろきょろと辺りを見回して咄嗟に投げ棄てた形見の刀を探す。
 幸いすぐに見つかったので、寧々は折れた刀の柄側を鞘に戻し、刃先を懐から取り出した手拭いで包んだ。



「――藤澤様、ありがとうございました。内密で里を見て回りたいと仰っていましたが、このような状況になった以上里長に伝えない訳には……」

「仕方ないですね。残念ですが」

 形見の霊刀を回収してから藤澤神祇官の所に戻ると、孝志とそんな会話を交わしているのが聞こえてきた。

「寧々っ!」

 二人に声を掛けようとした寧々を、厳しい声が呼び止めた。
 振り返ると肩で息をつく勢津子がいた。

「お母さ……」

 声をかけ終わるより先に頬を叩かれた。

「野槌がまた襲ってきたそうね。あなたが中途半端に手負いにしたから!」

 頬を叩いただけでは満足できなかったのか、勢津子は寧々の髪をむんずと掴んだ。
 しかし、引っ張られる前に母の手首を誰かが押さえる。

「野槌を倒した功労者にかける言葉ではないのではないでしょうか?」

 藤澤神祇官だった。

「何なのあなた……」
「帝都からいらっしゃった神祇官様です!」

 慌てて説明をしたのは孝志だ。

「藤澤晃成と申します。三等神祇官です」

 藤澤神祇官は名乗りながら印章を勢津子に見せた。

「印章は本物に見えるけど……本当に神祇官? 何かおかしな術の気配がするわ。認識をずらすような……」

「さすがに里長の目は誤魔化せませんか」

 勢津子の指摘に、藤澤神祇官は目を閉じた。その直後、彼の全身が揺らいで滲む。

 ――かと思ったら、次の瞬間には全くの別人になった彼がそこに立っていた。
 これまでの凡庸な顔とは真逆の、端正な顔立ちの青年だった。

 すっと通った鼻筋に切れ長の瞳、形の良い唇。
 それらが理想的に配置された容貌は人形めいている。
 生まれつき色素が薄いのか、髪も瞳も茶色がかっており透明感があった。

「じ、神祇卿宮(じんぎきょうのみや)様!?」

 勢津子の発言に寧々は目を見開く。
 この日和帝國で最も強い術師は、国造りの神たる御祖神(みおやがみ)の末裔である皇族だ。
 そのため神祇庁の長官である神祇卿には、代々皇族が就くことになっていて、伝統的に神祇卿宮と呼ばれている。

(この方が神祇卿宮様? ということは……)

 今上帝(現在の皇帝)の二番目の皇子である千晃(ちあき)親王だ。
 勢津子は里長として皇宮に招かれたことがあるから皇族と面識がある。

「やめてください。今回は公式での訪問ではないので」

 藤澤神祇官改め神祇卿宮は、申し訳なさそうに眉を下げた。

「どうして宮様がこんな所に……」

「神祇庁の長として、ありのままの里の様子を見てみたかったんです。霊布は神祇官にとって生命線ですから。お久し振りです。勢津子さん」

 神祇卿宮は柔和な笑みを浮かべた。その途端、どこか無機質だった印象ががらりと変わり、ぐっと親しみやすくなる。
 正体が明らかになり、外見が見目麗しい青年に変わっても人柄はそのままなのだと感じられた。

(本物の高貴な人って偉ぶったりしないのね……)

 寧々はまじまじと神祇卿宮を見つめた。

「あの、宮様お一人のように見えるんですが……」

 誰もが抱いていた疑問を勢津子がぶつけた。

「俺が正式にここに出向くとなると、かなり大事になるのでこっそり抜け出してきました。今頃バレて大騒ぎになっているでしょうね」

 神祇卿宮はあっけらかんと答える。

「そんな! 大切なお体に何かあったら……」

「自分の身くらいは自分で守れます。式神もいますし」

 神祇卿宮が微笑むと、彼の影がゆらりと蠢いた。
 勢津子は気圧された表情で沈黙する。

「里長、まずは宮様を屋敷にお連れした方が……」

 恐る恐る孝志が発言した。

「……そうですね。当家にご案内いたします。当代の織姫もおりますので」

「いえ、よかったら結界を見ますよ。今の野槌の襲撃で何か影響が出ていては大変ですから」

 神祇卿宮の申し出に勢津子は目を見張った。

「私どもはありがたいですがお疲れなのでは……」

「疲れているし霊力も万全とは言えませんが、結界が壊れる方がまずいので」

「宮様……」

 勢津子は感動したのか目を潤ませている。

「ではお言葉に甘えてもよろしいでしょうか? ご案内いたします」

「はい」

 神祇卿宮は勢津子の方へと移動した。
 勢津子は寧々に視線を向ける。

「寧々、疲れたでしょうから今日は家に戻って休むといいわ」

 猫なで声での帰宅の許しに寧々はギョッとした。
 母からこんな声で話しかけられるのは初めてである。

(宮様の前だから取り繕ってるの……?)

 寧々は神祇卿宮と連れ立って去っていく勢津子を呆然と見送った。