灰被りの剣姫と帝國の皇子

明和十七年
一月七日
あまりにもバタバタしていて今年の日記は今日からになってしまった。
夜、祥子が体調を崩す。
市中で流行している性質の悪い流感に感染したのだろうか。

一月九日
祥子の熱が下がらない。ずっと高熱を発し続けている。
年末から年始にかけて祭祀や公務が立て込んでいたから体力が落ちていたのかもしれない。

一月十一日
祥子の意識が戻らない。

一月十二日
祥子が死(判読不可能)
どうして彼女が(判読不可能)

一月十五日
駄目元で西洋の魔術を試してみたところ、祥子の心臓が弱々しいが動き始めた。
半信半疑だったがこの魔術書は本物かもしれない。

一月十六日
夢ではなかった。今も祥子の心臓は動いている。だが体は冷たく硬い。術が進行すれば元に戻るのだろうか。

一月十七日
術の進行状態を客観的に把握するため、今日から祥子の状態の記録を始めようと思う。
心音 四二回/分  体温 計測デキズ
祥子、もう一度会いたい。早く目を覚ましてくれ。

一月十八日
心音 四二回/分  体温 計測デキズ

一月十九日
心音 四二回/分  体温 計測デキズ

一月二十日
心音 四二回/分  体温 計測デキズ
ちっとも祥子の状態は変わらない。
祥(判読不能)
本当に目覚めるのだろうか。頭がおかしくなりそうだ。

(中略)

二月二日
心音 四七回/分  体温 計測デキズ
一分あたりの心音が増えた。勘違いかと思い何度も計測するが間違いなく昨日より増えている。

(中略)

七月十日
心音 五八回/分  体温 計測デキズ
どうも最近術の進行が遅いと思ったら、千晃が何かの対策をしたらしい。余計な事を。優秀なのは私と祥子の子なのだから当然だが困ったものだ。
しかし、少しずつでも進行はしているので良しとする。
千弘と千晃の目がこちらを向いては困るので、二位を利用しようと思う。

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明和十八年
一月十二日
心音 六五回/分  体温 計測デキズ
祥子が亡くなってもう一年も経ったのか。とても辛く寂しい。
術はゆるやかだが少しずつ進行しているようだ。温もりはまだ戻らないが、肌が柔らかくなってきた気がする。
千弘と千晃の目は幸い櫻に向いているようだ。
昔は目障りだったあの女の野心が役立つ日がくるとは思わなかった。
このまま継続してあの女に気のあるふりをするが私の心は今でも祥子の元にある。どうか祥子、誤解しないで欲しい。



   ◆ ◆ ◆



 自家用車を自ら運転して皇宮に向かう道すがら、千晃は父帝の日記の内容を思い出して顔をしかめた。

 崩御してから初めて知ったが、父帝は几帳面に日々の出来事を記録する性質だったらしく、そこから大方の真相が詳(つまび)らかになったのである。
 だが自分以上に腹立たしい思いを抱えているのは、これから会いに行く兄だろう。なにしろ自分勝手な理由で生贄として殺されかけたのだから。

 千晃はちらりと隣に座る寧々の顔を窺った。
 今日はようやく千弘に時間が取れたため、二人揃って皇宮に呼び出されたのだ。

 彼女の表情は硬い。
 対面には兄だけでなく、異母姉の礼子も同席すると言い出したから緊張しているのだろう。
 申し訳ないと思う一方で千晃は嬉しかった。
 思い返せば、寧々と孝志が親しげに会話を交わすのを見て不快感を覚えた時には、既に恋愛感情が芽生えていたのかもしれない。

 彼女から嫁ぎ先の世話という条件を提示された時は、子飼いの神祇官の誰かを紹介しようと思っていた。
 しかし父帝の件の事後処理が少し落ち着いて、寧々の相手探しを始めようとしたら、耐え難い抵抗感を覚え、千晃は自分の気持ちを自覚した。

 初対面の時の彼女の印象は『優秀な守人』だ。
 折れた霊刀の代わりに羽々斬を貸して、真の力を発揮するところを見た時は驚くと同時に見惚れた。

 礼子の神託が示したのは彼女だ。
 否、神託がなくても、長く使い手を選ばなかった神剣に選ばれた人物を帝都に連れていくのは決定事項だ。
 それだけ希少で得難い力を持っているというのに、価値を理解しない家族から不当な扱いを受けていたかので義憤を覚えた。

 一条堀河宮に迎え入れた彼女が、身なりを整えただけで劇的に綺麗になったのを見た時は、宝石の原石を見つけた気分になった。
 他人と暮らすのは少し不安だったが、幸い寧々は好感の持てる人物だった。
 故郷での扱いのせいで自己評価が低いが、真面目で勤勉だ。
 体が鈍らないように一花と実践的な稽古をしたり、誰かに嫁いでから困らないよう料理を学んだりと努力する姿は純粋に好ましかった。
 だが、自分の手元に置くという選択肢は千晃の中にはなかった。

『憧れなんです。お嫁さんになるの……』

 恥じらいの表情でそう告げた彼女の望みを千晃は叶えてやれない。
 皇族である自分の婚姻には皇帝の承認がいる。

 平民の寧々では身分の差がありすぎて、強引に自分のものにしても、正式な妃にはできない以上、女官という名の愛人として傍に侍らせることになる。
 だがそれではあまりにも寧々に不誠実だ。
 だからこの感情は心の内に秘めるしかない。そう思っていたのだが――。

『寧々さんには申し訳ないが、このまま女官として仕えてもらうように』

 彼女を帝都に連れてくるときの条件を知る千弘から待ったがかかった。

『父上の死の真相を知る彼女を外に嫁がせる訳にはいかない。約束を反故にするのは心苦しいが……』

『一生女官として飼い殺しにしろと!? 女性としての幸せを望んでいる寧々さんにそれはあんまりです!』

 千弘の発言に千晃は食ってかかった。
 すると少し考えてから千弘が、『ならお前が妃として迎えればいい』と言い出した。

『私の皇妃にしてもいいんだが、貴子がどういう反応をするかわからないからな……。お前の妃なら褒美にもなるし名案かもしれない。どうだ?』

『……平民を皇族の妃に? 周囲の反発はどう解決するおつもりですか?』

『平民といっても織部なら血筋は悪くないし、下の子が七歳になる四年後にはお前の皇位継承権は四位まで下がるから問題なかろう。戸籍を弄って適当な家柄の出身に変えてしまえば反発も抑えられるはずだ』

 兄の提案に千晃は唖然とした。
 羽々斬の適合者が見つかったと連絡した時は、平民出身の寧々を警戒していた癖に、大きな手の平の返しようである。

『……即決はできないだろうな。ゆっくり考えるといい』

『……いえ。俺が寧々さんを娶ります』

 兄の提案はあまりにも自分に都合がよかったから、千晃はその場で承諾した。

 寧々は求婚を受け入れてくれたが、それ以来どこか表情が暗くて元気がない。

 皇子である千晃に逆らえなかったのか、女官として生涯使えるよりもマシだと思ったのか、おそらく彼女は消極的な理由で頷いたのだろう。
 でもそれでも構わない。理由はどうであれ、寧々は自分の正式な妻になると決まったのだから。
 婚儀は千弘の即位式の後に執り行う予定なので、今はそれに向けて、寧々の身分を整えるための手続きを進めているところだ。
 戸籍の改竄には外戚である藤澤侯爵家の力を借りる手筈になっている。

「今日は蒸しますね」

 千晃は寧々の緊張を解そうと思い話しかけた。
 時間が経つのは早いもので、またたく間に二か月が経過し、季節は初夏から盛夏へと移り変わっている。

「朝方まで雨が降っていたせいでしょうか」

 寧々は答えながら眉を下げた。
 既に雨は止んでいるが空にはまだ雲がかかっており、すっきりとしない天気だ。
 気温はそう高くないのに、じめじめと蒸し暑い。
 車の窓は全開なのに、中に入ってくるのは湿った空気である。

「足元が悪そうだから裾を汚さないように気を付けないと……」

 寧々はつぶやくと、自身の装いを確認するように胸元に視線を向けた。
 今日の彼女は、涼しげな絽(ろ)の振袖を身に着けている。

「汚れても気にしなくていいですよ。染みが取れなかったら染め替えて再生すればいい」

「そうかもしれませんけど、せっかく綺麗な色なのでもったいないです」

 寧々は愛おしげに振袖の襟元に触れた。
 その着物は千晃が見立てた反物で仕立てたのだと知ったら、彼女はどんな顔をするのだろうか。
 疑問を抱きながらも気恥ずかしくて、とてもではないが聞けなかった。