灰被りの剣姫と帝國の皇子

 寧々が目覚めてから五日が経って、ようやく千晃が皇宮から帰ってきた。
 誰よりも先に寧々のところにやってきたのは小夜だ。

「なんだ。思ったよりも元気そう」

 ベッドから体を起こして髪を整えていたら、突然声をかけられたので寧々はびっくりした。
 声の方向を見ると猫姿の小夜が床の上にいた。
 いつの間にやら壁を抜け、猫らしく音もなく部屋の中に入ってきたらしい。

「小夜さん、お見舞いに来てくださったんですね。ありがとうございます」

「千晃が心配してたからよ」

 ふすっと鼻を鳴らすと、小夜は用は済んだとばかりに方向転換をして壁の向こうに消えた。

(千晃様、きっとすぐにいらっしゃるわよね)

 寧々は自分の格好を確認した。
 見苦しくないよう整えたつもりだが、寝間着の浴衣姿なのが少し恥ずかしい。
 熱はようやく下がったのだが、まだ安静を言い渡されているのでベッドから出してもらえないのだ。



 寧々の予想通り、ほどなくして千晃が部屋にやってきた。

「小夜がすみません。勝手に影を抜け出して止める間もなく飛び出してしまって」

 開口一番に謝罪されて、寧々は面食らいながらも首を横に振った。

「いえ、真っ先に会いに来てくれて嬉しかったです」

 つんけんした態度を取っていても面倒見のいい小夜のことだ。千晃を言い訳に使っていたが、彼女自身が寧々を心配してくれていたのだろう。寧々は思わず顔を綻ばせた。

「寧々さんの様子は影の中から確認できるはずなんですけど、どうしても寧々さんの顔を見たかったんでしょうね」

 千晃は眉を下げて影を見てから寧々に向き直った。

「お体の具合はどうですか?」

「随分よくなりました。私より千晃様の方が体調が悪そうに見えます」

 相当な激務だったのか、千晃は酷く疲れた顔をしている。
 寧々は心配で顔を曇らせた。

「俺のこれは睡眠不足です。昨日は遅くまで夜更かしをしていたので……。部屋に戻ったら寝ます」

 千晃は力なく微笑んだ。
 一般人の葬儀でも大変なのだ。皇帝が崩御した場合葬儀だけでなく皇位継承の儀式も行われるので、どれくらい大変なのか想像がつかない。

 亡くなった先帝は、元号から明和帝と諡号された。
 新帝となった千弘が改めた元号は永明だ。
 皇帝の死は『崩御』。葬儀は『大喪』。それによる皇位継承は『諒闇践祚』といい、服喪期間が開けたら大々的に即位式が行われる――。

 初めて知った言葉だらけで、寧々はまた自分の無知を思い知らされた。千晃と自分との住む世界の違いも。
 千晃は小さく息をついて軽く頭を振ると、手に抱えていた木箱を寧々に差し出した。

「……まずはこちらをお返しします」

「これは……?」

「お預かりしていた父君の形見の霊刀です」

「もうできたんですか!?」

「はい。問題ないか確認してください」

 許しが出たので寧々は木箱を開けてみた。
 中には折れる前とよく似た拵(こしら)えの懐剣が収められていた。

「刃渡りは以前お伝えしていた通り五寸になりました。特別な許可なく所持できるギリギリの長さになります」

「では、護り刀として持っていても大丈夫ということですよね! ありがとうございます」

 寧々は短刀を箱から取り出してじっくりと見つめた。

「抜いてみてもいいですか?」

「もちろんです。おかしなところがないか確認してください」

 寧々はいそいそと懐剣を鞘から抜く。
 見覚えのある直刃の刃文に思わず笑みが零れた。

「霊刀としての機能は残っています」

 試しに柄から霊力を流すと、問題なく通る手ごたえがあった。

「本当ですね! ありがとうございます。大切にします」

 寧々は懐剣を鞘に収めると、木箱の中に同封されていた錦の袋に入れて抱き締めた。

「喜んでいただけてよかったです」

 千晃は笑みを浮かべた。しかしその表情はすぐに沈んでしまう。

「……俺は寧々さんに謝らなくてはいけません。危険な目に遭わせた上に怪我まで……。申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げられ、寧々はギョッとした。

「今思い返したら御常御殿にあなたを連れて行くべきではありませんでした。動転していたとはいえ、最初のお約束以上の負担をあなたに強いてしまいました」

「いえ、千晃様は止めてくださったのに、私が同行を望んだんです」

 寧々はきっぱりと言い切った。

「それに、私がいなかったら、千晃様のお命が危なかったと思います」

 藤皇后の姿をした異形の姿に、千晃は明らかに動揺していた。

「……はい。あなたがおっしゃる通り、俺や晃成の命が危なかっただけでなく、もっと被害が広がっていたと思います」

 千晃は暗い表情で認めた。

「あの状況で行かないという選択肢はなかったと思うのでお気になさらないでください。怪我は自分から貰いに行きましたし……。技量不足で未熟な私がいけないんです」

「……やはりあの時、母に左肩を噛まれたのはわざとだったんですね? どうしてそんな真似を……」

 尋ねる千晃の目は据わっていた。

「出血した私の肩をしつこく狙ってきたから……。いっその事噛ませたら動きが止まるのではないかと思ったんです。動きを止めたら羽々斬を使うつもりでしたがあまりにも痛くって……」

「大胆というか無頓着というか……。もっとご自分を大切にしてください」

 千晃は寧々の発言に唖然としてから怒りだした。
 その剣幕に寧々はポカンとする。

(前に出るのは私の役目なのに……?)

 ずっと体を張って里を守るのが当たり前だったから、それを否定されたらどうしていいかわからない。

「……責めたかった訳ではないんです。正直、あなたが居てくださってよかったとは思います。身罷られたはずの母の姿に動揺した自分が恥ずかしいです」

「仕方ないと思います。……あの、手の平は大丈夫ですか?」

 千晃も怪我人だったことを寧々は今更ながらに思い出した。

「治療してもらったので傷は塞がりました」

 どこか含むところがあるような物言いと表情に、寧々は千晃の手に視線を向けて目を見張った。

「千晃様、もっとよく見せてください」

 寧々は彼の手首を掴んで手の平を確認する。
 赤く引き攣れたような傷痕が全体に残っていた。

「この手……」

「治癒術は受けたんですけど治りませんでした。草薙は皇帝以外を拒む神器なんですが、まさか触れただけでこうなるとは」

 千晃は苦笑いを浮かべる。
 寧々は胸が苦しくなった。綺麗な千晃にこんな傷痕は似合わない。

「私のせいで……」

「違います。そもそも俺が寧々さんを巻き込んだからで、あなたがいなかったらこの程度では済んでいません」

 千晃はきっぱりと否定した。

「あの……手、もういいでしょうか……」

「!」

 彼の指摘に、寧々は頬を染めるとパッと手を離した。
 異性の体に自分から触れるなんて、はしたない行動をしてしまった。無自覚の自分の行動を恥じる。

「ごめんなさい、私……」

「いえ、お気になさらないでください」

 千晃は首を横に振った。

「……一花から軽く伝えたとは思うんですけど、父の話をしてもいいですか?」

 真剣な眼差しを向けられ、寧々は姿勢を正した。

「御常御殿から父の日記が出てきたんです」

 千晃は深く呼吸してから語り始める。

「日記には、母に対する深い愛情と執着、母の死を認められず、邪法と知りながらも西洋の魔術に手を出したことが書かれていました」

 彼はここで言葉を切ると、深く呼吸した。

「日記と一緒に魔術書が出てきました。まだ解析中ですが、父が使ったのは、身近な血縁者の生命力を贄として死者をRevenant(レヴナント)なる存在として甦らせる術でした」

「……先帝陛下は千弘様を贄に選んだんですね」

 寧々の発言に千晃は頷く。

「日記には、母似の兄の方が俺よりも相応しいから選んだと書かれていました」

 千晃の顔は暗い。

「レブ何とか……というのは……?」

「西洋の言葉で『帰ってきた者』という意味があるそうです。黄泉返りを連想させる言葉ですよね」

 寧々は千晃の問いかけに頷いた。

「生死の理(ことわり)に触れる術は、行使した術者にも必ず歪みの揺り戻しがくる禁忌中の禁忌です。死者は決して甦らない。大昔から数多くの術者がやり尽くしてそういう結論に至っているのに……。西洋の未知の術なら可能性があると考えたのかもしれません。ですが出来上がったのは……」

 千晃は言葉を詰まらせる。

「もういいです、千晃様」

 寧々は止めた。

「だいたいわかりましたからここまでで結構です。思い出すだけでもお辛いのではありませんか?」

 千晃の顔は真っ青だ。いつ倒れてもおかしくないように見えた。

「……魔術書の出所は皇宮の禁書庫でした」

 彼は語るのをやめない。誰かに吐き出さずにはいられないのだろうか。

(聞いてあげるべきなのかな……)

 寧々は迷いながら千晃を見つめる。

「魔術書は櫻皇妃の父親が西洋から持ち帰ったものではあるんですが……」

「では、櫻皇妃も関わっていたということですか?」

「いえ、父は兄や俺の疑いを櫻皇妃に向けるために、母から心を移したふりをしていたんです。日記に全て書いてありました」

 まるで探偵ものの大衆小説だ。寧々は目を丸くした。

「思い返せば、父は母を祥子(よしこ)と諱(いみな)で呼んでいたんですが、櫻皇妃のことはずっと『櫻』と……。完璧に騙されました」

 千晃は肩を落とす。

「禁書庫に入るには二つの鍵が必要で、それぞれ歴代の皇帝と神祇庁の長官が管理する決まりになっています。しかし、俺が持っていた鍵はいつの間にか巧妙に作られた偽物にすり替えられていました」

「それって、千晃様が気付かないうちに……?」

「いえ、俺が神祇庁の長官職に就いたのは昨年の四月なので、すり替えられたのは先代の時だと思います。とはいえ最近まで気付かなかったのは間違いなく俺の失態です」

「その状況だと仕方ないのでは……? だって本物を知らなかったんですよね?」

 寧々が指摘すると千晃は力なく首を横に振った。

「兄にも同じように言われました。でも俺は自分が許せない」

「千晃様は悪くないです! 絶対に悪くない……」

「……ありがとうございます」

 千晃はようやく淡い笑みを浮かべた。だがその顔はすぐに沈んだものに戻ってしまう。

「寧々さん、俺はあなたに謝らなくてはいけません」

「どうしたんですか?」

 寧々は首を傾げる。

「あなたの嫁ぎ先のことです。外に嫁がせる訳にはいかなくなりました」

「え……」

「父の死因の件です。あなたは決して表に出してはいけない秘密を知ってしまった。誓約神術を受けてもらいますが、真相を暴こうとする者があなたに接触してくる可能性があります」

 千晃の発言に寧々は目を見開いた。

「国内であればまだ抑えも睨みも効きますが、国外に連れ出されたら……」

「そういう可能性もあるんですね……」

 今更ながらにゾッとした。

「…………俺ではいけませんか?」

 少しの間を置いてから千晃が発言した。
 何を言われているのか理解できず、寧々はきょとんとする。

「寧々さんの結婚したいという希望を叶えて、かつ皇族の手元で護ろうと思ったら、俺があなたを妃として迎えればあちこちが丸く収まります。兄と話し合ってそういう結論に至りました」

「妃……? 千晃様の……?」

 呆然とつぶやいた寧々に向かって千晃は頷く。

「私は平民ですよ……?」

「平民といってもあなたの父君は華族ですよね? 父君だけではない。織部家は霊布を織るための霊力を維持するために、度々神祇家系との縁を結んできた家柄だ」

「それはそうですけど、お妃様になれるような家柄ではないです!」

「戸籍などどうとでもなります。秘密を守るためにも、妃としてふさわしい身分を与えるためにも、しかるべき家柄の隠された令嬢として体裁を整えればいい。ご実家との縁は遠くなってしまいますが、元々あなたはそれを望んでいましたよね」

 寧々は唖然とした。
 次々と予想外の言葉を並べ立てられて頭がついていかない。

「俺が相手では嫌ですか? あなたは皇族にとって恩人だ。望む生活が送れるように最大限努力すると約束します」

「千晃様が嫌という訳ではありません! ですがそれでいいんですか!? 私は千晃様より三つも年上だし、特別器量がいい訳でもありません。生傷が絶えない生活をしていたから体には傷痕だって……」

「その傷は何かを護るために付いたものですよね? とても尊いものだと思いますし、傷痕なら俺にもあります。顔立ちも年齢差も気になりません」

 千晃はきっぱりと言い切った。

「本気で嫌ならこんな提案しません。俺は皇族としていずれ誰かを妃として迎えなければいけません。あなたならいいと思いました」

 寧々はこれ以上ないというほどに目を大きく見開き、まじまじと千晃を見つめた。

「一花さんや小夜さんも納得しているんですか?」

「式神が契約者である俺の決定に逆らうことはありません。使役する者とされる者であって家族や友人ではないので」

 ここでは一花も小夜もあまりにも近しい存在だから忘れていたが、確かに彼の言う通りだ。

「……以前話したことがあると思いますが、俺は感知能力が人よりも高いみたいで、他人が大勢いる環境が苦手です。一花とうまくやれる寧々さんなら人間の使用人を雇い入れる必要がない。だから求婚を受けてくださるとありがたいです」

 心はないのだ。
 淡々と告げる千晃の姿から寧々はそう感じた。
 悲しい。だけど相反する感情も同時に湧き上がる。
 頷けば目の前にいる見目麗しく高貴な男性が自分の夫になる。

(私、これからもこの方のお傍にいたい)

「わかりました。至らないところばかりだと思いますがよろしくお願いします」

 寧々が答えると、千晃は驚きの表情をした。

「受け入れてくださるんですか?」

「はい。千晃様が本当に私でいいのなら」

 寧々は仄暗いものをはらんだ欲望に抗いきれなかった。
 でも、これでいいのだ。
 西洋のおとぎ話の灰被りは、王子様を手に入れるために魔法使いの手を取った。
 お妃探しが始まった時も、自分からガラスの靴を取り出して、王子様の傍にいる権利を自分の手で掴み取った。
 寧々もそれと同じことをするだけだ。千晃の隣に居座るために。