――額に冷たいものが触れた。
なぜかとても暑いから気持ちいい。
これは何だろう。
確認するために目を開けた寧々の視界に飛び込んできたのは、一花の顔だった。
「申し訳ございません。起こしてしまいましたね。ですが意識が戻ってよかったです」
一花は眉を下げて微笑んだ。
寧々はまだぼんやりとする頭で周囲を見回し、自分の居場所を把握する。
ここは一条堀河宮の二階にある、自分に宛てがわれた洋室だ。
見覚えのある風景に安堵する自分が少しおかしかった。
(初めてここに来た時は分不相応だと思ったのに……)
ベッドから体を起こそうとしたら、目の前がくらりとした。
「大丈夫ですか!? まだお熱があるので無理に起きない方がいいと思います」
一花の発言に、遅ればせながら寧々は自分の体の異変に気付いた。
どうりでやけに暑く、体も頭も重だるいわけだ。
「何で私、熱なんて……」
つぶやいてから左肩を確認する。
自分は皇宮で藤皇后の姿をした異形に立ち向かって大怪我をしたはずだ。
なのに全く痛くない。
直前の記憶と齟齬のある体の状態に寧々は混乱する。
「左肩のお怪我でしたら晃成様が治してくださいました」
一花の説明に、寧々は間着の襟元を少しはだけて直接確認する。
「何ともなってない……」
怪我の痕跡などかけらも見当たらなかった。
「治癒術をかけてくださったんですよね……?」
寧々の疑問に一花は頷いた。
「凄いですね。綺麗に治ってるし違和感もない」
治癒術を受けるのは初めてである。
寧々は驚きながら左肩に触ってみた。
「発熱は傷口から入り込んだ瘴気が原因です。出血が酷く、傷の治療を優先したので少しの間影響が残るのではないかと思います」
一花はそう告げながら、何もない空間から白い陶器の小瓶を取り出した。
「瘴毒を中和する神水です」
寧々がのろのろと体を起こすと、一花は飲み口に貼られていたお札と木の栓を抜いて手渡してくれた。
中からは清浄な気配が漂ってくる。
「斎宮様がご祈祷してくださったんですよ」
「斎宮様が……」
寧々は礼子の顔を思い浮かべると、瓶の中身を一気に飲み干した。
途端に体の中の重苦しさがかなり和らいだ気がする。
「ここに私を運んでくださったのは千晃様ですか?」
「千晃様の指示で晃成様が。性別を偽って皇宮に入り込んだのが発覚したら騒ぎになりますから」
「……お手間を取らせて申し訳ありません」
「そんな風におっしゃるのはやめてください。好きでお怪我をされた訳ではないんですから」
一花は眉を寄せた。
「私はどれくらい眠っていたんでしょうか」
寧々は一花に尋ねる。
「三日です。早めに意識が回復して良かったです」
「三日も……」
「体の中に入り込んだ瘴気の量を考えたら早いですよ。霊力が高いからでしょうね」
「……自分の霊力に感謝しなくてはいけないですね」
「瘴毒が消えるまでゆっくり養生してください」
「はい。お言葉に甘えます」
寧々は小瓶を一花に返すとベッドの中に潜り込んだ。
「お目覚めになられたことを念話で伝えますね。きっと喜ばれると思います」
一花は穏やかに微笑んだ。
「千晃様は今どちらに……?」
「皇帝陛下が崩御されたので、しばらく皇宮からお戻りになれないと思います」
「……やはり亡くなられたんですね」
藤皇后の姿をした化け物に背後から左胸を腕で貫かれたのだ。回復力が極めて高い皇族といえども無事ではないとは思っていた。
「あの……千弘様に呪詛をかけたのは皇帝陛下だったんですよね? 皇后陛下を甦らせるために……」
「そうですね。呪詛というより邪法と言った方が適切な気がしますが」
一花は顔を曇らせた。
「いずれ千晃様から直接お話があると思いますが、とても公表できるような亡くなり方ではないため、公式には側近を救出中に二次被害に遭われた、と発表されました」
最高位の神子が斎宮なら、最高位の神職は皇帝である。
祭祀王たる皇帝が邪法に手を出したなど、明るみになれば醜聞では済まない。
「邪法が返ったことによる御常御殿の屋根の崩落は落雷のためということになっています。大変申し上げにくいのですが、全ての事情を知る寧々様には口外を禁じる誓約神術を受けていただくことになると思います」
「それって…………、いえ、わかりました。受けます」
ためらったのは誓約神術という言葉の重さのせいだ。
言霊を縛る誓約を受け入れた場合、どんなに酷い拷問を受けようが決してその言葉を口にできなくなると言われている。
皇族の暗部に関わることだ。誰にも言うつもりはないが、事の重大さを改めて実感する。
「体調の悪い時にこんな話をして申し訳ありません」
「そんな……私なら大丈夫です」
拒否したら口封じされてもおかしくない。
寧々はふるふると首を横に振った。
「陛下が亡くなられたということは、次の皇帝には千弘様が……?」
「ええ。その日のうちに践祚なさいました」
「皇宮は今大変なことになっているんでしょうね」
「そうですね。真相を隠蔽しながらの後始末に父帝陛下の大喪、お代替わりの儀式などやらねばならないことが山積みで……。千晃様がいつこちらにお帰りになるのか、今の時点では定かではありません。寧々様はしっかりとお体を休めてください。お食事は取れそうですか?」
「……少しなら」
「ではお粥を作ってまいります」
一花は一礼すると、すうっとその場から姿を消した。
一人になった寧々は深く息をつく。
(私の役目は終わったのよね……?)
そもそも寧々がここに呼ばれたのは、千弘にかけられた呪詛を羽々斬で斬るためだ。
やるべきことはやったのだから、後は報酬を貰うだけだ。
一生遊んで暮らせるだけの金銭と、嫁ぎ先を探してもらうという話になっている。
(だから、もう少しでここでの生活は終わるんだ……)
途端に息が苦しくなり、胸が締め付けられて寧々は愕然とした。
(私、どうして……)
原因は一つしか思い当たらなかった。
なぜかとても暑いから気持ちいい。
これは何だろう。
確認するために目を開けた寧々の視界に飛び込んできたのは、一花の顔だった。
「申し訳ございません。起こしてしまいましたね。ですが意識が戻ってよかったです」
一花は眉を下げて微笑んだ。
寧々はまだぼんやりとする頭で周囲を見回し、自分の居場所を把握する。
ここは一条堀河宮の二階にある、自分に宛てがわれた洋室だ。
見覚えのある風景に安堵する自分が少しおかしかった。
(初めてここに来た時は分不相応だと思ったのに……)
ベッドから体を起こそうとしたら、目の前がくらりとした。
「大丈夫ですか!? まだお熱があるので無理に起きない方がいいと思います」
一花の発言に、遅ればせながら寧々は自分の体の異変に気付いた。
どうりでやけに暑く、体も頭も重だるいわけだ。
「何で私、熱なんて……」
つぶやいてから左肩を確認する。
自分は皇宮で藤皇后の姿をした異形に立ち向かって大怪我をしたはずだ。
なのに全く痛くない。
直前の記憶と齟齬のある体の状態に寧々は混乱する。
「左肩のお怪我でしたら晃成様が治してくださいました」
一花の説明に、寧々は間着の襟元を少しはだけて直接確認する。
「何ともなってない……」
怪我の痕跡などかけらも見当たらなかった。
「治癒術をかけてくださったんですよね……?」
寧々の疑問に一花は頷いた。
「凄いですね。綺麗に治ってるし違和感もない」
治癒術を受けるのは初めてである。
寧々は驚きながら左肩に触ってみた。
「発熱は傷口から入り込んだ瘴気が原因です。出血が酷く、傷の治療を優先したので少しの間影響が残るのではないかと思います」
一花はそう告げながら、何もない空間から白い陶器の小瓶を取り出した。
「瘴毒を中和する神水です」
寧々がのろのろと体を起こすと、一花は飲み口に貼られていたお札と木の栓を抜いて手渡してくれた。
中からは清浄な気配が漂ってくる。
「斎宮様がご祈祷してくださったんですよ」
「斎宮様が……」
寧々は礼子の顔を思い浮かべると、瓶の中身を一気に飲み干した。
途端に体の中の重苦しさがかなり和らいだ気がする。
「ここに私を運んでくださったのは千晃様ですか?」
「千晃様の指示で晃成様が。性別を偽って皇宮に入り込んだのが発覚したら騒ぎになりますから」
「……お手間を取らせて申し訳ありません」
「そんな風におっしゃるのはやめてください。好きでお怪我をされた訳ではないんですから」
一花は眉を寄せた。
「私はどれくらい眠っていたんでしょうか」
寧々は一花に尋ねる。
「三日です。早めに意識が回復して良かったです」
「三日も……」
「体の中に入り込んだ瘴気の量を考えたら早いですよ。霊力が高いからでしょうね」
「……自分の霊力に感謝しなくてはいけないですね」
「瘴毒が消えるまでゆっくり養生してください」
「はい。お言葉に甘えます」
寧々は小瓶を一花に返すとベッドの中に潜り込んだ。
「お目覚めになられたことを念話で伝えますね。きっと喜ばれると思います」
一花は穏やかに微笑んだ。
「千晃様は今どちらに……?」
「皇帝陛下が崩御されたので、しばらく皇宮からお戻りになれないと思います」
「……やはり亡くなられたんですね」
藤皇后の姿をした化け物に背後から左胸を腕で貫かれたのだ。回復力が極めて高い皇族といえども無事ではないとは思っていた。
「あの……千弘様に呪詛をかけたのは皇帝陛下だったんですよね? 皇后陛下を甦らせるために……」
「そうですね。呪詛というより邪法と言った方が適切な気がしますが」
一花は顔を曇らせた。
「いずれ千晃様から直接お話があると思いますが、とても公表できるような亡くなり方ではないため、公式には側近を救出中に二次被害に遭われた、と発表されました」
最高位の神子が斎宮なら、最高位の神職は皇帝である。
祭祀王たる皇帝が邪法に手を出したなど、明るみになれば醜聞では済まない。
「邪法が返ったことによる御常御殿の屋根の崩落は落雷のためということになっています。大変申し上げにくいのですが、全ての事情を知る寧々様には口外を禁じる誓約神術を受けていただくことになると思います」
「それって…………、いえ、わかりました。受けます」
ためらったのは誓約神術という言葉の重さのせいだ。
言霊を縛る誓約を受け入れた場合、どんなに酷い拷問を受けようが決してその言葉を口にできなくなると言われている。
皇族の暗部に関わることだ。誰にも言うつもりはないが、事の重大さを改めて実感する。
「体調の悪い時にこんな話をして申し訳ありません」
「そんな……私なら大丈夫です」
拒否したら口封じされてもおかしくない。
寧々はふるふると首を横に振った。
「陛下が亡くなられたということは、次の皇帝には千弘様が……?」
「ええ。その日のうちに践祚なさいました」
「皇宮は今大変なことになっているんでしょうね」
「そうですね。真相を隠蔽しながらの後始末に父帝陛下の大喪、お代替わりの儀式などやらねばならないことが山積みで……。千晃様がいつこちらにお帰りになるのか、今の時点では定かではありません。寧々様はしっかりとお体を休めてください。お食事は取れそうですか?」
「……少しなら」
「ではお粥を作ってまいります」
一花は一礼すると、すうっとその場から姿を消した。
一人になった寧々は深く息をつく。
(私の役目は終わったのよね……?)
そもそも寧々がここに呼ばれたのは、千弘にかけられた呪詛を羽々斬で斬るためだ。
やるべきことはやったのだから、後は報酬を貰うだけだ。
一生遊んで暮らせるだけの金銭と、嫁ぎ先を探してもらうという話になっている。
(だから、もう少しでここでの生活は終わるんだ……)
途端に息が苦しくなり、胸が締め付けられて寧々は愕然とした。
(私、どうして……)
原因は一つしか思い当たらなかった。
