灰被りの剣姫と帝國の皇子

 東宮である千弘は、皇宮内の東宮御所と呼ばれる区域で暮らしている。

 そこに向かって歩く途中で、何人かの皇宮に仕える使用人や近衛兵とすれ違うが、誰もが千晃に頭を下げるだけで話しかけては来なかった。
 よく考えたら当然だ。寧々が彼らの立場だったら、皇子様に自分から声をかけるなんて恐れ多くてできない。
 この分なら見咎められなくて済みそうである。寧々は小さく安堵の息をついた。
 だが、気を抜いたのがいけなかったのだろうか。

「おや、千晃? 今日はこちらに来ていたんだね」

 建物と建物を繋ぐ渡り廊下から、涼やかな声が降ってきた。
 顔をそちらに向けて寧々は目を見張った。
 そこに立っていたのは、千晃にそっくりな背広姿の男性だった。紹介されるまでもなく、寧々は彼が誰なのかわかった。
 晃成が頭を深く下げたのに倣って、寧々も同じ角度を意識して頭を下げる。

「おはようございます、父上。夏の祭礼の事で兄上に呼ばれまして」

 やはり予想は当たっていた。今上帝だ。
 千晃に似ているという事前情報通りで、彼を呼び捨てにできる人物なんて、この日和帝國の皇帝その人しかいない。
 既に五十を過ぎているはずだが若々しい。千晃の兄と言っても通りそうだ。
 皇帝の前後には、警護や側近と思われる人物がぞろぞろと付き従っていた。

(執務中ではなかったの……?)

 思わず寧々を千晃を恨んだ。

「父上はどうしてこちらに? この時間はいつも執務をなさってますよね?」

「あまりにも書類が多すぎて目が痛くなってきたから息抜きに。今日は天気がいいからね」

 今上帝の言う通り、上空には雲一つない青空が広がっている。

「ところで、初めて見る神祇官がいるね。君の名は?」

 この国の最高権力者から話しかけられて寧々は硬直した。

「へ? えっと、あの……」

 咄嗟にうまい答えが見つからない。

「父上を目の前にして緊張しているようですね。新人の不調法をお許しください。彼は織部寧男(やすお)。織部の守人で、霊力が高く筋がいいので引き抜いたんです。少しでも皇宮に慣れさせたいと思い、連れてまいりました」

 焦る寧々に代わって千晃が答えた。

「お、織部寧男と申します。主上にお目通りが叶いまして光栄です」

 寧々は千晃に合わせると、深々と頭を下げた。

「織部って霊布の織部?」

「そうです」

 答えたのはまた千晃である。

「千晃が褒めるということは本当に優秀なんだろうね。期待しているよ」

「はい。お声がけありがとうございます……!」

 今度はどうにか自分で返事ができたものの、変なところに力が入った。

「兄上との約束の時間がございますので、そろそろ失礼いたします」

 千晃が発言した。

「そうだね。約束は大事だ。でも、兄弟仲がいいのは結構だけど、お前もそろそろ身を固めないといけないよ。この間紹介した梅園のお嬢さんはどうだった?」

「一度会っただけでまだどんな方かよく分かりません。父上、時間が押しておりますので、この話は機会を改めさせてください」

「では千弘のところでの用事が終わったら、私のところに立ち寄りなさい」

「……承知いたしました」

 千晃は嫌そうな顔をしつつも承諾した。
 今上帝は楽しげに頷くと、取り巻きの人々と一緒にその場を去っていく。
 千晃と晃成が頭を下げたので、寧々も真似した。

「まさかここで父上に出くわすとは……」

 今上帝の姿が完全に見えなくなってから千晃がつぶやいた。

「寧男って何ですか千晃様。危うく吹き出すかと思いました」

 晃成が小声で囁いた。

「うるさい。咄嗟にいい偽名が思いつかなかったんだ」

 千晃はムッとした顔で反論する。
 晃成と会話する時の千晃は、寧々に対する時よりも砕けている。気心が知れているのだろう。
 系統の違う二人の美形が兄弟のようにじゃれあっている姿はとても目の保養になる。

「私はいいと思いましたよ……? 小説で偽名を使う時は本名と似通ったものを使う方がいいと書いてあるのを見た事があるので……」

 寧々はおずおずと千晃を支持した。

「そっか。じゃあ行こうか寧男君」

 晃成はにやあっと笑うと寧々の背中を軽く叩いた。

「晃成、あまり馴れ馴れしくするな」

「寧々さんは我々の部下という設定ですよ。これくらいの態度を取っておいた方が怪しまれないかと」

「お前はすぐ調子に乗って大きな失敗をするから注意している。そもそも彼女は女性なんだぞ。無闇に触れるな」

 千晃は顔をしかめた。
 軽口を叩きながらも寧々の心はざわめいていた。

(梅園のお嬢さんって、きっと梅園侯爵家ゆかりの方よね……? 千晃様、縁談が進んでるのかな……)

 彼は適齢期の皇子だ。ふさわしい家柄の令嬢を妃として迎えるに決まっている。皇族にとって、高い霊力を引き継ぐ子供を後世に残すのは義務だ。

 以前自分の境遇を『灰被り』のようだと思ったが、童話の女主人公と寧々は決定的に違う。寧々では身分が足りないから皇子様の正式な妻にはなれない。
 当たり前なのに、どうして気持ちが落ち着かないのだろう。
 自問自答しても答えは出なかった。