灰被りの剣姫と帝國の皇子

 一条堀河宮には千晃が所有する自動車があるが、西洋からの輸入品であるそれは富裕層の乗り物でお忍びのお出かけにはそぐわない。
 そのため繁華街までは路面電車での移動になった。

 繁華街最寄りの停車場に降り立った寧々は目を丸くする。
 車窓からの景色で薄々感じてはいたが、以前訪れた時よりも背の高い建物が増えていてた。

「ちょっと! 恥ずかしいからキョロキョロするのはやめてくれない? 田舎者丸出し」

 寧々を注意したのは人の姿に化けた小夜だ。

 里を抜けた時と違って耳と尻尾は出ておらず、特徴的な琥珀色の瞳も黒に変わっている。
 完全に人に擬態すると妖力を消耗するらしいが、寧々が喫茶店に行きたいとねだったら、彼女も同行を希望してきたのである。どうやらお目当ての食べ物があるらしい。

 男女と子供の三人連れなら夫婦に擬態するのが一番自然だ。
 一花が寧々のために用意したのは、落ち着いた色味の上品な着物だった。髪型も若奥様風である。

 全員千晃の神術で見た目を変えている。
 どういう原理なのかはわからないが、術の影響下にある寧々には顔が変わったようには見えない。だが、目立つ容姿の千晃といるのに不自然なくらい誰もこちらに意識を向けて来なかったので、ちゃんとかかってはいるのだろう。

「……ごめんなさい。町並みが随分様変わっていたから、つい……」

 寧々は小夜に謝った。

「来たことがあるんですか?」

 千晃の質問に寧々は頷いた。

「まだ父が生きていた時に霊布の納品にくっついて。母のお腹が大きかったのを覚えているので、私は七歳だったと思います。えっと……もう十七年も前になるんですね」

 その後父が亡くなって、寧々は家の恥として里の外には出してもらえなくなった。

 一方で妹の美栄に母は甘く、帝都観光を何度も許していた。
 さんざん自慢されたことを思い出し、寧々は思わず顔をしかめる。

「……申し訳ありません、亡くなられた父君に関わる思い出だったんですね」

 寧々の表情から誤解したらしく、千晃から謝罪されてしまった。

「違うんです! 今変な顔になったのは美栄に自慢されたのを思い出したからで!」

「どういうことですか?」

「えっと……母は美栄に甘くて……。私は父が亡くなってからは外に出してもらえなくなったんですけど、美栄は何度も帝都観光に……」

 おずおずと事情を話すと千晃も小夜も揃って渋い顔をした。

「そっか、あんた姉妹で差別されてたのよね……千晃の中から見てたけど胸糞悪かったわ」

 小夜は同情めいた視線を寧々に向ける。

「見てた……?」

「千晃を守るのが私の役目だもの。いつだって影の中から見守ってるのよ」

「寝ている時も結構ありますけどね」

 ぽつりと千晃がつぶやくと小夜はムッとむくれた。

「失礼ね! 熟睡はしてないわ!」

(寝てるんだ)

 寧々は思わずクスリと笑みを漏らす。

「私の不用意な発言のせいで変な雰囲気にして申し訳ありません」

「いや、寧々さんは悪くないです」

 千晃は首を横に振った。

「お互いに納得したのなら早く行きましょう。時間がもったいないわ。あそこに登るのよね?」

 小夜は一行を急かすと通りの向こう側にある眺望塔を指さした。
 五年ほど前に建てられて大きな話題になった建物で、国一番の高さを誇り、帝都の様子が一望できるらしい。

「そうですね、行きましょうか」

 千晃は寧々と小夜を先導して歩き出す。
 その背中を追いかけると、小夜が横に並んできて寧々の手を握った。

「今は親子でしょ!」

 驚いた寧々に向かって小夜は照れくさそうに告げる。
 もしかして気を遣われているのだろうか。
 人間の子供に擬態した猫又の手は小さくて暖かかった。



 眺望塔の上からは、前評判通り帝都の景色が一望できた。
 碁盤の目状に造られた街並みは、千年以上前にこの地が都と定められてから変わっていないらしい。
 北には皇宮が、その北東に位置する一条堀河宮もしっかりと見える。

「人間は高いところからの景色が好きよね」

 小夜が馬鹿にしたように発言した。

「猫だって高いところが好きじゃないか」

 千晃がつぶやく。

「それは縄張りの中を監視してるの! 敵が入り込んだらやっつけないといけないでしよ!」

 小夜は顔をしかめて反論する。
 千晃と彼女の関係はどちらが上なのかわからなくて、それがとても微笑ましい。
 寧々は目尻を下げると二人のやり取りを聞きながら窓からの景色を鑑賞した。



 眺望塔からの眺めを楽しんだ後は繁華街を見て周り、少し疲れたところで念願の喫茶店へと向かう。
 どうやら小夜の目当ては、千晃行きつけの店のミルクセーキなる飲み物らしかった。

「一花にお願いして作ってもらってもこの味にはならないのよね」

 女給が運んできたグラスを前に小夜はご機嫌だ。
 寧々はカスタードプリンと紅茶を、千晃は珈琲とアイスクリームを頼んだ。
 洒落た器に盛り付けられた憧れの甘味に寧々は見とれる。

「見た目は茶碗蒸しみたいですね」

「プリンは初めてですか?」

「はい。本で読んで、ずっと食べてみたいと思ってたんです!」

 寧々は千晃に向かって頷くと、いそいそと匙を手に取ってプリンを口に運んだ。

「! 溶けました!」

 あまりの美味しさに感激すると、千晃は笑みの形に目を細めた。

「ずっとこんなお洒落な喫茶店で甘いものを食べるのに憧れていたんです。連れてきてくださってありがとうございます!」

「楽しんでもらえたのならよかったです」

 寧々はプリンを堪能しながら、千晃の案内で見て回った帝都の街並みを思い返した。
 瀟洒な洋風建築と伝統的な木造の建物が混ざりあって立ち並び、大通りの真ん中を路面電車が行き交う様子は華やかだった。

(それもこんなに綺麗な格好で……。夢みたい)

 寧々の髪には小夜とお揃いのつまみ細工の簪が挿さっている。今日の思い出にと、大通り沿いの雑貨店で千晃が買ってくれた。

 そんなに高価なものではなかったが、歳の近い異性から何かを贈ってもらうのは初めてである。
 眺望塔の入場料も喫茶店の支払いも、何もかもが彼持ちだ。
 一条堀河宮での待遇とも共通するが、嬉しい反面気持ちがざわざわする。

(きっとこれでいいのかと尋ねても、構わないと押し切られてしまうんでしょうね……)

 寧々は優雅な仕草でコーヒーカップを傾ける千晃の姿をこっそりと観察し、心の中でため息をついた。



   ◆ ◆ ◆



 喫茶店を出たら既に薄暗くなっていた。

「そろそろ戻りましょうか」

 寧々は千晃の提案に頷いた。

「私は影に戻るわ。疲れちゃったし、この時間の電車は混むもの」

 小夜は伸びをしながら大通りを走る路面電車の様子に顔をしかめる。
 彼女の言うとおり、たそがれ時の車内は混みあっていた。

「いいけど人のいないところで頼む」

「はあい」

 小夜は間延びした返事をすると、路地裏に向かって歩きだした。



 路面電車を乗り継ぎ、一条堀河宮最寄りの停車場にたどり着いた時には、既に日は落ちきっていた。

 しかし帝都の夜は明るい。周囲は住宅街だが至る所に街灯が設置されている。帝都が眠らない街と言われる理由がわかる気がした。
 電気も水道も通っていない織部の里とは大違いだ。もっとも、違いはそれだけではない。

「帝都には全然禍物がいないんですね」

 寧々は歩きながらつぶやいた。
 神祇庁のお膝元で、幾重もの結界で厳重に守られているから当然かもしれないが、怪異の類は力の弱いものを時々見かける程度だ。
 帝都と比べると、織部の里の周りは魔境である。

「全く出ない訳ではないですよ。結界のおかげで外部からの侵入はまずないんですが、たまに内側から強力なのが発生します」

 隣を歩く千晃が教えてくれた。
 恨み、妬み、悲しみ、恐怖――禍物は人の抱く負の感情が凝ったり、陰陽の平衡が崩れたりした時に発生すると言われている。

「二十年ほど前に比べると件数は劇的に減りましたけどね。電灯の普及が影響しているのではないかと言われています。人は本能的に闇を畏れますから」

「照明にそんな効果があるんですか?」

「まだ推測の段階ですけどね。今は北摂地域のいくつかの農村で検証をしています」

「へえ……」

「効果があるとわかったら電気の普及が国家事業として一気に進むと思いますよ」

「じゃあ、里にも電気が通る日が来るんでしょうか?」

「気になりますか?」

「一応生まれ育った場所なので……」

 寧々は苦笑いを浮かべた。
 家には戻りたくないが、あそこには優しくしてくれた人もいる。便利になるのは喜ばしい。

「もし照明に効果があった場合、織部は優先されると思います。霊布はなくてはならないものなので」

「もし禍物が減ったら守人の負担が減ります」

「そうですね。検証の結果が出るのが楽しみです」

 千晃は笑みを浮かべた。しかし、その直後である。機嫌が良さそうだった彼の顔が険しいものに変化した。

(どうなさったの……?)

 寧々は首を傾げる。

「悪い知らせです。一条堀河宮に寧々さんの妹を名乗る人物がやって来たそうです」

「えっ……」

「騒がれては面倒なので宮の中に迎え入れたと、今一花から報告がありました。まずは俺が応対して本物の美栄さんなのか確認しますので、寧々さんは部屋に戻ってください」

「……はい。ではお言葉に甘えさせていただきます」

 頷きながらも寧々は眉をひそめた。
 織姫で次期里長である美栄は、里を守るための神術の心得があるし霊力も高いが、寧々とは違って禍物と戦う力は持っていない。

 本当に美栄がやってきたのだとしたら、一体どうやって里から出てきたのだろう。
 寧々の心の中は疑問符と不安で埋め尽くされた。