灰被りの剣姫と帝國の皇子

 夕食の席で、油揚げの袋煮を口にする千晃を寧々はじっと見つめた。

「いかがですか?」

「美味しいです」

 千晃の褒め言葉に寧々は安堵する。

「これは寧々さんが作られたんですか?」

「はい」

「すごく上手にできていると思います」

「ありがとうございます。包丁を使うのが下手でも見栄えのする料理を考えてくれる一花さんのおかげです」

 寧々はほっと安堵し、自分の食事に手を付けた。
 味付けは一花が監修しているのだから当然だが、とても美味しくできていた。



 今まで体験したことのない贅沢な生活に戸惑いながらも、寧々は少しずつ一条堀河宮に慣れていった。
 皇子様に見出されてお姫様のように扱われるなんて、まるで西洋童話の『灰被り』である。
 出仕する千晃を見送ったら体を動かし、汗を流したら一花に料理を教えてもらい、千晃の帰りを待つ――そんな習慣化した毎日に変化が訪れたのは、一条堀河宮で暮らし始めて五日目の夜だった。



   ◆ ◆ ◆



「……きなさい、適合者。こら、わたくしが起きろと言っているのよ!」

 ゆさゆさと揺すられて目を開けた寧々は、至近距離にあった千晃そっくりな女性の顔に驚いて一気に覚醒した。

「どなたですか……?」

 顔は千晃そのものなのに髪が長く、胸もある。

「初めまして、羽々斬の適合者。わたくしは(すめらぎ)礼子(あやこ)。千晃の腹違いの姉と言えばわかるかしら?」

「さ、斎宮様!?」 

 寧々はポカンとした。

「えっ……何で……?」

 慌てて記憶を探り、普通にベッドに入って眠ったことを思い出す。

「ここは一体……」

 周囲は白い(もや)に包まれていた。

「ここはあなたの夢の中よ。周りに何もないということは、随分と深く眠っていたようね」

 礼子が答えた。

「わたくし、どうしてもあなたを直接見ておきたくて、夢を繋げたの」

「夢を……?」

「ええ、だって直接会うとお兄様に呪詛をかけた者に悟られるかもしれないでしょう?」

 説明をしながら、礼子は寧々の頭からつま先まで検分するように見つめた。

「あなた、名前は寧々と言ったかしら?」

「……はい。織部寧々と申します」

「ふうん。思ったより普通ね。織部では守人として働いていたと聞いたから、体格がよくて強そうな女性なのかと思っていたんだけど」

 礼子は目を細めた。
 彼女の顔は千晃にそっくりだが、纏う雰囲気は正反対である。
 千晃が柔和な印象の青年なのに対し、礼子は表情やこちらに向ける視線から気位の高さが窺えた。長毛の洋猫のような女性だ。

「……私もとても驚いています。特別腕が立つ訳でもないのに神器が使えると言われて……。どうして私なのか……」

「随分と卑屈ね。あなた霊力は随分とあるわよ。皇族のわたくしには当然劣るけど、神祇四家の直系と変わらないくらいはあるのではないかしら」

 礼子は眉をひそめた。

「霊力がいくらあったって……」

「あら、あるに越したことはないわ。羽々斬を振るうにはたくさん霊力が必要なはずだもの。自信をお持ちなさい。あなたにはお兄様の呪詛を壊して貰わなければ困るんだから」

「えっと……、努力します」

 寧々の答えはお気に召さなかったのか、礼子は不服そうな顔をしながらも頷いた。

「あ……でも、呪詛をかけたのは斎宮様のお母様の可能性があるんですよね……? いいんですか……?」

「構わないわ。呪詛は大罪だもの。手を出す方がいけないのよ」

 礼子はきっぱりと言いきった。
 彼女の冷たい顔と発言に寧々は驚いた。

「不思議そうな顔をしているわね」

 礼子はふっと表情を緩めた。

「わたくし母が大嫌いなの。だからお兄様に付いたのよ。本当にあの人が犯人だった場合、連座の罪に問われるのも嫌だしね」

 千晃に教えてもらった通り、彼女も母とは確執があるらしい。寧々は勝手に親近感を抱いた。

「当日は私も協力する手筈になっているの」

「そうなんですか?」

「ええ。母が犯人だった場合に備えて、櫻井の祖父が所有する別邸に誘い出す予定よ。呪詛が返ったら当人は瘴気まみれになるわ。周囲への影響を考えたら野放しにしてはおけないもの」

 淡々と告げる礼子が痛ましくて寧々は眉を寄せた。

「そういう訳だからあなたは遠慮なく呪詛を斬ってちょうだい。わたくしへの気遣いはいらない」

「……かしこまりました」

「物分りのいい子は好きよ。そんなあなたに一つ忠告してあげる。波乱の相が出ているわ。身辺にはくれぐれも気を――」

 礼子の発言の途中だった。

「お戯れはそれくらいになさってください、姉上」

 突然千晃の声が背後から聞こえた。
 振り返ると不機嫌そうな顔をした彼が立っていた。

「あら残念。千晃に見つかってしまったわ」

 礼子は目を細めて白けた顔をした。

「こんな真夜中に神術で寧々さんに干渉するなんて……。一体何事かと思いました」

 千晃は寧々の前に進み出ると礼子を睨みつけた。

「ただの夢繋ぎの術よ。あなたったら、兄様には直接報告に行ったくせに、わたくしのところには式神を使った連絡で済ませるのですもの」

「……姉上と我々は、表向き没交渉なのですから仕方ないではありませんか。こんな術を使うのなら事前に連絡してください」

「嫌よ。前もって知らせたらあなた同席しようとするでしょう? 女同士、二人きりで邪魔をされずに話をしてみたかったの」

 礼子の返事に千晃は眉間に皺を寄せた。

「くだらないことを寧々さんに吹き込むためですか?」

「失礼ね。軽く挨拶をしただけよ。その子、とても深く眠っていたみたいで夢を繋ぐのに手間取ったし……。そうでしょう、寧々?」

 突然不意討ちのように礼子から視線を向けられ、寧々は慌てて姿勢を正した。

「は、はい! 斎宮様のおっしゃる通り、ただご挨拶をしただけです。それとご忠告をいただきました。波乱の相が出ていると……」

「嫌がらせですか?」

 千晃は間髪入れずに礼子に尋ねた。

「そんな訳ないでしょう! 本当に出ているの! 嘘だと思うのならあなたもこの子を占ってみればいいわ」

 礼子が反論した直後だった。
 視界が揺らぎ、周囲を漂う白い靄が濃くなり始めた。

「時間切れね。目が覚める時間が来たみたい」

 礼子がつぶやく。

「次は生身で会いましょう」

 彼女のその言葉を最後に視界が白で埋め尽くされる。
 眩しくて寧々は目をぎゅっとつむった。

 ややあって瞼に感じる光が収まったので、おそるおそる目を開ける。
 すると見覚えのある白い天井が視界に入ってきた。
 天井には特徴的な形の照明がぶら下がっている。
 ここは一条堀河宮の二階にある寧々にあてがわれた部屋だ。

 夢から醒めたのだ。
 寧々は安堵する。
 その直後、右手に自分のものではない温もりを感じた。
 何かと思いそちらを見ると、寧々の手は椅子に座った状態で眠る千晃に握られていた。

「!?」

 動揺して震えたのが伝わったのか、千晃の目蓋が持ち上がった。

「無事寧々様を呼び戻せたようですね、千晃様」

 一花の声が聞こえた。
 千晃に気を取られて視界に入っていなかったが、ずっと彼の背後にいたようだ。

「ああ……」

 気だるげに答えた千晃は浴衣の襟元がわずかに乱れているせいか、とても妖艶だった。寧々は思わず彼の顔を凝視する。
 千晃はまだしっかりと覚醒しきっていないのか、ぼんやりとした目でまじまじと寧々を見つめた。そして、手を握っていたことに気付いたらしく、大きく目を見開くと勢いよく手を引っ込めた。その瞬間色気が消滅していつもの彼に戻る。

「申し訳ありません! 異母姉(あね)の神術に干渉するためとはいえ、女性の寝室に侵入した上に手に触れてしまって!」

「私に解ければよかったんですが、皇族の神術は私ではどうにもできなくて……。結界を突破された上に、どういうものかわからない術をかけられるなんて、私の失態です。申し訳ありませんでした」

 一花は深々と寧々に向かって頭を下げた。

「私は大丈夫です。ご心配をおかけしたみたいで何だか申し訳ないです……」

「寧々さんは悪くないので謝らないでください。体調は大丈夫ですか?」

「はい。特に何も問題はないと思います」

 寧々はさりげなく浴衣がはだけていないか確認してから体を起こした。

「では、異母姉は本当に夢を繋いだだけだったんですね。よかった……」

 千晃の表情が緩んだ。

「……いや、よくないですね。寧々さん、異母姉に虐められませんでしたか?」

「はい。斎宮様はただ私に会いたかっただけだと思います」

 寧々は礼子に言われた言葉を思い浮かべながら返事をした。

「嫌なことや厳しいことを言われたりは?」

「なかったと思います」

「ならいいんですが……異母姉はきつい人なので……」

「はっきり物をおっしゃる方だと思いましたけど、嫌な感じはしなかったです」

 きっぱりと言い切ると、千晃はどこか釈然としない表情で黙り込んだ。

「千晃様と斎宮様ってそっくりなんですね。驚きました」

「……はい。あの人も俺も父親似なんです。同母の兄は母親似なのであまり似ていないんですが……」

 言われてみれば、新聞で見た今上帝の顔は千晃にそっくりだったような気がする。
 寧々はまじまじと千晃を見つめた。そして、彼の頭ごしに時計が視界に入ってきてギョッとする。

「千晃様、お時間は大丈夫ですか!? もう九時です!」

 慌てて声をかけると、千晃はわずかに目を見開いてから微笑んだ。

「今日は日曜なので休みです」

「あ……」

 これまで曜日とは関係のない生活を送っていたから失念していた。

「せっかくなので帝都見物に出かけませんか? どこでもご案内しますよ」

「いいんですか? 外出は控えるようにとおっしゃっていたと思うんですけど……」

「目くらましの神術をかけようと思っています。初めて会った時に使っていたものです。あの時の俺は人の記憶に残りにくい顔をしていたはずです」

 言われてみれば、山狩り中に会った千晃はどこにでもいそうな平凡な顔をしていた。

「あれは顔を変える術ではなかったんですか?」

「はい。どちらかというと心に作用する術です」

「へえ……」

 寧々はどういうことなのが今一つわからなかったけれど感心した。

「問題がないのなら行きたいです」

「では、外出の準備をしましょうか。一花、頼む」

 千晃は傍に控えていた一花に目配せをした。

「かしこまりました」

 一花の返事を聞くと、彼は寧々に向かって微笑みかけてから部屋を出て行った。