ブリザーブドフラワー

ベッドに倒れ込み、顔を枕に押しつける。
怒っているはずなのに、胸の中に広がっているのは悲しさよりも後悔だった。

父が仕事を断れないことも、自分を養うために働いていることも、誰より知っている。

それなのに、寂しいというだけで、いちばん言ってはいけないことを言った。

今すぐ部屋を出て、謝ればいい。
ごめんなさいと一言言えばいいに、身体は動かなかった。

父の顔を見るのが怖かった。傷ついた顔をしていたら、どうすればいいのか分からない。

やがて、下の駐車場からクラクションの音が聞こえた。
短く、一度だけ。いつもの合図だ。

父が出かける時、家にいる一頼へ送る、不器用な挨拶。

(……行ってきます)

言葉にしなくても分かる。

いつもなら、一頼も窓へ駆け寄り、カーテンを開けて手を振る。
父のトラックが見えなくなるまで見送る。

けれど今日は、起き上がれなかった。

少しして、エンジン音が遠ざかっていく。

その音を聞きながら、一頼は唇を強く噛んだ。

(ごめんなさい)

声に出せなかった言葉は、誰にも届かない。

部屋の中に、静けさだけが残った。



夜。

ひとりで食べる食事は、どうしてこんなにも味がしないのだろう。

一頼が作ったのは、冷蔵庫にあるもので済ませた簡単な料理だった。
きちんと盛りつけたはずなのに、食卓に並べてみると、ひどく寂しく見える。

向かい側の椅子は空いたまま、父の箸も、茶碗もない。

一頼は黙々と料理を口へ運ぶ。

けれど何を食べても、ほとんど味が分からなかった。

静けさに耐えられずテレビをつけると、途端にリビングには明るい音楽、賑やかな笑い声、華やかな街の気配が広がった。
年末特番では、楽しそうな人々が次々と紹介されていた。

イルミネーションの下を歩く恋人たちや、大きな買い物袋を持つ家族。

誰もが、自分の帰る場所を知っているように見えた。

笑顔のキャスターが、え街頭インタビュー受ける家族へマイクを向ける。

『年末は、どう過ごされますか?』

映し出された父親が、子どもの肩を抱く。

『やっぱり、家族でゆっくりしたいですね』

隣の子どもが、嬉しそうに頷く。

「……」

一頼は無言で画面を見つめた。

胸の奥に、細い針を何本も刺されているようだった。

どうして自分は、あんなことを言ってしまったのだろう。
父だって、本当は一緒に過ごしたかったかもしれない。

それでも仕事へ行かなければならなかった。

そんな父を、自分は傷つけた。

手にした箸が止まる。

画面の中では、別の家族が笑っている。

ただ誰かが隣にいるということが、ひどく眩しかった。

やがて一頼はリモコンへ手を伸ばし、電源を切った。

プツリと音が消え、黒くなった画面には、一人で座る自分の姿がぼんやり映った。


静かになったリビングの壁の向こうから、笑い声が聞こえてくる。

隣の家の家族だ。
誰かが笑い、誰かが何かを言い返す声と食器の触れ合う音。

暮らしの音、それらが壁一枚を隔てた向こう側から、やけに鮮明に聞こえてくる。

自分の家に音がないことを思い知らされたようで、一頼は耳を塞ぎたくなった。

父のいない食卓。謝れなかった言葉。誰にも言えない寂しさ。

それらが一気に押し寄せてきて、息が苦しくなる。
一頼は食べかけの皿をそのままにして立ち上がった。

玄関へ向かうと、上着を掴み、靴を履く。

どこへ行くのかも考えなかった。
ただ、この家の中にこれ以上いたら、押し込めてきたものが全部溢れてしまいそうだった。

ドアを開けると、冷たい夜気が頬を刺す。

思わず息を呑む。けれどその痛いほどの冷たさの方が、温度のない部屋にいるよりはましだった。
一頼はそのまま、夜の街へ歩き出した。