奥様は泥棒

ピッキングツールを鍵穴から引き抜くと、微かな「カチャリ」という手応えが指先に伝わった。

(ーーよし、クリア)

和歌子は深呼吸をすると、静かにドアノブを回した。

暗がりの中に滑り込んで、足音を殺して玄関の鍵を閉めた。

今回のターゲットは、売れっ子には程遠い中堅イラストレーター・夏彦の部屋だ。

締め切り前で留守にしている情報を掴んで、今日も悠々と“仕事”をこなすはずだった。

リビングに足を踏み入れると、手際よく金品がありそうな引き出しをチェックしていく。

その時だった。

ーーガチャッ

「えっ…?」

突然、玄関から鍵が回る音が響いた。

(う、嘘でしょ…!?

帰ってくるには早過ぎるでしょ!)

背中に冷や汗が吹き出したのがわかった。

逃げ場を探して部屋を見回してみるが…ワンルームに近い間取りだ、隠れられる場所は押し入れかベランダのどちらか二択だ。

廊下を歩いてくる足音が聞こえた。

和歌子が息を殺して物陰に身を潜めようとした瞬間、パッと部屋の電気が点いた。

「あれ?

夏彦、部屋の鍵が開いて…って、誰!?」

姿を現したのは…夏彦ではなく、大きなエコバッグを抱えた30代半ばの女性だった。

どうやら、合鍵を使って入ってきたみたいだ。

(お、終わった…!)

和歌子の脳裏に、「逮捕」と「取り調べ」と「刑務所」の文字が高速で駆け巡った。

プロとして最大の失態だ!

どう言い訳しようか、どうやって切り抜けようかと思考を巡らせかけたその時だった。

「ただいまー」

バタバタと勢いよく玄関のドアが開いて、本物の住人である夏彦が帰ってきた。

「姉ちゃん、勝手に入って何をして…って、あっ」

夏彦は、凍りついている和歌子と不審そうな顔で自分を見ている女性を見比べた。

自分の目の前にいる女性は、彼の姉なのか…と、和歌子はそんなことを思った。

夏彦は一瞬だけ目を見開いたものの、その直後に信じられない行動に出た。

「姉ちゃん、紹介するよ。

俺、彼女と結婚したんだ」

「…はい?」

和歌子と姉の声が綺麗に重なった。

「け、け、結婚って…あんた、何をバカなことを言って…!?」

「本当だってば!

恥ずかしがり屋だから固まっちゃってるけどさ、これから一緒に住む準備をしてたところなんだよ…なあ?」

夏彦は和歌子の肩をガシッと抱き寄せて、爽やかな笑みを浮かべた。

和歌子は一瞬、この男の首を絞めてやろうかと思ったが…ここで「違います、私は泥棒です」と言う訳にもいかない。

「え…ええ、まあ…そう言うことでして…」

和歌子は引きつった笑顔で小さく首を縦に振ってうなずいた。

姉はしばらく自分たちをを交互に見比べた後で、ハッと息を呑んだ。

「ちょっと、夏彦!

何なのよ急に、お父さんもお母さんもあんたが全然浮いた話がないから心配して…!

ああもう、とにかくお父さんたちに連絡しなくっちゃ!」

「姉ちゃん、待って。

今日はもう遅いし、落ち着いたら俺から連絡するから!

じゃあ、今日は帰って!」

夏彦は混乱している姉の背中を強引に押して、そのまま玄関の外へと放り出して鍵をかけた。

リビングに静寂が戻った。

和歌子は即座に彼の手を振り払うと、
「何のつもりよ?」
と、すぐに距離を取った。

「警察に通報しないなら、さっさと出て行くけど?」

「待てよ、命拾いをしたんだから少しは感謝してくれてもいいんじゃないか?」

夏彦は深く息を吐くと、ソファーに腰を下ろした。

「俺の両親と姉ちゃん、俺が30を過ぎた辺りから「お見合いをしろ」だの「孫の顔が見たい」だのって顔をあわせるたびにうるさくてさ…もう限界だったんだよ、そこにタイミングよく君がいたんだ」

「だからって“結婚した”は無理があるでしょう!

大体ね、私は泥棒よ!?」

「分かってる、だから提案なんだけど…」

夏彦は身を乗り出したかと思ったら、真っ直ぐに和歌子を見つめてきた。

「警察に連れて行かない代わりに、しばらく俺の“妻”のフリをしてくれないか?」

「…はい!?」

「親たちが納得して諦めるまでの間だけでいい。

住む場所と飯は保証する、泥棒として逮捕されて前科がつくよりタダで飯が食える偽装結婚の方が君にとっても悪くない話だろ?」

そう言った夏彦に、和歌子は呆れ果てて彼の顔を見つめた。

目の前の男は、見た目こそ優しそうな青年だが泥棒を脅迫して偽装妻に仕立てあげようとする度胸の持ち主である。

(足がつくのは絶対に避けたいし、ここで警察を呼ばれる訳にはいかないし…)

和歌子はやれやれと息を吐くと、腕を組んだ。

「わかったわよ、乗ってあげる。

ただし、ほとぼりが冷めたらすぐに解消だからね!」

こうして、プロの泥棒・和歌子と崖っぷちイラストレーター・夏彦の奇妙な“偽装新婚生活”がスタートしたのだった。