御馳走を食べていたら自分が食べられそうになった

薄い木の板を叩いた音が聴こえた。

老人の右目がすこしひろがり、

「ちょうど精進料理の用意ができたようじゃ」

とつぶやいた。

しばらくすると、頭皮が真っ青の10代の若者が、正方形の台を両手でもち広間にはいってきた。

若者は、黒ぶちのメガネをかけ、日光浴対策ばっちりの乙女のように白い肌で、緑の血管が透けてみえる。

若者は無駄な音をたてず、私のまえに料理をのせた台を置き、私と老人に一礼したあと来た道を正確にもどっていった。



私はリュックサックから一眼カメラをとりだし、

「撮影してもかまわないでしょうか?」

と老人にたずねた。

老人は、こくりとうなずいた。

私は料理すべてが写るようにピントを調整しカメラのシャッターをきった。



時代劇の食事シーンに登場するような形の台。

台は20㎝の正方形で、高さはローテーブルよりもすこし低い。

台には黒や赤色に塗られておらず、木目がそのまま見える。

台のうえには、黒い木の器が4つのせられていた。

器の大きさは、もっとも大きいもので直径10㎝ほどあり、つぎに大きいものが直径8㎝、つぎの器が6㎝、最後の器が4㎝と小さくなっている。

大きい人形のなかに小さい人形がいれられているオモチャのように、この器もかさねてコンパクトに収納できそうだ。

大きい器には、白く濁ったおつゆのなかに溶けかけの白米が浮いている。

白米よりも水の面積のひろいおかゆ。

つぎに大きな器には、皮つきのカボチャがひとかけらだけのせられている。

皮の緑が、かぼちゃの身に浸透している。

つぎの器には、おそらく茹でて水気をしぼったホウレン草が、ちょっぴり盛りつけられている。

最後の器には、斜めに切ったキュウリが二枚。

これは、前菜なのだろうか、と私は考えた。

広間の入口を見ても、若者があらたに料理を運んでくる気配はない。


座っている老人を見ると、

「撮影がおわったのなら召し上がりなさい」

料理を食べるようにいわれた。

どうやら、料理はこれですべてのようだ。

私は一眼カメラをリュックサックになおし、台のまえに座りなおした。

そして、木の枝を削ったようなお箸を手にとり、まずはホウレン草を口に運んだ。

ホウレン草は、ほんとに茹でただけで、かすかに塩の味がする。

かために茹でられており、奥歯でホウレン草の繊維を噛みほぐす。

すると、ホウレン草の鉄分をふくんだ苦みが、キシキシと歯と舌に付着し、虫歯の歯を触られたような不快感が足の付け根にはしった。


ホウレン草にくらべると、きっと甘いだろうと思ったカボチャは見事に私の期待を裏切ってくれた。

皮をはがして食べようとする、老人の咳払いが聞こえた。

どうやら、皮も一緒に食べるようだ。

大きく口を開ける必要がないほどの大きさのカボチャを皮ごと口に放りこむ。

緑の皮とオレンジの果肉のあいだには、おっちょこちょいのイタリアレストランのシェフが、お湯からパスタをとても早くひきあげてしまったアルデンテのような強烈な硬さがのこっている。

噛むたびに、がりッ、ごきッ、と硬質的な音が口に響きわたる。

そして改良されていない原種そのものといった青臭い苦みが口いっぱいにひろがる。

私が、いままで食べてきたカボチャは、農家さんの努力がこめられた甘さだったのだと痛感させられたカボチャの苦み。


お粥は、塩すらもいれていないような簡素なもので、水分8割、白米2割といった割合で、食べるというよりも飲むといったほうが正解なもの。

白米は8割がた水に溶けきり、歯のない人間でも噛めるほどに柔らかい。

味気がなさすぎる、塩や醤油、うま味調味料をお粥にかけまわしいれたい、と心の底から切実にねがった。


のこっていたキュウリが目についた。

もしかしたら漬物のキュウリで、塩気があるかもしれないと考えた私は好物の猫缶に飛びつくネコのようにキュウリを口のなかに放りいれた。

鈴虫が食べても大丈夫なキュウリだった。

切っただけじゃん、このキュウリ。

しかも、ゴーヤのようなウリ科独特の苦みもある

ドレッシングかマヨネーズを思いっきりかけまわしてから食べたい。


私は悪魔が創りだしたといわれる調味料を心のそこから欲しいと泣きそうになりながら、精進料理を食べつづけた。

老人は食事中ずっと私の目のまえに座りつづけた。

私が器や箸で音をたてると、とがめるように眉毛をあげ、私がお粥をすする音をたてると、かるく咳払いし注意をうながした。

高級フランスレストランですら、ここまで音をたてることを注意しないよ。

私が産まれてきてから、もっとも気まずく、もっとも味もまずい料理をやっと食べおえた。

なんとか空にした器がのる台を若者がさげる。



私は老人に取材させてもらった感謝のことばをのべたあと寺をでた。

料理をいただいたことに関しては感謝の言葉をいわなかった。

また、この急こう配の階段をくだるのかと、腰と肩から力が抜けゲンニョリさせられる。

エネルギーになるはずの胃におさめた食べものは、私になんの活力もあたえてくれなかった。

そればかり階段をくだるにつれ、どんどんとお腹がすき、なにかを食べたいという衝動が、おへそから黒い菌糸のようにはいだしてきている。

動物性のねっとり、こってりした脂を細胞がもとめている。


階段をくだりながら、食事についてばかり考えていた私の背を老人と若者が凝視していることに私はまったく気づかなかった。