御馳走を食べていたら自分が食べられそうになった

半日ほどかけて、取材先の禅寺がある最寄りの駅に到着した。

ダンジョンとよばれる東京や名古屋、大阪の駅とちがい、ひとつの出口しかなく迷いようのない駅だ。

駅員さんがひとりだけいる改札をとおり、駅の外にでる。

時代から取り残された元気のないひなびた光景がひろがった。

まん丸の円を押しつぶしたような形のバスターミナル。

バスターミナルの中央には噴水があり、頻尿になやむ中年のように険しい顔のしょんべん小僧が断続的に水を放射している。

景気の悪そうな緑色にペイントされた市営のバスが、ガス欠寸前のようにバス亭にとまっている。

黒く磨きぬかれたタクシーは列をなしておらず、車庫にいれられたまま。

3階だてのビルが、ぽつんぽつんと並び、照明はくらく、非常階段には錆が浮いている。

そんなわびさびを感じられるバスターミナルにも我が国がほこるコンビニエンスストアとラーメンのチェーン店は進出しており、その一角だけがピカピカと明るい。

小腹がへったのでコンビニにはいった。

「いらっしゃいませ」

日本のどこで聞いてもおなじ店員の声が聞こえた。

客は私しかおらず、店員はヒマをもてあましている。

私はソーセージパンと微糖のコーヒー缶を買った。

ソーセージパンの袋をあけ、先端を飛びださせかじりついた。

ソーセージパンの幅はひろいが、高さはひくい。

大きく口を開ける必要がなく、パクパクと食べることができる。

ソーセージの皮は、異様にぱりッとしている。

肉と肉を塩で接着させ、ところどころに白い脂の固まった充実した旨味がある。

パンは柔らかく、音もなく噛め、ソーセージの食感に気をとられているといつのまにか消えていた。

ソーセージパンに塗られている、すこし焦げたような柔らかい黄色のソースはなんだろうと考えているあいだに食べおわった。

袋をまるめゴミ箱に放りこんだ。

微糖のコーヒーのプルタブをあけ、一気に飲みほす。

カフェインと糖分が体をかけめぐる。

体の底からやる気がわいてくる、ような気がする。



食事をとったあと、案内板のまえにたち目的の禅寺の場所を確認した。

バスターミナルとつながっている一本の道をまっすぐ歩けば禅寺に到達するようだ。

禅寺のある方向を見ると、緑の山肌のなかに人工物である黒い瓦の屋根がつきだしているのが見えた。

目的地の禅寺までは、すくなくとも10キロ以上はあり、さらに山を登る必要がある。

禅寺までいくバスはないか時刻表を確認した。

禅寺にいくコースをとるバスルートはなかった。

禅寺にくる観光客もいるだろうに、なぜ禅寺にむかうバスがないのだ、と落胆しながら、すこし怒る。

しかたないのでコンビニにもどり冷えたスポーツドリンクのペットボトルを買った。

店員は私の顔を覚えていないようにマニュアルどおりに接客し、そしてまたヒマそうだった。