地獄のラブ・スクランブル ~好きな人の好きな人~

【誠太】
 
「ねえ、今日、誠太(せいた)の家に行ってもいい……?」
 大学からの帰り際に、サークル同期の茉那(まな)は上目遣いで聞いてきた。
 好きな女の子から家に行きたいと言われて、断れる男はいるだろうか。
「ああ、まあ、いいよ」
 俺もいつものように了承した。そう「いつも」だ。茉那はしょっちゅう俺の家に来ている。
 世の中の独り者がこの話を聞けば、きっと羨ましく思うだろう。妬みから刺し殺されてしまうかもしれない。
 俺だって当然、茉那が来てくれることは嬉しい。でも、返事の後に茉那に聞こえるようなため息をついた。
 茉那は気にしない様子で言った。
「今日も夕飯作ってよ」
「また夜までいるつもりなの?」
「嫌なの?」
「あ、嫌ってわけじゃ……」
「じゃ、スーパー行こ」
 茉那のペースに振り回されながら、食材を買いにスーパーへ連れて行かれた。
 野菜炒め用のカット野菜を買い込んで帰宅すると、茉那は我先にとドアに滑り込んだ。
 そして、まるで家主のようにどっかとソファに座り込み、テレビのリモコンを操作して動画配信サービスの作品一覧をスクロールした。
 そう。これが茉那が家に来る理由だ。動画配信のサブスクを見るため。おまけに食事付き。
 俺はまた大きなため息をついた。茉那の耳にも届いているはずだが、気にする素振りは少しもなかった。
 炊飯器をセットし終えると、俺は茉那の横に腰掛けた。
 画面の中では、三人組の兄弟がハチャメチャに暴れ、太った警官を翻弄していた。警官の服装や町並みの様子、そしてスラップスティックなギャグの描写から、どうやらこれは欧米のアニメだ。茉那も俺も海外アニメが好きでよく見る。
「これ何?」
「ストレンジ・トリオ」
 茉那が口にしたのは、たしか90年代の海外のコメディアニメの名前だった。当時は日本の地上波で放送されていたこともあるらしい。でも、画面に映っている映像は現代的な綺麗さだった。そこでピンと来た。
「ああ、これリブート版?」
「そうそう」
 いつか、海外アニメのニュースサイトで見た気がする。ストレンジ・トリオはリブート版が制作されてサブスクで配信されたと。ただ、俺はオリジナル版すらほとんど見たことがなかった。
 横に座る茉那の姿を見やり、小さく深呼吸をした。これは部屋代、食事代、サブスク代……。そう心の中で唱えながら、軽く腰を浮かせて茉那に触れるほどの距離まで身体を寄せる。
 腰と腰がわずかに触れ合い、俺の心臓はハンマーで叩いたみたいに跳ね上がった。一方の茉那は構わず、テレビに視線を向けたままだ。
 きっとこのくらいなら許される……。跳ね回る心臓を押さえつけながら、そのままそうっと右腕を伸ばし、茉那の肩に腕を回した。茉那はテレビを見据えたままだが、体がぴくりと動いた気がした。
 こっそりと鼻から空気を吸うと、茉那のうなじから漂う匂いを感じた気がした。男を惑わせるその匂いは、右腕に込める力を少しだけ強めた。
「誠太」
 茉那の冷ややかな声が耳を刺した。心臓が口から飛び出しそうなほどに暴れ、思わず右腕をさっと離した。もしこれが海外アニメだったら実際に飛び出していただろう。
「暑いんだけど」
「ご、ごめん……」
「そんなことしてる暇があったら、さっさとご飯の準備でもしてきて」
「……おう」
 俺は叱られた子犬のように背中を丸めて立ち上がり、キッチンへと向かった。そして、アニメのBGMに負けないくらいの大きなため息をついた。