翌日学校に着く頃に、LINEの通知が届いた。
送り主は熊谷だ。いつものように今日購買で買ってきてほしい食べ物を指示される。
「ホットドッグ2個、カレーパン1個、メロンパン3個におまけでジュースか」
そして付け加えるように『半月我慢してやったんだからお前の奢りな』とも。月初め早々容赦ないな。この様子では貸した分のお金は返ってこないだろう。
額にして数千円程度だが、両親が稼いだお金である。パシリくらいなら俺が我慢すればいいからと無視できたが、やっぱり金まで取られるとなっては、このままにしておけないだろう。
それに水原の言った通り、調子に乗った熊谷が他の生徒に手を出さない可能性はゼロではない。「君は純粋過ぎる」とオブラートに包んで小馬鹿にされたが、反論できなかった。
本気で俺が我慢すれば済むと思っていた。俺にとっては約束は守るものであると当然のように思っているが、俺の当然と熊谷たちの当然は違う。
だって俺にとってはみんなと仲良くする事や、うっかり傷付けたら謝るのが当然だから。
「おはよ佐藤、水原」
佐藤の机付近で話し合っている2人に挨拶をした。心なしか2人とも神妙な面持ちだ。
「おはよう佐久間君。……本当に僕も行かなくて大丈夫?」
「平気、自分の事は自分でなんとかするよ。だからその券は別の機会に使いな」
俺は昨日渡された『なんでもやる券』を水原に返した。こんな事のために渡したわけじゃない。ちゃんと水原の為に使ってほしい。
ただこの券関係なく、このまま熊谷たちの言いなりになるのは止めようと決めている。あいつらにはもう今日で最後だと言おうと決めた。
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そしていよいよ昼休憩の時間が来た。気分は戦に向かう武士のそれだ。
どうせ俺にたかる気で飯を持って来てないだろうから、他の生徒に被害を出さない為にもパンとジュースは買った。これで最後ならこれくらいの経費安いもんである。
校舎裏の倉庫へ行く足取りがいつもより重い。本当は行きたくない。今すぐに教室に戻って、佐藤と水原と一緒に駄弁りながら飯を食いたい。
熊谷たちに渡すもん渡して、言うこと言ったらすぐ戻るけど、嫌な気持ちを抱えながら教室に戻りたくない。あの2人優しいから、きっと心配する。
「今日で最後……今日で最後だから……」
自分を鼓舞するように小声で呟きながら走った。
そしてやがて熊谷たちの姿が見えてきた。3人は倉庫に面した日陰の下でゲラゲラと笑っている。
足音が聞こえたのか、熊谷が俺の方を向いた。残りの2人とは普通に楽しそうにしていたのに、俺を見た瞬間、熊谷はにんまりとした気持ち悪い笑みを浮かべた。傍にいる2人と違い、対等でない者を見る目……明らかに俺を下に見ている目だ。
「っせーぞ佐久間ぁ、いつまで待たせりゃ気が済むんだ。早くそれを寄越せ」
「ああ、これはやるよ」
熊谷は乱暴な手つきで俺が抱え込んでいたパンとジュースを奪う。ポイポイと投げるように残りの2人にも渡した。そういえばあの2人から最後にお礼を言われたのいつだっけ……。
「いや~、佐久間はトモダチ想いでほんっとうに助かるわ~。んじゃあ、また明日もよろ」
「嫌だ」
馴れ馴れしく背中を叩いてきた熊谷にハッキリと言う。俺の反応が予想外だったのか、一瞬面食らった顔をされたが、先ほどより不機嫌そうな顔にだんだん変わっていく。
「そんなみみっちい事言うなって。こっちはマジで困っているんだ、頼むよ」
「いや、もうこれで最後だ。元々自分が買う分の昼食代しか貰ってないし俺も困ってんの! マジで無理!」
「たった数千円程度でガタガタいうなよ、餓鬼じゃねぇんだし。トモダチだろ?」
「そのたった数千円すら返してくれないんだろ? じゃあもうトモダチじゃない。熊谷たちとは絶交する!」
すると熊谷の眉間がピクリと動いた気がした。沸点低すぎだろ。
「はぁ……ふざけてんのか? お前はなぁ、初めから俺様の頼みを断る権利なんてねぇんだよ」
下品な声に、怒りが混ざっていく。熊谷はいつものように俺の肩に腕を回した。だがいつもと違って手のひらが俺の肩を痛いほど強く握ってくる。翌日あざが出来てもおかしくないほどの痛みだ。
「お前半月前約束をしたよなぁ。『ちゃんと月初めは昼飯を持っていくから他の生徒には手を出さないで』って。お前が断るって事は、どうなるか分かっているよなぁ」
俺が断れば、他の生徒に手を出すと暗に言っているのだろう。そう脅してくるのは分かっていた。はっきりと無理だと言わなければ。
でも脳裏に中学生時代の記憶が浮かび上がる。俺の代わりに犠牲になった誰かが、殴られる光景が……。もう誰かが俺の代わりに傷付くなんて嫌だ。でもこのままじゃ解決しない、そんなの許さないと言ってやらなければ。それなのに喉が掠れて声が出ない。
「良い事思いついた。佐久間お前、俺らに飯を渡さなかった半月の間、水原って奴から昼飯分けてもらってたんだってなぁ。偶然噂を耳にしたぜ」
過呼吸気味になっていた呼吸が、水原の名を出された瞬間ピタリと止んだ。酷く嫌な予感がする。というか俺の名前すら時々忘れるこいつが、何で水原の名前を覚えているんだよ。
「水原って随分とトモダチ想いなんだなぁ……俺らも頼めば弁当分けてくれるんじゃねーの? 今度お願いしてみようか? なあ、お前ら」
熊谷が後ろでニヤニヤ笑って傍観していた2人に言う。2人ともそれが良いと不気味なくらい愉快そうに頷いている。基本的に傍観しているだけで、こいつらも熊谷と同じなのだと分からされた。
頭がクリアになって、周りの余計な音も消えていく。酷く醜い声だけが鮮明に届き、握った拳に思わず力が籠もる。
嫌だ、それだけは嫌だ!!
水原は俺に勇気を出させてくれた大切な友達なんだ。それなのに彼に集るなんて許せない!!
じわじわ頭に血が上っていく。胸からマグマのような熱い怒りが吹き出そうとしている。湧きあがる慟哭が、先ほどまでの恐怖心さえもかき消していった。
『僕も協力するので、一緒に戦いましょう』
昨日の晩、家に帰ってからずっと考えていた。
水原に対してのみ湧きあがる感情についてを。結論は意外と早く出た。だからああ言ってくれた人の前に、こいつらを押しつける事なんて出来ない。俺が何とかしなければ……あいつの平穏を守らなければ……。
だって水原は、俺が本当の意味で初めて好きになった人だから!!
「いい加減にしろよ!! そんな事したら、絶対に許さないからな!!」
俺は自分の肩に乗っている熊谷の腕を思い切り振り払った。
もう怯えてなんていない。ギッと熊谷たちを睨みつけ、大声で叫んだ。大声で発声し慣れていない喉が痺れる。ビリビリと全身が逆立って、地面が揺れているかのような錯覚を覚えた。
熊谷たちも目を見開いて数秒間固まっている。だが次第にその瞳が血走っていく。こめかみに血管が浮かび、俺の胸倉を乱暴に掴んだ。
「テメェ、調子に乗ってんじゃねぇぞ!!」
目を見開くと、熊谷が拳を振り上げているのが見えた。その光景が、やたらとスローモーションに見える。ああ、殴られると、なんだか他人事のような感想を抱いた。
正直こうなるんじゃないかなぁと分かっていたんだ。だから熊谷に無理と言い出すのが遅くなったというのもある。だって怖いじゃん、こいつ無駄に体格良いんだぜ?
でもさぁ、水原に手を出されるかもと思ったら、喉から勝手に声が出てしまった。でも後悔はしていない。この後俺はボッコボコにされるだろうけど、そうなったら流石に先生たちも動いてくれるはずだ。俺は襲い掛かってくる痛みに備えて、歯を食いしばった。
「はい、そこまで」
その時、突然聞き覚えがある声が聞こえた。どこか冷静で、だけど抑えきれない怒気が滲み出た声。
熊谷も驚いて拳をピタリと止めた。いったいどこから声が聞こえたんだとキョロキョロしていると、傍にある倉庫の窓がガラリと音を立て開かれた。
「流石にそれはやり過ぎですよ。貴方も本当に懲りませんね、熊谷君」
倉庫の内側に、何故か水原が立っていた。窓枠に膝を置いて片手に持っているスマートフォンを操作している。
「水原ぁ……」
「すみませんね佐久間君、勝手に来ちゃいました。でも言ったじゃないですか、『僕も協力するので、一緒に戦いましょう』って」
なんでこんなところに居るんだよ……。
いろいろ言いたい事はあったけど、水原がこの場に似つかわしくないほど優しい顔で笑うものだから、俺も全身の力が抜けてその場に座り込んでしまった。

