「うん、聞きたい。聞かせて」
俺は、グラスから手を離し、膝の上に手を置いた。
よっちは、時間をかけてゆっくり、言葉を探しながら話してくれた。
よっちのセクシャリティのこと。それを隠すために、本人曰く、元の性格以上に馬鹿みたいに騒ぎ、陽キャを気取って自分を誤魔化してきたこと。いけちゃんも同じセクシャリティで、俺に話す了解を得ていること。
ある時、お互いに”気付いた”こと。いけちゃんはよっちと違って目立たないよう静かに高校生活を送っていたので、付き合い始めてからも、接点があるのがバレないよう学校であまり話すことはなかった。それなのに、誰かが教師に告げ口したこと。
「ーーヤミケンが、こっそり俺に知らせてくれたんだ。誰が言ったかは、もちろん教えてくれなかった。……それを相方に言ったらさ、泣きながら謝るんだよ。『きっと僕が学校で見かける度に目で追ってしまったからだ。迷惑かけてごめん。別れよう』って」
その状況を思うと、堪らなく胸が苦しくなった。そんなことがあったなんてわからない程、よっちは毎日くだらないことを言っては教室でゲラゲラ笑っていたのだ。
「……ごめんよっち。俺、よっちがしんどい時、全然気付けなかった」
「当たり前だろ。何年演じてきたと思ってんだ」
よっちが自慢げに笑ってみせる。けど、俺は笑い返すことができなかった。
「それから、連絡も無視されて、学校で会っても避けられるようになって。……でも、俺は絶対諦めたくなかった。気持ちがなくなったなら仕方ねぇけど、そうじゃなかったから」
いけちゃんのことを話す時のよっちは、とても柔らかい表情をしている。それだけで気持ちが伝わってきて、胸がいっぱいになった。
「あいつ、優しい奴なんだ。俺からは別れを切り出さないって知ってて、自分から離れようとしてた。だから、日に日に痩せて顔色も悪くなっていくのを見て、もう無理だと思った」
よっちの話の邪魔になりたくなくて、涙が溢れないように必死に瞬きをする。
「だから、教師も生徒もたくさんいる廊下でよっちを捕まえて、言った」
「……わざと、言ったってこと?バレるのがわかってて?」
頷くよっちに、驚きを隠せなかった。
「俺は、何があってもあいつと生きていくって決めてた。だから、もうこの学校にいるのは無理だと思った。……あれは、俺の決意みたいなもんだった」
ーー月が綺麗ですね。
「辞めるのは、俺だけのつもりだったんだ。俺達が2人とも学校にいるから校則違反になるんだったら、どっちかが辞めれば済むことだから」
ーー死んでもいいわ。
「でも、あいつ、応えちゃって。それをしっかり聞かれちまった。ってわけ」
それを話すよっちの、うれしいとも悲しいともつかない顔を見て、俺は言葉に込められた2人の決意に心が震えた。
よっちは、いけちゃんは、怖くなかったのだろうか。どんな気持ちで、それを言ったんだろう。
今後お互いに関わりを持たないことで停学で済むと言われていたのを、2人とも拒否し、自ら退学を選んだ。
ヤミケンには最後まで卒業するまで何とか耐えるよう、説得されたそうだ。
「ヤミケン、辞めてからも連絡寄越してきてさ。今からでも転入できる高校とか、色々世話してくれて。……おかげで今、通信の高校行ってんだ」
一応高校生、と自身を指差して言う。いけちゃんも、同じ高校で高卒資格を取り、進学を目指しているそうだ。
「俺も相方も、今はほっとしてる。とりあえず、もう自分に嘘をつかなくていいからな」
自分に嘘をつかなくていいという言葉が、重く心にのしかかる。
「……自分に嘘、つくのは辛いよね」
よっちに向けてなのか自分に向けてなのかわからないまま、呟いた。
言いたいことは本当は別のところにあるのに、わざと相手を傷付けるような言葉を選んでしまったり、自分の本当の気持ちを、なかったことにしようとしたり。
でも、他にも大切なものがあって、それを守るためにそうしなければいけない場合は、どうしたらいいんだろう。どちらかを選んだらどちらかを失う場合は、どうしたらいいんだろう。
すっかり薄くなってしまったラテの、水のような上澄みをストローで一口飲む。
「よっち、俺さ、今。今さ……」
言葉にしようとして、涙が溢れそうになる。
「……酷いことを言って傷付けて、謝りたい人がいるんだ。でも、どうして酷いことを言ってしまったのか自分でもわかんないから、まずはそのことをちゃんと考えないと、謝ることもできなくて。どうしたらいいかわかんないんだ」
言いながら、唇が震えた。自分の気持ちをそのまま口にするのは、とても怖かった。
「なぁ。相手にムカついたりする時って、大抵相手に何か期待していて、それが裏切られた時じゃね?」
よっちに言われ、考える。
「……俺と相手だけが知ってる大切な秘密だと思っていたことを、他にも知ってる人がいて、ショックだった」
俺がぐるぐる考えて悩んでいたことが、言葉にするとあまりにもシンプルで幼稚に思えて、途端に恥ずかしくなった。
よっちは、うーん、と考えながら口を開く。
「誰にでも態度を変えない”安定”のまめが珍しく酷いことを言ったんだから、相手によほど期待していたんじゃねぇの」
勝手に期待していた。のむの作ってくれたお弁当が、俺とのむだけの秘密なのだということを、俺は信じていた。
「それを裏切られたと感じて、ムカついちゃったんじゃねぇのか」
そうだ。お弁当のことをのぐが知っていて、俺はのむと俺だけの秘密じゃなかったことに、がっかりした。
「……よっち怖い。エスパーみたい」
「……まめ、お前さ、詐欺とか気を付けろよ。チョロすぎんだろ。詳しい話聞かなくても、これくらいのこと大体言えるぞ」
呆れた様子でよっちが笑い、改まった様子で俺に向き直った。
「謝るってさ。『俺達だけの秘密だと思ってたのに、お前なんで他の奴にも言うんだよってムカついた。2人だけの秘密だと思って喜んでしまっていた。それで思わず酷いことを言っちゃった。ごめんなさい』……って、そのまま相手に言うしかなくない?」
そのまま、相手に言う?ぐちゃぐちゃに絡まった気持ちのままでいいの?
混乱している俺に、よっちが身を乗り出し「ところでさ」と問いかける。
「まめ。嫉妬って知ってる?」
「え?」
「嫉妬」
「嫉妬……」
「うわ、したことなさそう」
「……」
嫉妬。
突然自分の気持ちが言語化されて意味を成すと、俺は、耐え切れなくなってガバッとテーブルに突っ伏した。
「消えてしまいたい……ラテの氷のように、溶けてなくなりたいです……」
いやいやいや、とよっちが笑う。
「まめがそいつのことをどう思ってるのかは知らねぇけどさ、思ってることは伝えた方がいいぞ。大事に思ってるなら、誤魔化さない方がいい。それでぶつかっても、言わないより、ずっといい」
俺がのそのそと、顔を上げると、「いいか」とよっちが続ける。
「……なぁ、まめ。俺達は話し合って、納得した上で学校辞めて、今がある。でもよ、その結論が絶対じゃないんだぜ。人の数だけ正解があるんだからさ」
「よっち……」
「ってのは、相方に絶対に伝えてくれって言われてきた」
「どうりで、賢そうだと思った」
なんだとこのやろー、とよっちが言い、俺はようやく笑うことができた。
人の数だけ正解があるなら、俺は俺で、自分の正解を信じるしかないのだ。
話をしているうちに、外はすっかり暗くなっていた。
席を立つと、よっちは「じゃあここで」と立ち止まる。
「まだ店にいるの?」と尋ねると、奥の席に親指を向ける。
奥の壁側の席に、色白で華奢な男の子が座っていた。よっちがそちらに向かって小さく手を上げると、向こうがぺこりと頭を下げたので、俺も慌てて頭を下げる。
「まめ、お前みんなから本当大事に思われてるよ。それだけは忘れんな」
「またね」と言って、よっちと別れた。店を出る前に、少しだけ振り返ると、その男の子に向かって笑顔を見せるよっちの横顔が見えた。その様子を見て俺は、よし、と覚悟を決めて、歩き出した。
俺は、グラスから手を離し、膝の上に手を置いた。
よっちは、時間をかけてゆっくり、言葉を探しながら話してくれた。
よっちのセクシャリティのこと。それを隠すために、本人曰く、元の性格以上に馬鹿みたいに騒ぎ、陽キャを気取って自分を誤魔化してきたこと。いけちゃんも同じセクシャリティで、俺に話す了解を得ていること。
ある時、お互いに”気付いた”こと。いけちゃんはよっちと違って目立たないよう静かに高校生活を送っていたので、付き合い始めてからも、接点があるのがバレないよう学校であまり話すことはなかった。それなのに、誰かが教師に告げ口したこと。
「ーーヤミケンが、こっそり俺に知らせてくれたんだ。誰が言ったかは、もちろん教えてくれなかった。……それを相方に言ったらさ、泣きながら謝るんだよ。『きっと僕が学校で見かける度に目で追ってしまったからだ。迷惑かけてごめん。別れよう』って」
その状況を思うと、堪らなく胸が苦しくなった。そんなことがあったなんてわからない程、よっちは毎日くだらないことを言っては教室でゲラゲラ笑っていたのだ。
「……ごめんよっち。俺、よっちがしんどい時、全然気付けなかった」
「当たり前だろ。何年演じてきたと思ってんだ」
よっちが自慢げに笑ってみせる。けど、俺は笑い返すことができなかった。
「それから、連絡も無視されて、学校で会っても避けられるようになって。……でも、俺は絶対諦めたくなかった。気持ちがなくなったなら仕方ねぇけど、そうじゃなかったから」
いけちゃんのことを話す時のよっちは、とても柔らかい表情をしている。それだけで気持ちが伝わってきて、胸がいっぱいになった。
「あいつ、優しい奴なんだ。俺からは別れを切り出さないって知ってて、自分から離れようとしてた。だから、日に日に痩せて顔色も悪くなっていくのを見て、もう無理だと思った」
よっちの話の邪魔になりたくなくて、涙が溢れないように必死に瞬きをする。
「だから、教師も生徒もたくさんいる廊下でよっちを捕まえて、言った」
「……わざと、言ったってこと?バレるのがわかってて?」
頷くよっちに、驚きを隠せなかった。
「俺は、何があってもあいつと生きていくって決めてた。だから、もうこの学校にいるのは無理だと思った。……あれは、俺の決意みたいなもんだった」
ーー月が綺麗ですね。
「辞めるのは、俺だけのつもりだったんだ。俺達が2人とも学校にいるから校則違反になるんだったら、どっちかが辞めれば済むことだから」
ーー死んでもいいわ。
「でも、あいつ、応えちゃって。それをしっかり聞かれちまった。ってわけ」
それを話すよっちの、うれしいとも悲しいともつかない顔を見て、俺は言葉に込められた2人の決意に心が震えた。
よっちは、いけちゃんは、怖くなかったのだろうか。どんな気持ちで、それを言ったんだろう。
今後お互いに関わりを持たないことで停学で済むと言われていたのを、2人とも拒否し、自ら退学を選んだ。
ヤミケンには最後まで卒業するまで何とか耐えるよう、説得されたそうだ。
「ヤミケン、辞めてからも連絡寄越してきてさ。今からでも転入できる高校とか、色々世話してくれて。……おかげで今、通信の高校行ってんだ」
一応高校生、と自身を指差して言う。いけちゃんも、同じ高校で高卒資格を取り、進学を目指しているそうだ。
「俺も相方も、今はほっとしてる。とりあえず、もう自分に嘘をつかなくていいからな」
自分に嘘をつかなくていいという言葉が、重く心にのしかかる。
「……自分に嘘、つくのは辛いよね」
よっちに向けてなのか自分に向けてなのかわからないまま、呟いた。
言いたいことは本当は別のところにあるのに、わざと相手を傷付けるような言葉を選んでしまったり、自分の本当の気持ちを、なかったことにしようとしたり。
でも、他にも大切なものがあって、それを守るためにそうしなければいけない場合は、どうしたらいいんだろう。どちらかを選んだらどちらかを失う場合は、どうしたらいいんだろう。
すっかり薄くなってしまったラテの、水のような上澄みをストローで一口飲む。
「よっち、俺さ、今。今さ……」
言葉にしようとして、涙が溢れそうになる。
「……酷いことを言って傷付けて、謝りたい人がいるんだ。でも、どうして酷いことを言ってしまったのか自分でもわかんないから、まずはそのことをちゃんと考えないと、謝ることもできなくて。どうしたらいいかわかんないんだ」
言いながら、唇が震えた。自分の気持ちをそのまま口にするのは、とても怖かった。
「なぁ。相手にムカついたりする時って、大抵相手に何か期待していて、それが裏切られた時じゃね?」
よっちに言われ、考える。
「……俺と相手だけが知ってる大切な秘密だと思っていたことを、他にも知ってる人がいて、ショックだった」
俺がぐるぐる考えて悩んでいたことが、言葉にするとあまりにもシンプルで幼稚に思えて、途端に恥ずかしくなった。
よっちは、うーん、と考えながら口を開く。
「誰にでも態度を変えない”安定”のまめが珍しく酷いことを言ったんだから、相手によほど期待していたんじゃねぇの」
勝手に期待していた。のむの作ってくれたお弁当が、俺とのむだけの秘密なのだということを、俺は信じていた。
「それを裏切られたと感じて、ムカついちゃったんじゃねぇのか」
そうだ。お弁当のことをのぐが知っていて、俺はのむと俺だけの秘密じゃなかったことに、がっかりした。
「……よっち怖い。エスパーみたい」
「……まめ、お前さ、詐欺とか気を付けろよ。チョロすぎんだろ。詳しい話聞かなくても、これくらいのこと大体言えるぞ」
呆れた様子でよっちが笑い、改まった様子で俺に向き直った。
「謝るってさ。『俺達だけの秘密だと思ってたのに、お前なんで他の奴にも言うんだよってムカついた。2人だけの秘密だと思って喜んでしまっていた。それで思わず酷いことを言っちゃった。ごめんなさい』……って、そのまま相手に言うしかなくない?」
そのまま、相手に言う?ぐちゃぐちゃに絡まった気持ちのままでいいの?
混乱している俺に、よっちが身を乗り出し「ところでさ」と問いかける。
「まめ。嫉妬って知ってる?」
「え?」
「嫉妬」
「嫉妬……」
「うわ、したことなさそう」
「……」
嫉妬。
突然自分の気持ちが言語化されて意味を成すと、俺は、耐え切れなくなってガバッとテーブルに突っ伏した。
「消えてしまいたい……ラテの氷のように、溶けてなくなりたいです……」
いやいやいや、とよっちが笑う。
「まめがそいつのことをどう思ってるのかは知らねぇけどさ、思ってることは伝えた方がいいぞ。大事に思ってるなら、誤魔化さない方がいい。それでぶつかっても、言わないより、ずっといい」
俺がのそのそと、顔を上げると、「いいか」とよっちが続ける。
「……なぁ、まめ。俺達は話し合って、納得した上で学校辞めて、今がある。でもよ、その結論が絶対じゃないんだぜ。人の数だけ正解があるんだからさ」
「よっち……」
「ってのは、相方に絶対に伝えてくれって言われてきた」
「どうりで、賢そうだと思った」
なんだとこのやろー、とよっちが言い、俺はようやく笑うことができた。
人の数だけ正解があるなら、俺は俺で、自分の正解を信じるしかないのだ。
話をしているうちに、外はすっかり暗くなっていた。
席を立つと、よっちは「じゃあここで」と立ち止まる。
「まだ店にいるの?」と尋ねると、奥の席に親指を向ける。
奥の壁側の席に、色白で華奢な男の子が座っていた。よっちがそちらに向かって小さく手を上げると、向こうがぺこりと頭を下げたので、俺も慌てて頭を下げる。
「まめ、お前みんなから本当大事に思われてるよ。それだけは忘れんな」
「またね」と言って、よっちと別れた。店を出る前に、少しだけ振り返ると、その男の子に向かって笑顔を見せるよっちの横顔が見えた。その様子を見て俺は、よし、と覚悟を決めて、歩き出した。
