「まめ。色々大丈夫か?」
昼休み、お昼ご飯を片手に美術室に向かおうとする俺を、糸杉が呼び止める。
「ん?」
「ーーいや、まめ忙しくて、いっぱいいっぱいになってんじゃないかと思って」
心配性で、いつも俺の世話を焼いてくれる。
糸杉こそ、文化祭実行委員で大変なのに。
「糸杉も、実行委員忙しいでしょ」
「んー、まぁ。でも余裕」
「ひぇ~かっこいい~!」
俺がおどけて言うと、糸杉の口角が少し上がった。
「……最近、あんまゆっくり喋る暇なかったな」
「そだね。最近、昼休みは俺美術室だし」
突然糸杉に、頭をわしゃわしゃされる。
「わっ。なにすんだよぉ」
「まめ。大変な時は大変ってサイン出せよ。何でもいいから」
そのまま両手で俺の頭を包み込み、糸杉が真剣な表情になる。
「大変な時は言えよ」と言わないのが、糸杉らしい。
「うん、わかった。ありがと」
「ん」
軽く頷くと、糸杉は席に戻り、俺は美術室に向かった。
ーーごめん糸杉。俺……大丈夫じゃないかもしれない。
カラカラ……と控えめに引き戸を開けると、一足先に準備をしていたのむが、こちらを振り向く。
「おう」
「うん」
短いやり取りの後、おずおずと用意された椅子に座る。もうここに座るのも5回目だ。
「今日でラフ仕上げるから」
「わかった」
今日はクリームパンを持ってきている。じっとしていた方がいいんじゃないと尋ねたら、「食べてていい」と言われたので、遠慮なくそうしている。のむは、今日もせわしなく食べながら、準備をしていたのだろう。弁当箱が、のむが座る椅子の傍らに置かれていた。
「ーー待って。まめ、ちょっと手、グーにして」
「え?こう?」
不意にそう言われ、手をグーにして見せると、のむがクリームパンをその横に並べる。
「同じじゃん」
「誰がクリームパンだっ」
うはは、とのむが大きな口で笑う。
「まめの手かわいー……」
独り言のように呟くと、俺のグーの手が、ひと回り大きな手のひらで包まれた。
キュン。
「おいしそうだから、食べていい?」
キュン。
「固くて、おいしくないかと……」
ここ数日、ずっとこの調子だ。美術室に入った途端この”キュン”攻勢。
この教室に何か魔法でもかかってるのかというくらい、のむが甘い。甘すぎて目眩がしそうだ。
「……この動作、使えんじゃね?」
「へ?」
突然のむがいつもの声色に戻って、思わず変な声が出てしまった。
「劇に。『君の手、クリームパンみたいでかわいいね』ってセリフなかったっけ」
「あー……ないですねぇ」
のむは、ふふ、と軽く笑いながら、いつの間にかラフスケッチを始めている。
くぅぅ。気持ちがぐるんぐるんに振り回される。悔しいけど、じたばたするとまたのむの長い脚で"捕獲"されてしまいそうだから、大人しくしておく。
もう無理!ってなりそうなギリギリのところで、現実に戻される。もうじきキャパを超えてしまいそうな頭に、無数のハートの矢が刺さっている。俺は戦に敗れた落武者になったような気分で、もそもそとクリームパンを頬張った。
キュンとする気持ちはわかってきたような気がするけど、正直なところ、一つも役作りの参考にはできていない。
「レベルが、高すぎるんだよなぁ」
「んー?なに……?」
のむの受け答えは、スケッチに集中し始めると緩慢になるので、すぐわかる。
俺はクリームパンを食べ終えると、空の袋をズボンのポケットにしまいながら続けた。
「のむが繰り出すキュンのレベル、高すぎて俺には無理ゲーだって言ってんの」
「ん……」
「台本読んでても、俺、相変わらずかっこよくできないし」
「……」
鉛筆を走らせる音が響く。しばらくの間その音に耳を傾けながら、俺は無意識にぽつりと呟いていた。
「……俺なんかが主役なんて、やっぱギャグにしかなんないよねぇ」
「まめ」
「わっ、びっくりした」
急にのむが顔を上げたので、椅子からずり落ちそうになる。
「俺に『かわいい』って言ってみて」
「のむに?」
「そう」
「……かわいい」
「もっとちゃんと。俺のこと見て言って」
スケッチブックを下ろして、真っ直ぐ俺を見つめるのむの顔を、改めてよく見る。
目にかかるくらいの前髪をセンターで分けて、形の良いおでこが少しのぞいている。眉は優しくカーブして、綺麗に整えられているのがわかる。鼻筋が通っていて、唇は薄め。笑うと大きな口。左頬にひとつ、小さなほくろ。……そして、意志の強そうな奥二重の目。
「かっこいい……」
「何だよ」
照れ隠しなのか、憮然とした表情でのむが返す。
「あと、ほっぺのほくろが何かずるい」
「ずるいって?」
「わかんないけど、ずるい」
「どの辺だっけ?」
自分で左頬を指さすけれど、少しずれている。
「もっとこっち」
ほくろの場所に指を当てて教えると、「そのまま」と言われた。
ペンケースからペンを取り出すと、俺の頬に、微かにちょん、と触れた。
「今日だけお揃い」
うれしそうに笑うのむを見て、思わず呟いた。
「かわいい……」
むっとした顔で「かわいいのはまめ」と言い返されて、すかさず「かわいいのはのむ」と言い返す。
のむが目を見開いて、驚いたように瞬きをする。
「……今のはよかった」
「ほんと?」
「危なかったわ」
「惚れちゃう?惚れちゃう?」
「うん。もう即落ち」
「やったー!」
はは、と笑いながら、のむが再びスケッチブックに目を移す。
楽しそうに鉛筆を走らせるのを見ながら、邪魔にならないように、ふふふ、と声に出さずに笑う。褒められてうれしくて、楽しくて、何だかふわふわした気持ちだ。
のむは最後にとん、と鉛筆で画用紙に触れると、ふう、と息を吐いた。
「ーーできた」
「えっ、本当?」
「完成まで見ないで」と言われていたので、初めて見る。
ワクワクしていると、のむがスケッチブックをこちらに向けた。
「わぁ……」
節目がちにサンドイッチを頬張る俺。美術室1日目の俺だ。こんな風に見えてるのか……と恥ずかしくなる一方で、ラフスケッチとはいえ、繊細なタッチに感動する。
「タイトルは"食いしん坊"」
「おい〜」
「はは」
「……のむすごいね。上手だねぇ」
思ったことがそのまま言葉になった。すごい、すごいと何度も言う。
「どうも」
照れながらお礼を言うと、はい、とスケッチブックを手渡してきた。改めてじっくり絵を眺める。
「あ、ほくろ」
左頬に、小さな点を見つけた。思わず自分の頬に触れる。
「今日だけお揃い」と嬉しそうに言っていたのむを思い出して、じわっとそこが温かく熱を持っているような気がした。
ーーその時は、美術室の外から見ている人がいたなんて、俺ものむも全く気付かなかった。
昼休み、お昼ご飯を片手に美術室に向かおうとする俺を、糸杉が呼び止める。
「ん?」
「ーーいや、まめ忙しくて、いっぱいいっぱいになってんじゃないかと思って」
心配性で、いつも俺の世話を焼いてくれる。
糸杉こそ、文化祭実行委員で大変なのに。
「糸杉も、実行委員忙しいでしょ」
「んー、まぁ。でも余裕」
「ひぇ~かっこいい~!」
俺がおどけて言うと、糸杉の口角が少し上がった。
「……最近、あんまゆっくり喋る暇なかったな」
「そだね。最近、昼休みは俺美術室だし」
突然糸杉に、頭をわしゃわしゃされる。
「わっ。なにすんだよぉ」
「まめ。大変な時は大変ってサイン出せよ。何でもいいから」
そのまま両手で俺の頭を包み込み、糸杉が真剣な表情になる。
「大変な時は言えよ」と言わないのが、糸杉らしい。
「うん、わかった。ありがと」
「ん」
軽く頷くと、糸杉は席に戻り、俺は美術室に向かった。
ーーごめん糸杉。俺……大丈夫じゃないかもしれない。
カラカラ……と控えめに引き戸を開けると、一足先に準備をしていたのむが、こちらを振り向く。
「おう」
「うん」
短いやり取りの後、おずおずと用意された椅子に座る。もうここに座るのも5回目だ。
「今日でラフ仕上げるから」
「わかった」
今日はクリームパンを持ってきている。じっとしていた方がいいんじゃないと尋ねたら、「食べてていい」と言われたので、遠慮なくそうしている。のむは、今日もせわしなく食べながら、準備をしていたのだろう。弁当箱が、のむが座る椅子の傍らに置かれていた。
「ーー待って。まめ、ちょっと手、グーにして」
「え?こう?」
不意にそう言われ、手をグーにして見せると、のむがクリームパンをその横に並べる。
「同じじゃん」
「誰がクリームパンだっ」
うはは、とのむが大きな口で笑う。
「まめの手かわいー……」
独り言のように呟くと、俺のグーの手が、ひと回り大きな手のひらで包まれた。
キュン。
「おいしそうだから、食べていい?」
キュン。
「固くて、おいしくないかと……」
ここ数日、ずっとこの調子だ。美術室に入った途端この”キュン”攻勢。
この教室に何か魔法でもかかってるのかというくらい、のむが甘い。甘すぎて目眩がしそうだ。
「……この動作、使えんじゃね?」
「へ?」
突然のむがいつもの声色に戻って、思わず変な声が出てしまった。
「劇に。『君の手、クリームパンみたいでかわいいね』ってセリフなかったっけ」
「あー……ないですねぇ」
のむは、ふふ、と軽く笑いながら、いつの間にかラフスケッチを始めている。
くぅぅ。気持ちがぐるんぐるんに振り回される。悔しいけど、じたばたするとまたのむの長い脚で"捕獲"されてしまいそうだから、大人しくしておく。
もう無理!ってなりそうなギリギリのところで、現実に戻される。もうじきキャパを超えてしまいそうな頭に、無数のハートの矢が刺さっている。俺は戦に敗れた落武者になったような気分で、もそもそとクリームパンを頬張った。
キュンとする気持ちはわかってきたような気がするけど、正直なところ、一つも役作りの参考にはできていない。
「レベルが、高すぎるんだよなぁ」
「んー?なに……?」
のむの受け答えは、スケッチに集中し始めると緩慢になるので、すぐわかる。
俺はクリームパンを食べ終えると、空の袋をズボンのポケットにしまいながら続けた。
「のむが繰り出すキュンのレベル、高すぎて俺には無理ゲーだって言ってんの」
「ん……」
「台本読んでても、俺、相変わらずかっこよくできないし」
「……」
鉛筆を走らせる音が響く。しばらくの間その音に耳を傾けながら、俺は無意識にぽつりと呟いていた。
「……俺なんかが主役なんて、やっぱギャグにしかなんないよねぇ」
「まめ」
「わっ、びっくりした」
急にのむが顔を上げたので、椅子からずり落ちそうになる。
「俺に『かわいい』って言ってみて」
「のむに?」
「そう」
「……かわいい」
「もっとちゃんと。俺のこと見て言って」
スケッチブックを下ろして、真っ直ぐ俺を見つめるのむの顔を、改めてよく見る。
目にかかるくらいの前髪をセンターで分けて、形の良いおでこが少しのぞいている。眉は優しくカーブして、綺麗に整えられているのがわかる。鼻筋が通っていて、唇は薄め。笑うと大きな口。左頬にひとつ、小さなほくろ。……そして、意志の強そうな奥二重の目。
「かっこいい……」
「何だよ」
照れ隠しなのか、憮然とした表情でのむが返す。
「あと、ほっぺのほくろが何かずるい」
「ずるいって?」
「わかんないけど、ずるい」
「どの辺だっけ?」
自分で左頬を指さすけれど、少しずれている。
「もっとこっち」
ほくろの場所に指を当てて教えると、「そのまま」と言われた。
ペンケースからペンを取り出すと、俺の頬に、微かにちょん、と触れた。
「今日だけお揃い」
うれしそうに笑うのむを見て、思わず呟いた。
「かわいい……」
むっとした顔で「かわいいのはまめ」と言い返されて、すかさず「かわいいのはのむ」と言い返す。
のむが目を見開いて、驚いたように瞬きをする。
「……今のはよかった」
「ほんと?」
「危なかったわ」
「惚れちゃう?惚れちゃう?」
「うん。もう即落ち」
「やったー!」
はは、と笑いながら、のむが再びスケッチブックに目を移す。
楽しそうに鉛筆を走らせるのを見ながら、邪魔にならないように、ふふふ、と声に出さずに笑う。褒められてうれしくて、楽しくて、何だかふわふわした気持ちだ。
のむは最後にとん、と鉛筆で画用紙に触れると、ふう、と息を吐いた。
「ーーできた」
「えっ、本当?」
「完成まで見ないで」と言われていたので、初めて見る。
ワクワクしていると、のむがスケッチブックをこちらに向けた。
「わぁ……」
節目がちにサンドイッチを頬張る俺。美術室1日目の俺だ。こんな風に見えてるのか……と恥ずかしくなる一方で、ラフスケッチとはいえ、繊細なタッチに感動する。
「タイトルは"食いしん坊"」
「おい〜」
「はは」
「……のむすごいね。上手だねぇ」
思ったことがそのまま言葉になった。すごい、すごいと何度も言う。
「どうも」
照れながらお礼を言うと、はい、とスケッチブックを手渡してきた。改めてじっくり絵を眺める。
「あ、ほくろ」
左頬に、小さな点を見つけた。思わず自分の頬に触れる。
「今日だけお揃い」と嬉しそうに言っていたのむを思い出して、じわっとそこが温かく熱を持っているような気がした。
ーーその時は、美術室の外から見ている人がいたなんて、俺ものむも全く気付かなかった。
