歌が、聞こえてきた。
それはまるで、天女の歌声だ。澄み渡るような美しい声が、緩やかな旋律を奏でている。
(極楽浄土……って、やつか……?)
邦雄はそんなことを考えてしまう。本当にそうだとしたら、幽霊になっても意識があるだなんて。
柔らかい枕に横たわり、小さな手に頭を撫でられているような気がする。
こんなに穏やかな気持ちは、いったいいつ以来だろう。
ゆっくりと、邦雄は目を開いた。
「あ……」
ピタリと、歌声が止む。邦雄の目に映ったのは、戸惑ったように口をモゴモゴさせる髪の短い少女だった。
「……?」
さて、天女にしてはやけに幼い風貌だ。しかもどうやら、自分はこの少女に膝枕をされていないか。
彼女の奥に見えるのは、ランプの薄暗い光に照らされた木目の天井。まるで海の上にいるように、地面がわずかに揺れている。
邦雄の脳は、疑問符で埋め尽くされてしまった。
「おい。起きたのならさっさと頭をどけろ。レーンが動けないだろ」
「……!?」
右側から聞こえてきた声に、さらに目を白黒させる。
顔を向ければ、仏頂面の白髪の男がこちらを睨んできているではないか。
「し、失礼しました!!」
恐ろしさに、慌てて起き上がる。てっきり老獪な軍人かと思ったが、目の前の男はそうではないらしい。
短い白髪に、赤い目。だが顔にシワはなく、よく鍛えられた身体をしている。半袖から覗く日に焼けた両腕には、まるでタコの足のような入れ墨。
そんな男は立ち上がると、牢屋の扉を開けた。
「レーン。船長に、謎の男が起きたことを伝えて来てくれ」
中にいる少女に手を差し伸べながら、打って変わって優しい声で伝えている。
「うん、デイブさん。船長、呼んでくる!」
当然のように少女はその手をとり、牢屋の外へ。軽やかな足取りで駆けていった。
呆然と、そんなやりとりを邦雄は眺めるしかない。
自分が牢屋の中に居ると気づいたのは、デイブと呼ばれた白髪の男が鍵を閉めてしまってからだった。
極楽浄土とは、程遠い。まさか自分は、敵国の捕虜になってしまったのだろうか。
そう思った瞬間、サアッと血の気が引いた。
(お、お、おちつけ、落ち着け……!)
急激に鼓動を速めた心臓を鎮めようと、邦雄は胸に手を当てる。その行為は、さらに彼を恐怖に突き落とした。
教官から預かった軍刀が、ない。
そこでようやく気がついたが、邦雄は軍服すら身にまとっていなかった。
日に焼けた半袖のシャツに、焦げ茶色の洋装袴。破れている箇所など、どこにもない。
清潔な衣服に安心する。同時に、装備を全て没収されている事実に打ちのめされる。
(……そう、いえば……)
血の痕すら、衣服にない。腕をどう動かしても、立ち上がっても、跳ねても、身体はどこも痛くないのだ。
あれほどの重傷が、綺麗サッパリ消えている。
「……??」
やはりここは極楽浄土か。または死に際の泡沫の夢か。
けれど頬をつねれば、そこはちゃんと痛かった。
「……何してんだ?お前」
柵の向こうにいる男……デイブが、声をかけてくる。
木箱の上に足を組んで腰掛け、呆れた顔でこちらを見ていた。
言葉が通じるなら、この男に状況を聞くのが適切か。
彼の足元に転がっている人骨を見ない振りをして、邦雄は口を開く。
しかし彼の言葉は、声にならなかった。
「デイブ。見張りご苦労」
「船長!」
入り口から聞こえた、教官の声。それに応えるように、デイブはサッと木箱から降りた。
先程とは違う意味で、心臓が跳ねる。
邦雄はこれでもかと目を見開いた。
カツカツと床を叩く靴音と共に、「船長」が牢屋の前に立つ。
軍服と同じ色の裏地の、長い水色のコート。
茶色の革靴は膝あたりまでを防具のように覆っている。
白いシャツ越しにもわかる厚い胸板を飾る、ジャラジャラとした金の装飾たち。
格好は、教官とは似ても似つかない。
だと言うのに。
顎の無精ひげ、口元のシワと焼けた肌。強気な瞳。
山なりの帽子で髪までは見えないが、それは些細なこと。
邦雄が、その顔を見間違うはずがない。
「教官……!!」
「……は?」
体当たりをするように柵の隙間から手を伸ばす。
邦雄が最も尊敬する男性が、全く違う格好で目の前にいた。
「教官……!!生きてらしたんじゃのぉ!!大和は!大和はどうなったんか!!戦闘は!?連合艦隊は!!」
「……?」
邦雄が叫ぶほど、ロングコートの男の眉間にシワが寄っていく。
まさに教官。彼は常に眉間にシワを寄せ、苦しそうに教鞭をとっていた。
けれどロングコートの男の表情は、明らかにこちらを不審がっている。そんなこと、あの教官がするはずがない。
「教官……?俺です、岡本です。大和で再会致しました、海軍兵科予備学生・第3期の岡本邦雄少尉です……!!」
「……??」
男の指がゆっくりとあご髭を撫でる。考え事をしている時、教官はいつもそうしていた。
「……おいデイブ。コイツ、気をやったか?」
「いや……レーンがずっと治癒していたので、むしろ治ってるはずなんですが……」
「ほう……」
背後にいるデイブに、男は尋ねる。いったいどうしたのだろう。
「教……官……?」
まさか、本気で自分のことを分からないのか。あの教官が。
大和にいる数多の乗組員の中、教官の方からこちらに気づいてくれたのに。
その疑問は、突如襲った痛みによって一気に吹き飛んだ。
「ぐう……!!」
肩に走る強い衝撃と激痛。呻きながら転倒した邦雄が肩に目をやれば、白いシャツにくっきりとついている靴底の痕。
蹴られた。教官は、理不尽に殴ってきたことなど一度もないのに。
さらに彼の目に迫ったのは、ランプの光を鋭く反射する刃。顔を両断できそうなサイズの、斧の刃だ。
「え」
恐る恐る、その先へ視線を移す。
斧の柄を握る無骨な手。水色のコートに包まれた腕の先には、教官と同じ造形の顔。
だが、見たことがないほど凶悪に笑っている。
「キョーカン、キョーカン、うるせえんだよ。それしか喋れねぇのか?訳のわかんねぇことばっかぬかしやがって」
「……」
教官の声が、あり得ない言葉を紡ぎ出す。
「俺は、アンピシア海賊団船長。エドワード・J・ロングハーストだ」
「か……い、ぞく……?」
「そうだ」
まるで敵国の人間のような名に、目眩がする。
「死にたくなけりゃあ……テメェの身につけてた謎の装備のことも、どこの国の誰なのかも、キッチリ全部吐くことだなァ?」
「……」
衝撃に、息ができない。
邦雄は、目の前が真っ暗になった。
それはまるで、天女の歌声だ。澄み渡るような美しい声が、緩やかな旋律を奏でている。
(極楽浄土……って、やつか……?)
邦雄はそんなことを考えてしまう。本当にそうだとしたら、幽霊になっても意識があるだなんて。
柔らかい枕に横たわり、小さな手に頭を撫でられているような気がする。
こんなに穏やかな気持ちは、いったいいつ以来だろう。
ゆっくりと、邦雄は目を開いた。
「あ……」
ピタリと、歌声が止む。邦雄の目に映ったのは、戸惑ったように口をモゴモゴさせる髪の短い少女だった。
「……?」
さて、天女にしてはやけに幼い風貌だ。しかもどうやら、自分はこの少女に膝枕をされていないか。
彼女の奥に見えるのは、ランプの薄暗い光に照らされた木目の天井。まるで海の上にいるように、地面がわずかに揺れている。
邦雄の脳は、疑問符で埋め尽くされてしまった。
「おい。起きたのならさっさと頭をどけろ。レーンが動けないだろ」
「……!?」
右側から聞こえてきた声に、さらに目を白黒させる。
顔を向ければ、仏頂面の白髪の男がこちらを睨んできているではないか。
「し、失礼しました!!」
恐ろしさに、慌てて起き上がる。てっきり老獪な軍人かと思ったが、目の前の男はそうではないらしい。
短い白髪に、赤い目。だが顔にシワはなく、よく鍛えられた身体をしている。半袖から覗く日に焼けた両腕には、まるでタコの足のような入れ墨。
そんな男は立ち上がると、牢屋の扉を開けた。
「レーン。船長に、謎の男が起きたことを伝えて来てくれ」
中にいる少女に手を差し伸べながら、打って変わって優しい声で伝えている。
「うん、デイブさん。船長、呼んでくる!」
当然のように少女はその手をとり、牢屋の外へ。軽やかな足取りで駆けていった。
呆然と、そんなやりとりを邦雄は眺めるしかない。
自分が牢屋の中に居ると気づいたのは、デイブと呼ばれた白髪の男が鍵を閉めてしまってからだった。
極楽浄土とは、程遠い。まさか自分は、敵国の捕虜になってしまったのだろうか。
そう思った瞬間、サアッと血の気が引いた。
(お、お、おちつけ、落ち着け……!)
急激に鼓動を速めた心臓を鎮めようと、邦雄は胸に手を当てる。その行為は、さらに彼を恐怖に突き落とした。
教官から預かった軍刀が、ない。
そこでようやく気がついたが、邦雄は軍服すら身にまとっていなかった。
日に焼けた半袖のシャツに、焦げ茶色の洋装袴。破れている箇所など、どこにもない。
清潔な衣服に安心する。同時に、装備を全て没収されている事実に打ちのめされる。
(……そう、いえば……)
血の痕すら、衣服にない。腕をどう動かしても、立ち上がっても、跳ねても、身体はどこも痛くないのだ。
あれほどの重傷が、綺麗サッパリ消えている。
「……??」
やはりここは極楽浄土か。または死に際の泡沫の夢か。
けれど頬をつねれば、そこはちゃんと痛かった。
「……何してんだ?お前」
柵の向こうにいる男……デイブが、声をかけてくる。
木箱の上に足を組んで腰掛け、呆れた顔でこちらを見ていた。
言葉が通じるなら、この男に状況を聞くのが適切か。
彼の足元に転がっている人骨を見ない振りをして、邦雄は口を開く。
しかし彼の言葉は、声にならなかった。
「デイブ。見張りご苦労」
「船長!」
入り口から聞こえた、教官の声。それに応えるように、デイブはサッと木箱から降りた。
先程とは違う意味で、心臓が跳ねる。
邦雄はこれでもかと目を見開いた。
カツカツと床を叩く靴音と共に、「船長」が牢屋の前に立つ。
軍服と同じ色の裏地の、長い水色のコート。
茶色の革靴は膝あたりまでを防具のように覆っている。
白いシャツ越しにもわかる厚い胸板を飾る、ジャラジャラとした金の装飾たち。
格好は、教官とは似ても似つかない。
だと言うのに。
顎の無精ひげ、口元のシワと焼けた肌。強気な瞳。
山なりの帽子で髪までは見えないが、それは些細なこと。
邦雄が、その顔を見間違うはずがない。
「教官……!!」
「……は?」
体当たりをするように柵の隙間から手を伸ばす。
邦雄が最も尊敬する男性が、全く違う格好で目の前にいた。
「教官……!!生きてらしたんじゃのぉ!!大和は!大和はどうなったんか!!戦闘は!?連合艦隊は!!」
「……?」
邦雄が叫ぶほど、ロングコートの男の眉間にシワが寄っていく。
まさに教官。彼は常に眉間にシワを寄せ、苦しそうに教鞭をとっていた。
けれどロングコートの男の表情は、明らかにこちらを不審がっている。そんなこと、あの教官がするはずがない。
「教官……?俺です、岡本です。大和で再会致しました、海軍兵科予備学生・第3期の岡本邦雄少尉です……!!」
「……??」
男の指がゆっくりとあご髭を撫でる。考え事をしている時、教官はいつもそうしていた。
「……おいデイブ。コイツ、気をやったか?」
「いや……レーンがずっと治癒していたので、むしろ治ってるはずなんですが……」
「ほう……」
背後にいるデイブに、男は尋ねる。いったいどうしたのだろう。
「教……官……?」
まさか、本気で自分のことを分からないのか。あの教官が。
大和にいる数多の乗組員の中、教官の方からこちらに気づいてくれたのに。
その疑問は、突如襲った痛みによって一気に吹き飛んだ。
「ぐう……!!」
肩に走る強い衝撃と激痛。呻きながら転倒した邦雄が肩に目をやれば、白いシャツにくっきりとついている靴底の痕。
蹴られた。教官は、理不尽に殴ってきたことなど一度もないのに。
さらに彼の目に迫ったのは、ランプの光を鋭く反射する刃。顔を両断できそうなサイズの、斧の刃だ。
「え」
恐る恐る、その先へ視線を移す。
斧の柄を握る無骨な手。水色のコートに包まれた腕の先には、教官と同じ造形の顔。
だが、見たことがないほど凶悪に笑っている。
「キョーカン、キョーカン、うるせえんだよ。それしか喋れねぇのか?訳のわかんねぇことばっかぬかしやがって」
「……」
教官の声が、あり得ない言葉を紡ぎ出す。
「俺は、アンピシア海賊団船長。エドワード・J・ロングハーストだ」
「か……い、ぞく……?」
「そうだ」
まるで敵国の人間のような名に、目眩がする。
「死にたくなけりゃあ……テメェの身につけてた謎の装備のことも、どこの国の誰なのかも、キッチリ全部吐くことだなァ?」
「……」
衝撃に、息ができない。
邦雄は、目の前が真っ暗になった。



