戦艦大和で戦死した男、異世界で海賊になる

 波の音が邦雄の耳を打つ。大の字で甲板に寝そべれば、満天の星空が視界いっぱいに広がっている。
 大和で見上げた星空と、同じようで、違う空。

 デイブが行方不明になり、邦雄に作戦立案という無茶振りがされてから早1週間。
 初めて、味方なはずの他の海賊団船長が一同に会した会議を経て、邦雄は完全に力尽きてきた。

 飛び交う怒号。ドコとの協力は嫌だだとか、船の配置が気に入らないだとか。船に主砲を設置することすら猛反発を受ける始末。
 エドワードのがなり1つでシンと静まり返ったのは、会議の場だけではなく邦雄の心も同様だった。

(連合艦隊の作戦立案と指揮なんて、海軍将校様らぁの仕事じゃあ……。ただの通信兵には、荷が重すぎる……)

 大和艦内で、自分より年上で古株な軍曹でさえ怖かったのに。一体どうして荒くれ者の海賊たちの指揮なんてできるだろう。

 戦争から生き延びてしまったのに、また戦争。
 邦雄はもう、抜け殻だった。

 そこへ、ヒラリと揺れる白いシャツの袖口が見えた。

「大丈夫か? 邦雄」
「リヴァイさん……」

 覗き込んできた先輩の名を、ただ呆然と呟く。
 その無気力っぷりに、リヴァイの方が困ったように眉を下げた。

「……大変だろう」
「へえ……」
「陛下も大概だよな。海賊が引き起こした問題だから海賊でケリをつけろ、騎士団はださない、だなんて。それを飲んだ船長もどうなんだってところだ」
「ははは……」

 大の字の隣に、リヴァイは腰掛ける。
 先輩が来たのに起き上がる気力すらなく、邦雄は未だに横たわったまま。海軍だったら、確実に先輩に怒鳴られているだろう。

「……これ」
「……?」

 そんな邦雄へ、リヴァイの右手が何かを差し出す。
 首だけを動かして、それを確認した。

 濃紺の布に包まれた、棒状のもの。

「軍刀ぅぅぅぅぅ!!!!!」

 それを認識した途端、飛び上がる勢いで邦雄は身体を起こす。そして差し出されていたそれを、がっしりと両手で握りしめた。

 リヴァイの手がそっと軍刀から離れていく。
 久しぶりに握った教官からの預かり物は、ずっしりと重たく邦雄の手の中で存在を主張していた。

「遅くなってすまなかった。……お前に返す、邦雄」
「え!?!」

 先輩の言葉が信じられない。思わずその顔を見れば、優しい顔をした騎士がそこにいた。

「船長との交渉が長引いた。裏切り者を炙り出したんだから、報酬を寄越せと言ってたんだがな……」
「……え? それじゃと、リヴァイさんの報酬で教官の軍刀なんておかしいんじゃ……」
「全く?」

 海よりも深い青の瞳が、真っ直ぐに邦雄を見つめている。続いた言葉に、彼は目を見開いた。

「言っただろう? クニオのおかげで俺は騎士として命拾いしたと。ならばその礼は、お前が『教官の命だ』と言っていたものでしか、釣り合わないだろう」
「ッ……!!」

 邦雄が軍刀のことをリヴァイの前で泣きわめいたのは、初めての商船襲撃の後だけだ。
 そのたった一度の言葉を、彼は覚えていてくれた。
 それがどれだけ、邦雄の心を救っただろう。

 そよそよと吹く風が、リヴァイの左腕をはためかせる。
 彼はそのまま、ゆっくりと立ち上がった。

「短剣と一緒に包まれていた書簡も、そのままだ」
「……書簡?」
「なんだ、気づいてないのか? ヨルムさんでさえ読めなかったから、たぶんお前のいたニホンの言葉で書かれたものだ。教官殿からなんじゃないか?」
「……!?」

 星空の中に、リヴァイの笑みが映える。彼はそのまま、船内へと立ち去ってしまった。

「……教官からの、書簡……?」

 全く心当たりはない。邦雄は恐る恐る、濃紺の布をめくり始めた。

 全てひらけば、そこに鎮座するのは黒漆塗の鞘に納められた短刀だ。教官の、軍刀。
 その上には、三つ折りの白い紙があった。

「……え」

 わずかに震える手で、そうっとその和紙を掴む。

 開くのが、怖い。
 だが、読まない訳にはいかない。

 乾いた海水でパリパリなそれを、慎重に開く。

 ——岡本
 
 目に飛び込んできたのは、教官の字による自分の名前だ。

 必死になって、その字を追う。
 教官は、これを読んでいる邦雄は安全な場所にいると明確に記している。それは、転位魔術によるものだという。

 その冒頭すら理解しきれないまま辿った、次の言葉。
 
 ——いいか、岡本。お前は生きろ。

「ッ……!!」

 力強く書かれたその文字に、胸が熱くなる。

 その書簡は、教官から邦雄への最期の教えだった。
 そして教官の、遺書だった。

 日本は戦争に敗けること。
 その先の日本を託す言葉。
 教官の抱えていた、苦しさ。
 
——お前さえ、この先永く生きてくれれば、俺は、若い者達を死地へ送り続けた自分の罪を、ほんのひとさじだけ、軽くできる。

 この文だけ震えているのだ、字が。
 墨が、海水ではない水滴で滲んでいる。

 今になって初めて、あの眉間のシワの意味を知った気がする。

「ぎょう……がん……!!」 

 身体が熱い。呼吸が苦しい。肩を震わせ、声を抑えることすらできそうにない。

「ッ……ふ、ぐ……うぅ……!!」

 邦雄が生き延びたのは、教官が生き残らせてくれたからだった。
 彼の使う西洋魔術が、邦雄を「安全な場所」へ連れて来てくれていた。

 自分だけ生きたと責める気持ちを教官へぶつけていいと。それでも生きろと。
 教官の豪快な字が、邦雄に語りかけてくる。

——この国の未来を、任せたぞ。岡本。

 遺書は、そう締めくくられていた。

 日付は、大和での激戦の前日。
 署名の下に縫われているのは、日本のお札だ。
 それを外してみると、円の中に何やら色々描かれている文様が書かれている。
 「魔法陣」だ。
  
「教官ンーー……!!!」 

 日本に、帰らなければ。
 呉にいる母を支えなければ。教官の言伝を伝えるために、横須賀へ行かなければ。

 死にゆく覚悟の海の上で、自ら亡き後の国を思った1人の軍人。
 その願いを託されたからには、果たさなければならないだろう。
 そのために、生き残らせて貰ったのだから。

「ズッ……ぅ……長澤教官……あ゛りがどう゛、ございま゛ず……!!」

 遺書と軍刀を、邦雄は胸いっぱいに抱きしめる。
 彼はぐしゃぐしゃのまま、顔を上げた。

 異世界の戦争までも、敗けるわけにはいかなかった。