波乱の授与式の翌朝早くに、アンピシア海賊団は再び海へと漕ぎ出した。波は穏やか、風は良好。
ピンと張った帆は日の光を受けて誇らしげに輝いていた。
船の食事で、王宮で見たことを他のメンバーに話せば、それぞれ全く違った反応を見せた。
マーンはエドワードの手腕を絶賛し、ニッドは大爆笑。一方、レーンとデイブは事態を重く受け止めたようで、青ざめていた。
しかし予想とは裏腹に、航海は穏やかだった。襲う対象の船もまだ見つからないため、なんと気ままで平和な海の生活か。
ラッパもなく、好きな時間に起きる。そして、ニッドやレーンと一緒に船の掃除。マーンの手料理をみんなで食べて、空いた時間にはリヴァイからこの国の文字を教えてもらう。お願いすれば、デイブはいつでも基礎体力訓練に付き合ってくれた。
そんな海賊生活。それは、海軍で過ごした海とは、全く様相が違っていた。
◇
これは、夢だ。何故か邦雄は、そうハッキリと自覚した。
呉鎮守府の、分隊長や教官たちの使う執務室。なぜか誰もいないそこに、教官と邦雄が2人きり。
「ミッドウェーで……相棒が先に逝った」
教官のその言葉は、よく覚えている。ゆっくり、絞り出すような声だった。
「アイツが生還させた俺たちの部下から、式神が秘密裏に届いた。そこにあった話じゃ、あの日、米軍の艦隊が先回りしていたらしい」
「え……!?そんなこと、どこにも……」
「あぁ、報道されてない。だから今から言う話は忘れろよ?」
「……」
恐ろしいことを言うもんだと、このときは思ったものだ。
けれど教官の雰囲気に、邦雄は言葉を飲み込むしかなかった。夕日をぼんやりと眺める彼の、諦めたような、憤っているような、声。
机に置かれた右手は、1枚の写真を握っている。
教官を含む、軍服姿の5人が映っている。そのうち1人は、髪の短い女性だろうか。
不思議に思ったのを、邦雄は鮮明に覚えていた。
「アイツは予知能力があったから……その先回りを予知して、上官に作戦変更を進言し続けていた、らしい。けど……アイツの異能は、情報として扱われなかった」
「……」
そこまで話すと、教官はゆっくりとこちらを振り向いた。
深く深く刻まれた、眉間のシワ。目元にはクマが目立ち、肌の小ジワが経験の重みを伝えてくる。
無精ひげに飾られた口元は、キツく引き結ばれていた。
髪色違いの同じ顔なのに、エドワードがこんな表情をするところは、想像もつかない。
「……岡本」
「はい」
教官の紡ぐ言葉を一言一句聞き逃すまいと、邦雄は背筋を伸ばした。
「十中八九、米軍はこちらの暗号なんて、とっくに解読してる。仮に艦隊にスパイがいたとしても、船の動きなんて、式神でもなけりゃ電信を使わずに伝えるのは無理だ」
「っ……」
「だから、お前は通信を磨いて、暗号を解読し返してやれ。霊だろうがなんだろうが、使える情報源はなんでも使え。些細なことでも見落とすな。伝わるまで伝えろ。お前の成績と慎重さなら、それができる」
「教官……」
ユラユラと、鎮守府の床が揺れ始める。
「情報ってぇのは1つ掴むだけで、戦況をひっくり返せるんだから……」
教官の顔までがグニャリと歪み、ユラユラと揺れる海面に飲み込まれていってしまう。
「教官……!!」
大和で手を伸ばしてくれていたように、今度は邦雄が教官に向かって手を伸ばした。
……はず、だった。
「ニオってばーー!!」
「ん……?」
ユラユラと、ハンモックが激しく揺れている。それに気づいて、邦雄は目を覚ました。
すると、視界いっぱいを占領するニッドの笑顔。
「わっ!?」
「やーっと起きた! おはよーやでー!」
「お、おはよ……」
衝撃に心臓がドキドキ言っている。だが周りを見れば、同室であるデイブ、リヴァイの2人もとっくに起きているらしい。
しまった。一番の新入りなのに、一番長く寝てしまうとは。海軍だったら、先輩たちからぶん殴られても当然だ。
「洗濯物干すから、ロープ張るの手伝ってやー! 昨夜の雨も止んで、晴天やでー!!」
そう言って、ニッドは道具箱からロープを二束取って駆けていく。
「わかった、すぐに向かう!」
返事をしながらハンモックから飛び降り、慣れた手つきで手早く畳む。そして寝具を男部屋の隅へ。
リヴァイとデイブから心底驚かれ、ニッドにはおかしそうに笑われた、この手順。現に、先輩たちの寝床は吊られたままだ。
だが邦雄からすれば、畳まない方が気持ち悪い。一度全員のを片付けてしまったことがあるが、残念ながら不評だった。
ニッド曰く、昼寝がしづらい。
そんなことを言われるとは思ってもいなかった。
年長の2人にさえ渋い顔をされてしまっては、もう何も言えまい。
邦雄は先輩たちのハンモックへの違和感にムズムズするのだが、毎朝グッと飲み込んでいた。
さて、着替えを済ませた邦雄は、ニッドの後を追う。
夢の中とは言え教官に会えたことが、彼の足取りを軽くしていた。
◇
この日は、出航から5日目だ。
空は青く澄み渡り、海面はキラキラと輝いている。心地良い風が吹いていた。
「姐やーん!」
甲板で叫んだニッドが、両腕を動かす。
左手を下げたまま、右手を水平に。一度両手を垂らすと、右手を右へ水平にし、左手を頭上から右方向へ振り下ろして、右手とほぼ同じ方向へ。
再び両手を垂らした姿勢に戻る。そして両手を頭上で交差。もう一度両手を垂らし、右手を真上へ上げて、左手を左へ水平に。
最後にまた、両手を垂らす。
海軍手旗信号による、「ヨシ」だ。
すると、洗った衣服が大量に入ったカゴを抱えたマーンとレーンが甲板へ駆け出してくる。
洗濯物を干す準備が整ったことを伝えた「ヨシ」だったのだ。
現に、邦雄が船橋の柵にくくりつけたロープは、ニッドによって船首に結ばれてピンと張っていた。
「……便利だな、あれ」
船橋で、舵輪を握るデイブが呟く。隣から聞こえたその言葉に、邦雄はニッと笑って答えた。
「じゃろう? 海軍じゃあ基礎中の基礎じゃ! 昔のえらーい軍人様が作って下さったんじゃ!」
どんな話の流れだったかは忘れたが、邦雄が教えた手旗信号。
それはあっという間に、この海賊団の日常に溶け込んでいた。
そんな甲板に現れたのは、エドワードだ。
嬉しそうに迎えるマーンをシカトして、船橋を見上げて彼は告げた。
「デイブ、面舵いっぱい。ソルラーマの商船だ。襲うぞ」
この男は……と、邦雄は顔をしかめてしまう。
先日の授与式であんなことをしでかしておいて、まだ平然と襲撃を指示するのか。
良心の呵責が起きるのは邦雄だけなのだろう。
隣ではパッパッパッパと、デイブの手旗信号が「ヨシ」を送っていた。
「面舵いっぱーい!」
操舵手の声が響く。とっくにマストそばに待機していたリヴァイとヨルムが、船の旋回に合わせて帆を調整し始めた。
「……そこは普通に返事で良いだろォ」
もちろんエドワードも、手旗信号はきちんと理解している。とはいえ、面白がって使う意味が分からないと言うように、怪訝な顔をしていたのだった。
洗濯物は中断して、各自戦闘準備へ。
そんな海賊船の上空を、大きな翼の鳥らしき影が通過していった。
ピンと張った帆は日の光を受けて誇らしげに輝いていた。
船の食事で、王宮で見たことを他のメンバーに話せば、それぞれ全く違った反応を見せた。
マーンはエドワードの手腕を絶賛し、ニッドは大爆笑。一方、レーンとデイブは事態を重く受け止めたようで、青ざめていた。
しかし予想とは裏腹に、航海は穏やかだった。襲う対象の船もまだ見つからないため、なんと気ままで平和な海の生活か。
ラッパもなく、好きな時間に起きる。そして、ニッドやレーンと一緒に船の掃除。マーンの手料理をみんなで食べて、空いた時間にはリヴァイからこの国の文字を教えてもらう。お願いすれば、デイブはいつでも基礎体力訓練に付き合ってくれた。
そんな海賊生活。それは、海軍で過ごした海とは、全く様相が違っていた。
◇
これは、夢だ。何故か邦雄は、そうハッキリと自覚した。
呉鎮守府の、分隊長や教官たちの使う執務室。なぜか誰もいないそこに、教官と邦雄が2人きり。
「ミッドウェーで……相棒が先に逝った」
教官のその言葉は、よく覚えている。ゆっくり、絞り出すような声だった。
「アイツが生還させた俺たちの部下から、式神が秘密裏に届いた。そこにあった話じゃ、あの日、米軍の艦隊が先回りしていたらしい」
「え……!?そんなこと、どこにも……」
「あぁ、報道されてない。だから今から言う話は忘れろよ?」
「……」
恐ろしいことを言うもんだと、このときは思ったものだ。
けれど教官の雰囲気に、邦雄は言葉を飲み込むしかなかった。夕日をぼんやりと眺める彼の、諦めたような、憤っているような、声。
机に置かれた右手は、1枚の写真を握っている。
教官を含む、軍服姿の5人が映っている。そのうち1人は、髪の短い女性だろうか。
不思議に思ったのを、邦雄は鮮明に覚えていた。
「アイツは予知能力があったから……その先回りを予知して、上官に作戦変更を進言し続けていた、らしい。けど……アイツの異能は、情報として扱われなかった」
「……」
そこまで話すと、教官はゆっくりとこちらを振り向いた。
深く深く刻まれた、眉間のシワ。目元にはクマが目立ち、肌の小ジワが経験の重みを伝えてくる。
無精ひげに飾られた口元は、キツく引き結ばれていた。
髪色違いの同じ顔なのに、エドワードがこんな表情をするところは、想像もつかない。
「……岡本」
「はい」
教官の紡ぐ言葉を一言一句聞き逃すまいと、邦雄は背筋を伸ばした。
「十中八九、米軍はこちらの暗号なんて、とっくに解読してる。仮に艦隊にスパイがいたとしても、船の動きなんて、式神でもなけりゃ電信を使わずに伝えるのは無理だ」
「っ……」
「だから、お前は通信を磨いて、暗号を解読し返してやれ。霊だろうがなんだろうが、使える情報源はなんでも使え。些細なことでも見落とすな。伝わるまで伝えろ。お前の成績と慎重さなら、それができる」
「教官……」
ユラユラと、鎮守府の床が揺れ始める。
「情報ってぇのは1つ掴むだけで、戦況をひっくり返せるんだから……」
教官の顔までがグニャリと歪み、ユラユラと揺れる海面に飲み込まれていってしまう。
「教官……!!」
大和で手を伸ばしてくれていたように、今度は邦雄が教官に向かって手を伸ばした。
……はず、だった。
「ニオってばーー!!」
「ん……?」
ユラユラと、ハンモックが激しく揺れている。それに気づいて、邦雄は目を覚ました。
すると、視界いっぱいを占領するニッドの笑顔。
「わっ!?」
「やーっと起きた! おはよーやでー!」
「お、おはよ……」
衝撃に心臓がドキドキ言っている。だが周りを見れば、同室であるデイブ、リヴァイの2人もとっくに起きているらしい。
しまった。一番の新入りなのに、一番長く寝てしまうとは。海軍だったら、先輩たちからぶん殴られても当然だ。
「洗濯物干すから、ロープ張るの手伝ってやー! 昨夜の雨も止んで、晴天やでー!!」
そう言って、ニッドは道具箱からロープを二束取って駆けていく。
「わかった、すぐに向かう!」
返事をしながらハンモックから飛び降り、慣れた手つきで手早く畳む。そして寝具を男部屋の隅へ。
リヴァイとデイブから心底驚かれ、ニッドにはおかしそうに笑われた、この手順。現に、先輩たちの寝床は吊られたままだ。
だが邦雄からすれば、畳まない方が気持ち悪い。一度全員のを片付けてしまったことがあるが、残念ながら不評だった。
ニッド曰く、昼寝がしづらい。
そんなことを言われるとは思ってもいなかった。
年長の2人にさえ渋い顔をされてしまっては、もう何も言えまい。
邦雄は先輩たちのハンモックへの違和感にムズムズするのだが、毎朝グッと飲み込んでいた。
さて、着替えを済ませた邦雄は、ニッドの後を追う。
夢の中とは言え教官に会えたことが、彼の足取りを軽くしていた。
◇
この日は、出航から5日目だ。
空は青く澄み渡り、海面はキラキラと輝いている。心地良い風が吹いていた。
「姐やーん!」
甲板で叫んだニッドが、両腕を動かす。
左手を下げたまま、右手を水平に。一度両手を垂らすと、右手を右へ水平にし、左手を頭上から右方向へ振り下ろして、右手とほぼ同じ方向へ。
再び両手を垂らした姿勢に戻る。そして両手を頭上で交差。もう一度両手を垂らし、右手を真上へ上げて、左手を左へ水平に。
最後にまた、両手を垂らす。
海軍手旗信号による、「ヨシ」だ。
すると、洗った衣服が大量に入ったカゴを抱えたマーンとレーンが甲板へ駆け出してくる。
洗濯物を干す準備が整ったことを伝えた「ヨシ」だったのだ。
現に、邦雄が船橋の柵にくくりつけたロープは、ニッドによって船首に結ばれてピンと張っていた。
「……便利だな、あれ」
船橋で、舵輪を握るデイブが呟く。隣から聞こえたその言葉に、邦雄はニッと笑って答えた。
「じゃろう? 海軍じゃあ基礎中の基礎じゃ! 昔のえらーい軍人様が作って下さったんじゃ!」
どんな話の流れだったかは忘れたが、邦雄が教えた手旗信号。
それはあっという間に、この海賊団の日常に溶け込んでいた。
そんな甲板に現れたのは、エドワードだ。
嬉しそうに迎えるマーンをシカトして、船橋を見上げて彼は告げた。
「デイブ、面舵いっぱい。ソルラーマの商船だ。襲うぞ」
この男は……と、邦雄は顔をしかめてしまう。
先日の授与式であんなことをしでかしておいて、まだ平然と襲撃を指示するのか。
良心の呵責が起きるのは邦雄だけなのだろう。
隣ではパッパッパッパと、デイブの手旗信号が「ヨシ」を送っていた。
「面舵いっぱーい!」
操舵手の声が響く。とっくにマストそばに待機していたリヴァイとヨルムが、船の旋回に合わせて帆を調整し始めた。
「……そこは普通に返事で良いだろォ」
もちろんエドワードも、手旗信号はきちんと理解している。とはいえ、面白がって使う意味が分からないと言うように、怪訝な顔をしていたのだった。
洗濯物は中断して、各自戦闘準備へ。
そんな海賊船の上空を、大きな翼の鳥らしき影が通過していった。



