昭和20年、4月7日。
岡本邦雄は、戦艦大和の通信室にいた。
機関銃の音と無数の飛行機の音を微かに聞きながら、必死に電信を打つ。
艦内の状況、敵の位置、少しでも情報を伝えるために。
————そうしていた、はずだった。
「ッハ……!!」
苦しいほどに咳き込みながら、ずぶ濡れの身体を邦雄はゆっくりと持ち上げた。
身体のあちこちが激痛に苛まれ、もはやどこが痛んでいるのかすら分からない。
「電信を……」
そう、部下に指示を出そうとした。上官の指示を仰ごうとした。だが、目に入ってきたのは見るも無惨な光景だった。
大破し、バチバチと火花をあげている機材。
海水と血でドロドロの床に転がっているのは、部下だった者、上官だった者。
被弾した。大和の情報共有の要が死んでしまった。
そう理解した途端、邦雄は水しぶきをあげながらどうにか足を踏み出した。
通信網がやられたならば、伝令に走るしかない。短い海軍生活でも、そのくらいは身に染みついている。
何度も駆け上った急勾配の階段を、必死の最高速度で登っていく。
顔を出したその瞬間。
「うっ……!!」
パキュンという高い音。すぐ横の鋼鉄に弾が直撃し、跳ねた破片が邦雄の目元を切り裂いた。
立ち昇る煙。轟音にのまれて、号令どころか指揮すら通っているのか怪しい。
甲板は、通信室と同様に血液と肉片で真っ赤だ。
船橋へ向かうには、どう足掻いても砲撃の雨に晒される。
それを分かってなお、邦雄は持ちうる全ての力を振り絞り駆け出した。
(どうせ死ぬるんじゃ!!じゃったら、ちいとでも役に立て……!!)
そう脳裏で叫び、歯を食いしばる。
駆け上がる先から微かに聞こえてきた指揮の怒号は、邦雄が最も尊敬する海軍士官のもの。
「教官!!」
叫ぶと、士官は振り向いた。血と煤で酷い顔色。だが、深く眉間にシワを寄せたその髭面を、邦雄が見間違うはずがない。
「岡本!!なんだ!!」
「通信室被弾!!伝令を、」
叫び合う2人の男。
だが邦雄が簡潔な報告を言い切る暇さえも、敵は与えてくれなかった。
大きく、船体が傾いた。不沈艦と信じて疑わなかった、あの、大和が。
その瞬間、邦雄の身体は細い階段から宙へと放り出されてしまった。
「ッッッ……!!」
世界がスローモーションに映る。
聞こえてくるのは、飛行機と機関銃の轟音だけ。
目の前を横切る閃光。立ち昇る煙。飛び散る血。
その向こうで、教官がこちらに手を伸ばしていた。
視界の端で、何かが青く光った気がする。
昨夜懐に押し込まれた、教官の軍刀が熱い。
僅かに教官が笑ったような気がした時。
邦雄の身体は、海面に叩きつけられた。
ありえないくらい静かな海の中。
ゴポ……と、海面へ気泡と血液が上がっていく。
それを呆然と眺めながら、邦雄はただ、たゆたう。
(冥府の……月讀命って……海の神様でもあるんかいねぇ……)
そんなとりとめもない言葉が思い浮かぶ。
重たい瞼が、ゆっくりと落ちてきた。
鮮明に思い描けるのは、呉の街並み、母の顔、鎮守府での生活。
そして、教官の姿。怒鳴り声も、背中を叩く大きな手も、眉根を寄せて苦しげに笑う顔も。
「どこの国にもない衣服と装備だ。全部剝いで保管しろ。ただし殺すな。船尾の牢に入れてろ」
何かに押し上げられる感覚と、薄れゆく意識の中で聞こえた声。
(教、官……?)
大好きな声に安心したように、邦雄は完全に意識を手放したのだった。
岡本邦雄は、戦艦大和の通信室にいた。
機関銃の音と無数の飛行機の音を微かに聞きながら、必死に電信を打つ。
艦内の状況、敵の位置、少しでも情報を伝えるために。
————そうしていた、はずだった。
「ッハ……!!」
苦しいほどに咳き込みながら、ずぶ濡れの身体を邦雄はゆっくりと持ち上げた。
身体のあちこちが激痛に苛まれ、もはやどこが痛んでいるのかすら分からない。
「電信を……」
そう、部下に指示を出そうとした。上官の指示を仰ごうとした。だが、目に入ってきたのは見るも無惨な光景だった。
大破し、バチバチと火花をあげている機材。
海水と血でドロドロの床に転がっているのは、部下だった者、上官だった者。
被弾した。大和の情報共有の要が死んでしまった。
そう理解した途端、邦雄は水しぶきをあげながらどうにか足を踏み出した。
通信網がやられたならば、伝令に走るしかない。短い海軍生活でも、そのくらいは身に染みついている。
何度も駆け上った急勾配の階段を、必死の最高速度で登っていく。
顔を出したその瞬間。
「うっ……!!」
パキュンという高い音。すぐ横の鋼鉄に弾が直撃し、跳ねた破片が邦雄の目元を切り裂いた。
立ち昇る煙。轟音にのまれて、号令どころか指揮すら通っているのか怪しい。
甲板は、通信室と同様に血液と肉片で真っ赤だ。
船橋へ向かうには、どう足掻いても砲撃の雨に晒される。
それを分かってなお、邦雄は持ちうる全ての力を振り絞り駆け出した。
(どうせ死ぬるんじゃ!!じゃったら、ちいとでも役に立て……!!)
そう脳裏で叫び、歯を食いしばる。
駆け上がる先から微かに聞こえてきた指揮の怒号は、邦雄が最も尊敬する海軍士官のもの。
「教官!!」
叫ぶと、士官は振り向いた。血と煤で酷い顔色。だが、深く眉間にシワを寄せたその髭面を、邦雄が見間違うはずがない。
「岡本!!なんだ!!」
「通信室被弾!!伝令を、」
叫び合う2人の男。
だが邦雄が簡潔な報告を言い切る暇さえも、敵は与えてくれなかった。
大きく、船体が傾いた。不沈艦と信じて疑わなかった、あの、大和が。
その瞬間、邦雄の身体は細い階段から宙へと放り出されてしまった。
「ッッッ……!!」
世界がスローモーションに映る。
聞こえてくるのは、飛行機と機関銃の轟音だけ。
目の前を横切る閃光。立ち昇る煙。飛び散る血。
その向こうで、教官がこちらに手を伸ばしていた。
視界の端で、何かが青く光った気がする。
昨夜懐に押し込まれた、教官の軍刀が熱い。
僅かに教官が笑ったような気がした時。
邦雄の身体は、海面に叩きつけられた。
ありえないくらい静かな海の中。
ゴポ……と、海面へ気泡と血液が上がっていく。
それを呆然と眺めながら、邦雄はただ、たゆたう。
(冥府の……月讀命って……海の神様でもあるんかいねぇ……)
そんなとりとめもない言葉が思い浮かぶ。
重たい瞼が、ゆっくりと落ちてきた。
鮮明に思い描けるのは、呉の街並み、母の顔、鎮守府での生活。
そして、教官の姿。怒鳴り声も、背中を叩く大きな手も、眉根を寄せて苦しげに笑う顔も。
「どこの国にもない衣服と装備だ。全部剝いで保管しろ。ただし殺すな。船尾の牢に入れてろ」
何かに押し上げられる感覚と、薄れゆく意識の中で聞こえた声。
(教、官……?)
大好きな声に安心したように、邦雄は完全に意識を手放したのだった。



