学年一の王子様は俺の彼氏になりたがってる

 瀬名(せな)理央(りお)という男は、思っていたよりずっと暇らしい。
 少なくとも、朝倉湊(あさくらみなと)にはそうとしか思えなかった。
 最初に図書室で話してから三日が過ぎたが、昼休みになれば理央は何食わぬ顔で湊のところへ現れ、放課後になれば当然のように図書室へやって来る。四六時中まとわりついてくるわけではなく、授業中まで他クラスから押しかけてくるような非常識さもないものの、昼休みや放課後という、ごく普通の高校生ならそれまで付き合いのあった友人と過ごしているはずの時間を、つい数日前までほとんど話したこともなかった湊のために使っていることには変わりなかった。
 四日目の昼休み、中庭のベンチに並んで腰を下ろしたところで、湊はとうとう我慢できずに尋ねた。
「お前、友達いないの?」
 購買の袋を開きかけていた理央が、ひどく心外そうな顔をした。
「いるよ。普通に」
「だったら、何で毎日俺と昼食ってるんだよ。今まで一緒に食べてた奴らいるだろ」
「今日は教室にいると思うけど。でも俺は朝倉と食べたいから来た」
 あまりにも当然のこととして言われてしまい、湊は続く言葉を失った。
 別に友人を捨てたわけでも、自分に付き合うよう強要されたわけでもないのだから、理央がどこで誰と昼食を取ろうと本人の自由ではある。ただ、その自由の結果として連日選ばれているのが自分だということが、どうにも腑に落ちなかった。
 湊は持ってきたサンドイッチの袋を開いた。普段ならパン一個で昼食を済ませていたところだが、昨日それを理央に散々言われたせいで、今朝は母親が朝食用に作って残していたサンドイッチを二つ持ってきている。もちろん理央に言われたからではなく、昨日の体育で腹が鳴ったからだと自分では思っている。
 ところが隣に座った理央は、湊の手元を見るなり露骨に嬉しそうな顔をした。
「今日は二個ある」
「数えるなよ。というか、何でお前が安心してるんだ」
「作者には健康で長生きしてほしいから。朝倉が倒れて更新止まったら困るし」
「結局そこかよ」
 呆れて睨むと、理央は悪びれる様子もなく笑った。
 こうして話しているぶんには、思っていた以上に気楽な相手だった。
 人付き合いが得意な人間というのは、相手に話すことを強要しないものなのかもしれない。理央は自分ばかり話し続けることも、湊のことを知りたいからと質問攻めにすることもなく、こちらが黙れば少し待ち、それでも会話を続けたそうでなければ自分も静かになる。放課後の図書室でも同じで、近くにはいるものの、湊がノートへ向かっている間は邪魔をしてこない。
 その距離の取り方だけを見れば、むしろ付き合いやすい人間だった。
 ただし、時折ひどく距離感がおかしい。
「そういえば、今日の夕方から雨降るらしいよ。朝倉、傘持ってきた?」
「持ってきたけど」
 すると理央は、ほんの少し残念そうに眉を下げた。
「なんだ。なかったら貸そうと思ったのに」
「貸したらお前が帰れなくなるだろ」
「一緒に入ればいいじゃん」
 湊は食べかけのサンドイッチを持ったまま、隣の男を見た。
 理央は何がおかしいのか分からないらしく、平然と自分のパンを食べている。
「……お前、相合傘したいの?」
 半ば呆れて聞いてみると、理央の手が一瞬止まり、それから妙に素直に頷いた。
「好きな人とならしてみたい。雨の日に駅まで傘持って迎えに来てもらうのもいいし、昇降口で待っててもらうのでもいい」
「傘くらい自分で持ってこいよ。天気予報見れば分かるだろ」
「そういうことじゃないんだって。持ってるかどうかじゃなくて、別に来なくても困らないのに、自分のためにわざわざ迎えに来てくれるのが嬉しいんじゃん」
 言われてみれば、理屈は分からなくもなかった。
 恋人という関係を特別なものにするのは、むしろ生活するうえで必要ではないことのほうなのかもしれない。帰宅時間をわざわざ聞くことも、少し遠回りして送っていくことも、好きな菓子を見つけたからというだけで買って帰ることも、やらなくても誰も困らない。
 しなくてもいいことを、相手が喜ぶだろうと思ってする。
 そういう場面を好んで小説に書いているのは、確かに湊自身だった。
「そのうちできるだろ。瀬名なら相手には困らなそうだし」
「またそれ言う」
 理央は苦笑したが、湊の感覚ではそれが事実だった。
 少し離れたテーブルに座る女子たちが、さっきからこちらを何度か見ている。正確には湊ではなく理央を見ているのだろう。入学以来何度も告白されたという噂を聞いているし、すでに誰かと付き合った経験があってもおかしくない。
 ところが何気なく尋ねると、理央は彼女がいたことはないとあっさり答えた。
「告白はされるけど、付き合いたいと思わなかったのに付き合うのも変だろ。好きだって言ってもらえるのは嬉しいけど、それだけで恋人になれるわけじゃないし」
 その答えが思っていた以上にまともで、湊は少し意外だった。
 顔がいいからといって、寄ってくる相手を適当に選んで付き合うような人間だと思っていたわけではない。ただ、選択肢が多いぶん恋愛にも慣れているのだろうと、勝手に思っていただけだ。
 逆に理央から聞き返され、湊も付き合った経験はないと答えると、相手は驚いたように目を丸くした。
「朝倉、話してみると面白いし、普通にモテそうなのに」
「顔の話を避けながら慰めるな」
「慰めてないって。顔も普通にいいと思うけど、そういう意味じゃなくて、一緒にいて楽しいって話」
 あまり真面目な顔で言われると、今度はこちらが居心地悪くなる。
 湊はサンドイッチへ視線を落とし、それ以上その話を続けなかった。

 六時間目が終わる少し前から、予報どおり雨が降り始めた。
 放課後の図書室は普段より人が少なく、大きな窓に細かな雨粒が次々と張りついている。運動部も早々に屋内へ引き上げたらしく、いつもなら遠くから聞こえてくる掛け声もなく、ページを捲る音と筆記具が紙を擦る音ばかりが静かに続いていた。
 湊は新作の続きを考えながら、ふと窓の外を見た。
「結構降ってるな。お前、本当に傘持ってるんだろうな」
 向かいで本を読んでいた理央が顔を上げた。
 持っていると答えたあと、なぜか少し嬉しそうにしている。
「何」
「いや。朝倉が傘あるか確認してくれたから」
「朝からお前が相合傘だの何だの言ってたから聞いただけだよ。それで喜ばれても困る」
「でも、こういうのがいいんだって。朝倉はたぶん何とも思ってないんだろうけど」
 そう言ってまた本へ視線を戻した理央を見ながら、湊はなんとなく引っかかるものを覚えた。
 本人が言うとおり、傘を持っているか確認しただけである。特別優しくしたつもりもなければ、大事にしたつもりもない。それでも理央は、思いがけないものをもらったような顔をする。
 ずいぶん燃費がいい男だと思った。

 一時間ほどして図書室を出る頃には、雨脚は昼間より強くなっていた。
 二人で昇降口まで下り、それぞれ傘を広げる。湊が紺色の折り畳み傘、理央は透明なビニール傘だった。
「二本あるな。残念だったな、相合傘できなくて」
 昼間の話を思い出してからかうと、理央は自分の傘と湊の傘を見比べたあと、本気とも冗談ともつかない顔で「片方閉じる?」と聞いてきた。
「閉じない。せっかく持ってきたのに何で濡れる危険を増やすんだよ」
「朝倉、本当に現実的だよね。恋愛小説を書いてる人とは思えない」
「小説でやるのと自分でやるのは別なんだよ」
 笑いながら校門を出る。
 二本の傘が並び、その上を叩く雨音が会話の切れ目を自然に埋めてくれた。
 途中、理央は今日読んでいた本に風邪を引いた恋人を看病する場面があったのだと言い出し、今度は何をしてもらいたいかという話になった。
 プリンやゼリーを買ってきてもらうこと。額に冷たいタオルを乗せてもらうこと。ベッドの傍に座っていてもらうこと。寝るまで手を握ってもらうこと。
 湊が一つひとつに現実的な突っ込みを入れているうちに、理央はとうとう声を上げて笑った。
「朝倉って、自分の小説ではあんなに甘いこと書くのに、自分がされる話になると全然違うんだな」
「俺は熱出したら静かに寝たい。でも相手が風邪引いたなら、必要なもの買って、食えそうなら何か作って、薬飲ませて寝るまではいると思う」
「やっぱり優しいじゃん」
「高熱の恋人を放置しないだけで優しい扱いされるのも困るんだけど」
 理央はそれでも満足そうだった。
「朝倉の彼女、幸せそう」
「いないよ」
「できたらの話。大事にしそうだなって」
 また同じことを言われた。
 この数日、理央は妙に湊の恋愛観を聞きたがる。恋人がいたら何をするか、何をされたら嬉しいか、自分の小説に書いているようなことを実際にもするのか。
 小説を書いている人間への興味なのだろうと思っていたが、ここまで繰り返されると少し不思議ではあった。
 交差点で二人の帰り道が分かれる。
「じゃあ、また明日」
 理央が傘の向こうで笑う。
 湊もごく自然に同じ言葉を返してから、ふと気づいた。
 三日前までは、互いに存在を知っているだけだった。
 それが今では、明日も会うことを何の疑問もなく前提にしている。
 理央が毎日こんな調子で来るせいで、どうやら自分も少しずつ慣らされているらしい。

 翌週になる頃には、理央が昼休みに現れないほうが珍しいと思うくらいには、その状況が日常になっていた。
 相変わらず理央は湊の食事量を気にし、放課後には図書室へ来て、自分が紹介した本を読んでは感想を聞かせる。小説そのものの話は学校ではしないという約束も守っているので、周囲から見れば、いつの間にか仲良くなった他クラスの友人程度にしか見えないだろう。
 ただ、休日まで会おうと言われた時にはさすがに驚いた。
「土曜、駅前のショッピングモール行かない? 大きい本屋あるし、朝倉と一緒ならおすすめ聞きながら選べると思って」
 中庭で昼食を取っている最中、理央はそんなことを言った。
「本なら一人でも買えるだろ」
「買えるけど、朝倉と行きたいんだよ。この前おすすめしてた新刊も見たいし」
 またそれである。
 朝倉と食べたい。
 朝倉と帰りたい。
 朝倉と出かけたい。
 言う本人に特別な意識がないからこそ、聞かされる側は反応に困る。付き合い始めて一週間にも満たない友人にしては距離の詰め方が早すぎるのではないかと思う反面、理央はもともと誰とでもこうなのかもしれないとも思う。
 結局、湊自身もその大型書店へ行くことに興味があったため、土曜の午前中に駅で待ち合わせることになった。

 当日、改札前に立つ理央を見つけた時、湊は制服というものが人間を均質化するためにかなり優秀な服なのだと初めて知った。
 私服姿の理央は、学校で見る以上に目立った。
 白いTシャツの上に薄手のシャツを羽織り、細身の黒いパンツを合わせているだけなのだが、背が高く、手足が長く、顔が整っている人間はそれだけで格好がつくらしい。人を待ちながらスマートフォンを見ているだけなのに、通り過ぎる女子が何人もちらちらと視線を向けている。
 その理央が湊を見つけるなり、ぱっと顔を上げた。
 学校で誰かへ向けている愛想のいい笑顔よりも、ずっと分かりやすく嬉しそうだった。
「おはよう。朝倉、その服似合ってるね」
「会って最初がそれ?」
「思ったから。こういう色着るんだなって」
 湊が適当に礼を言うと、理央は今度は自分の服についてどうかと聞いてくる。似合っていると返せば、また目に見えて機嫌がよくなった。
「お前、褒められるの好きだな。普段いくらでも言われてるだろ」
「朝倉に言われるのは違うから」
 何が違うのか聞き返す前に電車が来てしまい、その話はそこで終わった。

 大型書店へ入ると、理央は本当に本が好きなのだと改めて分かった。
 湊の作品を読んでいるから恋愛小説ばかり好むのかと思っていたが、実際にはミステリもエッセイも読むらしく、書棚の前で足を止めては楽しそうに本を手に取る。湊自身も本屋では長居するほうなので、互いに相手を待たせることを気にせずいられるのはありがたかった。
 恋愛小説の棚へ差しかかったところで、理央が一冊の本を手に取った。
「これ、朝倉が前におすすめしてたやつだよね。何でも一人でできる主人公なんだけど、恋人ができてから少しずつ人に甘えるようになる話」
「よく覚えてるな」
「好きだから。俺、朝倉が書く話もこういう主人公のほうが好きなんだよね」
 男主人公よりも女主人公の作品を好む理由を尋ねると、理央は少し考えてから、可愛がってもらえるところが好きなのだと答えた。
 髪を撫でてもらったり、抱きしめてもらったり、疲れていれば甘いものを買ってもらったりすること。何でも一人でできる人が、恋人の前でだけ少し甘えて、それを相手が当たり前のように受け止めてくれること。
 以前も似た話は聞いていたが、どうやら理央にとってはかなり重要な部分らしい。
「お前、本当にされたい側なんだな。頭撫でられるのも?」
「されてみたい。子供の頃なら母さんにされたけど、そういうのとは違うだろ」
「そりゃまあ、恋人にしてもらうのとは違うだろうけど」
「朝倉だったら、恋人からしてって言われたらする?」
 最近この質問が多い。
 朝倉ならどうする。
 朝倉ならどう思う。
 朝倉だったら。
 小説を書く人間の考え方がそんなに気になるのだろうかと思いながら、湊は恋人に頼まれたなら別に断る理由もないと答えた。
 すると理央は、また嬉しそうに笑った。
 自分が撫でてやると言ったわけでもないのに。
 その反応が少し不思議で、湊は首を傾げながらも、それ以上は考えなかった。

 本を何冊か買ったあとは昼食を取り、せっかく来たのだからと理央に付き合って服屋や雑貨店を覗いた。
 何か特別なことをしたわけではない。
 気になった本を互いに見せ、期間限定のアイスを食べ、店先に飾られていたペアアクセサリーを見て、恋人同士でこういうものを持つのはどう思うかとまた理央に聞かれた。
 湊は途中から、これは小説を書く自分を恋愛相談役として使っているのではないかと思い始めた。
「お前、将来彼女できた時のために俺でシミュレーションしてる?」
 冗談半分で聞くと、理央は少し驚いたようだった。
「してないよ。朝倉のこと知りたいだけ」
「恋愛観ばっかり聞かれてる気がするけど」
「それ以外も知ってるよ。朝倉は甘いものが好きで、色なら紺が好き。朝はそんなに弱くなくて、犬より猫派。本屋なら一時間以上いても平気だし、休日は出かけるより家にいるほうが多い」
「……並べられると怖いな」
「全部朝倉が自分で話したことなのに」
 理央は笑っていた。
 湊もつられて少し笑う。
 数日前までまともに会話したこともなかった人間が、自分の好きなものをいくつも覚えているというのは妙な感覚だった。