キミの理想になりたくて

暖かな春の日差しとは裏腹に、胸の奥には小さな不安が残っていた。

無事に高校を卒業し、俺は大学生になった。

不安と期待を背負って入学式へと足を運ぶ。

辺りを見渡しても知る顔はいない。また新しく友達を作れるか不安が募る。

入学式では学長の話や新入生代表挨拶などが執り行われた。

入学式翌日からは大忙しであった。
新入生オリエンテーションで学部の説明、履修登録の説明、学内案内、健康診断、ガイダンス……

一気に説明され軽くパニックである。
幸いなことに、隣の席になった男子生徒、陽向葵と仲良くなった。学部も一緒で、まだ出会ったばかりではあるが仲良くなれそうなタイプだと感じた。

「敦紀君、よかったらこの後学食行ってみない??」

「俺も行きたいと思ってた!」

生まれて初めての学食に俺は胸を踊らせた。

一緒に食事を取りながら会話を交わした。
出身高校や履修登録について、などなど。

必修科目が一緒だし、興味のある授業が一致していたため必然的に一緒に過ごす時間は長くなりそうだ。
大学でも、素敵な友人ができ胸をほっと撫で下ろした。


陽向葵君と別れ、透君と合流する。
今日は透君の気になっているというイタリアンに来た。

パスタ2種類とピザを1枚注文した。
お互いが気になるものを2つ注文し、分け合うのがいつものスタイルだ。

俺はピザを頬張りながら陽向葵君の話をする。

「それでね、会ったばかりだけど意気投合しちゃってね!

いつもは俺の話をニコニコ相槌を打ちながら聞いてくれる透君だが、なんだか今日はいつもと違う。

「透君、なんか怒ってる……?」

「……怒ってないけど、敦紀があんまりにも楽しそうに新しいお友達の話するから……」

そう口を尖らせた。

そう、所謂嫉妬というやつだ。

「……っ、ふはっ」

俺は堪えきれず小さく吹き出して笑った。

「笑わないでよ……」

「ごめんごめん。なんだか透君がかわいくて」

透君はもー、と言って居心地悪そにしていうる

「心配しなくても、俺が好きなのは透君だけだよ。それにね、多分だけど陽向葵君も恋人がいると思うんだ。」

今日学食に一緒に行ったとき、陽向葵君がスマホを操作していた。とても優しい顔をして恐らく連絡を返していたようだった。まるで愛しい人を見るようなそんな表情。

「透君こそ、女の子にモテモテ何じゃないの?」

「そんなことないよ。女の子とは全然話してないし、連絡先も男としか交換してないよ」

実は少し心配していた。
大学にもしかわいくて透君と趣味の合う人がいたらどうしようと。でもそれはきっとお互い様であるし、考えたって仕方ないこと。

「あ、そういえば」

何かを思い出したように口を開いた。

「高校で同じクラスだった山本って覚えてる?山本美月」

「もちろん覚えてるよ。」

山本美月さん。忘れるはずがない。
俺が勘違いして、勝手に俺なんかより山本さんのほうが…なんて思ってしまった彼女だ。

「山本さんがどうしたの……?」

やはり少し警戒してしまう。

「そんな不安がらないで?進路の話なんてしなかったから全然知らなかったんだけど同じ大学、同じ学部だったみたいで再開したよってだけ。」

山本さんには年上の彼氏がいる。
透君からそう聞いているので透君とそういう関係になんてことはないのだろう。頭ではわかっていても、

「山本がね、敦紀と会いたいって」

思いがけない言葉が透君の口から出てきた。

「……へ?」

「山本に話したんだ、恋人が俺が山本と仲良いって心配してるって。そしたら、自分もそういう思いしたしすごい不安だと思うから1度会わせてくれたら江井のことそんな目で見てないってわかると思うから1度会わせて欲しいって。」

勝手に思い込んで、噂に惑わされていたあの頃の俺を殴りたい。
俺を思ってくれていた恋人にも、友人というだけなのに疑ってしまった山本さんにも何度謝罪してもしきれない。

「会わせて欲しい。」

直接謝罪がしたい。
直接的に伝えたわけでなくとも、少しでも悪意を持ってしまったことを。

「うん。わかった。じゃあ伝えて山本と俺と敦紀が都合のいい日調整しておくね。」


・ ・ ・

桜も散り新生活にも慣れ、新緑が目立ち始め陽向葵君以外にも何人か友達ができた頃。
いつも通り授業後透君と待ち合わせ、一緒に食事を取りながら透君の取ってる面白い授業について話を聞いていたとき

「あ、そうだ」と、何かを思い出したように微笑んだ

「どうしたの?」

「前に山本の話したの覚えてる?」

「うん。もちろん」

「来週の月曜日の授業後って話なんだけど大丈夫?」

「うん。平気だよ。」

「じゃあ伝えておくね。」

透君が「……ふふっ」と微笑んだ

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。ちょっと取っ付きにくいかもしれないけどいい奴だよ。」

「うん……」



月曜日はあっという間に訪れた。

元々人見知りな気がある俺。

ましてや、女の子との関わりがほとんどない人生を送ってきた故にいきなり美人過ぎる子と、そして俺が勝手に悪意を抱いてしまった相手だ。嫌な態度を取られたっておかしくない。

「敦紀、緊張してる?大丈夫だよ。俺もついてるし。」

透君がいるということは心強すぎるのに、ガチガチになってしまう。
山本さんが指定してきたというカフェはとてもお洒落だ。それも相まって不相応な気がして余計に緊張が途切れない。

先に到着してしまった俺たちは席で待たせてもらうことになり、ふたりでメニューを覗き込んでいた。


「ごめんお待たせ…!電車遅延してて…」

パタパタと急ぎ足で山本さんが現れた 。
1年の頃から透君と揃って有名人だったため、認知はずっとあったがこんなに近くで顔を見たのも声を聞いたのもはじめてだ。

「全然平気だよ。もっと遅くても平気だったのに。」

「ほんと平気でそういうこと言うよね江井は。」

そう遠慮のない言葉を交わしあっていた。
しばらくそうしていた後、店員さんを呼びドリンクを3つ注文した。

「梅宮敦紀君、はじめまして。よく江井から惚気話聞かされてるから初対面な気がしないけどはじめまして。山本美月です。よろしくね」

「えと、梅宮です。は、はじめまして。よろしくお願いします。」

「そんなに緊張しないで…!かわいいな梅宮君」

そんなお世辞をくれた山本さんを隣の透君がギロっと睨んだ。

「梅宮君、ほんとに江井でいいの?こいつ話聞いてるだけでも激重だし、しんどくない?」

透君を激重だと感じたことは今のところ1度もない。が、やはり俺たちはお互いに重いだのだろうか。

「ちょっと、敦紀に変なこと言わないでよ。そんなことより話したいことがあったんでしょ?」

口を開かなかった透君が山本さん次々と言葉を口にした。

「あ、そうそう本題ね。梅宮君、とりあえず謝罪させてほしい。ほんとうにごめんなさい。」

今日謝罪をしなくちゃいけないのは俺のほうだと思っていたので何に対して山本さんが謝罪をしているのかわからずハテナが浮ぶ。

山本さんはそんな俺を見て困ったように笑った。
そして1拍置いて言葉を続けた。

「私と江井の変な噂のせいで嫌な思いさせちゃったよね?私も2個上の彼氏がいて、あの学校の先輩で生徒会長だったんだけど副会長の女の先輩と『付き合ってる』だの『お似合い』だの『理想のカップル』だの言われてて『彼女は私なのに!』ってすごい嫌だったの。だから梅宮君も同じ気持ちだっただろうなって」

2個上の生徒会長の顔がとてもぼんやりと頭に浮かんだ。

「俺の方こそ、そんな噂に踊らされて勝手に山本さんを妬んで嫉妬してほんとに申し訳ないです。透君の話しぶりから信用してる友達ってことは分かってたはずなのにどうしても嫉妬しちゃってた。」

山本さんはうんうんと頷きながら話を聞いてくれた。

「じゃあ、これでおあいこね!もう謝罪はなし!友達になろ!」

山本さんがそう言ってくれたことから俺ははじめて女の子の友達ができた。

「山本さんじゃなくて、美月って呼んでね」

「み、美月ちゃん…?」

「うん!敦紀君!」

「はいそこまで!」と静観していた透君がストップをかけた。

「嫉妬深い男は嫌われるよ」

ジトっと睨んだ美月ちゃんとはいい友達になれる気がした。

高校生の頃のわだかまりのようなものが今全て解消されたような気がした。
俺たちの大学生活はきっと楽しいものとなるだろう。

蝉の声が街中に響き渡る夏。

俺たちはテストに追われていた。

「うーー、こんなのわかんないよー……」

俺は勉強は変わらず苦手だった。

「敦紀は難しく考えすぎなんだよ。もっと柔軟に考えてみ」

陽向葵が苦笑しながら教えてくれる。

俺たちがテストに追われているということは透君も同じくテストに追われている。
それに加え透君は最近カフェでバイトをはじめたらしく、授業終わりに待ち合わせてご飯というお決まりのデートがしづらくなり圧倒的に透君不足であった。

こまめに電話やLINEはしているもののやはり会いたいものである。

「てか俺なんかじゃなくて彼氏に教えてもらいなよ。都内の国立大でしょ?」

「最近会えてないんだよ……向こうもテスト前だし最近バイトはじめたらしくてさ……」

陽向葵は「あぁ…」と察したような表情をした。

「陽向葵はどうなの?最近会えてるの?」

陽向葵とは思ってたよりもずっとウマが合い、色々な話をするにつれて恋人の惚気話をし合えるほど仲良くなった。
その中で、陽向葵にも同い年の彼氏がいるということがわかった。蓮くんや美月ちゃんには照れくさくて今まで惚気話が出来なかったため、初めて透君の話ができる友達ができとても嬉しかったのを今でも覚えている。

「まぁぼちぼちかな。最近バンドが忙しいみたいであんまり構ってくれないよ」

「バンド…凄いね俺には無縁な世界だ……ライブとか行くの?」

「行かないよ。モテてるとこ見たくないもん」

嫉妬するように頬を膨らませた。
確かに、わざわざ恋人がモテているところを見に行くほど辛いことはないだろう。

「じゃあ、彼氏に構ってもらえない者同士夕飯でも食べに行こうか。」

という陽向葵の提案に大賛成して大学近くの飲食店へと向かった。



各々気になった商品を注文し、それを頬張る。

「俺たちは夏休みに旅行に行くんだ。敦紀も気分転換にもなるし誘ってみなよ!」

「旅行か…」

確かにいつも近場で旅行をしていてあまり都内から出ることはないし、旅行も卒業旅行で行った沖縄のみだ。

「誘ってみる!」

俺の返答に陽向葵はそうしなそうしなという表情でニコニコと笑った。


陽向葵はこの後恋人が家に泊まりに来るらしく、ご飯を食べて解散した。

俺は帰宅して早々にLINEを開き、夏休みに旅行に行かないかと連絡をした。

お風呂にでも入ろうとスマホを机に置いた瞬間、スマホが震えた。画面を確認すると透君からだった。

「もしもし…?どうしたの?」

『もしもし敦紀?今平気?』

「うん。大丈夫だよ」

『旅行なんだけどさ、俺も誘おうと思ってたの!俺たち卒業旅行くらいでしか遠出してないから行きたいなと思って!だからバイトもはじめたの!つい、敦紀もそう思ってくれてたのが嬉しくて電話掛けちゃった急にごめんね!』

透君は興奮気味に一息で喋った。
それがなんだか可笑しくて、旅行に行きたいと思っていたのが透君も一緒だったことが嬉しくてクスクスと笑ってしまった。

その後、1時間ほど雑談を交えながら旅行の話もして通話は終了した。


・ ・ ・

次の日登校してそうそうに陽向葵に旅行のことを話した。

「よかったじゃん!!俺も昨日久々に会えたんだー」

陽向葵は自分のことの様に喜んでくれ、恋人に会えたという話もウキウキでしてくれてなんだかずっとかわいい様子であった。
久々に恋人に会えたのが嬉しかったようで惚気話をたくさん聞かせてもらった。

聞き役に徹していた俺だったが、不意に尋ねてきた。

「敦紀さ、恋人くんのバイト先行かないの?」と。

行ってみたい気持ちはある。
きっと彼のことだ。スマートに仕事をこなしているはずだ。
でも…

「邪魔かなって…」

「そんなわけないでしょ!」

急に語気を強めた。

「恋人が来て嫌な人なんていないよ。ひとりで行きづらいなら一緒に行く?」

陽向葵の提案に胸が高なった。
確かに、ひとりで行くにはハードルが高かったがお洒落で美形な陽向葵となら行けるかもしれない。

「……いいの?」

「もちろん!今日とかどう?出勤してる?」

「うん、今日テスト終わりバイトって言ってた。」

「じゃあ今日ね!決まり!」

「それまでテストがんばろー」と飴と鞭の使い分けがうまい陽向葵であった。


それから陽向葵とテストに挑み、カフェへと向かった。
事前に透君に連絡をするべきか迷ったが、もし嫌そうな返信だったら、「来ないで」なんて返事が来たらと、またも余計な心配をしてしまい連絡はできなかった。

前に教えてくれたカフェの名前を地図アプリに打ち込み、陽向葵君と電車に揺られる。

「もー、そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だよ。敦紀だってバイト先に透君が来た事あるでしょ?その時嫌だったの?」

まだ不安そうな顔をしていた俺に陽向葵が問いかけた。
透君は俺のバイト先である書店に買い物ついでに迎えに来てくれたことは何度もある。
もちろん嫌なはずもなく、嬉しくてたまらなかった。
透君もそう思ってくれるはずだと頭ではわかっている。

「いや、嬉しかった…」

「でしょ!?」と言いたそうな顔で頷いた。

電車を降りるとあっという間に到着した。

外から店内が見れるような造りになっていたためチラリと覗いてみたところ女性客の多さに圧倒されてしまった。

「ひ、陽向葵…俺たち場違いじゃないかな…」

「そんなことないです!早く入るよー」

そう言って早々に陽向葵は入店してしまった。
出迎えてくれたのは大学生くらいの美人な女性店員だった。

「いらっしゃいませ。二名様ですか?お席へご案内致します」

席に着いてからも透君の姿を探してしまいキョロキョロと視線だけを動かしてしまう。

「噂の透君はどこにいるの?」

「探してるんだけど見当たらない…」

陽向葵は「そっかぁ」と残念そうに呟いた

注文を済ませ、運ばれてくるのを待った。

待っている間陽向葵がトイレへと席を立ったためスマホを見て時間をつぶしていたとき、隣の席の女子高校生らしき二人組の会話が聞こえてきた。

「ほんとにこの店にイケメンいるの?」

「まじなんだって!この前別の友達と来たとき、大学生くらいの店員さんがいたんだけどめっちゃイケメンだったの!茶髪にセンター分けで180くらいの細マッチョな感じであんた絶対好きだと思うよ!」

と興奮気味に話す声が聞こえてきた。

彼女たちの会話に出てきたイケメン店員とは恐らく透君のことだろう。
大学生くらい、茶髪、センター分け、180㎝くらい。
どこにでもいそうな特徴かもしれないが俺は直観的にそう思った。

陽向葵が戻ってくるのとほぼ同時のタイミングで俺たちの注文が届いた。

「お待たせしました…って敦紀…!?なんでいるの!来るなら言ってよ!」

あまりにも姿が見えないものだからもしかしたら今日は出勤じゃなかったのかもなんて思っていたため油断していた。

「……あ、えと、ごめん…」

「こんにちは、敦紀の大学の友人の陽向葵です。いつも敦紀がお世話になってます。」

陽向葵はまるで透君に悪意を向けるような、透君を試すような表情で話しかけた。
俺はその光景をぼーっと見ていることしかできなかった。

透君も少しイラついたような表情をしながら

「こちらこそ、敦紀がお世話になってます。江井透です。」

と返した。

透君が何か言おうとしたその時

「すいませーん」

と他の席から店員を呼ぶ声がした。

「透君お仕事邪魔してごめんね。俺たちすぐ帰るから。バイト頑張ってね」

何か言いたげな顔をしたまま透君は去っていった。

「ごめん敦紀、あんな言い方した透君にムカついちゃって…余計なことしちゃった……」

そう陽向葵は謝ってくれた。
陽向葵が俺を想ってしてくれたことに余計なんて思わない。

やっぱり透君は俺なんかがバイト先に行くなんて迷惑だったんだ。注文したドリンクを足早に飲み干し退店した。

「敦紀、もし透君に何か言われたら俺が行こうって言ったって言ってね。ほんとのことだし。」

陽向葵はそう言ってくれたが、たとえ事実でも陽向葵のせいになんてしたくない。

「そんなことしないよ。」

事前に連絡して許可を取らなかった俺が悪いのだ。

今日でちょうどテスト期間最終日だったため打ち上げも兼ねて「パーッとカラオケで発散しよう!」と誘ってくれた。

そのまま俺たちは空が明るくなるまで歌ったり雑談したり透君のことを考えなくていいよう陽向葵は付き合ってくれた。

スマホの充電が切れてしまっていることに気づかずに。

始発の電車に乗り込み、カバンからスマホを取り出した時に充電が切れていることに気づいた。スマホがないとすることもなく眠気に耐えながらぼーっと窓の外を眺めていた。
自宅の最寄駅に停車し頭がぼやぼやした状態で電車を降り、家へと向かった。

期末テストが全て終わり、久しぶりに予定がない。
シャワーを浴びてスマホをケーブルに挿し深い眠りについた。



じわりと滲む汗の不快感に、眠りから引き戻される。

「暑い……」

枕元に投げ捨てられたリモコンに手を取り、エアコンの電源をつける。
数秒後、ひんやりとした心地いい風がさらりと頬を撫でた。

目を覚ますと部屋は真っ暗だった。時刻を確認するためにスマホを手探りで探す。

寝ぼけ眼でスマホを手に取り、液晶の明るさに思わず目を顰めると同時に画面を埋めつくす通知の数にぎょっとし思わずベットへ放り投げた。

不在着信が何件も入り、その下にLINEの通知がこれでもかとズラリと表示されていた。

送り主は一人しかいないであろう。

内容を確認すると、

『敦紀、今バイト終わったからこれから会いたい。』

『どこにいるの?』

『きっと誤解してると思うから話したい。』

『ほんとうにごめん。』

『どこで誰と何してるの?』

『陽向葵君と一緒なの?他の男じゃないよね?』

『陽向葵君と浮気しちゃ嫌だよ』

『連絡だけ返してほしいごめんね』

『不在着信』
『不在着信』
『不在着信』

と続いていた。

透君からの怒涛の連絡に驚きながらもLINEを確認する。

恐る恐る連絡を返そうと思ったその瞬間、スマホの画面が着信表示に切り替わる。
一度息をのみ、応答した。

『敦紀!!今どこにいる…?今一人?お願いだから会って話させてほしい。迎えに行くから…!』

「落ち着いて透君、今は家に一人だよ。俺も話したい。」


『今から迎えに行く』と言ってくれた。

寝起きの髪と顔を何とかするために洗面所へ向かう。
道中、母とすれ違う。

「朝帰りした挙句、また出かけるの?そんなことさせるために大金払って大学に通わせているわけじゃないんだけど…」

母は呆れたように溜息をつき小言が飛び出す。
心配という言葉ではなく、責め立てるような俺の人格を否定するような言葉の数々。

両親、とくに母は中学生の頃から俺に期待しなくなった。
世間体だけは気にする人なので、高校も大学も進学はさせてくれた。

そのことには感謝している。

だけど、家ではいつも弟と比べられ俺の居場所はどこにもなかった。

俺の自己肯定感の低さはここからくるものが大きく影響しているだろう。


今までだって今だって、何度も反論しようとした。
でもそのたびに言葉を飲み込む癖がいつの間にか身につき、鎖のように絡みついている。

「……学校にはちゃんと行ってるから…」

そう消え入りそうな声で返した。
母を前にすると自然と声が小さくなってしまう。

リビングにいる弟が目ざとく近寄ってき、

「母さんこんな奴に構わなくていいから早く夕飯にしようよ」

と薄ら笑いを浮かべた弟が、目の前に立ちふさがった。

母と弟は楽しそうに言葉を交わし合っている。
そこに入る隙間は、昔から俺にはどこにもなかった。

涙が溢れそうなのを歯を食いしばって堪える。

母と弟の会話は目の前で弾んでいるのに、自分だけがその輪の外にいた。まるでテレビの中の出来事を眺めているようで言葉の現実味を帯びなかった。

手の中のスマホが震える。
現実に引き戻された。

着信相手は一人しかいない。
俺は外に飛び出す。
母から何か言われた気がしたが俺の耳には何も入ってこなかった。

外には車で迎えに来てくれた透君の姿があった。


「敦紀!」

ボロボロと大粒の涙を流す俺を見て透君は

「俺の家に行こう。そこで話をさせて」

そう提案してくれた。

道中俺たちは無言で透君のお気に入りアーティストの曲だけが流れていた。

夜遅くにお邪魔するのでご両親に挨拶だけでもと提案したが「そんなのしなくていい。話はしてあるから。」と透君の部屋へ直行した。

何度もお邪魔している透君の部屋。いつもの定位置へ腰を下ろした俺に対し透君は頭を下げてきた。

「昨日は変な態度取ってごめん。折角バイト先に来てくれたのに嫌な気持ちにさせたよね。来て欲しくなかった訳じゃなくてびっくりさせちゃっただけなんだ。」

俺は透君の話を黙って聞いていた。

「後、あのお店…美男美女が多いから信じてるけど目移りしちゃうか怖くて…泣かせてごめんね」

俺が今どうして泣いているのか、自分でもよくわからない。

透君から突き放された気がしたことが悲しかったのか、はたまたやはりあの家に自分の居場所はないということを実感してしまったことが悲しかったのか。

「あのね、透君…」

俺は思ったこと、起きたことすべて説明した。

透君は黙って話を聞いてくれた。

一呼吸置いてから、ゆっくりと口を開いた。

「何から話そう…」

困ったように眉尻を下げた
俺の家庭環境があまりよくないことは簡単に話してあったがここまでだとは思わなかったのだろう。

「えと、とりあえず今日は帰らないで。そんなとこに敦紀を帰したくない。」

透君の口からは思わぬ言葉がでた。

「服は家に置いてあるし、もう学校も夏休みに入るから平気でしょ?」

有無を言わせぬ姿勢でお泊まりが確定した。
お泊まりするのであれば話は別である。

「だったらご両親にご挨拶させて。無断で泊まるなんて絶対ダメ。」