10月の秋休みが終わると、学校の空気が受験に向かってピリピリし始めた。
3年生は学校行事に全て不参加だから本当に受験勉強一色。
わたしは、当初の予定通り、もらえるところから推薦をもらったので、早々に進路も決まり、今までと変わらない毎日を過ごしていた。
自分の異変に気がついたのはそんな頃。
いつもだったら来るはずのものが来ない。
最後に生理が来たのはいつだった?
遅れてる……だけだよね……?
だって遼とする時はちゃんと避妊してるし。
まさか、ね?
でも、一度取り憑かれたその考えは、忘れようと押し返しても、波のように何度も何度も戻ってきては、心の中を占めていく。
今までだって遅れたことは何回もある。
遼に相談する?
でもその前に検査薬。
きっと気のせい。
家や学校の近くの薬局で検査薬を買うところを誰かに見られたくない。制服もまずい。
でも、ずっと頭から「妊娠」の二文字が消えない。
早く「何でもない」という事実に安心したい。
でも、遠くの薬局まで行こうと思ったら、平日は難しい。
でも……
頭の中で、「でも」がいっぱいになって息苦しい。
結局、土曜日まで待てなくて、学校に行く時、私服を一緒に持って出て駅のコインロッカーにしまった。
そして、一旦学校に行き、途中で体調不良を訴えて早退した。
コインロッカーから服を出して駅のトイレで着替えると、今度は制服とカバンをコインロッカーに入れた。
そこから電車に1時間ほど乗って、知らない街の初めて行く薬局へ行った。
お店に入ったわたしは挙動不審。
心臓もずっとどくどくと大きな音で鳴っていて、誰かに聞かれるんじゃないかと心配するほどだった。
妊娠検査薬の置かれた棚にはいくつか種類があったけれど、ゆっくり見る余裕なんてないから、1番最初に目についたものを持って、急いでレジへ向かった。
年配の女性のいるレジを避けて、やる気のなさそうなちょっと派手目の若い女性のところへ並んだ。
会計を済ませると、すぐにカバンの中に入れて店を出た。
そして駅ビルのトイレでその検査薬を使った。
絶対に大丈夫。
何でもない。
大丈夫――
本当は、こんなところに捨てたりしたらいけないんだとわかっていたけれど、持っているのが怖くて、使用済みの検査薬はトイレのごみ箱に捨てた。
駅ビルを出てから、人のいない場所を探してまわりをうろうろしていると、駐車場と民家の間に、ブランコしかない小さな公園を見つけた。
フェンスに囲われたその公園には端っこに雑草がたくさん生えていて、どうやら誰も手入れをしていないようだった。
ブランコの鎖も旧式なやつ。
公園に入り、ブランコに座るとスマホを出した。
さっき周りに誰もいないことは確認したのに、もう一度見渡してから、「妊娠検査薬 精度」というキーワードで検索する。
検索結果をいくつもいくつも見た。
でも、どのサイトでも書いてあることはほとんど同じ。
「99%以上」
さっき、そんなに時間が経っていないのに、結果はすぐに現れた。
はっきりと赤いラインが2つ。
陽性――
泣きたいのに涙が出ない。
遼に電話をした。
呼び出しのコール音が聞こえる。
お願い、電話に出て。
お願い――
平日の昼間だから、わかってはいたけれど、電話はすぐに留守番電話に切り替わってしまった。
こんなこと留守電なんかに残せない。
無言のまま電話を切った。
着信に気がついたら、どこかで電話をくれるはず。
電話が無理でも、メッセージくらいはくれるはず。
遼の声が聞きたい。
どうしたらいい?
どうしてこんなことになるの?
ちゃんと避妊してたよね?
病院に行ってきちんと調べたら間違いだって言われるかもしれない。
どこか、家から遠くの産婦人科を探して……
スマホで検索していると「予期せぬ妊娠」と言う言葉が目に入った。
それで、そのページを開いた。
「避妊具の間違った使い方」というタイトルを読んで、ずっと出なかった涙が溢れた。
そんなの知らない。
学校では教えてくれなかった。
誰も教えてくれなかった。
責めるべきは、無知だった自分自身……
その日、遼からメッセージも、折り返しの電話もなかった。
どうやって家に帰ったのか覚えていない。
でも、玄関のドアを開けたらすぐにお母さんの声が聞こえて、家に帰ったことを認識した。
「菜々子、帰ったの? ご飯出来てるから、早く食べてしまいなさい」
ご飯?
想像しただけで吐きそうになった。
「食べて帰った」
「連絡くらいしなさいよ。最近、出かけすぎじゃない? いくら大学が決まったからって遊んでばかりいないで――」
「ごめんなさいっ」
お母さんがキッチンから顔を覗かせる前に自分の部屋へ逃げ込んだ。
ベッドに横になって、天井を見つめた。
真っ白の天井を見ているだけなのに涙が止まらなくなった。
昼も夜も同じことばかりを考えている。
遼と何回シた?
一度シてしまうと、その後はタガがはずれたみたいに、会うたびに回数を重ねた。
何回も……
違う。
「何回」なんて数字に意味はない。
でも、遼は「もし万が一子供ができるようなことがあっても絶対に責任とるから」と言っていた。「いつか菜々子と結婚したら」なんて、その時は果てしなく先に思えた話を、わたしを抱きしめたまましてくれた。
「結婚」という二文字が頭に浮かぶ。
まだ18になったばかりで結婚?
遼と一緒にいる未来を想像する。
家族3人での暮らし。
「ずっと一緒にいよう」と言ってくれた。
だから「結婚しよう」と言ってくれるよね?
大丈夫。
遼なら大丈夫。
でも、そうじゃなかったら?
いきなり冷たくなったりしたら?
わたしの前からいなくなったりしたら?
わたしの知ってる遼はそんなことしない。
そんな人じゃない。
どうして連絡してくれないの?
待ってるのに……
肯定と否定を繰り返し続ける。
少し寝てはまた目を覚ましてを繰り返し、長い夜を過ごす。
いつまでこんなことが続くんだろう?
目の下のクマがだんだんと色濃くなっていく。
遼から連絡がないまま、悪夢のような時間が過ぎて、ようやくメッセージが届いた。
<今実家にいる 連絡遅くなってごめん>
実家ってことは九州にいるってこと?
<何かあった?>
<いつこっちに帰って来るの?>
<当分無理>
<大事な話がある>
<何?>
こんな時に……どうして遠いとこにいるの?
遼は何も知らないんだから仕方ない。そんなのわかってる。
でもね、そばにいてほしい。
「大丈夫。何も心配することないよ」って、言ってほしい。
ぞわぞわと背中の方から身体中によくわからない何かが取り憑いている。
返事を返せないでいたら、電話がかかってきた。
「ごめん、あんまり長くは話せない亅
「どうして?亅
「そっちに帰った時話すよ亅
「それっていつになる?亅
「ごめん亅
謝ってばかり。
「あのね……亅
言わないと。
電話の向こうで誰かが遼の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ごめん、行かないと。また電話する亅
かすかに聞こえた遼の名前を呼ぶ声は、女性のものだった。
誰?
その女は誰?
それからまた遼から連絡はなくなった。
わたしのお腹の中の命は、どんどん大きくなっている気がして、怖いのと不安で、壊れてしまいそうだった。



