愛という名の



「心ここにあらず」ってこういうことを言うんだよね?


その日は待ち合わせの時から、小島さんはなんだか落ち着かない感じだった。
「最近仕事が忙しい」という話を聞いたばかりだったから、毎週末わたしと会ってるせいで、きっと疲れが取れていないんだと思った。
何か目的があるわけでもなく、一緒にお昼を食べて、その辺をぶらぶらしてるだけなんだから、早く帰って休んだ方がいい。


「さっき、全然違う花を指差して『ひまわりきれいだね』って言ったのに、『そうだね』って答えたね」

「あ……」

「お仕事で疲れてる?」

「そんなことないよ」

「もう帰ろう?」

「……駅ビルの観覧車乗ったことある?」

「ない」

「乗りに行かない?」

「でも……」


いいのかな?
疲れてるんじゃないのかな?


「行きたくない?」

「……行きたい」

「じゃあ、決まり」


駅ビルの上に観覧車があるのは知っていたけれど、出来たのはわたしが中学の頃で、もう家族で乗るような年でもなかったし、友達と「乗ろう」なんて話にもならなかったから乗ったことがなかった。



駅ビルに直結する駅まで地下鉄にで行って、観覧車のある屋上まではエレベーターに乗った。

小島さんは、やっぱりどこかそわそわしていたけれど、でも目が合うと、嬉しそうに笑ってくれるところはいつもと変わらない。

エレベーターを降りて、屋上に出ると、ついさっきまで晴れていたのに、空を雲が覆っていた。


「雨が降りそうだね?」

「ああ……うん……乗るのやめようか」

「どうして?」

「曇ってて、景色もよく見えないだろうし」

「『乗ろう』って誘ったのは小島さんの方だよ?」

「うん……そうなんだけど……」

「乗ったことないから、乗ってみたかったんだけど……」


小島さんの顔を見ると、何だか困ったような表情に見えた。

わがまま……だったのかな……


「やっぱり、いいや。ごめんね。帰ろう」

「いや、乗ろう!」

「いいの?」

「乗ろう」

「うん?」


わたしは天気がどうとか景色がどうとかはどうでも良くて、ただ乗るのを楽しみしにしていた。
でも、観覧車を前にして、ちょっと躊躇する小島さんの態度に、きれいな景色じゃないと嫌だったのかなって、少し悲しくなった。


わたしはまだ自分が高校生だってことも言えてない。
でも……言わなくてもいいんじゃないかって考えたりしていた。
言っても言わなくても、今の関係はきっと変わらないから。
今にも雨が降りそうな天気のせいなのか、並んでいる人もいなくて、すんなりと観覧車に乗ることができた。

観覧車自体はそんなに大きいものではなかったけれど、ビルの上にあるから、少し上がっただけで、高いところまで来た様に感じる。
夜は無数のビルの明かりで、きれいな夜景に違いない。

あいにくの空模様で、遠くの方は雲でぼんやりしていた。

外を見ていると、窓に小さな水滴が落ちた。
「雨」と思ったら、小さな雨粒は瞬く間にゴンドラの窓を濡らし、その雫ですっかり外は見えなくなってしまった。


「雨降っちゃったね」


ずっと外を見ていたので、初めて正面に座る小島さんの方を見ると、両手をギュッと握ってちょっと下を向いていた。
その様子に、実は高所恐怖症だったのかと思った。


「もしかして、高所――」


その時、観覧車が1番上まで来た。


「好きです。付き合ってくださいっ」


時間がとまったみたいって、こういう感じなんだ。


「返事しなくちゃ」とかそういうのは全然頭に浮かばなくて、言われたことを理解するまでに時間がかかった。

小島さんはずっと黙ったまま、不安そうな表情でわたしを見ていた。

2人きりの狭い空間の中は静寂に包まれていて、その間も観覧車はどんどん下がって行く。


返事……


何か、きっと相応しい言葉があるはずなのに、言えたのは一言だけ。


「はい」


そう返事をしたのと同時に、ゴンドラは地上に着いて、係員の人がドアを開けた。
小島さんは先に降りると、わたしに手を差し出したので、自然にその手を掴んで降りた。


「とりあえず、屋根のあるとこ行こう」


そう言われ、手を掴まれたまま、屋根のある場所まで引っ張っていかれた。

沈黙の中、繋がれたままでいる手を見ていると、それに気づいた小島さんが慌ててその手を離した。


「これは、違う! そういうんじゃなくて! いきなり手を繋ぐとかそんな図々しいこと考えてないから!」


妙に焦って弁明するのがおかしくて、つい笑ってしまった。


「えっ……と?」

「ちょっと、びっくりして」

「あ、あー、そっか」

「さっき、どうして一度『乗るのやめよう』って言ったの?」

「それは……OKもらえたら今日が記念日ってやつになるから。いつか2人で思い出すことがあった時、灰色の空じゃなくて、真っ青な空の方が菜々子ちゃんが喜ぶかな、って」


天気を気にしてたのはわたしのため?

空の色なんて関係ないよ。
景色も天気も、そんなこと関係ない。

嬉しかった気持ちを忘れないから。


「今日、絶対言おうって決めて来たんだけど、会ったら一気に緊張して……一日中、感じ悪くてごめん」


それで……ずっと、変だったの?


「よろしくお願いします」


かしこまって頭を下げ、顔を上げた時、小島さんの嬉しそうな顔が目に入った。


「『小島さん』はもうやめてよ。すっごい他人行儀みたいで……寂しいというか……」

「でも……」

「遼でいい」


それは、無理。
8つも年上の人を呼び捨てとか、無理。


「それは……ちょっと……」


さっきまでにこやかだった表情が、目に見えてしょんぼりしたものに変わった。
何でそんなにわかりやすいの?
笑いそうになったけど、ここで笑ったら失礼だと思って必死に堪えながら言った。


「遼さん……でもいい?」

「それでもいい。『小島さん』よりはよっぽどいい」

「運目の日が増えた?」

「会うたびに増えるから最近やばい」


そう言いながら、笑顔を見せてくれた。




嘘じゃなかった。

恋愛経験なんて、ないに等しかったけれど、それでもあの時見せてくれた笑顔は、嘘なんかじゃなかった。