澄み渡る朝焼けの空はあまりにも綺麗で、わたしには眩しすぎる。
東奈大学附属病院のECU(救命救急センター)に明るい声が響く。
「大塚先生とは絶対にシフトを一緒にしないでくださいってお願いしたのに!」
そんなことを看護師長に向かって、みんなの前で言う看護師の言葉を、ひっそりと聞いていた。
「大塚先生のガタイが良すぎて、狭い機内が更に狭いんですっ。先生、痩せてください」
「そりゃないよー、若槻さん」
どうやら看護師長のすぐ横に、当の本人の大塚先生もいたらしい。
「大塚先生と一緒だと、なんだかヘリのスピードもいつもより出てない気がします」
「ひどいなぁ。僕だって気を使って足をぐーっと端に押し当てて小さくなってるつもりなんだけどぉ」
壁に同化するように、隅っこに立ったままでいるわたしに、2年目の看護師の梶田さんが笑いながら話しかけてくれた。
「あれ、いつものルーティーンだから気にしないで。どうしてもね、機内が狭いから、みんな細い先生と組みたいのよねぇ。でも、大塚先生が優秀なのはみんな知ってるから、悪あがきみたいな?」
「そんなに狭いんですか?」
「ドクターヘリは狭い場所にも着陸できるように小型だから」
「そうなんですね」
フライトナースの若槻さんと医師の大塚先生が話していたのは、ドクターヘリに乗るペアの話だった。
テレビドラマの中では数人乗っていても余裕があるように見えたけど……
「現実」はいつだって何もかも違う。
テレビでは1話で終わるような出来事も、実際は何週間かかっても結論なんかでなくて、ワンシーズンが終わっても続いていくことばかり。
CMが終わったら次のシーンに変わってるみたいに、全部とばせてしまえたらいいのに。
周りが楽しそうな時は、いつも自身に問わずにはいられない。
わたしは、明るい場所にいていい存在なのか――
電話が鳴る音で、さっきまで柔らかだった空気が、一瞬でピリッとしたものに変わる。
「受け入れを拒否します」
電話を取った医師の言葉に耳を疑った。
さっきまで冗談を言い合ってたし、余裕があるように見えるのに。
それなのに、救急隊の要請を拒否だなんて……
10床あるベッドだって2つは空いている。
埋まっている8床の患者さんも容態は落ち着いているように見える。
「A病院は? 拒否? B病院も? だからと言って、うちは3次だから。こっちからB病院に掛け合うからそのまま待って――」
電話を待たせたまま、医師はポケットからスマホを出すと、どこかへ電話をかけ交渉を始めた。
医師は、院内用PHSと自分のスマホを持ち歩いている人がほとんどだった。
実習に来て驚いたのは、受け入れ要請の電話が医師のスマホに直接かかってくる場合があること。
ほとんどは今回のように、病院に設置してある電話にかかってくるけれど、時々、専門的なやり取りをするために直接かかってくるらしい。
医師がやり取りをした後、結局患者さんは最初に受け入れを拒否したA病院が受け入れることになった。
しばらくして、梶田さんがさっきとは打って変わって真面目な顔で話しかけてきた。
「さっきの先生のやり取り、どうして?って顔してたね」
「……はい」
「3次救急の役割は?」
「命にかかわるような重篤患者さんの受け入れです」
「そう。ここは3次救急で、さっきの患者さんは工場での作業中に機械で指を切断しただけだから、うちじゃない」
「指を切断しただけ」なんて言い方……それに、十分重症だと思うけど……
命に優劣をつけるようで気が咎めた。
どんなに小さくても、例え……小さな丸い点くらいの命だとしても、それは、命なのだから。
再び鳴った電話に、今度は医師がすんなりと受け入れを許可する。
「すぐに救急車到着します。交通事故の男性」
その声に、さっきまで優しい顔だった医者や看護師の顔が引き締まり、一気に空気が張り詰めたものに変わる。
もう誰も無駄口を叩くような人はいない。
少しすると、救急車を迎えに行った看護師が、救急隊員の運ぶストレッチャーと一緒に戻って来る音がしたので、少しでも邪魔にならないよう、今いる場所よりもっと隅の方へ移動した。
実習で来ていても、指示されない限りは、邪魔にならないように壁でいるしかない。
ECUの実習は、そんなふうに始まった。
お昼休憩に、お弁当を食べるため隣接する大学の教室に行くと、同じ看護科の薮内さんがいて、ひとりで牛丼を食べているのを見つけた。
向こうもわたしに気がついて手招きしてくれる。
「午前中はヘリ来た?」
「来てないよ」
「わたしが実習で入ってた時は3回くらい来て、一日中殺気立ってたから怖かった」
「ドクターヘリが飛ぶってことは、よっぽどのことだもんね」
「で、ECUはどう?」
質問してから薮内さんは牛丼を頬張った。
わたしはその横で持参したお弁当を広げる。
「うん……最初、指を切断した患者さんの受け入れ要請断るのを聞いた時、ちょっと『えっ?』って感じだったけど、その後、交通事故で運ばれて来た患者さん見たら理解した。これが3次救急なんだって」
「森川さんは何かやらせてもらえた?」
「看護師さんが患者さんの服をハサミで切ったやつを、ビニール広げて受け取ったくらい。後は壁になってた」
「そうなるよねー。わたしたちじゃまだ何の役にも立たないもん」
「10人以上お医者さんが常駐してるのに、手が足らないなんて思わなかった。もし、指を切断した患者さんを受け入れてたら、交通事故の患者さんに手が回らなかったかもしれない」
「交通事故、そんなにひどかったの?」
「うん……」
「わたしは看護師になっても救急には行きたくないなぁ。特に大学病院は3次だから、命に関わる状態の人しか来ないでしょ? いつも生死と向き合うとか心が折れる」
「そうだね……」
持って来ていたおむすびを口に入れると、中は昆布だった。
朝、お弁当を作る時、おむすびの具は昆布と鮭にした。
わたしは昆布が好きだけど――
「ねぇ、糸田さんって、わかる?」
「わかるよ」
「幼稚園実習でインフルもらって、その後の実習出れなくなって単位落としたんだって。森川さんも気を付けて」
「気をつけてるよ。手洗いも消毒もうがいも、人一倍やってる」
わたしの返事に薮内さんが笑った。
「小さな子はすぐ風邪ひくから、こっちが気をつけるしかないよね」
そこで薮内さんは時計に目をやると「ごめんっ、話しすぎた」と言って、食べる速度を上げたので、わたしも急いでお弁当を食べた。
午前中、心肺停止で運ばれてきた高齢の患者さんが、一度は意識を取り戻したものの、数時間後には帰らぬ人となった。
命は平等なはずなのに、救えるものと救えないものがあって……望まれないものもある……
抗うことのできない現実が、胸に痛みを刻み付けることで、わたしは自分の罪を償おうとしている。
周りの子達と違って、わたしが看護師を目指すのは、打算的で、自分勝手な思いでしかない。
東奈大学附属病院のECU(救命救急センター)に明るい声が響く。
「大塚先生とは絶対にシフトを一緒にしないでくださいってお願いしたのに!」
そんなことを看護師長に向かって、みんなの前で言う看護師の言葉を、ひっそりと聞いていた。
「大塚先生のガタイが良すぎて、狭い機内が更に狭いんですっ。先生、痩せてください」
「そりゃないよー、若槻さん」
どうやら看護師長のすぐ横に、当の本人の大塚先生もいたらしい。
「大塚先生と一緒だと、なんだかヘリのスピードもいつもより出てない気がします」
「ひどいなぁ。僕だって気を使って足をぐーっと端に押し当てて小さくなってるつもりなんだけどぉ」
壁に同化するように、隅っこに立ったままでいるわたしに、2年目の看護師の梶田さんが笑いながら話しかけてくれた。
「あれ、いつものルーティーンだから気にしないで。どうしてもね、機内が狭いから、みんな細い先生と組みたいのよねぇ。でも、大塚先生が優秀なのはみんな知ってるから、悪あがきみたいな?」
「そんなに狭いんですか?」
「ドクターヘリは狭い場所にも着陸できるように小型だから」
「そうなんですね」
フライトナースの若槻さんと医師の大塚先生が話していたのは、ドクターヘリに乗るペアの話だった。
テレビドラマの中では数人乗っていても余裕があるように見えたけど……
「現実」はいつだって何もかも違う。
テレビでは1話で終わるような出来事も、実際は何週間かかっても結論なんかでなくて、ワンシーズンが終わっても続いていくことばかり。
CMが終わったら次のシーンに変わってるみたいに、全部とばせてしまえたらいいのに。
周りが楽しそうな時は、いつも自身に問わずにはいられない。
わたしは、明るい場所にいていい存在なのか――
電話が鳴る音で、さっきまで柔らかだった空気が、一瞬でピリッとしたものに変わる。
「受け入れを拒否します」
電話を取った医師の言葉に耳を疑った。
さっきまで冗談を言い合ってたし、余裕があるように見えるのに。
それなのに、救急隊の要請を拒否だなんて……
10床あるベッドだって2つは空いている。
埋まっている8床の患者さんも容態は落ち着いているように見える。
「A病院は? 拒否? B病院も? だからと言って、うちは3次だから。こっちからB病院に掛け合うからそのまま待って――」
電話を待たせたまま、医師はポケットからスマホを出すと、どこかへ電話をかけ交渉を始めた。
医師は、院内用PHSと自分のスマホを持ち歩いている人がほとんどだった。
実習に来て驚いたのは、受け入れ要請の電話が医師のスマホに直接かかってくる場合があること。
ほとんどは今回のように、病院に設置してある電話にかかってくるけれど、時々、専門的なやり取りをするために直接かかってくるらしい。
医師がやり取りをした後、結局患者さんは最初に受け入れを拒否したA病院が受け入れることになった。
しばらくして、梶田さんがさっきとは打って変わって真面目な顔で話しかけてきた。
「さっきの先生のやり取り、どうして?って顔してたね」
「……はい」
「3次救急の役割は?」
「命にかかわるような重篤患者さんの受け入れです」
「そう。ここは3次救急で、さっきの患者さんは工場での作業中に機械で指を切断しただけだから、うちじゃない」
「指を切断しただけ」なんて言い方……それに、十分重症だと思うけど……
命に優劣をつけるようで気が咎めた。
どんなに小さくても、例え……小さな丸い点くらいの命だとしても、それは、命なのだから。
再び鳴った電話に、今度は医師がすんなりと受け入れを許可する。
「すぐに救急車到着します。交通事故の男性」
その声に、さっきまで優しい顔だった医者や看護師の顔が引き締まり、一気に空気が張り詰めたものに変わる。
もう誰も無駄口を叩くような人はいない。
少しすると、救急車を迎えに行った看護師が、救急隊員の運ぶストレッチャーと一緒に戻って来る音がしたので、少しでも邪魔にならないよう、今いる場所よりもっと隅の方へ移動した。
実習で来ていても、指示されない限りは、邪魔にならないように壁でいるしかない。
ECUの実習は、そんなふうに始まった。
お昼休憩に、お弁当を食べるため隣接する大学の教室に行くと、同じ看護科の薮内さんがいて、ひとりで牛丼を食べているのを見つけた。
向こうもわたしに気がついて手招きしてくれる。
「午前中はヘリ来た?」
「来てないよ」
「わたしが実習で入ってた時は3回くらい来て、一日中殺気立ってたから怖かった」
「ドクターヘリが飛ぶってことは、よっぽどのことだもんね」
「で、ECUはどう?」
質問してから薮内さんは牛丼を頬張った。
わたしはその横で持参したお弁当を広げる。
「うん……最初、指を切断した患者さんの受け入れ要請断るのを聞いた時、ちょっと『えっ?』って感じだったけど、その後、交通事故で運ばれて来た患者さん見たら理解した。これが3次救急なんだって」
「森川さんは何かやらせてもらえた?」
「看護師さんが患者さんの服をハサミで切ったやつを、ビニール広げて受け取ったくらい。後は壁になってた」
「そうなるよねー。わたしたちじゃまだ何の役にも立たないもん」
「10人以上お医者さんが常駐してるのに、手が足らないなんて思わなかった。もし、指を切断した患者さんを受け入れてたら、交通事故の患者さんに手が回らなかったかもしれない」
「交通事故、そんなにひどかったの?」
「うん……」
「わたしは看護師になっても救急には行きたくないなぁ。特に大学病院は3次だから、命に関わる状態の人しか来ないでしょ? いつも生死と向き合うとか心が折れる」
「そうだね……」
持って来ていたおむすびを口に入れると、中は昆布だった。
朝、お弁当を作る時、おむすびの具は昆布と鮭にした。
わたしは昆布が好きだけど――
「ねぇ、糸田さんって、わかる?」
「わかるよ」
「幼稚園実習でインフルもらって、その後の実習出れなくなって単位落としたんだって。森川さんも気を付けて」
「気をつけてるよ。手洗いも消毒もうがいも、人一倍やってる」
わたしの返事に薮内さんが笑った。
「小さな子はすぐ風邪ひくから、こっちが気をつけるしかないよね」
そこで薮内さんは時計に目をやると「ごめんっ、話しすぎた」と言って、食べる速度を上げたので、わたしも急いでお弁当を食べた。
午前中、心肺停止で運ばれてきた高齢の患者さんが、一度は意識を取り戻したものの、数時間後には帰らぬ人となった。
命は平等なはずなのに、救えるものと救えないものがあって……望まれないものもある……
抗うことのできない現実が、胸に痛みを刻み付けることで、わたしは自分の罪を償おうとしている。
周りの子達と違って、わたしが看護師を目指すのは、打算的で、自分勝手な思いでしかない。



