愛という名の



会えない時間は長かったよ。
それでいて、あっという間だった。

どんなことが起きて、どんな気持ちでいたのか、つらかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと。
語りつくせないほどいろんなことがあった。


つわりが軽かったのは救いだった。
ムカムカはしていたけれど、耐えられないほどではなくて、体調も良かったから、学校が自由登校になるまでは通うことができた。
2月頃からお腹が目立ってきて、もう「太った」では通用しなくなったから、制服も入らなかったし、卒業式には出なかった。

わたしが子供を産むことを受け入れてくれた両親には感謝しかない。
親戚や、近所の人にいろいろ言われても、わたしを守ってくれた。
大学に通いながら子育てをするという、わたしのわがままをずっと助けてくれた。

大学に入ってからは、同級生に子供のことを隠さず話した。
でも、誰一人、それで態度を変える人はいなかった。

心無いことを言う人はいたけれど、手を差し伸べてくれる人も大勢いた。
支えてくれる人がたくさんいて、わたしはとてもとても、恵まれていた。
助けてくれる人がいたから、だからここまでくることができた。




両親に妊娠のことを告げた日のことは、今でも覚えている。


庭に面した居間で、父は座椅子に座ってテレビを見ていた。
その横で母は洗濯物を畳んでいた。

ふすまを開けて突っ立ったままでいるわたしに、最初に声をかけたのは母。


「どうしたの?」

「お父さん、お母さん、聞いてください」

「なぁに? かしこまっちゃって」

「あのね……わたしね……」

「何よ?」

「わたし……」

「だから何?」

「妊娠した」


さっきまで柔らかかった母の顔がこわばっていくのがわかった。
父は……何も変わったようには見えなかったけれど、静かに言った。


「相手は?」

「もういない」

「いないって、菜々子――」

「お願いがあります」


父と母の前で、畳に頭をくっつけて土下座した。


「どうか、わたしを助けてください」

「助けるって……」

「産みたいんです」

「何言ってるの! あ、相手がもういないってさっき言ったばかりじゃない!」

「何を助けろと?」

「3年間、援助してください。看護学校に通いたいんです。その間、育児を助けてください。すごく勝手なことを言ってるのは承知してます」

「学校に通いながら赤ちゃんを育てるなんて、口ではいくらでも言えるかもしれないけど、楽なことじゃないのよ?」

「最初から親を頼ろうなんて甘い考えで子供が育てられると思ったら大間違いだ」


言われたことは当たり前のことで、予想していた答えだった。
両親は正しい。
自分でもそんなのわかってる。
こんな図々しいわがまま、断られるのが当然だし、自分の問題なのに親を頼ろうなんてずるいってわかってる。
でも、ほんの少しの可能性でも、お腹の子が幸せになるためなら何でもする。

父に、静かに聞かれた。


「どうして看護師なのか教えなさい」


これまで先のことなんて何も考えずに生きてきたけれど、それではだめだと思った。
自分だけの人生じゃない。
初めて10年後、20年後のことを考えた。
子供と2人で生きて行く方法を自分なりに考えて、子供の将来のために、ちゃんと生活できる環境を得たいと思った。
だから、どうしても安定した収入が得られる仕事に就きたいと願った。

そして……罪を償いたかった。
自分のお腹の中の命を、一度は自分の手で殺めようとした、罪を。

だから、命を守る仕事につきたいと願った時、一番に頭に浮かんだのが看護師という仕事だった。




あの日わたしがこの子の命を、一度はこの手で奪おうとした事実は一生変わらない。
だから、今も自分を責め続けている。

遼は、全部自分のせいだと言ったけれど、2人の罪だよ。

いつの間にか目を覚ました子供は、初めて会った人に抱かれているにも関わらず、その体をずっと遼の胸に預けたままでいた。
眠そうな顔で遼を見つめる子供を、彼は愛おしそうに見つめていた。

やがて、遼は真剣な顔をわたしに向けた。


「もう一度、隣に立つことが許されるなら――」

「許してるよ。とっくの昔に」


わたしの言葉に、遼が一度大きく息を吐いた。


「残りの借金を全部返したら会社を譲って、すぐにこっちへ戻って来る。約束する」


遼はわたしたちの子供を大切に抱いたまま、頭をさげた。


「勝手だと罵られる覚悟で言わせてください。どうか、父親にならせてください。これからの未来を2人と一緒にいさせてください」


ぼやけていく視界に心配そうな表情をした子供の顔が映る。


「ママ、なかせたらいや」

「泣いてないよ……泣いてるのはママじゃない」


わたしの言葉に、子供は自分の直ぐ側にある遼の顔を見つめた。
子供を抱いた遼の手は2つとも塞がっている。
遼の頬に伝う涙を拭いたのは、その手に抱く子供の手だった。


「この子の名前ね、『愛』と書いて『まな』と読むの」


言葉にならない思いが溢れるほどある。

でも、今、伝えたいのはひとつだけ。

子供を抱いた遼をそっと抱きしめた。


「この子は、2人の未来だよ」



愛という名の 未来





END