季節が変わった。
夏が終わり、秋が過ぎて、気づけば冬になっていた。
教室の窓から見える木々は、いつの間にか葉を落としている。
「寒っ」
朝、教室に入った陸が両手をこすりながら言った。
「暖房ついてないの?」
「まだだろ」
「学校ケチだな」
「お前、毎年それ言ってるよ」
俺は笑った。
そんな何気ない会話をしながら、窓の外を見る。
あと少しで、俺たちは三年生になる。
ついこの前まで、二年生になったばかりだと思っていたのに。
時間が経つのは、思っていたよりずっと早い。
「そういえば」
陸が鞄から一枚の紙を取り出した。
「これ、もう出した?」
「何?」
「進路希望調査」
「ああ……」
俺は机の中から同じ紙を取り出した。
見覚えのある文字が並んでいる。
『進路希望調査』
大学、短大、専門学校。
就職、その他。
その下には、
『将来の夢・希望する職業』
という欄があった。
俺はそこを見つめた。
少し前なら、それだけで胸が苦しくなっていたと思う。
何を書けばいいのか分からない。
みんなは書けるのに、自分だけ書けない。
そんな焦りが、すぐに蘇ってきていた。
でも、今は少し違った。
「湊はどうする?」
陸が聞いてくる。
「まだ考え中」
「そっか」
「お前は?」
「一応、○○大学」
「スポーツ科学の?」
「うん」
陸はそう言ってから、少しだけ笑った。
「まあ、絶対そこってわけじゃないけど」
「え?」
「前よりは自信なくなったかも」
「なんで?」
「この前、別の大学の説明会にも行ってみたんだよ」
「へえ」
「そっちも結構よくてさ」
陸は頭をかいた。
「また迷ってる」
「そっか」
俺は笑った。
「でも、それでいいんじゃない?」
「……なんか、その言葉最近お前からよく聞くな」
「そう?」
「うん」
陸が笑う。
「まあ、お互い頑張ろうぜ」
「うん」
陸が先に教室を出ていく。
俺は一人で、もう一度進路希望調査を見た。
前とは違う。
今の俺は、夢がない。
行きたい大学も決まっていない。
やりたい仕事も分からない。
でも、それを見て、
「どうしよう」
とは思わなかった。
ただ、
「まだ分からないな」
と思った。
その違いが、自分でも少し不思議だった。
「湊くん」
後ろから声がした。
振り返ると、ひかりが立っていた。
「何してるの?」
「進路希望調査」
「あー、それね」
ひかりも自分の紙を見せてくる。
「私もまだ真っ白」
「お前もか」
「うん」
「どうする?」
「どうしようね」
二人で紙を見る。
「でもさ」
ひかりが言った。
「前より焦らなくなったよね」
「……うん」
「なんでだろう」
「たぶん」
俺は少し考えてから言った。
「まだ決まってなくてもいいって思えるようになったからじゃない?」
「そっか」
ひかりは笑った。
「じゃあ、成長したね」
「何それ」
「私たち、ちゃんと前に進んでるじゃん」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ嬉しくなった。
夢は見つかっていない。
なのに、前に進んでいる。
そんなこともあるのかもしれない。
その日の放課後。
俺は高橋先生に呼ばれた。
「朝倉、ちょっといいか」
「はい」
教室に残っていた先生のところへ行く。
机の上には、俺が提出した進路希望調査が置かれていた。
「まだ決まってないんだな」
「はい」
先生は紙を見ながら言った。
「大学に行くかどうかも?」
「……まだ」
「やりたい仕事は?」
「それも、まだです」
以前なら、ここで申し訳なくなっていたと思う。
でも今日は、正直に答えられた。
「そうか」
先生はしばらく黙っていた。
「朝倉」
「はい」
「先生もな、高校生の頃は何になりたいかなんて決まってなかったぞ」
「え?」
思わず聞き返した。
「先生、ずっと教師になりたかったんじゃないんですか?」
「まさか」
先生が笑った。
「じゃあ、なんで教師になったんですか?」
「いろいろあったんだよ」
「いろいろ?」
「大学に行って、友達に誘われて塾の手伝いをしてみたり。そこで子どもに勉強を教えるのが意外と楽しくてな」
「へえ」
「それで教師を考えるようになった」
先生は少しだけ笑った。
「人生なんて、そんなもんだ」
「……」
「高校生の頃に決めたことを、そのまま最後までやる人ばかりじゃない」
先生は俺の進路希望調査を指で軽く叩いた。
「進路を決めるっていうのは、人生全部を決めることじゃない」
「……はい」
「今の自分が、どこに行ってみたいかを考えるだけだ」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
「焦らなくていい、とまでは言わない」
先生が苦笑する。
「でも、焦って適当に決めるくらいなら、ちゃんと悩め」
「はい」
「それも進路を考えるってことだからな」
俺は頭を下げて、教室を出た。
廊下に出ると、窓から冷たい風が入ってきた。
冬の空は、夏よりずっと高く見える。
昇降口へ向かう途中、ひかりが待っていた。
「先生との話長かったね」
「うん」
「何話してたの?」
「進路」
「そっか」
ひかりはそれ以上聞かなかった。
二人で校門を出る。
吐いた息が白くなる。
「ねえ、湊くん」
「ん?」
「私、ちょっと思ったんだけど」
「何?」
「夢って、絶対に必要なのかな」
俺は歩きながら、ひかりを見る。
「……どうだろう」
「私も分かんない」
ひかりは笑った。
「でも、なくてもいいんじゃないかな」
「そうだな」
「見つけたら大事にすればいいし」
「うん」
「見つからなかったら、探し続ければいい」
「うん」
「途中で違うと思ったら、やめてもいい」
「それ、ひかりが最初に言ってたやつじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
俺たちは二人で笑う。
そこに冷たい風が吹く。
でも、不思議と寒くなかった。
俺たちの前には、まだ何も決まっていない未来がある。
そのことを、今は少しだけ楽しみに思えた。
三学期に入り、俺たちの高校生活は、少しずつ三年生へ近づいていた。
教室の黒板には、卒業までの日数が書かれるようになった。
あと何日。
あと何日。
数字が一つずつ減っていく。
ついこの前まで、一年生だった気がする。
それなのに、もうすぐ三年生になる。
時間が過ぎるのは、思っていたよりずっと早かった。
そんなある日の朝。
「はい、今日はこれ」
高橋先生が、一枚の紙を教卓に置いた。
「進路希望調査。前にも書いたと思うが、今回は少し具体的に考えてみてくれ」
教室のあちこちから、
「またかよ」
「もう決めなきゃダメ?」
という声が聞こえる。
先生は苦笑した。
「お前らが三年生になるんだから当然だろ」
紙が配られていく。
俺の机にも一枚置かれた。
見慣れた紙だった。
進学か、就職か。
そして志望校。
その下には、
『将来の夢・希望する職業』
俺は、その文字を見つめた。
数ヶ月前。
この欄を見たとき、何も書けなかった。
何を書けばいいのか分からなかった。
周りがペンを動かす音を聞きながら、自分だけ取り残されているような気がした。
でも、今は違う。
やっぱり、夢はない。
やりたい仕事も決まっていない。
志望する大学だって、まだ一つに絞れていない。
それでも。
不思議と、怖くなかった。
俺はペンを持った。
そして、ゆっくりと紙に文字を書いた。
『未定』
たった二文字。
それだけだった。
でも、その二文字を書くのに、俺は少しも迷わなかった。
「湊くん」
隣から声がした。
ひかりが俺の紙を覗き込んでいる。
「何?」
「未定って書いたの?」
「うん」
「私も」
ひかりが自分の紙を見せてくる。
そこにも、
『未定』
と書いてあった。
「おそろいじゃん」
「嫌だよ」
「なんで!」
思わず、二人で吹き出した。
「でもさ」
ひかりが言った。
「前だったら、未定って書くの怖かったよね」
「……うん」
「今は?」
俺は自分の紙を見る。
「別に」
「そっか」
ひかりの表情が、ふっと明るくなった。
「じゃあ、よかった」
俺はその言葉を聞きながら、窓の外を見る。
冬の空は、相変わらず高かった。
校庭では、一年生が体育をしている。
笑い声が聞こえる。
いつか俺たちも、この学校を卒業する。
その先には、大学があるかもしれない。
就職するかもしれない。
県外に行くかもしれない。
今とは全然違う場所で、全然違う人たちと出会うかもしれない。
まだ、何も分からない。
でも、それでいいと思えた。
俺は、ずっと勘違いしていたのかもしれない。
夢がある人は、未来が見えている人。
夢がない人は、何も見えていない人。
そう思っていた。
だけど、違った。
夢がある人だって迷う。
夢がない人だって悩む。
一度決めた夢を変える人もいる。
途中で別の道を選ぶ人もいる。
そして、まだ何も決まっていない人だっている。
俺も、その一人だ。
夏が終わり、秋が過ぎて、気づけば冬になっていた。
教室の窓から見える木々は、いつの間にか葉を落としている。
「寒っ」
朝、教室に入った陸が両手をこすりながら言った。
「暖房ついてないの?」
「まだだろ」
「学校ケチだな」
「お前、毎年それ言ってるよ」
俺は笑った。
そんな何気ない会話をしながら、窓の外を見る。
あと少しで、俺たちは三年生になる。
ついこの前まで、二年生になったばかりだと思っていたのに。
時間が経つのは、思っていたよりずっと早い。
「そういえば」
陸が鞄から一枚の紙を取り出した。
「これ、もう出した?」
「何?」
「進路希望調査」
「ああ……」
俺は机の中から同じ紙を取り出した。
見覚えのある文字が並んでいる。
『進路希望調査』
大学、短大、専門学校。
就職、その他。
その下には、
『将来の夢・希望する職業』
という欄があった。
俺はそこを見つめた。
少し前なら、それだけで胸が苦しくなっていたと思う。
何を書けばいいのか分からない。
みんなは書けるのに、自分だけ書けない。
そんな焦りが、すぐに蘇ってきていた。
でも、今は少し違った。
「湊はどうする?」
陸が聞いてくる。
「まだ考え中」
「そっか」
「お前は?」
「一応、○○大学」
「スポーツ科学の?」
「うん」
陸はそう言ってから、少しだけ笑った。
「まあ、絶対そこってわけじゃないけど」
「え?」
「前よりは自信なくなったかも」
「なんで?」
「この前、別の大学の説明会にも行ってみたんだよ」
「へえ」
「そっちも結構よくてさ」
陸は頭をかいた。
「また迷ってる」
「そっか」
俺は笑った。
「でも、それでいいんじゃない?」
「……なんか、その言葉最近お前からよく聞くな」
「そう?」
「うん」
陸が笑う。
「まあ、お互い頑張ろうぜ」
「うん」
陸が先に教室を出ていく。
俺は一人で、もう一度進路希望調査を見た。
前とは違う。
今の俺は、夢がない。
行きたい大学も決まっていない。
やりたい仕事も分からない。
でも、それを見て、
「どうしよう」
とは思わなかった。
ただ、
「まだ分からないな」
と思った。
その違いが、自分でも少し不思議だった。
「湊くん」
後ろから声がした。
振り返ると、ひかりが立っていた。
「何してるの?」
「進路希望調査」
「あー、それね」
ひかりも自分の紙を見せてくる。
「私もまだ真っ白」
「お前もか」
「うん」
「どうする?」
「どうしようね」
二人で紙を見る。
「でもさ」
ひかりが言った。
「前より焦らなくなったよね」
「……うん」
「なんでだろう」
「たぶん」
俺は少し考えてから言った。
「まだ決まってなくてもいいって思えるようになったからじゃない?」
「そっか」
ひかりは笑った。
「じゃあ、成長したね」
「何それ」
「私たち、ちゃんと前に進んでるじゃん」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ嬉しくなった。
夢は見つかっていない。
なのに、前に進んでいる。
そんなこともあるのかもしれない。
その日の放課後。
俺は高橋先生に呼ばれた。
「朝倉、ちょっといいか」
「はい」
教室に残っていた先生のところへ行く。
机の上には、俺が提出した進路希望調査が置かれていた。
「まだ決まってないんだな」
「はい」
先生は紙を見ながら言った。
「大学に行くかどうかも?」
「……まだ」
「やりたい仕事は?」
「それも、まだです」
以前なら、ここで申し訳なくなっていたと思う。
でも今日は、正直に答えられた。
「そうか」
先生はしばらく黙っていた。
「朝倉」
「はい」
「先生もな、高校生の頃は何になりたいかなんて決まってなかったぞ」
「え?」
思わず聞き返した。
「先生、ずっと教師になりたかったんじゃないんですか?」
「まさか」
先生が笑った。
「じゃあ、なんで教師になったんですか?」
「いろいろあったんだよ」
「いろいろ?」
「大学に行って、友達に誘われて塾の手伝いをしてみたり。そこで子どもに勉強を教えるのが意外と楽しくてな」
「へえ」
「それで教師を考えるようになった」
先生は少しだけ笑った。
「人生なんて、そんなもんだ」
「……」
「高校生の頃に決めたことを、そのまま最後までやる人ばかりじゃない」
先生は俺の進路希望調査を指で軽く叩いた。
「進路を決めるっていうのは、人生全部を決めることじゃない」
「……はい」
「今の自分が、どこに行ってみたいかを考えるだけだ」
その言葉を聞いて、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
「焦らなくていい、とまでは言わない」
先生が苦笑する。
「でも、焦って適当に決めるくらいなら、ちゃんと悩め」
「はい」
「それも進路を考えるってことだからな」
俺は頭を下げて、教室を出た。
廊下に出ると、窓から冷たい風が入ってきた。
冬の空は、夏よりずっと高く見える。
昇降口へ向かう途中、ひかりが待っていた。
「先生との話長かったね」
「うん」
「何話してたの?」
「進路」
「そっか」
ひかりはそれ以上聞かなかった。
二人で校門を出る。
吐いた息が白くなる。
「ねえ、湊くん」
「ん?」
「私、ちょっと思ったんだけど」
「何?」
「夢って、絶対に必要なのかな」
俺は歩きながら、ひかりを見る。
「……どうだろう」
「私も分かんない」
ひかりは笑った。
「でも、なくてもいいんじゃないかな」
「そうだな」
「見つけたら大事にすればいいし」
「うん」
「見つからなかったら、探し続ければいい」
「うん」
「途中で違うと思ったら、やめてもいい」
「それ、ひかりが最初に言ってたやつじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
俺たちは二人で笑う。
そこに冷たい風が吹く。
でも、不思議と寒くなかった。
俺たちの前には、まだ何も決まっていない未来がある。
そのことを、今は少しだけ楽しみに思えた。
三学期に入り、俺たちの高校生活は、少しずつ三年生へ近づいていた。
教室の黒板には、卒業までの日数が書かれるようになった。
あと何日。
あと何日。
数字が一つずつ減っていく。
ついこの前まで、一年生だった気がする。
それなのに、もうすぐ三年生になる。
時間が過ぎるのは、思っていたよりずっと早かった。
そんなある日の朝。
「はい、今日はこれ」
高橋先生が、一枚の紙を教卓に置いた。
「進路希望調査。前にも書いたと思うが、今回は少し具体的に考えてみてくれ」
教室のあちこちから、
「またかよ」
「もう決めなきゃダメ?」
という声が聞こえる。
先生は苦笑した。
「お前らが三年生になるんだから当然だろ」
紙が配られていく。
俺の机にも一枚置かれた。
見慣れた紙だった。
進学か、就職か。
そして志望校。
その下には、
『将来の夢・希望する職業』
俺は、その文字を見つめた。
数ヶ月前。
この欄を見たとき、何も書けなかった。
何を書けばいいのか分からなかった。
周りがペンを動かす音を聞きながら、自分だけ取り残されているような気がした。
でも、今は違う。
やっぱり、夢はない。
やりたい仕事も決まっていない。
志望する大学だって、まだ一つに絞れていない。
それでも。
不思議と、怖くなかった。
俺はペンを持った。
そして、ゆっくりと紙に文字を書いた。
『未定』
たった二文字。
それだけだった。
でも、その二文字を書くのに、俺は少しも迷わなかった。
「湊くん」
隣から声がした。
ひかりが俺の紙を覗き込んでいる。
「何?」
「未定って書いたの?」
「うん」
「私も」
ひかりが自分の紙を見せてくる。
そこにも、
『未定』
と書いてあった。
「おそろいじゃん」
「嫌だよ」
「なんで!」
思わず、二人で吹き出した。
「でもさ」
ひかりが言った。
「前だったら、未定って書くの怖かったよね」
「……うん」
「今は?」
俺は自分の紙を見る。
「別に」
「そっか」
ひかりの表情が、ふっと明るくなった。
「じゃあ、よかった」
俺はその言葉を聞きながら、窓の外を見る。
冬の空は、相変わらず高かった。
校庭では、一年生が体育をしている。
笑い声が聞こえる。
いつか俺たちも、この学校を卒業する。
その先には、大学があるかもしれない。
就職するかもしれない。
県外に行くかもしれない。
今とは全然違う場所で、全然違う人たちと出会うかもしれない。
まだ、何も分からない。
でも、それでいいと思えた。
俺は、ずっと勘違いしていたのかもしれない。
夢がある人は、未来が見えている人。
夢がない人は、何も見えていない人。
そう思っていた。
だけど、違った。
夢がある人だって迷う。
夢がない人だって悩む。
一度決めた夢を変える人もいる。
途中で別の道を選ぶ人もいる。
そして、まだ何も決まっていない人だっている。
俺も、その一人だ。



