17歳、未定。

六月に入ると、教室の空気が少しずつ変わっていった。
夏服に変わったということもある。
窓から入ってくる風が暖かくなったこともある。
でも、一番変わったのは、みんなが進路について話すことが増えたことだった。

「この前、オープンキャンパス行ってきた」
「マジ? どこ?」
「○○大学。思ったより広かった」
「俺も夏休みに行く予定」

そんな会話が、以前よりも頻繁に聞こえてくる。
俺はそれを聞きながら、いつものように友達の輪に混ざっていた。
「湊はどこか行くの?」
陸が聞いてくる。

「オープンキャンパス?」
「うん」
「まだ何も決めてない」
「そっか」
陸はそれ以上何も言わなかった。
そのことが、逆に少しありがたかった。

でも、俺の中ではまた、あの感覚が戻ってきていた。
──焦り。
あの日、ひかりと話してから、前ほど「夢がないこと」を気にしなくなったつもりだった。
毎日のように二人でいろんな職業を調べて、少しでも興味を持てるものを探した。
それなりに楽しかった。
だけど、何か一つを選べと言われれば、やっぱり何も出てこない。
そんな俺とは違って、陸は少しずつ前に進んでいた。

昼休み、弁当を食べながら陸が言った。
「そういえば、俺さ」
「何?」
「この前、親に大学の話した」
「へえ」
「○○大学のスポーツ科学部」
「お前、そこ行きたいって言ってたもんな」
「うん。オープンキャンパスも申し込んだ」
「すげえじゃん」

俺は陸の肩を軽く叩いた。
「もうほぼ決まってんじゃん」
「まあな」
陸は少し得意そうに頷いた。
その様子を見て、俺は少しだけ羨ましくなった。

自分のやりたいことを言葉にできる。
行きたい大学がある。
そのために何をすればいいのかも分かっている。
俺には、それがない。

「湊は?」
「俺?」
「うん」
「……まだかな」
「まあ、焦んなよ」
「分かってるって」

俺はそう返した。
その日の放課後。
教室に忘れ物を取りに戻ると、陸が一人で窓際に立っていた。
「陸?」
「あれ、湊」
「何してんの?」
「いや、別に」

陸はそう言いながら、外を見ていた。
「帰らないの?」
「もうちょいしたら」
「ふーん」
俺も隣に立った。
校庭では、運動部が練習をしている。
しばらく二人で黙っていた。

「……なあ、湊」
「ん?」
「俺さ」
陸が少しだけ言葉を探すように黙った。
「本当にこれでいいのかな」
「……え?」

思わず聞き返した。
「大学のこと?」
「うん」
さっきまでの明るい声とは違っていた。
「スポーツの仕事したいって言ってるけどさ」
陸は窓の外を見たまま続ける。
「本当に自分がそれをやりたいのか、たまに分かんなくなる」
「でも、お前ずっと言ってたじゃん」
「そうなんだけど」

陸は困ったように息を吐いた。
「ずっと言ってたから、今さら違うって言いにくいんだよ」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
「親にも言ったし、友達にも言ったし。先生にもそう言ってるし」
「……うん」
「だから、今さら『やっぱり違うかも』って言ったら、なんか全部無駄になる気がしてさ」

陸が苦笑する。
「変だよな。自分で決めたはずなのに」
俺は陸を見た。
いつも明るくて、何でも前向きに見える。
俺よりずっと迷いがないと思っていた。

でも、違った。
「俺もさ」
陸が言う。
「夢が決まってるって言っても、別に全部分かってるわけじゃないんだよ」
「……」
「今はスポーツの仕事がやりたい。それだけ」

陸は少しだけ視線を落とした。
「もしかしたら大学行って、違うことやりたくなるかもしれないし」
「じゃあ、変えればいいんじゃない?」
気づけば、俺はそう言っていた。
「え?」
「だって、ひかりが言ってた」
「ひかり?」
「ああ。前にさ」

俺はあの日の言葉を思い出した。
──たくさん考えて、たくさん間違えればいい。
「違うと思ったら、変えればいいんじゃない?」
陸が俺を見る。

「……お前、なんか変わったな」
「何が?」
「前だったら、そんなこと言わなかっただろ」
「そう?」
「うん」
陸は少しだけ目を細めた。

「まあ、ありがとな」
「別に」
俺は照れくさくなって、窓の外を見た。
少しだけ、夕方の空が赤くなっていた。
「でもさ」
陸が言った。

「湊も、なんか見つかるといいな」
「……うん」
「まあ、俺もまだ分かんないけど」
「お互い様だな」
「だな」

俺たちは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑った。
教室を出て廊下を歩きながら、俺は考えていた。
夢がある人は、迷っていない。
ずっとそう思っていた。

でも、違った。
夢がある人も迷う。
夢がない人も迷う。
たぶん、みんな同じなのだ。
ただ、その迷いを見せていないだけ。

「湊!」
階段の下から声がした。
ひかりだった。
「遅い!」
「何してんの?」
「待ってた」
「なんで?」
「一緒に帰ろうと思って」
「急にどうした?」
「いいじゃん、別に」

ひかりはそう言って、少しだけ首を傾けた。
「じゃあ帰るか」
「うん!」
三人で昇降口へ向かう。
陸は途中で別の友達に呼ばれて、先に帰っていった。
残った俺とひかりは、並んで歩いた。

「ねえ」
ひかりが言う。
「何?」
「今日、なんかあった?」
「……なんで?」
「なんとなく」
「何もないよ」
「ふーん」

ひかりはそれ以上聞かなかった。
でも、何か言いたそうな顔をしていた。
俺は思った。
もしかしたらこの人は、俺が思っているよりずっと、人のことを見ているのかもしれない。
そして俺はまだ知らなかった。
ひかり自身もまた、誰にも言っていない何かを抱えていることを。