17歳、未定。

あの授業から、俺とひかりは少しだけ話すようになった。
といっても、特別なことをするわけじゃない。
朝、教室に入れば、
「おはよ」
「おはよう」
と挨拶をする。

休み時間には、
「昨日の宿題やった?」
「やってない」
「私も」
「じゃあ終わったな」
なんて、くだらない話をする。

席が隣だから、それだけのことだった。
けれど、以前よりも少しだけ、ひかりのことが分かるようになった。
ひかりは、よく笑う。
本当にくだらないことでも笑う。
先生が黒板の字を間違えただけで笑うし、購買のパンを落としただけでも笑う。
でも、人の話を聞くときは、意外なくらい真剣だった。

誰かが悩みを話していると、途中で口を挟まない。
相手が話し終わるまで、ちゃんと聞く。
そして最後に、
「そっか」
と言う。
その「そっか」が、なぜか優しかった。

そんなある日の昼休み。
ひかりが突然、俺の机に顔を近づけてきた。
「ねえ、湊くん」
「近い」
「いいじゃん」
「よくない」
「ねえねえ」
「何?」
「この前の話、覚えてる?」
「この前?」
「夢の話」
「ああ……」

俺は少しだけ嫌な予感がした。
「何?」
「探してみようよ」
「何を?」
「夢」
「……は?」

思わず素っ頓狂な声が出た。
「だから、将来やりたいこと」
「いや、急に言われても」
「だって、何にも決まってないんでしょ?」
「まあ」
「私も」

ひかりは胸を張った。
「だから一緒に探そう」
「なんで?」
「一人だとつまんないから」
「理由それ?」
「大事でしょ」

この人は本当に不思議な人だ。
俺は改めてそう思った。
「でも、どうやって探すんだよ」
「うーん……」

ひかりは腕を組んで考える。
「とりあえず、やってみる」
「雑だな」
「人生なんてそんなもんだよ」
「急に深いこと言うな」

結局その日の放課後、俺たちは図書室にいた。
進路関係の本が並んでいる棚の前に立つ。
「いっぱいあるね」
「そりゃそうだろ」

教師、医師、看護師、弁護士、建築士、デザイナー、料理人、警察官。
知らない職業もたくさんあった。
「湊くん、これどう?」

ひかりが一冊の本を手に取る。
『高校生のための職業図鑑』
「そのまんまだな」
「いいじゃん」

机に座って、二人でページをめくる。
「これ知ってる?」
「知らない」
「これは?」
「知らない」
「じゃあこれは?」
「……知らない」
「湊くん、世の中知らないこと多すぎない?」
「お前もだろ」
「私はこれから知るの」
「俺もだよ」

ひかりが小さく吹き出す。
俺もつられて口元を緩めた。
職業図鑑を見ているはずなのに、半分くらいはくだらない話をしていた。
それでも、たまに目に留まるものがあった。
「映画関係……」

俺はふと呟いた。
「映画好きなの?」
「いや、見るのは好きだけど」
「じゃあ、ちょっと興味あるじゃん」
「仕事にしたいかは分からないけど」
「それでいいんじゃない?」

ひかりは何でもないことのように言った。
「『ちょっと気になる』から始めればいいじゃん」
「……なるほど」
その日は、それだけだった。
夢が見つかったわけでもない。
将来やりたいことが決まったわけでもない。
でも、その日の帰り道。
俺は少しだけ気分が軽かった。

翌日には、また別のことを試した。
スマホを使い、職業診断をやってみた。
結果は、
『あなたは人と関わる仕事に向いています』
だった。
「……当たってる?」

ひかりが画面を覗き込む。
「知らない」
「じゃあ、営業とか?」
「絶対やだ」
「なんで?」
「知らない人とずっと喋るの疲れそう」
「湊くん、友達とはめっちゃ喋るじゃん」
「友達と仕事は違うだろ」
「確かに」

その次の日は、大学のパンフレットを見た。
さらにその次の日は、先生にいろんな仕事について聞いてみた。
けれど、
「これだ」
と思えるものは、一つもなかった。
何かを知るたびに、
「あ、これは違う」
と思う。

少し興味を持っても、
「でも、仕事にしたいほどじゃない」
となる。
何日か経った頃。
放課後の教室で、俺とひかりは机を向かい合わせていた。
「結局、何も見つからないね」
俺が言う。

「うん」
ひかりも頷いた。
「私たち、才能ないのかな」
「夢探しの才能って何だよ」
ひかりが肩をすくめる。
「それもそうだね」

窓の外は、夕方の色に染まっていた。
部活に向かう生徒たちの声が、廊下の向こうから聞こえてくる。
「でもさ」
ひかりが窓の外を見ながら言った。
「ちょっと楽しくない?」
「何が?」
「こうやって探すの」
「……まあ」

俺は少し考えてから答えた。
「うん。楽しいかも」
「でしょ?」
ひかりの表情がぱっと明るくなる。
その顔を見ながら、俺は思った。

もしかしたら。
夢って、見つけるものじゃなくて、こうやって少しずつ探していくものなのかもしれない。
まだ何も分からない。
何になりたいのかも分からない。
それでも、昨日よりはほんの少しだけ。
自分の未来に近づいた気がした。