17歳、未定。

朝の教室は、いつも少しだけ騒がしい。
まだ一時間目が始まるまで二十分もあるのに、教室のあちこちから声が聞こえてくる。

(みなと)、昨日の動画見た?」
教室に入ってきた(りく)が、席に鞄を置くなりスマホを見せてきた。

「何の?」
「昨日バズってたやつ。ほら、これ」
「……お前、朝からそれ見てんの?」
「いいだろ別に。朝の俺の楽しみなんだから」

画面には、意味の分からないことをしている男の動画が映っていた。
「何が面白いんだよ、これ」
「そこが面白いんだよ」
「意味分かんねえ」
「お前、人生の楽しみ方下手だな」
「朝から人生語るなよ」

陸が声を上げて笑う。
つられて、俺も口元が緩んだ。
こういうくだらない会話が、俺は嫌いじゃなかった。

高校二年生になってからも、学校生活はそれほど変わらない。
授業を受けて、友達と話して、昼休みに飯を食って、放課後になれば部活やら遊びやら、それぞれの予定に向かう。
毎日はそれなりに楽しい。
友達だっている。
勉強も、特別できるわけじゃないけど、落ちこぼれているわけでもない。
運動も普通。

先生に怒られることはあるけど、大きな問題を起こしたこともない。
自分では、ごく普通の高校生だと思っている。
ただ、一つだけ。
俺には、みんなが持っているものがなかった。

「そういえばさ」
陸がスマホをしまいながら言った。
「俺、最近ちゃんと大学調べ始めたんだよね」
「へえ」
「この前言ってた大学。スポーツ系の学部あるじゃん。そこ結構いいかも」
「お前、スポーツ関係の仕事したいって言ってたもんな」
「そうそう。将来はスポーツトレーナーとか、そういうのやってみたい」
「いいじゃん」

俺は頷いた。
「頑張れよ」
「おう。湊は?」
「何が?」
「大学」
「あー……」

一瞬だけ、言葉が止まった。
でも、すぐにいつもの調子に戻した。

「まだ決めてない」
「そっか。まあ、俺らまだ二年だしな」
「だろ?」
「でも先生、最近うるさくね? 進路決めろって」
「分かる。朝から進路の話されたら眠くなる」
「それは関係ないだろ」

陸が呆れたように肩をすくめる。
「だな」
またいつもの空気に戻った。
何も変じゃない。
少なくとも、陸にとっては。

だけど俺は、何でもない顔をしながら考えていた。
──俺は、本当に何も決まってない。
大学に行きたいのか。
就職したいのか。
そもそも、何をしたいのか。
何一つ分からない。

もちろん、まだ高校二年生だ。
今すぐ人生を決めろと言われても無理なのは分かっている。
それでも、最近は少しだけ怖かった。
周りの人間が、少しずつ前に進んでいるように見えるからだ。

「俺、看護師になりたいんだよね」
「え、じゃあ看護学部?」
「うん。だから今から勉強しないと」
前の方の席から、そんな声が聞こえた。

「私は美容師かな。小さい頃からずっとやりたかったし」
「俺は親の店継ぐ」
教室の中には、そんな言葉がいくつも飛び交っている。
夢、進路、将来。

少し前までは、そんな言葉なんて遠いものだと思っていた。
高校生になったばかりの頃は、大学受験なんてまだまだ先の話だと思っていた。
でも、気づけば二年生。
来年には、受験が始まる。
いつの間にか、「将来」という言葉が冗談では済まされない距離まで近づいてきていた。

チャイムが鳴る。
「席つけー」
教室に入ってきた高橋先生が、出席簿を教卓に置いた。

「朝からうるさいぞ、お前ら」
「先生が遅いからですよ」
どこからか誰かが言う。
「俺のせいにするな」
教室に笑い声が広がる。

先生も苦笑しながら黒板に向かった。
「さて、今日は少し話がある」
その言葉を聞いた瞬間、嫌な予感がした。
「二年生になったばかりで、まだ早いと思うかもしれないが──」
やっぱり。

「そろそろ進路について考えてもらいたい」
教室の空気が少しだけ変わった。
「三年生になってから慌てるんじゃ遅い。大学に行くのか、就職するのか。その先で何をしたいのか。今のうちから少しずつ考えておけ」

俺は机の上のノートを見つめた。
先生の話は、ちゃんと聞いていた。
聞いていたけれど、頭の中には一つの言葉しか浮かんでこなかった。
──何をしたいのか。
それが分からない。

授業が終わり、休み時間になると陸がまた俺の机にやってきた。
「湊、昼飯どうする?」
「購買いくか」
「また?」
「だって楽じゃん」
「お前、最近そればっかだな」
「いいだろ」

俺は鞄を持ち上げた。
たぶん、今日も普通の一日になる。
友達と話して、くだらないことで笑って、授業を受けて。
そんな一日。
なのに、さっき先生に言われた言葉だけが、頭の隅に残っていた。

──進路について考えておけ。
俺は窓の外を見る。
青い空の下を、校庭で体育をしている生徒たちが走っていた。
みんな、自分の行きたい場所があるのだろうか。

俺には、まだ分からない。
そしてそのことを、誰にも言えないまま。
俺はいつものように、みんなの輪の中に戻っていった。