科学室での一件以来、僕は自身のシステム内から、いったん『木瀬侑人』という存在を完全にデリート(遮断)した。
僕が一切の関心を示さなくなることで、侑人に僕という存在がいかに尊く、代替不可能な絶対的システムであるかを骨の髄まで理解させたかったのだ。
……というのは傲慢な建前で。
本当は内側から全回路を焼き尽くしそうなほどのドス黒い嫉妬心を冷ますために、強制的に孤立状態になって頭を冷やす必要があった。
僕の冷酷なアクセス拒否(シカト)のムーブは、目論見通り着実に侑人を精神的デッドエンドへと追い詰めていった。
変化が起きたのは、ある日の授業中だった。
教科書を忘れた侑人が、消え入りそうな声で「見せてほしい」と通信を試みてきた瞬間、僕の全システムは一刹那でフリーズした。
張り詰めていた醜い独占欲が融解し、冷徹な仮面の下で急激に血流が熱くなる。
あのプライドの高い『神視点』が、なけなしの勇気を振り絞って、自ら防壁を下げて僕に縋ってきたのだ。
愛おしさに胸が激しく脈打つ。
「意地悪してごめん」と謝りたくなる衝動と、このまま罪悪感の檻に縛り付けて飼い殺したいという加虐欲が、脳内で激しく衝突していた。
一学期も終わりに近づいた頃、夏休みの花火大会の広告が視界に飛び込んできた。
毎年、無菌室のような自室で一人、網膜に映すだけだった虚無の光景。
けれど、今年はその光を、侑人の瞳の反射越しに観たいと切望してしまった。
だが、侑人をこのプライベート領域(自宅)へ招き入れるなど、想像しただけで僕のキャパシティは限界を迎えてしまう。
しかし、一度生成された欲求のコードは、日を追うごとに肥大化し、システムを侵食していった。
夜、ベッドに横たわりながら、この部屋に侑人がいるシミュレーションを繰り返さない日はなかった。
ただ隣で一緒に花火を観る、それだけでいい。
長い夏休み中、侑人という光(データ)を一切受信できなくなる死ぬほど憂鬱なシャットダウン期間を考えれば、手段を選ばず彼をここに拉致(連れてくる)する以外の選択肢は残されていなかった。
終業式が終わり、校門へ向かう僕の背中を、不安げな様子で健気に追ってくる侑人。
その愛おしさに目眩を覚えながら、僕は彼を校舎裏の死角へと誘導した。
「そろそろ、許してほしい?」
低く囁き、追い詰められた侑人の精神を手懐けるのは容易だった。
今なら、僕がどんな理不尽な要求を実行させようとも、彼は拒絶しないだろう。
それほどまでに侑人の全システムは僕のウイルスに汚染されているはずなのに、最後の境界線(告白)だけは頑なに超えようとしない彼が、もどかしくて狂いそうだった。
「今度、僕の家に来てよ」
微かに頬を染め、困惑しながらも、完全降伏のステータスで僕の後を追う侑人。
今すぐその華奢な身体を抱き潰したかった。
僕の脳内プログラミングは、すでに夜空の花火の下で、侑人を組み敷いて泣かせている。
侑人が「好きだ」とアンロックコードを唱えてくれれば、この歪んだ妄想は最高の現実として上書きされるのに……。
連絡先を交換する指先で、僕は己の臆病さと圧倒的な飢餓感に打ちひしがれていた。
──だが、指定した日時。
待ち合わせ場所に現れた侑人の背後に『モブの群れ』を検知した瞬間、僕のシステムは心底絶望した。
予期していなかったわけじゃない。
最悪の想定(エラー)として予測はしていた。
だが、僕は侑人の恋心を信じたかったのだ。
彼も心の奥底では、僕と二人きりで密室に閉じ籠もりたがっているはずだと、都合のいいバグ(誤認)を起こしていた。
計算は完全に狂っていた。
何より、あれほど警告したというのに、あの浩也を再び領域内に引き連れてきた事実に、激しい失望のノイズが走る。
プログラミングが甘すぎた……。
侑人の心は、まだ深山統織という存在で完全に占有されてはいなかったのだ。
あと一歩どころか、彼との距離は宇宙の果てほども離れているように思えて、僕の思考回路は制御不能なほどの失意エラーを乱発していた。
侑人以外の害虫(モブ)どもを、僕の聖域(家)へ一歩たりとも入れたくはなかった。
案の定、浩也たちは図々しくもテラスで騒ぎ立て、花火に火をつけ始めた。
このままでは侑人と視線を交わすどころか、僕の生活空間を無惨に汚染され、最悪のバグデータとして一日が終了してしまう。
激怒が限界値を突破した刹那、害虫の一斉排除コードが脳内を駆け巡った。
僕はすぐさま上層階の住人を偽装し、管理室へ「騒音と火気使用」の通報をした。
管理人に不審がられるリスクを冒してでも、この目障りなノイズを今すぐ強制終了したかった。
浩也たちが退散する中、侑人がここに残留してくれるかは完全に勝率不明の賭けだった。
強引に連れ去られていく侑人の背中をドアの隙間から見つめていた数分間、僕の精神は崩壊の一歩手前だった。
けれど──
しばらくして、侑人は息を切らせて一人で戻ってきてくれた。
その姿を視界に捉えただけで、僕のシステムは泣きたくなるほどの救済(リカバリ)を迎えたのだ。
もうタイムアウトが迫っていた。
管理人が帰って行くと、僕は侑人の細い手首を強引に掴んで引きずり、自身の部屋の最奥、バルコニーの特等席へと連れ出した。
「間に合った……」
心からの安堵とともに、隣に立つ侑人の熱を感じながら、夜空に咲き乱れる大輪の光を見つめた。
火花に照らされる侑人の、儚く美しい横顔。
暗闇の中で光を反射する透徹した瞳と、わずかに開かれた熱っぽい唇。
その美しさに脳が焼き切れそうになりながら、僕は今すぐこの首筋に噛みついて、僕だけのものだと刻みつけたい衝動を必死で抑え込んでいた。
やがて花火が終わり、世界が冷たい静寂へと逆戻りすると、底知れない虚無感と焦燥が一気に押し寄せてきた。
せっかく二人きりの排他的空間を作れたのに、この花火が終われば、彼はまた元の世界へ帰ってしまう。
『好きだ、もっとずっと一緒にいたい』
──そのたった一言のダイレクトコードが出せたなら。
僕はこんなにも回りくどく残酷な手段で彼を寸止めにし、その心をハッキングして縛り付ける必要なんてなかっただろうに。
【エラーログ5:直接通信(ダイレクトメッセージ)の不送出と依存度の増大】
・花火終了に伴うセッション終了(帰宅)の検知による、精神的システムダウンの危機。
・開発者(深山)の通信障害(告白の恐怖)により、ターゲットの精神を寸止め状態(ハングアップ)で繋ぎ止める「生殺しコード」の生成を承認。
・……帰さない。今夜、直接触れずにターゲットの精神領域を完全に壊し、僕なしでは呼吸すらできない身体に書き換える。
僕が一切の関心を示さなくなることで、侑人に僕という存在がいかに尊く、代替不可能な絶対的システムであるかを骨の髄まで理解させたかったのだ。
……というのは傲慢な建前で。
本当は内側から全回路を焼き尽くしそうなほどのドス黒い嫉妬心を冷ますために、強制的に孤立状態になって頭を冷やす必要があった。
僕の冷酷なアクセス拒否(シカト)のムーブは、目論見通り着実に侑人を精神的デッドエンドへと追い詰めていった。
変化が起きたのは、ある日の授業中だった。
教科書を忘れた侑人が、消え入りそうな声で「見せてほしい」と通信を試みてきた瞬間、僕の全システムは一刹那でフリーズした。
張り詰めていた醜い独占欲が融解し、冷徹な仮面の下で急激に血流が熱くなる。
あのプライドの高い『神視点』が、なけなしの勇気を振り絞って、自ら防壁を下げて僕に縋ってきたのだ。
愛おしさに胸が激しく脈打つ。
「意地悪してごめん」と謝りたくなる衝動と、このまま罪悪感の檻に縛り付けて飼い殺したいという加虐欲が、脳内で激しく衝突していた。
一学期も終わりに近づいた頃、夏休みの花火大会の広告が視界に飛び込んできた。
毎年、無菌室のような自室で一人、網膜に映すだけだった虚無の光景。
けれど、今年はその光を、侑人の瞳の反射越しに観たいと切望してしまった。
だが、侑人をこのプライベート領域(自宅)へ招き入れるなど、想像しただけで僕のキャパシティは限界を迎えてしまう。
しかし、一度生成された欲求のコードは、日を追うごとに肥大化し、システムを侵食していった。
夜、ベッドに横たわりながら、この部屋に侑人がいるシミュレーションを繰り返さない日はなかった。
ただ隣で一緒に花火を観る、それだけでいい。
長い夏休み中、侑人という光(データ)を一切受信できなくなる死ぬほど憂鬱なシャットダウン期間を考えれば、手段を選ばず彼をここに拉致(連れてくる)する以外の選択肢は残されていなかった。
終業式が終わり、校門へ向かう僕の背中を、不安げな様子で健気に追ってくる侑人。
その愛おしさに目眩を覚えながら、僕は彼を校舎裏の死角へと誘導した。
「そろそろ、許してほしい?」
低く囁き、追い詰められた侑人の精神を手懐けるのは容易だった。
今なら、僕がどんな理不尽な要求を実行させようとも、彼は拒絶しないだろう。
それほどまでに侑人の全システムは僕のウイルスに汚染されているはずなのに、最後の境界線(告白)だけは頑なに超えようとしない彼が、もどかしくて狂いそうだった。
「今度、僕の家に来てよ」
微かに頬を染め、困惑しながらも、完全降伏のステータスで僕の後を追う侑人。
今すぐその華奢な身体を抱き潰したかった。
僕の脳内プログラミングは、すでに夜空の花火の下で、侑人を組み敷いて泣かせている。
侑人が「好きだ」とアンロックコードを唱えてくれれば、この歪んだ妄想は最高の現実として上書きされるのに……。
連絡先を交換する指先で、僕は己の臆病さと圧倒的な飢餓感に打ちひしがれていた。
──だが、指定した日時。
待ち合わせ場所に現れた侑人の背後に『モブの群れ』を検知した瞬間、僕のシステムは心底絶望した。
予期していなかったわけじゃない。
最悪の想定(エラー)として予測はしていた。
だが、僕は侑人の恋心を信じたかったのだ。
彼も心の奥底では、僕と二人きりで密室に閉じ籠もりたがっているはずだと、都合のいいバグ(誤認)を起こしていた。
計算は完全に狂っていた。
何より、あれほど警告したというのに、あの浩也を再び領域内に引き連れてきた事実に、激しい失望のノイズが走る。
プログラミングが甘すぎた……。
侑人の心は、まだ深山統織という存在で完全に占有されてはいなかったのだ。
あと一歩どころか、彼との距離は宇宙の果てほども離れているように思えて、僕の思考回路は制御不能なほどの失意エラーを乱発していた。
侑人以外の害虫(モブ)どもを、僕の聖域(家)へ一歩たりとも入れたくはなかった。
案の定、浩也たちは図々しくもテラスで騒ぎ立て、花火に火をつけ始めた。
このままでは侑人と視線を交わすどころか、僕の生活空間を無惨に汚染され、最悪のバグデータとして一日が終了してしまう。
激怒が限界値を突破した刹那、害虫の一斉排除コードが脳内を駆け巡った。
僕はすぐさま上層階の住人を偽装し、管理室へ「騒音と火気使用」の通報をした。
管理人に不審がられるリスクを冒してでも、この目障りなノイズを今すぐ強制終了したかった。
浩也たちが退散する中、侑人がここに残留してくれるかは完全に勝率不明の賭けだった。
強引に連れ去られていく侑人の背中をドアの隙間から見つめていた数分間、僕の精神は崩壊の一歩手前だった。
けれど──
しばらくして、侑人は息を切らせて一人で戻ってきてくれた。
その姿を視界に捉えただけで、僕のシステムは泣きたくなるほどの救済(リカバリ)を迎えたのだ。
もうタイムアウトが迫っていた。
管理人が帰って行くと、僕は侑人の細い手首を強引に掴んで引きずり、自身の部屋の最奥、バルコニーの特等席へと連れ出した。
「間に合った……」
心からの安堵とともに、隣に立つ侑人の熱を感じながら、夜空に咲き乱れる大輪の光を見つめた。
火花に照らされる侑人の、儚く美しい横顔。
暗闇の中で光を反射する透徹した瞳と、わずかに開かれた熱っぽい唇。
その美しさに脳が焼き切れそうになりながら、僕は今すぐこの首筋に噛みついて、僕だけのものだと刻みつけたい衝動を必死で抑え込んでいた。
やがて花火が終わり、世界が冷たい静寂へと逆戻りすると、底知れない虚無感と焦燥が一気に押し寄せてきた。
せっかく二人きりの排他的空間を作れたのに、この花火が終われば、彼はまた元の世界へ帰ってしまう。
『好きだ、もっとずっと一緒にいたい』
──そのたった一言のダイレクトコードが出せたなら。
僕はこんなにも回りくどく残酷な手段で彼を寸止めにし、その心をハッキングして縛り付ける必要なんてなかっただろうに。
【エラーログ5:直接通信(ダイレクトメッセージ)の不送出と依存度の増大】
・花火終了に伴うセッション終了(帰宅)の検知による、精神的システムダウンの危機。
・開発者(深山)の通信障害(告白の恐怖)により、ターゲットの精神を寸止め状態(ハングアップ)で繋ぎ止める「生殺しコード」の生成を承認。
・……帰さない。今夜、直接触れずにターゲットの精神領域を完全に壊し、僕なしでは呼吸すらできない身体に書き換える。
