放課後。
普段は気にも留めない他人の目を無駄に気にしながら、教室から完全に人がいなくなったのを確認して、俺は隣の席の深山に視線を向けた。
「で? 恋愛相談って、何か悩んでることでもあんの?」
いつもなら、相談を受ける前に相手の視線や態度で答えを導き出し、「好きな子に告白しようか迷ってんの?」と先回りして格好をつけるところだ。
だが、今回はわけが違う。まさか本当に俺への告白だったらたまらない。妙な緊張感が走る中、俺は慎重に言葉を選んだ。
対する深山は、「あー……」とか「うーん……」とか言いながら、視線を彷徨わせて言葉を濁している。
そんなに言いにくいことなのか。やっぱり、その相談の矛先は俺なのか……? いや、だとしたら、なんでわざわざ俺にそんな回りくどい真似を──。
答えの出ない問いが脳内をぐるぐると回り、心臓の音がうるさいくらいに鼓動を刻む。
「……好きな人が、いて」
静かに紡がれた深山の言葉に、俺は思わずゴクリと息をのんだ。
「……告白しようか、迷ってるんだけど」
「う、うん……?」
ちょっと待て。この展開はなんだ?
恋愛相談という名の、外堀埋め(カウントダウン)か!?
普通なら「へえ、誰だよその人」と返すのが正解だろうが、それを口にしたら最後、自分の名前を呼ばれる気がして、俺の防衛本能が全力で拒絶している。
深山はといえば、どこか余裕のなさそうな表情で、熱を含んだ視線をまっすぐにこちらへよこしてくる。
待て待て、マジでそうだとして、このシチュエーションで突然男に告白されるのはキャパオーバーだ。だいたい男と付き合うなんて逆立ちしても無理だし、何より明日からの席替えのない隣席ライフが気まずさで死ぬ。
「こ、告白の前にさ。その……お前はいつからその人のことが気になってるんだ? もし最近の話なら、そんなに焦らなくてもいいんじゃないか? ほら、一時の気の迷いってこともあるし……」
「気の迷いなんかじゃないよ」
深山は即座に、きっぱりと言い切った。
「高校の入学式で、初めてその人を見た時から……ずっと、その……」
「わわわわかった! 一目惚れからのみっちり一途なやつだな!」
遮るように声を張り上げてしまった。
──いや、もういっそ、こいつの告白を今ここで吐き出させて、「ごめん、気持ちは嬉しいけど無理だ」と言ってしまった方が楽か?
こいつはこいつで、相当思い詰めて俺にアタックしようとしているわけだ。これ以上引き延ばしても時間の問題だろう。振った後は、なるべく気まずくならないように「男にモテるなんて俺も罪だな!」とでも明るくフォローすればいい。
よし、と腹をくくって深呼吸する。俺は『神視点』の男として、彼の告白を受け止める覚悟を決めた。
「そ、それで……。お前のその、好きな人っていうのは……誰なんだ?」
緊張が最高潮に達し、喉がカラカラに乾く。
深山はしばらく、躊躇するように長い睫毛を伏せて沈黙した後、小さく唇を開いた。
「それは……まだ、言えない」
「…………」
──は?
ここまきて、もったいぶる気か!?
ふ、ふざけんな……! 俺の心臓をここまで激しくノックしておいて、「言えない」でシャッターを下ろすだと!?
お前は確実に、俺のことが好きだろうが! 入学式早々、クラスの違う俺に一目惚れして、二年生で念願の隣の席をゲットして、毎日熱視線を送って、今日満を持して告白に踏み切ったんじゃないのかよ!
完璧だと思った俺の『神視点』の予測を、見事にスカされた。その事実に猛烈にプライドが逆撫でされる。
いや、それだけじゃない。男に告白されるなんて御免だと思っていたはずなのに、いざ「お前じゃない」と突き放されたような形になって、まるで俺が自意識過剰のピエロみたいじゃないか。
自分の名前を呼ばれる覚悟まで決めていた自分が、最高にマヌケで、どうしようもなく惨めに思えてくる。
「そ、そうなんだ……。でも、相手を教えてくれないと、さすがにアドバイスのしようもないんだけど」
口調が少し尖ってしまった。というか、なんで俺は怒りながら、同時に盛大にがっかりしているんだ?
予測を外された悔しさなのか、それとも、勝手に振る準備までして一人でドギマギしていた自分がバカみたいだからなのか。意味がわからない。喉の奥に苦いものが残るような、この得体の知れないモヤモヤは一体何なんだ。
「そうだよな……。ごめん、やっぱり木瀬くんの言う通り、もう少し頭を冷やして考えてみる。相談に乗ってくれてありがとう」
「……あ、あ、うん」
深山は、いつもの人懐っこい笑みを柔らかく浮かべると、スマートに鞄を肩にかけ、颯爽と教室を出ていってしまった。
結局、今の時間は一体何だったんだ!?
無人の教室に取り残された俺は、やり場のないイライラと気恥ずかしさで頭を抱え、叫び出したい衝動に駆られた。そのまま、いっそ八つ当たり気味に深山の無人の机を睨みつけた、その時。
机の端に、見慣れない黒い手帳がぽつんと取り残されているのが目に入った。
「あいつ、忘れ物かよ……」
まだ大して時間は経っていない。今なら昇降口あたりで追いつくはずだ。
そう思って手帳を掴み上げた、その瞬間。
表紙の隙間から、一枚の四つ折りにされたメモ用紙がひらりと床へ滑り落ちた。
「おっと……」
拾い上げて手帳に挟み直そうとした時、俺の指がピタリと止まった。
折れ目の隙間から、俺の名前──『木瀬侑人』の漢字が、あまりにも綺麗な文字で視界に飛び込んできたからだ。
悪いとは思いつつも、吸い寄せられるようにメモを開く。その瞬間、心臓を氷水に浸けられたような冷たい戦慄が、全身の血管を駆け巡った。
【木瀬侑人 攻略ロードマップ】
【フェーズ1:認知と観察(完了)】
→ 侑人が「よく目が合う」と意識し始めたら成功。
【フェーズ2:接触と自己開示(現在進行中)】
→ 「不器用な恋愛相談」を持ちかけ、俺に気があるのではと思い込ませれば成功。
【フェーズ3:嗜好性のハッキング】
→ 「好みのタイプ」を聞き出し、侑人の発言した属性を即時インストールする。
「なんだ……これ……」
はっきりと、俺の名前が標的(ターゲット)のように記されている。
しかも【フェーズ2】の項目。……今まさに、この教室で行われた一連のやり取りそのものじゃないか。
ドクドクと、狂ったように心臓が警鐘を鳴らす。
まさか、ここ数日間のあの思わせぶりな視線も、今日の思わせぶりな態度も、すべてあいつの『計算』の元に実行されていたプログラミングだとでも言うのか?
目的は? ……考えるまでもない。あいつは、俺をガチで落とそうとしている。それも、俺の『神視点』というプライドすら利用して、手のひらで転がしながら。
ダタタ、と廊下の奥から戻ってくる足音が聞こえた。
俺は激しい動揺で手を震わせながら、メモを四つ折りに戻し、手帳へと突っ込んだ。
(待て……! これ、元々何ページに挟まってた……!?)
挟み直した位置が合っているのかすら分からない。胃の底がひっくり返るような冷や汗が吹き出したその瞬間、ガラッとドアが開いた。
「あ、あった。よかった、忘れ物しちゃって」
ガラッとドアを開けて入ってきた深山は、さっきと変わらない、少し抜けたような笑顔を浮かべている。
俺は喉の奥がカラカラに干からびるような動揺を必死で抑え込み、さりげなく深山の机から距離を取った。だが。
「木瀬くん」
背後から、すっと長い影が落ちてきた。
「な、何?」
振り返る隙も与えられない。深山は俺の背後にピタリと寄り添うと、俺の耳元、すぐ横の至近距離から、ひどく冷静で、ひどく低い声で囁いた。
「……手帳、中身見てないよね?」
ゾク、と背筋が凍りついた。
「み、見てないよ……。落ちてたから、机に戻そうとしただけ」
平静を装ったつもりが、情けないほど声が裏返る。
だが深山は、俺のその明らかな異変に気づかなかったのか、ふっと満足そうに微笑んで手帳を鞄に収めた。
「そっか、よかった。じゃあ、また明日。……あ、今度は木瀬くんの話も聞かせてよ。恋愛マスターな木瀬くんの『好みのタイプ』とか、すごく興味あるから」
「……え、……あ、ああ。まあ、そのうちな……」
好みのタイプ──あいつの言うところの【フェーズ3:嗜好性のハッキング】じゃねえか……!!
恋愛マスターってなんだよ、お前はその俺を上から完全攻略する気満々じゃねえか……!
「じゃあね」
深山は再び、人懐っこい極上の笑みを浮かべて、今度こそ颯爽と教室を去っていった。
だが、別れ際。教室のドアの引き戸に手をかけた彼の口元が、ほんの一瞬だけ、酷く冷淡で、酷く不敵に吊り上がったのを、俺の『神視点』は見逃さなかった。
俺は、底知れない化け物の本性に戦慄しながら、鳥肌の立った腕を抱えて、いつまでもその場に立ち尽くしていた。
普段は気にも留めない他人の目を無駄に気にしながら、教室から完全に人がいなくなったのを確認して、俺は隣の席の深山に視線を向けた。
「で? 恋愛相談って、何か悩んでることでもあんの?」
いつもなら、相談を受ける前に相手の視線や態度で答えを導き出し、「好きな子に告白しようか迷ってんの?」と先回りして格好をつけるところだ。
だが、今回はわけが違う。まさか本当に俺への告白だったらたまらない。妙な緊張感が走る中、俺は慎重に言葉を選んだ。
対する深山は、「あー……」とか「うーん……」とか言いながら、視線を彷徨わせて言葉を濁している。
そんなに言いにくいことなのか。やっぱり、その相談の矛先は俺なのか……? いや、だとしたら、なんでわざわざ俺にそんな回りくどい真似を──。
答えの出ない問いが脳内をぐるぐると回り、心臓の音がうるさいくらいに鼓動を刻む。
「……好きな人が、いて」
静かに紡がれた深山の言葉に、俺は思わずゴクリと息をのんだ。
「……告白しようか、迷ってるんだけど」
「う、うん……?」
ちょっと待て。この展開はなんだ?
恋愛相談という名の、外堀埋め(カウントダウン)か!?
普通なら「へえ、誰だよその人」と返すのが正解だろうが、それを口にしたら最後、自分の名前を呼ばれる気がして、俺の防衛本能が全力で拒絶している。
深山はといえば、どこか余裕のなさそうな表情で、熱を含んだ視線をまっすぐにこちらへよこしてくる。
待て待て、マジでそうだとして、このシチュエーションで突然男に告白されるのはキャパオーバーだ。だいたい男と付き合うなんて逆立ちしても無理だし、何より明日からの席替えのない隣席ライフが気まずさで死ぬ。
「こ、告白の前にさ。その……お前はいつからその人のことが気になってるんだ? もし最近の話なら、そんなに焦らなくてもいいんじゃないか? ほら、一時の気の迷いってこともあるし……」
「気の迷いなんかじゃないよ」
深山は即座に、きっぱりと言い切った。
「高校の入学式で、初めてその人を見た時から……ずっと、その……」
「わわわわかった! 一目惚れからのみっちり一途なやつだな!」
遮るように声を張り上げてしまった。
──いや、もういっそ、こいつの告白を今ここで吐き出させて、「ごめん、気持ちは嬉しいけど無理だ」と言ってしまった方が楽か?
こいつはこいつで、相当思い詰めて俺にアタックしようとしているわけだ。これ以上引き延ばしても時間の問題だろう。振った後は、なるべく気まずくならないように「男にモテるなんて俺も罪だな!」とでも明るくフォローすればいい。
よし、と腹をくくって深呼吸する。俺は『神視点』の男として、彼の告白を受け止める覚悟を決めた。
「そ、それで……。お前のその、好きな人っていうのは……誰なんだ?」
緊張が最高潮に達し、喉がカラカラに乾く。
深山はしばらく、躊躇するように長い睫毛を伏せて沈黙した後、小さく唇を開いた。
「それは……まだ、言えない」
「…………」
──は?
ここまきて、もったいぶる気か!?
ふ、ふざけんな……! 俺の心臓をここまで激しくノックしておいて、「言えない」でシャッターを下ろすだと!?
お前は確実に、俺のことが好きだろうが! 入学式早々、クラスの違う俺に一目惚れして、二年生で念願の隣の席をゲットして、毎日熱視線を送って、今日満を持して告白に踏み切ったんじゃないのかよ!
完璧だと思った俺の『神視点』の予測を、見事にスカされた。その事実に猛烈にプライドが逆撫でされる。
いや、それだけじゃない。男に告白されるなんて御免だと思っていたはずなのに、いざ「お前じゃない」と突き放されたような形になって、まるで俺が自意識過剰のピエロみたいじゃないか。
自分の名前を呼ばれる覚悟まで決めていた自分が、最高にマヌケで、どうしようもなく惨めに思えてくる。
「そ、そうなんだ……。でも、相手を教えてくれないと、さすがにアドバイスのしようもないんだけど」
口調が少し尖ってしまった。というか、なんで俺は怒りながら、同時に盛大にがっかりしているんだ?
予測を外された悔しさなのか、それとも、勝手に振る準備までして一人でドギマギしていた自分がバカみたいだからなのか。意味がわからない。喉の奥に苦いものが残るような、この得体の知れないモヤモヤは一体何なんだ。
「そうだよな……。ごめん、やっぱり木瀬くんの言う通り、もう少し頭を冷やして考えてみる。相談に乗ってくれてありがとう」
「……あ、あ、うん」
深山は、いつもの人懐っこい笑みを柔らかく浮かべると、スマートに鞄を肩にかけ、颯爽と教室を出ていってしまった。
結局、今の時間は一体何だったんだ!?
無人の教室に取り残された俺は、やり場のないイライラと気恥ずかしさで頭を抱え、叫び出したい衝動に駆られた。そのまま、いっそ八つ当たり気味に深山の無人の机を睨みつけた、その時。
机の端に、見慣れない黒い手帳がぽつんと取り残されているのが目に入った。
「あいつ、忘れ物かよ……」
まだ大して時間は経っていない。今なら昇降口あたりで追いつくはずだ。
そう思って手帳を掴み上げた、その瞬間。
表紙の隙間から、一枚の四つ折りにされたメモ用紙がひらりと床へ滑り落ちた。
「おっと……」
拾い上げて手帳に挟み直そうとした時、俺の指がピタリと止まった。
折れ目の隙間から、俺の名前──『木瀬侑人』の漢字が、あまりにも綺麗な文字で視界に飛び込んできたからだ。
悪いとは思いつつも、吸い寄せられるようにメモを開く。その瞬間、心臓を氷水に浸けられたような冷たい戦慄が、全身の血管を駆け巡った。
【木瀬侑人 攻略ロードマップ】
【フェーズ1:認知と観察(完了)】
→ 侑人が「よく目が合う」と意識し始めたら成功。
【フェーズ2:接触と自己開示(現在進行中)】
→ 「不器用な恋愛相談」を持ちかけ、俺に気があるのではと思い込ませれば成功。
【フェーズ3:嗜好性のハッキング】
→ 「好みのタイプ」を聞き出し、侑人の発言した属性を即時インストールする。
「なんだ……これ……」
はっきりと、俺の名前が標的(ターゲット)のように記されている。
しかも【フェーズ2】の項目。……今まさに、この教室で行われた一連のやり取りそのものじゃないか。
ドクドクと、狂ったように心臓が警鐘を鳴らす。
まさか、ここ数日間のあの思わせぶりな視線も、今日の思わせぶりな態度も、すべてあいつの『計算』の元に実行されていたプログラミングだとでも言うのか?
目的は? ……考えるまでもない。あいつは、俺をガチで落とそうとしている。それも、俺の『神視点』というプライドすら利用して、手のひらで転がしながら。
ダタタ、と廊下の奥から戻ってくる足音が聞こえた。
俺は激しい動揺で手を震わせながら、メモを四つ折りに戻し、手帳へと突っ込んだ。
(待て……! これ、元々何ページに挟まってた……!?)
挟み直した位置が合っているのかすら分からない。胃の底がひっくり返るような冷や汗が吹き出したその瞬間、ガラッとドアが開いた。
「あ、あった。よかった、忘れ物しちゃって」
ガラッとドアを開けて入ってきた深山は、さっきと変わらない、少し抜けたような笑顔を浮かべている。
俺は喉の奥がカラカラに干からびるような動揺を必死で抑え込み、さりげなく深山の机から距離を取った。だが。
「木瀬くん」
背後から、すっと長い影が落ちてきた。
「な、何?」
振り返る隙も与えられない。深山は俺の背後にピタリと寄り添うと、俺の耳元、すぐ横の至近距離から、ひどく冷静で、ひどく低い声で囁いた。
「……手帳、中身見てないよね?」
ゾク、と背筋が凍りついた。
「み、見てないよ……。落ちてたから、机に戻そうとしただけ」
平静を装ったつもりが、情けないほど声が裏返る。
だが深山は、俺のその明らかな異変に気づかなかったのか、ふっと満足そうに微笑んで手帳を鞄に収めた。
「そっか、よかった。じゃあ、また明日。……あ、今度は木瀬くんの話も聞かせてよ。恋愛マスターな木瀬くんの『好みのタイプ』とか、すごく興味あるから」
「……え、……あ、ああ。まあ、そのうちな……」
好みのタイプ──あいつの言うところの【フェーズ3:嗜好性のハッキング】じゃねえか……!!
恋愛マスターってなんだよ、お前はその俺を上から完全攻略する気満々じゃねえか……!
「じゃあね」
深山は再び、人懐っこい極上の笑みを浮かべて、今度こそ颯爽と教室を去っていった。
だが、別れ際。教室のドアの引き戸に手をかけた彼の口元が、ほんの一瞬だけ、酷く冷淡で、酷く不敵に吊り上がったのを、俺の『神視点』は見逃さなかった。
俺は、底知れない化け物の本性に戦慄しながら、鳥肌の立った腕を抱えて、いつまでもその場に立ち尽くしていた。
