最悪の形で、深山に包囲されてしまった。
寝返りを打って深山に背を向ければ、暗闇の中で何をされるかわからず正気を保てない。
かと言って仰向けになれば、それはそれで無防備すぎて「好きにしてくれ」と脆弱性を晒すようなものだ。
結局、俺が選んだのは、深山の方を向いて視線で牽制し続けるという防衛策だった。
しかしこの体勢は、あいつの圧倒的な存在感をダイレクトに浴び、同時に深山を喜ばせてしまう最悪の選択でもあった。
俺はなるべくあいつと目を合わせないよう、うつむき加減で身を小さくし、深山の指先の動きだけに細心の注意を払う。
「そんなに怯えなくても、何もしないのに」
「そんなこと、信じられるかよ……」
眠ったら最後、この怪物の好きにされてしまう。
深山は俺が逃げようとしたあの一瞬だけ、布団越しに質量をかけてきたものの、それ以降はピクリとも触ろうとする気配を見せない。
やはり、俺が寝落ちする瞬間を虎視眈々と狙っているのだろうか。
それにしても、深山が静かすぎる。
不気味なほどの沈黙に耐えかね、俺は意を決して深山の顔をちらりと覗き込んだ。──すると、驚いたことに、あいつは完全に目を閉じていた。
「み、深山……?」
いくらなんでも、ここまで完璧なお膳立て(密室環境)を作っておいて、その張本人がさっさと眠るなど意味がわからない。
絶対に狸寝入りだ。俺の警戒心を解くためのフェイク(囮)に決まっている。
「深山……、俺は絶対に油断しないからな」
「……」
「おーい、深山?」
返事はない。ただ、彫刻のように綺麗な寝顔が、無防備に俺の目の前に晒されているだけだ。
なんだよ……。俺に触りたいんじゃなかったのかよ。
散々俺の防壁をクラッシュさせておいて、まさかの完全スルーかよ。
思わずその肩を掴んで揺り起こしてやりたい衝動に駆られ、──ハッと思いとどまった。
違う、待て。俺はハッキングから逃げている側のはずなのに、なぜ自分から深山に触れようとしている!?
あまりの矛盾と自己嫌悪で、身体が一気にカッと火照る。
罠だ。これもきっと、俺の動揺を誘うための悪質なプログラムに違いない。
だったら、俺も寝たふりをして対抗してやる。
しばらく目を閉じて息を潜めてみるが、深山は微動だにしない。
このままだと本当にあいつが眠ってしまう。……って、俺は何を焦っているんだ!
深山が先に寝てくれれば、それこそ俺の完全勝利(ログアウト成功)のはずなのに。
胸の奥で暴れる、このわけのわからない焦燥感は一体何なんだ。
あいつは起きているのか。それとも、本当に眠ってしまったのか。
「み、深山……?」
起こそうとしているわけじゃない。これはあくまで、あいつが狸寝入りをしていないかの検疫(チェック)だ。
「……ん……っ」
深山が吐息のような甘い声を漏らし、小さく寝返りを打った。
起きたのか? そう思った途端、トクンと心臓が跳ねる。
俺は寝返りを装って仰向けになった。つられて顔だけを深山の方へ向けた──その瞬間、今まで目を閉じていたはずの深山が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
不意打ちのエンカウントに、心臓の鼓動が爆音を立てて鳴り響く。
「どうした? もしかして、眠れない?……侑人」
耳元に滑り込んできたのは、鼓膜を甘く灼くような低音。
しかもこいつは今、俺のことを「木瀬くん」ではなく、明確に「侑人」と呼び捨てにした。
「……侑人。心臓の音がかなり早いようだけど、そんなに緊張してるの?」
「違う! これは……っ!」
反射的に反論してしまってから、致命的なミスに気づく。
直接触れてもいない俺の心音など、いくら深山でも聞こえるはずがないのだ。
カマをかけられたのだと察したときにはもう遅く、深山はすべてを見透かしたように満足げな笑みを浮かべていた。
完全に、あいつの心理操作(ソーシャルエンジニアリング)の掌の上だ。
ダメだ、落ち着け。流されるな、俺──。
耐えかねて深山に背を向けると、背後からさらに追い打ちが告げられる。
「大丈夫だよ、落ち着いて。……侑人」
名前を呼ぶ声がやたらと甘く響き、衣服と布団を隔てて、深山の手が俺の背中をゆっくりとさすってきた。
たったそれだけの刺激で、全身が使い物にならないほど熱を帯びていく。
「やめろ……」
拒絶の言葉は喉の奥に張り付いて出てこない。
むしろ、遮蔽物など取っ払って、もっと深山のダイレクトな体温を感じたいと思ってしまっている自分が悔しくて、泣きそうだった。
こんな歪んだ心理すら、すべてあいつの計算(コード)だというのか。
それならいっそ、じわじわと俺の布団を剥ぎ取っていけばいい。あるいは布団の中に冷たい手を滑り込ませてくればいい。
それなのに、予想した強引な展開はいつまで経っても訪れない。
深山は、焦らすようなもどかしい速度で、ただ優しく布団越しに俺の背中を撫で続けるだけだ。
どうして、それ以上のことをしてこないんだよ──!?
すべて計画通りに俺をこのベッドに監禁したんだ。あとはお前の好きなように、俺を蹂躙すればいいだろ。
それなのに。
「おやすみ、侑人」
蕩けるような声でそれだけ囁くと、深山は本当に手を止め、眠りについてしまった。
しばらくして聞こえてきた規則正しい自然な寝息に、俺は完全に呆気に取られた。
深山統織が何を考えているのか、本当に、これっぽっちもわからない。
中途半端なところでシステムを強制終了されたような、わけのわからない喪失感。
幸せそうに眠る深山の横顔を見つめながら、俺はやり場のない腹立たしさと、身体の奥に居座る熱を抱えたまま、人生で最も長い一夜を過ごした。
翌朝、目を覚ますと、隣の温もりはすでに消えていた。
身支度を整えてリビングへ向かうと、ふわりと香ばしいコーヒーの匂いに包まれた。
「おはよう、木瀬くん」
「……侑人でいいよ」
俺は、キッチンに立つ深山の背中に届くよう、わざとらしく荒々しいため息を吐いて言った。
昨夜、あれほどエロい声で俺の名前を囁きまくっていた男だ。
今さら「木瀬くん」などとパブリックな呼び方に戻されても、白々しさに背筋がゾッとする。
深山は一瞬驚いたように手を止めると、クスッと小さく笑った。
「わかったよ、侑人」
向けられた瞳は、妙な色気に満ちていた。
ダイニングテーブルに目をやると、朝食が並んでいる。
グリーンサラダにベーコンエッグ、綺麗に焼かれたトーストというシンプルなワンプレートだが、彩りが完璧で嫌でも食欲をそそられた。
「これ、お前が作ったのか?」
「ああ。よかったら一緒に食べよう」
深山が俺の分のコーヒーを淹れて席に着いたので、俺も促されるまま椅子に腰掛けた。
両親があまり家にいないからなのか、作りなれているような朝食だった。
料理もコーヒーも文句なく美味しい。深山と暮らしたら、いつもこんな感じなんだろうか……。
って、俺は朝から何を考えているんだ!!
寝不足で完全に頭がおかしくなっている……。
コーヒーを飲みながら、火照った顔をカップでそれとなく隠した。
昨夜、深山とは何もなかった。指一本触れられることもなかった。
それなのに、同じベッドで夜を明かしたという既成事実のせいで、まともにあいつの顔を見ることができない。
いや、でも、よく考えたら俺は結局のところ、深山に何もされずに無傷で朝を迎えたのだ。
言ってみれば、俺の防御システムの完全勝利じゃないか。
なのに、どうしてこんなにも心がモヤモヤして仕方がないんだ。
帰り際、駅まで送るという深山の申し出を断り、俺たちはエントランスの玄関前で別れることになった。
「じゃあ、また、学校で……」
重い鉄製のドアを背に靴を履きながら、これからしばらく深山に会えなくなるのだという現実が、急に胸を締め付けた。
もう、次に会う口実も約束もない。
そう自覚した瞬間、昨夜触れられなかった身体の奥が、じんわりと疼き出すのがわかった。
「しばらく僕に会えなくて寂しい?」
深山が、俺の思考回路を完全にハッキングしているようなトーンで言った。
「べ、別に、寂しいわけないだろ! お前こそ、どうなんだよ……」
「ああ。うん。寂しいよ。でもさ──」
深山はそこで言葉を区切り、俺の逃げ場を無くすように一歩距離を詰めた。
「──僕より侑人の方が、寂しくて眠れなくなるだろうから。会いたくなったら、いつでも連絡してよ」
「……は?」
あまりにも強気な発言に、一瞬言葉を失った。
俺の方が寂しくて眠れない? なぜこいつは、この状況でそんな勝ち誇ったようなセリフが吐けるんだ。
「ふざけんなよ! 俺をこんな目に遭わせておいて、誰がまたお前に会いたいなんて思うかよ!」
「そうか。寂しいな。……じゃあまた、学校で会えるのを楽しみにしているよ」
深山は熱っぽい瞳のまま、酷く不敵に笑って見送った。
俺は逃げるように足早にタワマンを後にした。
自宅へ帰る道中も、ずっとあの帰り際の深山の余裕の笑みが頭から離れなかった。
何かが決定的におかしい。あいつは結局、昨夜俺を好きにできたのにしなかった。
あいつはただ、俺の心を揺さぶるだけで満足したというのか?
その時の俺はまだ、深山の本当の目的を理解していなかった。
だが、その恐るべき真意は、日を追うごとに俺の精神を蝕んでいった。
1日目、2日目……日を追うごとに、耳元で何度も熱く囁かれた「侑人」という声が脳内で再生される。
暗闇の中、指一本たりとも直接触れられなかった肌が、満たされない焦燥感でじくじくと熱く疼くのだ。
何度もスマホを開き、アドレス帳の最上部にある『深山統織』の文字を見つめては、プライドと欲望の狭間で身悶えする。
『僕より侑人の方が、寂しくて眠れなくなるだろうから』
帰り際に呪いのように植え付けられた深山の言葉が、毎夜、脳裏をループする。
日を重ねるごとに、あの日得られなかった深山の直接のぬくもりを想像してしまい、どれだけ目を閉じても寝付けない日々が続いた。
そして俺はとうとう、深山の本当の目的に気づき、血の気が引いた。
あいつがあの夜、俺の身体を弄ばなかった理由。──深山が本当に支配したかったのは、俺の肉体なんかじゃない。俺の『心(精神そのもの)』だったのだ。
残りの長い夏休み、俺が嫌でも深山のことしか考えられなくなるような最悪のトラップ。
あの夜、意図的に与えられなかった深山への飢餓感が、会えない日数分、雪だるま式に膨れ上がっていく。
俺は夏休みが明けるまでの間、この強力な呪縛(バグ)に取り憑かれたまま生殺しにされるのだ。
やられた──!!
だが、気づいた時にはもう遅い。
俺の頭の中も、身体も、すでに深山の体温を狂ったように探し始めている。
次に学校で深山に会った時、俺は一体どうなってしまうのか、もう自分自身の制御すら効かない。
この深刻なシステムエラーを解除するためには、もはや、深山の本物の体温に触れる以外に選択肢はないのだ──。
悔しい……。けれど、
一瞬でいい。あいつの体温が、欲しい。
【フェーズ12:寸止め(ハングアップ)による精神侵食(完了)】
→ ターゲット(侑人)に直接接触せず「未遂(飢餓感)」のまま放置することで、思考リソースを「僕(深山)」で完全占有。
夏休み期間を利用したバックグラウンドでの自己増殖(執着の肥大化)を確認。……プログラム通り、次回の接触時にターゲット側の防壁は自主的に完全崩壊(シャットダウン)する。
寝返りを打って深山に背を向ければ、暗闇の中で何をされるかわからず正気を保てない。
かと言って仰向けになれば、それはそれで無防備すぎて「好きにしてくれ」と脆弱性を晒すようなものだ。
結局、俺が選んだのは、深山の方を向いて視線で牽制し続けるという防衛策だった。
しかしこの体勢は、あいつの圧倒的な存在感をダイレクトに浴び、同時に深山を喜ばせてしまう最悪の選択でもあった。
俺はなるべくあいつと目を合わせないよう、うつむき加減で身を小さくし、深山の指先の動きだけに細心の注意を払う。
「そんなに怯えなくても、何もしないのに」
「そんなこと、信じられるかよ……」
眠ったら最後、この怪物の好きにされてしまう。
深山は俺が逃げようとしたあの一瞬だけ、布団越しに質量をかけてきたものの、それ以降はピクリとも触ろうとする気配を見せない。
やはり、俺が寝落ちする瞬間を虎視眈々と狙っているのだろうか。
それにしても、深山が静かすぎる。
不気味なほどの沈黙に耐えかね、俺は意を決して深山の顔をちらりと覗き込んだ。──すると、驚いたことに、あいつは完全に目を閉じていた。
「み、深山……?」
いくらなんでも、ここまで完璧なお膳立て(密室環境)を作っておいて、その張本人がさっさと眠るなど意味がわからない。
絶対に狸寝入りだ。俺の警戒心を解くためのフェイク(囮)に決まっている。
「深山……、俺は絶対に油断しないからな」
「……」
「おーい、深山?」
返事はない。ただ、彫刻のように綺麗な寝顔が、無防備に俺の目の前に晒されているだけだ。
なんだよ……。俺に触りたいんじゃなかったのかよ。
散々俺の防壁をクラッシュさせておいて、まさかの完全スルーかよ。
思わずその肩を掴んで揺り起こしてやりたい衝動に駆られ、──ハッと思いとどまった。
違う、待て。俺はハッキングから逃げている側のはずなのに、なぜ自分から深山に触れようとしている!?
あまりの矛盾と自己嫌悪で、身体が一気にカッと火照る。
罠だ。これもきっと、俺の動揺を誘うための悪質なプログラムに違いない。
だったら、俺も寝たふりをして対抗してやる。
しばらく目を閉じて息を潜めてみるが、深山は微動だにしない。
このままだと本当にあいつが眠ってしまう。……って、俺は何を焦っているんだ!
深山が先に寝てくれれば、それこそ俺の完全勝利(ログアウト成功)のはずなのに。
胸の奥で暴れる、このわけのわからない焦燥感は一体何なんだ。
あいつは起きているのか。それとも、本当に眠ってしまったのか。
「み、深山……?」
起こそうとしているわけじゃない。これはあくまで、あいつが狸寝入りをしていないかの検疫(チェック)だ。
「……ん……っ」
深山が吐息のような甘い声を漏らし、小さく寝返りを打った。
起きたのか? そう思った途端、トクンと心臓が跳ねる。
俺は寝返りを装って仰向けになった。つられて顔だけを深山の方へ向けた──その瞬間、今まで目を閉じていたはずの深山が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
不意打ちのエンカウントに、心臓の鼓動が爆音を立てて鳴り響く。
「どうした? もしかして、眠れない?……侑人」
耳元に滑り込んできたのは、鼓膜を甘く灼くような低音。
しかもこいつは今、俺のことを「木瀬くん」ではなく、明確に「侑人」と呼び捨てにした。
「……侑人。心臓の音がかなり早いようだけど、そんなに緊張してるの?」
「違う! これは……っ!」
反射的に反論してしまってから、致命的なミスに気づく。
直接触れてもいない俺の心音など、いくら深山でも聞こえるはずがないのだ。
カマをかけられたのだと察したときにはもう遅く、深山はすべてを見透かしたように満足げな笑みを浮かべていた。
完全に、あいつの心理操作(ソーシャルエンジニアリング)の掌の上だ。
ダメだ、落ち着け。流されるな、俺──。
耐えかねて深山に背を向けると、背後からさらに追い打ちが告げられる。
「大丈夫だよ、落ち着いて。……侑人」
名前を呼ぶ声がやたらと甘く響き、衣服と布団を隔てて、深山の手が俺の背中をゆっくりとさすってきた。
たったそれだけの刺激で、全身が使い物にならないほど熱を帯びていく。
「やめろ……」
拒絶の言葉は喉の奥に張り付いて出てこない。
むしろ、遮蔽物など取っ払って、もっと深山のダイレクトな体温を感じたいと思ってしまっている自分が悔しくて、泣きそうだった。
こんな歪んだ心理すら、すべてあいつの計算(コード)だというのか。
それならいっそ、じわじわと俺の布団を剥ぎ取っていけばいい。あるいは布団の中に冷たい手を滑り込ませてくればいい。
それなのに、予想した強引な展開はいつまで経っても訪れない。
深山は、焦らすようなもどかしい速度で、ただ優しく布団越しに俺の背中を撫で続けるだけだ。
どうして、それ以上のことをしてこないんだよ──!?
すべて計画通りに俺をこのベッドに監禁したんだ。あとはお前の好きなように、俺を蹂躙すればいいだろ。
それなのに。
「おやすみ、侑人」
蕩けるような声でそれだけ囁くと、深山は本当に手を止め、眠りについてしまった。
しばらくして聞こえてきた規則正しい自然な寝息に、俺は完全に呆気に取られた。
深山統織が何を考えているのか、本当に、これっぽっちもわからない。
中途半端なところでシステムを強制終了されたような、わけのわからない喪失感。
幸せそうに眠る深山の横顔を見つめながら、俺はやり場のない腹立たしさと、身体の奥に居座る熱を抱えたまま、人生で最も長い一夜を過ごした。
翌朝、目を覚ますと、隣の温もりはすでに消えていた。
身支度を整えてリビングへ向かうと、ふわりと香ばしいコーヒーの匂いに包まれた。
「おはよう、木瀬くん」
「……侑人でいいよ」
俺は、キッチンに立つ深山の背中に届くよう、わざとらしく荒々しいため息を吐いて言った。
昨夜、あれほどエロい声で俺の名前を囁きまくっていた男だ。
今さら「木瀬くん」などとパブリックな呼び方に戻されても、白々しさに背筋がゾッとする。
深山は一瞬驚いたように手を止めると、クスッと小さく笑った。
「わかったよ、侑人」
向けられた瞳は、妙な色気に満ちていた。
ダイニングテーブルに目をやると、朝食が並んでいる。
グリーンサラダにベーコンエッグ、綺麗に焼かれたトーストというシンプルなワンプレートだが、彩りが完璧で嫌でも食欲をそそられた。
「これ、お前が作ったのか?」
「ああ。よかったら一緒に食べよう」
深山が俺の分のコーヒーを淹れて席に着いたので、俺も促されるまま椅子に腰掛けた。
両親があまり家にいないからなのか、作りなれているような朝食だった。
料理もコーヒーも文句なく美味しい。深山と暮らしたら、いつもこんな感じなんだろうか……。
って、俺は朝から何を考えているんだ!!
寝不足で完全に頭がおかしくなっている……。
コーヒーを飲みながら、火照った顔をカップでそれとなく隠した。
昨夜、深山とは何もなかった。指一本触れられることもなかった。
それなのに、同じベッドで夜を明かしたという既成事実のせいで、まともにあいつの顔を見ることができない。
いや、でも、よく考えたら俺は結局のところ、深山に何もされずに無傷で朝を迎えたのだ。
言ってみれば、俺の防御システムの完全勝利じゃないか。
なのに、どうしてこんなにも心がモヤモヤして仕方がないんだ。
帰り際、駅まで送るという深山の申し出を断り、俺たちはエントランスの玄関前で別れることになった。
「じゃあ、また、学校で……」
重い鉄製のドアを背に靴を履きながら、これからしばらく深山に会えなくなるのだという現実が、急に胸を締め付けた。
もう、次に会う口実も約束もない。
そう自覚した瞬間、昨夜触れられなかった身体の奥が、じんわりと疼き出すのがわかった。
「しばらく僕に会えなくて寂しい?」
深山が、俺の思考回路を完全にハッキングしているようなトーンで言った。
「べ、別に、寂しいわけないだろ! お前こそ、どうなんだよ……」
「ああ。うん。寂しいよ。でもさ──」
深山はそこで言葉を区切り、俺の逃げ場を無くすように一歩距離を詰めた。
「──僕より侑人の方が、寂しくて眠れなくなるだろうから。会いたくなったら、いつでも連絡してよ」
「……は?」
あまりにも強気な発言に、一瞬言葉を失った。
俺の方が寂しくて眠れない? なぜこいつは、この状況でそんな勝ち誇ったようなセリフが吐けるんだ。
「ふざけんなよ! 俺をこんな目に遭わせておいて、誰がまたお前に会いたいなんて思うかよ!」
「そうか。寂しいな。……じゃあまた、学校で会えるのを楽しみにしているよ」
深山は熱っぽい瞳のまま、酷く不敵に笑って見送った。
俺は逃げるように足早にタワマンを後にした。
自宅へ帰る道中も、ずっとあの帰り際の深山の余裕の笑みが頭から離れなかった。
何かが決定的におかしい。あいつは結局、昨夜俺を好きにできたのにしなかった。
あいつはただ、俺の心を揺さぶるだけで満足したというのか?
その時の俺はまだ、深山の本当の目的を理解していなかった。
だが、その恐るべき真意は、日を追うごとに俺の精神を蝕んでいった。
1日目、2日目……日を追うごとに、耳元で何度も熱く囁かれた「侑人」という声が脳内で再生される。
暗闇の中、指一本たりとも直接触れられなかった肌が、満たされない焦燥感でじくじくと熱く疼くのだ。
何度もスマホを開き、アドレス帳の最上部にある『深山統織』の文字を見つめては、プライドと欲望の狭間で身悶えする。
『僕より侑人の方が、寂しくて眠れなくなるだろうから』
帰り際に呪いのように植え付けられた深山の言葉が、毎夜、脳裏をループする。
日を重ねるごとに、あの日得られなかった深山の直接のぬくもりを想像してしまい、どれだけ目を閉じても寝付けない日々が続いた。
そして俺はとうとう、深山の本当の目的に気づき、血の気が引いた。
あいつがあの夜、俺の身体を弄ばなかった理由。──深山が本当に支配したかったのは、俺の肉体なんかじゃない。俺の『心(精神そのもの)』だったのだ。
残りの長い夏休み、俺が嫌でも深山のことしか考えられなくなるような最悪のトラップ。
あの夜、意図的に与えられなかった深山への飢餓感が、会えない日数分、雪だるま式に膨れ上がっていく。
俺は夏休みが明けるまでの間、この強力な呪縛(バグ)に取り憑かれたまま生殺しにされるのだ。
やられた──!!
だが、気づいた時にはもう遅い。
俺の頭の中も、身体も、すでに深山の体温を狂ったように探し始めている。
次に学校で深山に会った時、俺は一体どうなってしまうのか、もう自分自身の制御すら効かない。
この深刻なシステムエラーを解除するためには、もはや、深山の本物の体温に触れる以外に選択肢はないのだ──。
悔しい……。けれど、
一瞬でいい。あいつの体温が、欲しい。
【フェーズ12:寸止め(ハングアップ)による精神侵食(完了)】
→ ターゲット(侑人)に直接接触せず「未遂(飢餓感)」のまま放置することで、思考リソースを「僕(深山)」で完全占有。
夏休み期間を利用したバックグラウンドでの自己増殖(執着の肥大化)を確認。……プログラム通り、次回の接触時にターゲット側の防壁は自主的に完全崩壊(シャットダウン)する。
