顔面国宝と噂されてるイケメンが、普段はサカバンバスピスみたいな顔してた件


水中で鼻から息を吐きながら、顔を上げたときに口で息を吸う。

大丈夫、基本の呼吸は出来ている。

体の軸もブレていないし、このまま泳ぎきれば優勝だって――そう思い横目で隣のレーンを盗み見る。

僕はゴーグルの向こうで目を丸くする。

ほぼ横並びの僕たち選手の中で、二人分の先を行く後ろ姿が水中から見えた。

兄さんと優彗先輩だ。

水面に顔を上げ、僕は器用に順位に意識を向ける。

――兄さんが僅かに先行している。

そのことに気づいて激しく心が揺さぶられた。

最愛の兄が数年越しの今、あの日の雪辱を果たそうとしている。

それはとても喜ばしいことで、だけど。

僕の心に、霧がかかったようなモヤが広がる。

これは……なんだろう。

澄みきった透明な水に黒いインクを一滴だけ落としたときのような、ハッキリとした無視できない何かが胸を締めた。

体を動かしながら思考を回転させる。

スタッフさんたちの“頑張れ!”という熱のこもった声援が聞こえる中。

25メートル先に折り返し地点のプール壁が見えてきて、ようやく分かった。

僕は――優彗先輩が負けている姿を見たくない。

キュッと結んだ唇を噛み締める。

悩んだのは一瞬。

姿勢を前回りのクイックターンから壁に直接手で触れるタッチターンへと変えた。

そして先輩の次の息継ぎを計算して、間髪を入れずに声を上げる。


「頑張れ先輩!」


響いた応援は届いたのだろうか。

分からないけれど、優彗先輩の泳ぎは格段に早くなったのがかき分ける波の立ち方で分かった。

僕も再び泳ぎ出す。

練習してないタッチターンも競技中の声出しも、大会で禁止されてはいないが確実にコンマ数秒の遅れにはなってしまっただろう。

それでも――なにもせずにいるのは嫌だった。

乱れる呼吸と体のバランスを持ち前のセンスで立て直し、腕を前に動かす。

――行け!

目の前に近づくプール壁へと手を伸ばした。


「ぷはっ……!はぁ……はぁ……!」


ゴールしたときには満身創痍だった。

やっぱり途中で声を出したことで呼吸のタイミングがズレたのがキツかった。


「お疲れ様だね、恵流くん」


隣から聞こえてきた吐息交じりの声に、顔を向ける。

ゴーグルを外した優彗先輩の顔は、競技後であるにも関わらず清々しい表情をしていた。

全く、もう。

そんな顔されたら文句なんて言えないじゃないか。

あなたが兄さんに負けてたせいで、僕は後半25メートルずっと必死だったというのに。

不満が顔に出ていたのだろうか、それとも偶然か……先輩は屈託なく笑う。


「聞こえたよ、キミの応援……しっかりと」


天井のライトに照らされて水に濡れた先輩はキラキラと輝いていた。


『決勝戦の上位選手の結果が目視で判別できなかったため、これより再度スタッフが撮影した映像でのビデオ判定をさせていただきます!』


上位選手は僅差……争っているのはきっと兄さんと優彗先輩だろう。

本人たちもそれが分かるのだろうか、互いに顔を見合わせていた。


「再戦できて楽しかったよ。……結果が楽しみだ」


「俺もです。……悔いはありません」


先輩の言葉に兄さんがニッと笑って先にプールから出た。

僕たちもそれに続くようにプールから上がる。

ふと後ろをついてくる先輩の前で立ち止まり、振り返って背の高い彼の顔を見上げた。


「先輩」


「ん?恵流くん、どうかし――」


「久しぶりの大会は、楽しかったですか?」


僕の言葉に優彗先輩は目を瞬かせ――少年のように弾けた笑顔を浮かべた。


「スゴく楽しかった!」


その答えが聞ければ、充分だ。

僕は赤らんだ頬ではにかむ。


「それなら、良かったです」


そう言って歩き出したその瞬間。

背後で先輩がなにかを思い出したかのように呟いた。


「……恵流くん……もしかして、あのときの――」


続きの言葉は、スタッフさんの「集まってください」という呼びかけで遮られた。

先輩は、なにを言いかけたんだろう……?

気になったけど、それ以上に気にしないといけないのはこの大会の優勝者だ。

僕は振り返ることなく選手が集まる方へと向かった。


***