「それなら……俺も本気で応えないとだね」
「へぇ、意外ですね。てっきりそんな過去があったと知れば、先輩は兄に勝利を譲るかと思ってました」
茶化すように先輩の顔を覗き込むと、彼は柔く瞳を細めて微笑んだ。
「――恵流くんは、それを望まないでしょ?」
「……っ……」
僕のことを理解しきった言葉。
それだけのことで、こんなにも高鳴る心臓が憎らしい。
人は死ぬまでに脈打つ鼓動の回数が決まっていると言われているのに……これじゃ僕だけ寿命が縮みっぱなしだから困る。
僕は熱を集める顔を隠すように、先輩からぷいっと視線を逸らした。
「えぇ!そんな勝利、僕はもちろん兄も望みません!……手抜き無しで本気の本気で“僕たち”にかかってきてください」
「えっ?――“僕たち”?」
その瞬間。
顔の水気が乾いたのか美しい顔面国宝だった目と口のパーツがポンッと一瞬で古代魚……サカバンバスピスのそれに変わる。
僕は手慣れた様子で手元に控えていた白いタオルをその顔に被せた。
慌てて頭と顔をタオルで覆った先輩は僕の答えを待っているかのように虚無の目でジッとこちらを見つめていた。
それに対して僕は差したままだった日傘をクルクルと回しながらニヤッと不敵な笑みをこぼす。
「大会の特別出場枠は二人分あったんです……なので僕も優彗先輩と一緒に参加するんですよ」
もうすでにエントリー申し込みはしてある。
確かに6月の水泳パフォーマンスのときは準備不足で足がつるなんてミスを犯した。
しかし……これでも幼いころから水泳は習っていたし、兄さんにコツを教えてもらっていてわりと得意だ。
この生まれ持ったポテンシャルは――もしかしたら兄さんも優彗先輩も追い越して優勝しちゃうかも知れない。
ふふんと笑う僕に先輩が「えぇ!?」と驚きの声を上げた。
「一緒に参加するって、俺初耳なんだけど――」
「言ってませんでしたから」
「え、でも練習とかどうしてるの!?ここで恵流くんが泳いでるところ見たこと無いよ?」
「大会が行われる市民プールで練習してますが?」
僕の言葉に「えぇぇ……」と間の抜けた声を出して呆然とする先輩。
愛嬌を抱きだしたポカンとした顔文字パーツに小さく微笑み、僕は先輩の顔の前に人差し指を突きつけた。
「白鳥は見えない水面下でバタ足をするものですよ、先輩」
つまり、努力する姿は見せない主義なのだ。
それでも僕と一緒に練習したかったのだろうか。
先輩はしばらくウンウンと唸っていたけど、納得したのか大きく頷いた。
「それなら、俺も負けられないね……もう少し泳いでくるよ!」
そう言ってプールに飛び込む先輩の後ろ姿にポツリと呟く。
「はい、頑張ってください」
大会まで、あと二週間ほど。
再び泳ぎだした先輩から離れた場所では、正式に水泳部となった佐藤が部長たちとの水鉄砲勝負を制して天高くガッツポーズを取っていた。
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