「え……いや、急に言われても――」
先輩からの申し出を遠慮しようとして……僕はふと動きを止める。
してもらいたいこと。
叶えてもらいたいことなら……ある。
でもそれは、今の優彗先輩の呪われた現状では厳しいかもしれないことだった。
だって僕が頼もうとしている“願いごと”は、人前に出てもらわなければ始まらないから。
「っ……えっと……その……」
言い淀む僕に、先輩は首を僅かに傾けた。
その虚無の瞳には確かに僕が映し出されていて、先輩は朗らかな口調でこう告げた。
「なんでもいいんだよ、恵流くん。思いついたこと言ってみてよ……できるかできないかは、その後で決めよう」
背中を押すような優しい言葉。
それに後押しされるように、つい甘えが生まれて口を開いた。
「……水泳の大会……」
「ん?」
「もう一度、水泳大会に出て泳いでもらえませんか?」
「うん、いいよ」
「そうですよね、やっぱり無理――えっ?」
アッサリと聞き入れられた願いに、僕の目がみるみるうちに丸くなる。
今、先輩はなんて言った?
いいよって……え、僕の聞き間違い?
あまりにもサッパリし過ぎている返答に、僕は慌てて聞き返す。
「えっ……あの、本当に良いんですか?大会に出ろって言ってるんですよ?つまりその――人前に出るんですよ?」
身を乗り出して隣に座る先輩へ必死に話しかける。
彼はのほほんと、逆三角形のいつもの笑みを浮かべながら頷いた。
「それが恵流くんの“してほしいこと”なら喜んで叶えるよ!言ったでしょ?ずっと俺を手伝ってくれた恩返しがしたいって」
「で……でも、先輩は人前に出るの嫌なんじゃ――」
「大丈夫!キミのおかげでだいぶ鍛えられたからね!これでも6月の水泳パフォーマンスのころより人前が平気になってきたんだよ」
そう言われたら確かに……。
さっきも神主さんの前で古代魚顔をさらけ出していたし、その前も不届きナンパ野郎たちを退散させてたっけ……。
僕のおかげと言うより、優彗先輩の肝が太くなってきただけの気がするけど。
彼自身が言っていたように“体質ではなく呪い”であったという事実が分かった今、本当に前向きになれているんだろう。
先輩はいつか呪いが解けると信じているんだ。
それなら、僕が遠慮する理由はもう無い。
本人が“できる”というなら、6月の水泳パフォーマンスのときと同様に信じて任せよう。
ダメそうなら、そのときはまた僕が完璧にサポートすればいいじゃないか。
それなら、これまでとなにも変わらない。
「そこまでおっしゃるなら、絶対に水泳大会に出場してもらいますからね!精々、支えてきた僕に感謝して挑んでください」
いつもの調子で胸を張る僕に、先輩は楽しそうに肩を揺らして笑う。
「ふふ、そうさせてもらうよ。……あ、でも――」
ふと、先輩が何かに気づいたように声を曇らせる。
「うちの水泳部が参加できる水泳大会なんて今から見つかるかな?自慢じゃないけど弱小水泳部だからなぁ……」
「それならご心配なく……これ、今日の朝に届いたんですけど」
僕はニヤリと口角を上げて、ショルダーバッグからスマホを取り出した。
そこには普段使っている有名SNSの通知が1件。
新着メッセージが届いています、と書かれたその下には文章の一部が表示されていた。
その画面を見せると不思議そうに首を傾ける優彗先輩。
その前で、僕は高らかに告げる。
「今年の夏、8月最終日に行われる市民プール水泳大会での出場が決まりました!」
僕の宣言に驚いたのか、先輩の黒目が一回り小さくなっていた。
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