そんな君を羨ましいと思ってしまうんだ

「アルバイトの分際でなめてんじゃねーぞ!」

 コンビニ中に響き渡るその怒号は、もはや自動ドアを抜けて店外に居る人間にも聞こえているに違いない。
 もしこんな客の接客を女性店員がしていたら、萎縮して泣き出しているに違いない。
 かくいう僕も自分よりも体の大きい中年男性に怒鳴られる経験などほとんどないため、萎縮ほどではないがどうやってこの場を鎮めればいいかを模索しようにも、頭の中が真っ白になって適切な言葉がうまく見つからない。

 そもそもなぜ目の前の中年男性がここまで怒りを露わにしているかというと、購入予定の商品に使う予定であったであろう割引券の使用期限が過ぎており、使うことができなかったからである。
 使用期限を見ていなかった自分が悪いし、そもそもそんなことで怒る人間が居るのかと疑問に思う人がいるかもしれないが、実際問題こういったタイプの人間はかなりの割合で存在している。

 僕、――沖田公羽(おきたこうは)がこのコンビニでアルバイトを始めてから一年とちょっと経過している。平日は学校の図書委員の仕事があるため、基本的には休日の週に二回から三回の労働をしている。
 しかしそんなにも高頻度でシフトが入っているわけではないのだが、それでも月に一、二回はこういった理不尽なクレームを付けてくる客に遭遇する。
 本当に多い時には土日のシフトに連続して、そういった理不尽クレーマーに出くわす場合だって存在する。

 そういったときには、こちらが何を言ってもこっちの聞く耳を持たないため、相手の気持ちが収まるまで謝罪を繰り返すしかない。
 むしろ謝罪以外の言葉を口にしてしまうと、理不尽クレーマー野郎の気分を逆なでしてしまい、さらにヒートアップして最悪警察沙汰になる可能性だってある。
 そのため、申し訳なさそうな表情を作りながら、気持ちを込めたつもりの謝罪の言葉を吐き続けるのが一番効率的なのだ。

「お客様のお持ちになっている割引券の使用期限が過ぎておりまして……。こちらではどうすることもできないのです。大変申し訳ございません」
「割引券に期限があるなんて知らねーよ!」

 正直に言って「こっちが知らねーよ」である。
 そもそもというか、世間一般的な割引券やクーポン券には使用期限が存在しているものであり、その存在を知らなかったのはそっちの落ち度だろ! と言い返したくなる気持ちをグッと堪えて、この中年男性の怒りが収まるのを待つ。
 ここまで理不尽クレーマーがヒートアップしていれば、店長やオーナーなどの大人が出てきてくれてもおかしくないのだが、今現在のこのコンビニは俺ともう一人のパートさんが居るだけ。
 そのパートさんも僕の方を何度か見てはくれてはいるのだが、この理不尽クレーマーがいるせいで買い物ができないお客様に対し、もう一つのレジを開けてくれ、そちらの対応に追われているようだ。
 誰も僕の助けに入れるような状況ではなく、ここまでくればレジカウンターの裏側にある通報ボタンを押してしまおうかと思ったその瞬間に、理不尽クレーマーの怒号は、そのクレーマーの背後に並んでいた人物によって静かなものへと変わったのだ。

「金がないなら、俺が払いましょうか?」
「は?」
「いや、割引券使いたかったけど、使えないんすよね? でもお金がないからそのカゴいっぱいの商品が買えないんすよね? いっすよ。俺払いますよ」
「…………」
「え? なんすか? 違うんすか?」

 僕はその理不尽クレーマーに代わりに払いましょうか、と提案している人物を知っている。同じ高校に通っていて同じ二年生の村正陣(むらまさじん)くんだ。
 彼はウチの高校じゃかなりの有名人であり、そんな彼と付き合いたいと願っている女子生徒は本校の女子生徒の半数を占めているに違いない。それほどまでに彼は魅力あふれる人間なのだ。
 村正くんは一八〇センチより少しだけ低いくらいの身長で、その艶のある黒髪には天使の輪がくっきりと見える。さらには細身でありながらも服の上からでも筋肉質である部分が垣間見えており、そんな彼のかっこよさに惹かれる女性の気持ちもわかる。
 しかし村正くんの真の良さは何も外見だけの話ではない。

 村正くんは一部の女子生徒から『ジン様』のあだ名で呼ばれている。
 その由来は彼が所属している吹奏楽部の演奏を観たら、誰しもがその理由に納得することだろう。
 彼は吹奏楽部でフルートを担当楽器をしているのだが、フルートは『息の芸術』と称されることのある楽器であり、彼の奏でるフルートの音色はまさに息の芸術そのものであるからだ。
 その美しい旋律を聴けば、どんなに獰猛な獣であっても落ち着きを取り戻すに違いない。
 そんな彼のルックスとフルートの音色から付けられたあだ名が『ジン様』である。
 ちなみに僕のあだ名は僕の名前の公羽を縦書きした際に『翁』と読めることから『おじいちゃん』であったり『おきな』と呼ばれている。僕個人としては嬉しくはないのだが、その呼び方を拒絶して関係性にヒビが入るほうが面倒なため、拒否することはない。

 そんな村正くんが理不尽クレーマー相手に皮肉を言いつつも、思っていることをはっきりと伝えている。

「そもそも割引券に使用期限があるのは当たり前でしょ。それを知らなかったのはおっさんの落ち度なわけで、それを店員さんに当たるのはおかしくないですか?」

 そんな村正くんのド正論に他のお客さんも同調し始めたようで、直接理不尽クレーマーおじさんに言うことはないものの、「何アレ」「高校生に言われて恥ずかしくないの?」と店内にいる人全員に聞こえるような声量で話し始めた。
 それを聞いた理不尽クレーマーは居心地が悪くなったのか、顔を真っ赤にして「二度と来るか! こんな店」と言い残し、コンビニから出ていった。

 そんなクレーマーの後ろ姿を見ていた村正くんは「コンビニってチェーン店だけど、全部使わんのか?」ときっとそうじゃないツッコミを入れてから、購入しようとしていた麦茶のペットボトルとキシリトールガムと期間限定商品のオレンジのグミをレジ台に置く。

「お会計お願いします」
「え、あ! 先ほどは助けていただきありがとうございました!」
「……全然。沖田くんはいつもあーゆーのに絡まれてるの?」

 僕はそんな村正くんの発言にびっくりして、目を見開いてしまう。
 理由は村正くんが僕のことを知っていると思っていなかったからだ。
 同じ学校で同じ学年であるため、知っていてもおかしくはないかもしれないが、僕は村正くんほど目立つようなタイプではないため、そんな村正くんが僕の事を知っていたという事実に驚いてしまった。

「あ、ごめん。守秘義務? みたいなのある感じ?」

 驚きに気を取られ返事をしなかった僕に対し、答えられないことを聞いてしまったのだと思ったのか、少しだけ申し訳なさそうな表情で僕のことを心配する形で声をかけてきた。
 先ほどの僕の作った申し訳なさそうな表情ではなく、村正くんの場合は本当に申し訳なさそうな表情だ。

「ううん、そんなことないよ。ちょっとビックリしちゃって」
「あー、まあそうだよな。急に意味わかんない理不尽なクレームってビックリするよな」

 驚いたのはそっちではないない、と心の中でツッコミを入れながら僕は「そうなんだよ」と笑顔を作り、レジ台に並べられた商品のバーコードをスキャンしていく。

「レジ袋はご入用でしょうか? 有料となり一枚三円となりますが」
「スクバに入れるんで大丈夫! それよりこれって使える?」

 そう言って村正くんが差し出してきたのはスマホの画面であった。
 そこにはニュースアプリについてくるコンビニ商品の割引券が表示されていた。

「あ! ちゃんと使用期限は確認してるよ!」

 そうニコやかに村正くんは告げる。
 このイケメンはユーモアもあるのかと、あまりの完璧具合に男の僕でも惚れ惚れしてしまいそうになる。

「はい、大丈夫です! では合計金額変わりまして、四一二円です」
「はーい」

 彼はそう言ってスマホを一度下げると、画面を何度か操作したのちにもう一度スマホの画面を出してくる。その画面にはQRコード決済画面が表示されており、僕はそれをスキャンする。

「あ、ありがとうございました」
「はーい。じゃまた学校で!」
「え、うん……学校で」

 村正くんはそう言って、コンビニを後にした。
 僕は彼が見えなくなるまで、目で追い続ける。
 見えなくなると、あの理不尽クレーマーが残していったカゴいっぱいの商品を商品棚に戻すために、レジが使えない旨の札を立てかける。

「公羽くん! さっきは助けに入ってやれなくてごめんね! 大丈夫だったかい?」

 そう声をかけてきたのは、もう一つのレジでお客さんをさばいてくれていたパートさんであった。彼女もまた申し訳なさそうな表情をしながら僕に謝罪と心配の声をかけてくれた。

「はい、大丈夫です。その間の接客全部対応してもらってありがとうございました」
「いやいや! あの人の事は後で店長に報告しておくね! 一応出禁にしてもらうけど、次もしきたら躊躇せず通報ボタン押していいからね!」
「はい、ありがとうございます」

 僕はそう言って商品棚へと向かう。
 商品を元の場所に戻しながら「村正くんも割引券とか使うんだ……」と小さく呟いた。