「博盟……」
あぁ。……何もやましいことがなければ、どれほど嬉しい気持ちで頷けただろう。
俺は彼を騙してるから。どう頑張っても視界が霞んで、幸せな未来が見えない。
「水継? 何で泣いてんの」
「ん……」
涙脆いせいで、博盟は心配そうに俺の顔を覗いた。目元にたまった涙を指でぬぐい、困ったように笑う。
「ポジティブかと思ったら、案外心配性だよな」
そういうことにしといてほしい。乱暴に袖でぬぐうと、腕を掴まれ、また唇を奪われた。
「ん……っ」
さっきカフェでしたものとは違う。今までで一番長くて深いキス。
博盟の吐息、顔に添えられた手……そのどれもが優しく感じた。これは“水継”に対してで、“藤正”に対するものではないんた。
博盟はもう俺以外の誰かを好きになれるし、好きになっている。
じゃあもう、前世の俺なんて要らないんじゃ……。
「博盟……っ」
体が熱い。たまりにたまった熱に浮かされ、頭もおかしくなってる。
これ以上独りで闘うことはできない。
もっと暴いて、めちゃくちゃにしてほしい。
手を伸ばし、彼の腰に手をかける。もう片方の手で自身のシャツのボタンを外そうとしたが、
「水継。大丈夫」
優しく上から抑えられ、再び抱き締められる。俺の背中を叩き、諭すように繰り返した。
「焦らなくていい。俺は……俺達なら大丈夫だから」
「でも……やっぱ博盟も、そういうことしたいんだろ? 前世じゃバリバリ藤正さんと……!」
「こら。そういうことは詮索しなくていい」
博盟は気まずそうに瞼を伏せる。こっちも段々冷静になり、申し訳ないのと恥ずかしいのとで卒倒しそうになった。
ちょっと投げやりになっていた。博盟が前世の俺を綺麗さっぱり忘れたとしても、俺が彼を欺いてることに変わりはないのに。
「ごっ。ごめん博盟……取り乱したわ。外で何してんだって話だよな。こういうときは殴って止めてくれ」
「ううん。可愛いから別にいい。それに、普通に嬉しいしな」
嬉しい?
怪訝な表情で見上げると、博盟は太陽に負けない眩しい笑顔を浮かべた。
「恋愛なんかしないって言ってたお前が、俺に触りたいって思ってくれた。それ、すごくめでたいことじゃない?」
確かに。そして危ない。ブレーキ効かなくなってんのは俺の方だ。
「もう……博盟は俺に甘過ぎ」
「しょうがないだろ、可愛いんだから」
博盟は俺から離れると、額に音の鳴るキスをした。
「水継も立派な男の子だったことがわかったし、今日は大収穫だ」
「何だよそれっ!」
わざとだろうけど、一々恥ずかしい言い回しをしないでほしい。
やっぱ“俺”に対してはかなりいじってくるっていうか……露骨にからかってくる。まぁそれで博盟が元気になってるなら良いんだけど。
「け、決してカラダ目当てじゃないから! 命懸けるから信じて!」
「はいはい。わかってるよ」
博盟は笑いを押し殺しながら俺の手を引く。陽だまりのような眩しさで、日なたへ連れ出してくれた。
「運命だよ。俺達は魂で繋がってる」
そうだろ? と彼は首を傾げた。
もはや浮気カウントなんて意味のない、熱烈宣言。
俺はどうしたらいいんだ。
若干泣きたくなったけど、日差しが暑すぎて目を瞑った。
また夏が来る。あのうだるような日々が。
小さな島で生きる俺達は、傍にいるのが当たり前だった。
「……そうだな」
全然特別じゃない。だから今も、何だかんだ一緒にいるんだ。
◇
『藤正。またこんなところで寝て……』
からっからに乾いた堤防に寝転がってると、幼馴染がやってきた。物心ついたときから傍にいて、下手したら家族より互いの好き嫌いを知っている。学校は一クラスだけだからずっと一緒で、学校が終わっても一緒にいた。
俺は正直人付き合いが得意じゃなくて、何をするにも彼を通して交流していた。
誰よりも長い時間を共に過ごした。それなりに喧嘩もしたし、何なら周りが止めに入るような争いもした。
でも結局一緒にいるんで、周りも呆れていたと思う。
『熱中症になるぞ。ほら』
彼は俺の頭の近くに屈み、持っていた水筒を差し出した。
『それが既に怠い……。起こして飲ませてくれ』
『顔面にぶっかけていいか?』
『いやだ……』
あくまでぐずってると、彼はため息をついて俺を起こしてくれた。
何だかんだ言っても優しい。
水筒の水を飲んで笑うと、彼は困ったように隣に腰を下ろした。
『……これから人手が必要になって、病弱な男も島の外に働きに行くことになる。だから、俺がいなくなっても自分のことはちゃんとしろよ』
彼は軽い咳をしながら、暗い面持ちで告げる。でも俺は、悄然としている彼の前に乗り出して宣言した。
『ばっか、行かされるとしたら健康体の俺です。お前は家でのんびり養生してろ』
『…………もしそうなったら、俺も一緒に行くよ』
水平線の先に、見慣れない貨物船が現れることが増えた。島の中も外も、時間と共に少しずつ、だが確実に変わり始めている。
それでもやっぱり俺と彼の時間は一定で、晴れの日のように凪いでいる。この心地よさを安心と勘違いしていたけど、大人になるにつれ段々と理解していった。
本来異性を好きになるはずだが、俺はまるで想い人ができない。必死に捜そうものなら何故か一番に幼馴染のこいつが頭に浮かぶ。
そんな馬鹿な……と笑い飛ばすこともできなくなっていた頃、彼に告白された。
『許されるなら、ずっと一緒にいたい。お前のことが好きなんだ。……藤正』
なにかの間違い。そう思いつつ、俺も彼のことばかり考えていた。
どうやら俺達は両想いらしい……。
男同士。仕来りの強い小さな島で、そんな禁忌は許されない。
だから周りにバレないよう、これまで通り親友として振る舞った。恋人になれるのは皆が寝静まった夜更けだけ。
日が昇るまでの数時間。短いけど、その時間は幸せだった。
いつか島を出たい。仕事を見つけて、彼を養えるぐらい自立して、ちゃんと告白したい。
その為に努力した。本土で仕事を見つけて、彼に渡すプレゼントを用意した。
後は渡すだけだったのに。何でか最後は雲行きが怪しくなり、目が覚める。
「ふあ〜」
最近は蒸し暑くて起きるようになった。朝の日差しを避けるように日影を選び、通い慣れた道を抜ける。
「唐谷ー、修学旅行のスケジュール表見た? 俺達の選択、サイクリングに決まったぞ」
「あぁ、良いじゃん」
「良くない! 俺は水族館に行きたかったんだよ!」
教室に入ると、織辺がぷんすかしながらやってきた。
あっという間で、来週は高校生の一大イベント、修学旅行がある。俺は博盟と織辺、あと立本という男子と同じグループだ。行き先は沖縄。
とりあえず博盟と一緒ならどこに行っても楽しいから不満はない。でも織辺は不満全開だった。
各グループは一日だけ好きなアクティビティを選べることになってて、他には工芸品作りやパイナップル園の散策、マングローブ探検など色々ある。人気があるものは定員数に達するのも速いから仕方ない。
「水族館なら女子が多いだろ。こっそりグループから離れて、誰かと回ることもできたのに!」
「残念だったな。でも飯のときは全体だし、自由行動できる時間も多いよ。大丈夫大丈夫」
改めてスケジュール表を開き、二泊三日の行程を眺める。
「はは。てか織辺、好きな娘いんの?」
「誰にも言うなよ。花川」
「あー、そりゃ高嶺の花」
織辺は明るくて気さくだけど、彼が好きな女子はオシャレが大好きなクラスのアイドルだった。彼女の好きなタイプはわからないけど、織辺も良い奴だから頑張ってほしい。
「釣り合わないのはわかってる! ……でもこんな時しか勇気出せそうにないんだよぉ」
彼は顔を両手で覆い、項垂れる。本心を打ち明けることの不安はよくわかるから、肩を叩いて頷いた。
「高嶺の花過ぎて誰も告白しない可能性もある。タイミング見て、彼女が退屈してそうなときに話しかけろ。でも焦るなよ、早口とか絶対駄目。怖がらせたら即アウトだから」
「うんうん。やっぱ唐谷は経験あるから助かるわー」
「いや、俺もないけどさ」
咳払いして椅子に腰掛ける。俺はひとりの人間としか長く付き合ってこなかったから、基準はいまいちわからない。
でも行動しないで人生を終えてしまうのは寂しいことだと思ってる。俺のように運良く来世を迎えられる場合もあるけど、基本人生は一回きりなのだ。そして、夢が叶った途端命を落とすこともある。
むしろ前世がそうだったから、やはり後悔したくない。
時間だって、一秒も無駄にしたくなかった。
織辺を含め、ここにいる彼らは若い。もちろんそれぞれ悩みはあるだろうけど、平和な時代に生きている。
たくさん笑って、恥もかいて、青春を満喫してほしい。それだけが、ここで巡り合った彼らに抱く願いだ。
「何でも当たって砕けろだよ。数年後には笑い話になってるから心配すんなって」
「ううん……確かに。サンキュー、俺修学旅行で絶対告白する!」
織辺はやる気に火がついたらしく、意気揚々と席に戻っていった。
自分以外には冷静にアドバイスできるってのに……俺はほんとしょうもない。
ため息を飲み込むと、不意に頭を撫でられた。
「みーつぐ。おはよ」
「博盟。おはよ!」
振り返ると、いつも通り笑顔を浮かべた博盟がいた。クラスメイトの前ではクールだけど、俺に向ける顔は本当に甘い。
ずっと見ていたいけど、正体がバレるまでの間だけかも……。
もはやカウントダウン形式で覚悟してた方がいいか? 気持ちを落ち着ける呼吸法を試しながら、持っていたスケジュール表を彼に手渡す。
「博盟。俺達、三日目の自由行動サイクリングに決まったよ」
「へー、良いじゃん。伝統文化の体験とかも面白そうだったけど、自然の中にいると癒やされるし」
「さすが、博盟は渋いよな」
なんて、俺も。
さらに今回のサイクリングは、本島からフェリーで離島に行く。小さな島だから一周も可能。それが昔住んでた島みたいで、つい懐かしくなる。
「……」
いつかはバレる。それに、いつかはこの関係が終わる。
本来俺は、織辺に偉そうにアドバイスする資格なんてない。いい加減自分も動き出さないといけないときだ。
彼を裏切り、欺き続けた落とし前を、修学旅行中につける。
でもやっぱり、博盟が俺に怒ってる理由を先に突き止めたいんだよなぁ……。
これが一番難しい。何をしても地雷だろうし、口の固い博盟を陥落させるのは至難の業だ。
成人してたら泥酔させるという手もあったんだけど……さすがに駄目か。
考えてるとあっという間に日が経つ。前はあんなに放課後が遠かったのに、博盟に目を奪われてるといつの間にか授業が終わる。
修学旅行まで後三日というところで、一旦恋人捜しも中止。当日の荷物や行程を確認しながら、博盟と沖縄の話で盛り上がっていた。
「唐谷! と、叶本も一緒か」
「先生」
放課後、誰もいないのを良いことに二人でゲームしてると、永居先生がやってきた。彼は俺達を交互に見て、何故か嬉しそうに笑った。
「叶本、学校はどうだ。慣れた?」
「はい。水継が色々教えてくれるんで、毎日楽しいです」
「そうか! 良かった。唐谷もありがとな」
珍しく自然な褒められ方をして、フフンとなる。
「それより先生、何か用ですか?」
「あぁ。これまた頼みごとで悪いんだけど〜……お前帰宅部だろ? 写真部とか興味ないか?」
「ありません」
「はや。まぁ最後まで聞いてくれ。ウチのガッコは今まで写真部がなかったんだけど、今年新しく申請されたんだ。ただ問題があってな」
先生は頭を掻き、困ったように俺達の間に屈んだ。
「今のところ部員が二人だけ。学校のルールで、部員は三人以上じゃないと駄目なんだ。だから、その……ほんとは駄目なんだけど、彼らが可哀想だから入部して、在籍だけしてくれないか? 活動はしなくてもいいから!」
これから部員を募集すれば人員も確保できるかもしれないから、と彼は両手を合わせる。
確かに幽霊部員は珍しいことじゃない。部活を掛け持ちしてる生徒は片方がアクティブじゃなくなったりするし、バリバリ活動に参加する必要もない。
とはいえ、まだ博盟の恋人捜しは継続している。修学旅行中に告白できるかわからないし、籍だけ置くというのは本当に良いんだろうか。
すると、それまで黙っていた博盟が腕を組んだ。
「良かったら、俺が代わりに入りましょうか? 放課後はやることあるから、名前書くだけになりますけど……それでもよければ」
「えっ!! ほんとか、叶本!?」
まさかの提案に、先生は歓喜の声を上げた。博盟の手を取り、嬉しそうにお礼を言う。
「ありがとう〜!! 俺は一応顧問になるから、もしがっつり参加したくなったら言ってくれ!」
「了解です。入部届だけもらえますか?」
「ああ!」
ええ!
思わぬ展開に呆気にとられたが、慌てて間に入る。
「ウェイウェイ! 博盟が入るなら俺も入ります!」
「お〜! 二人ともありがとう!」
「カメラのこととか何も知りませんけど……」
「大丈夫大丈夫! 部員の二人も、どっちかって言うと外に出掛ける方が好きみたいなんだ。取材は部費でちょっと賄えるし、良かったら皆で行ってきな」
ということで。顔合わせもしてないのに、俺と博盟は急遽写真部に入ることになった。
「博盟、何で部活入ることにしたん?」
「特に深い意味はないけど……可哀想じゃん。名前ぐらいはいくらでも貸せるし」
先生と別れ、肩を並べて廊下を歩く。博盟は眠そうに顔を上げ、静かに答えた。
「俺は、生まれ変わって今が一番幸せなんだ。だから、これからはそのお裾分けをしていきたい」
