「あ! 見て、あのひとって一組に転校してきた……」
「あぁ〜、叶本くんだよね。かっこいい〜」
はい。かっこいい。
遠巻きに目を輝かせている女子達を尻目に、前を歩く少年を見据えた。
俺の前世の恋人は、今日も周りの視線を独占している。紳士的印象が先行する、実は強かな転校生。
午前は調理実習でカレー作りをしていた。一年のときもよくわからないがキャンプ場に行かされ、カレーを作った。さらに遡ると小学生のときは林間学校でカレーを作ったし、キャンプファイヤーでもカレーを作った。日本の学生はカレーを作り過ぎじゃないだろうか。
「まぁカレーはいつ食っても美味いよな」
椅子に腰かけ、カレールゥのパッケージを眺める。隣では博盟が前掛けを着けて苦笑した。
「美味いし、何と言っても簡単だから。ほら、水継も座ってないでちゃんと手伝えよ?」
「俺には簡単じゃない。料理苦手なんだよね……」
食べることは好きだけど、作るのは本当に苦手。だから調理実習は憂鬱だ。名前順で博盟と同じ班になれたのはいいけど、項垂れてため息をつく。
博盟は呆れ半分で俺の頬をつついた。
「頑張ったら、放課後甘い物奢ってやる」
「やります」
そういうことなら頑張るしかない。すくっと立ち上がり、鍋や必要な器具の準備に取りかかった。
でも、よく考えると嬉しいかも。クラスメイトもいるけど彼とご飯を作るなんて、まるで昔みたいだ。
以前はご近所だったから畑で野菜を育てて、魚や貝、海藻をとって、ほぼほぼ自給自足の暮らしをしていた。彼は料理も上手かったから、俺はいつも床に寝ながら彼の後ろ姿を見ていた。
……。
あ。今思うと、結構あいつに甘えてたな。
( いやでも食材は俺が獲りに行ってたから……ぎりセーフのはず…… )
ちょっと嫌な汗が流れたけど、首をブンブン振って平常心を取り戻す。
堕落してたときもあるけど、そのぶん今世でお返しするぞ。料理も今から少しずつ練習していこう。
ふと博盟の方を見ると、彼は何故か他の班の女子に連れて行かれていた。
「叶本くん、サラダのドレッシング作ったの。ちょっと味見して〜」
「俺がしていいの?」
「うん!」
博盟は小皿を受け取り、軽く口をつけた。
「美味しい。塩気もちょうどいいよ」
「ほんと? ありがとう!」「あとでサラダ持ってくね〜!」
女の子達は大盛り上がりでキャッキャしている。何故別班なのにサラダをお裾分けする必要があるんだ、と思いながら彼らを見守った。
「唐谷、お前顔超怖いぞ」
同じ班の織辺が隣にやってきて、屈みながら耳打ちする。
「叶本を殺るつもりか?」
「……」
そこまではしない。でもモヤモヤする。女子が盛り上がってしまうのはわかるが、博盟もまんざらでもなさそうに見えるから。
「ま、気持ちはわかるよ。叶本が来る前はお前が覇権握って、全班の味見係だったもんな」
「それは別に良いんだよ。放っておこうぜ」
こんなことで一々心を乱すなんてナンセンスだ。そう思って野菜を切り始めたけど。
「叶本君、野菜の切り方これで合ってる?」
「ん……あ、ちょっと待って。包丁持つときはもう少し……」
ん!?
博盟は花川という女子の手に自身の手を添えていた。それを見た瞬間、考えるより先に体が動いた。花川さんの手を掴む博盟の手を掴み、超低音ボイスで呟く。
「柄をちゃんと持たないと、危ない」
「あ。唐谷くん、ありがと〜」
花川さんは特に怪しむでもなく、無邪気に笑った。反対に、博盟は意外そうに俺を見ている。
「……」
なにか言ってくるかと思いきや黙ってるから、またそそくさと自分のテーブルに戻った。人参とじゃがいもを切り終えたところで博盟が隣にやってくる。
「水継、野菜切ってくれてありがと」
「おう」
「機嫌わるいな。どうかした?」
「何でだよ。ご機嫌だって」
思わぬ部分を突かれ、逆にツンツンしてしまう。彼の顔を見ずに、野菜をボウルに入れた。
「完璧むくれてるだろ。……何が嫌だった?」
「……っ!」
何が、って。そこまで訊いてくるなら、もうわかってるんじゃないか。
顔が熱くなり、ついつい睨み上げた。
「あれはアウトだ!」
「は?」
「女の子に触れること! あれは浮気と見なす。次からカウントするからな。くれぐれもお忘れなく」
冷静になろうと思った矢先、見事に爆発した。声だけは抑えたが、案の定博盟は困惑した様子で腰に手を当てた。
「あれは必要最低限だろ。大体浮気カウントしてどうすんだ」
「前世の恋人に全部報告する!!」
「あはっ。俺の味方じゃなかったのかよ」
「味方だよ。でも、……何かモヤモヤするんだ。俺もよくわかんないけどぉ……。ととととにかく無関係の俺がモヤモヤするってことは、お前の恋人が見たらもっとモヤモヤするってこと! だろ!?」
超絶無理やりな理論を展開した。でも本当はわかってる。女の子と触れ合うことが嫌なんじゃなくて。……すごく惨めで醜いけど、俺は……。
「水継。もしかして、ひとりにされて寂しかった?」
「な……っ!!」
図星だ。
博盟を奪われ。さらに、彼も俺を忘れていることが辛かった。
純度百の嫉妬だ。一度は俺の恋愛の手助けをすると言ってくれた彼が離れてしまいそうで……平常心なんてとても保てなかった。
「ぐ……」
しかも、それをあっさり見抜かれてめちゃくちゃ悔しいし、恥ずかしい。視線を下げ、再び野菜に包丁をあてる。すると右手にそっと掌が重なった。
「ごめんな。もうお前に寂しい想いはさせないって決めたのに」
「え?」
意味がわからず顔を上げる。博盟は手元を見つめたまま、歌うように続けた。
「確かに……俺の恋人なら、焼きもちやいたかも。顔真っ赤にして、三時間は拗ねたかな」
「……」
そこまでガキじゃない。異議ありと唱えたいものの喉元で抑え込み、博盟に支えられながら玉ねぎを切る。
「水継。心配しなくても、俺はお前のことを見てるよ。何なら見られてることも気付いてた」
「ヒェッ」
それは嬉しくない報告だ。俺の殺意マックスの視線に気付いてたのか。
「もしかすると……お前、自分が思ってるより俺に惚れてんのかもしんないぞ」
「はあぁ!? そんなことないから!」
なんつー恥ずかしい台詞だ。怒りも込めて大声で返すと、織辺や同じ班の都村もびっくりしていた。
「唐谷、どーした?」
「あ、いや! わるい、何でもない!」
慌てて両手を合わせ、謝るポーズをする。そしてすぐに博盟の方に振り返り、ドスのきいた声で返した。
「あのな……世の中には言っていい冗談と、そうじゃない冗談があんだ。俺はお前のこと親友だと思ってるけど、そういう気は一切ない! 浮気になるし!」
「浮気にならなかったら? 俺に前世の恋人がいなかったら、どうしてた?」
何でそうなる。話が段々おかしな方へ向かってるぞ。
「前世の恋人が見つかる保証はないから。……あいつを捜してる時点で、俺もお前も囚われてる。不透明なもんに固執して、今の幸せを忘れてる。……気がしないか」
「違う! 俺は今もめちゃくちゃ楽しんでるよ!」
そうだ。俺と彼は全然違う。これまでの人生も、互いに抱く想いも。
博盟は確かに、前世に囚われている。俺を捜す片手間に、叶本博盟という人間の人生を送っている。けどそれは、それだけじゃ寂しすぎる。
俺は博盟のことも捜しながら、今世の幸せも噛み締めて生きていた。今は彼を見つけることができたから、夢が叶ったようなものなんだ。
ただ正体を打ち明けられないだけ。それだけなんだ……。
「大切なひとがいたっていう、記憶が全てだろ。ちっとも不透明なんかじゃない」
隠さなくちゃいけない。彼に対する愛情も、嫉妬も。
……そう思うのに、ほんと心は追いつかない。
「大体! 恋人がいるのに俺のことをこうやって翻弄してきて……お前が何考えてるのかわからないよ。気付いたらいつも不安で、お前のこと考えてるだけ……! 惚れてるわけじゃ、ない」
いや。……惚れ続けてるもんな。
声が震えまくってて、自分の耳でも完全に嘘だとわかった。
( 好きだって言ってるようなもんじゃん…… )
博盟は純粋に、俺を心配してるんだ。明らかに自分に惚れてる奴を前に、放置する人間じゃない。それは嫌というほど知っている。
それもこれも、俺が隠すの下手だから起きたことだ。もう駄目。
「……ごめん。意地悪しちゃったな」
「わ。博盟……っ」
目元を押さえると、彼は狼狽えて俺の頬を手で挟んだ。
やっぱり大切なものに触れるように、そっと前髪を持ち上げる。
「お前のこと。いっぱい笑わせたいし、意地悪したいとか思っちまう。……自分がこんなガキだったなんて知らなかった」
博盟は口元を隠し、恥ずかしそうに頬を紅潮させた。
彼も随分動揺してるようだ。頭が痛そうに息をついてるところを見ると、だいぶ荒ぶってたように思う。
俺以外の誰かといるときは無表情で、常に毅然としてるのに。どうしてこうも互いに取り乱すんだろう。
「これは、水継が可愛過ぎるのがいけないな」
「だ、だから人のせいにすんなっつーの。可愛くないし!」
しかもまた可愛いって言った。浮気にカウントだ。
頬を膨らましていると、博盟は可笑しそうにハンカチを取り出し、俺の目元を拭う。
「ほら、いいこだから泣くなって」
「泣いてない! 玉ねぎだ!」
まだ切ってないけど、そういうことにする。
でも、ほぼほぼ博盟の中で確定してしまった。
俺は博盟に好意を抱いてる。少なくとも、友人以上の想いを隠してる。
好きバレした。……終わった。
ここでジ・エンドにしてほしいが、残念ながら高校生活は終わらない。無事にカレーを作り、隣り合って食べた。
「いただきます」
「……いただきます」
両手を合わせ、死にそうな声で呟く。博盟はいつもと変わらない様子で食べていたが、中々手を付けない俺を心配そうに見つめた。
「水継? 大丈夫か?」
「食欲ない……」
逆にこいつはよくバクバク食べられるな。好かれてる側の余裕だろうか。
灰のように白くなってると、近くの女子がサラダを持ってやってきた。
「叶本くん、サラダ食べない?」
「あー……ありがと。でもごめん、もう腹いっぱいなんだ」
博盟は腹を押さえ、彼女達に笑いかける。直後向きを変え、俺の前にカレーをすくったスプーンを差し出した。
「水継も。全然食えないって言うから、食べさせてやんないと」
……!!
「えー! 叶本くん優しー!」
女子達は頬を染め、嬉しそうに去っていった。サラダを食べることは避けたみたいだけど、これはこれで問題。
博盟は真顔のまま、俺にカレーを食べさせようとしてくる。
「ほら。ひと口は食べな」
「な、なら自分で食べるよっ」
彼の膝が自分の膝にあたる。幸いクラスメイトは誰もこちらに気付いてないけど、心拍数がやばい。
だから、こういうことをしてくるから謎なんだ。
何で恋人の俺がいるのに。……自分のことを好きな奴に、こんなことをしてくるのか。
「水継」
意地悪じゃないなら、何だって言うんだ。
「俺はお前を甘やかしたい」
「えっ」
半泣きになって、馬鹿みたいな声を上げてしまった。けど博盟は依然として真剣な顔をしている。
「浮気かもしれない。でも、お前のことも放っておけない。……最低な人間なんだ」
「さ、最低ではないって!」
慌てて否定すると、彼はまた困ったように笑った。
「恋人以外を甘やかそうとしてるのに?」
「それは……もう、弟みたいに思ってんじゃないの? お前は人生経験あるしさ」
「ははっ。……確かにそうだな。可愛くて仕方ないもん。お前のこと」
片膝に彼の手が乗る。それだけでドキッとして、動けなくなった。
浮気ですよ……と思いながら、スプーンを避けることができなかった。
「んむ……」
「美味い?」
「むまい」
恋人以外に「あーん」なんて。以前の俺なら、本気で爆発してただろう。
でも今は、唐谷水継としての喜びの方が大きい。やっぱり今世の俺にはとても敵わないみたいだ。
「最低浮気男ってことで、改めてよろしく」
「むむむ……」
二口目も頬張りながら、博盟の綺麗な指先を見つめる。長いこと忘れていた。
甘やかされるって、こんなにも幸せなことだったか。
「もうひと口くれ」
「はいはい。お前も、もう開き直ってるな」
博盟は苦笑しながらカレーをすくい、俺に差し出す。
さすがにこれ以上やったら周りにバレるので、これで終わりにした。
「博盟。タバスコ」
「お。ありがと」
俺と彼は普通じゃない。
「……博盟だけじゃないだろ。俺も浮気したことになる。共犯だ」
「お。じゃ、一緒に地獄行ってくれるか?」
「重い」
まあ、それを許すかどうかは“俺”が決めること。
口元を拭くと、優しく頭を撫でられた。
「やっぱお前は、もっと甘えた方がいいよ」
博盟の声が、匂いが、俺の頭をおかしくさせる。
甘えたい。可愛がられたい。
抱き締められたい。
何十年も海底に眠っていた恥ずかしい感情を、この日めでたく思い出した。

