だから、嘘をつく。



テストが終わると、当然テスト返しがある。
無事全科目赤点を免れた。

これは八尋くんのおかげだけど、面と向かってお礼を言うこともできず、メッセージもあれ以来一度もやり取りをしていないので送りにくかった。

本当なら遊びに行くはずっだった週末も、自分から断ったから予定もなくなって、望叶の病院と家の往復で終わった。

学校では全く八尋くんと話をしていないのに、未だに陰でヒソヒソ言う声はなくならず気が重い。



病室に顔を出すと、ベッドに望叶がいなくて焦った。

めずらしく、サイドテーブルにかわいい花が飾ってる。

看護師さんに聞きに行こうとしたところで、ビニール袋を手にした望叶が戻って来た。


「どこ行ってたの?」

「1階のコンビニでアイス買って来た。食べよう?」

「食べる」


こんなことは初めてで、望叶の具合が良くなったのかと嬉しくなった。


「お花、どうしたの?」

「ん? それ? えっと……あれだよ。退院した子がくれた」


退院した子?


「アイスとけちゃうから食べよー」

「こんな時間におやつ食べて、夜ご飯食べられなくなってもいいの?」

「希依ってば、お母さんみたいなこと言わないでよー。前から思ってたけど、細かすぎるよ。もっと楽に考えようよ」

「望叶はもうちょっと考えて」

「げっ」


アイスのカロリーは1個あたり259kcalだった。ご飯茶碗一杯より多い。
でも、夜ご飯を減らしてでも望叶とアイスを食べたい。


子供の頃を思い出す。
お母さんに内緒で夜ご飯の前にこっそりおやつを食べて、ふたりして怒られた。
そういう時、決まって庇ってくれるのはお父さんで、「まぁ、たまにはいいじゃないか」とお母さんをなだめてくれていたのを思い出す。

望叶の性格はお父さんに似ている。

「ねぇ、明日は授業が3時間しかないんだよね?」

「先生が研修だから、部活もなくて一斉下校になるみたい」

「行っていい?」

「え……」

「どうしたの? 何かある?」


学校で言われていることは迷った末、ルーズリーフには書いていなかった。
それは、望叶とまた入れ替われる頃には、その噂も消えてなくなっているかもしれないと思っていたからだった。いっときのことなら、そんな話をわざわざ望叶の耳に入れたくなかったのだけれど、明日、望叶が学校に行くと言うなら隠しておくことはできない。


「あのね……病院に来てなかった間、八尋くんと図書室で一緒にテスト勉強してた話はしたよね?」

「うん」

「それでね……えっと……」

「なぁーに?」

「……噂になってて……」

「噂? 八尋くんと希依が?」

「うん……だから今学校に行ったら、いろいろ言われたりするかもしれない」

「その噂って、『あいつらあやしー』とかいうやつ?」

「うん……」

「何それ、楽しそう! 行きたいっ! 言われてみたいっ! それ聞いたらますます学校行きたくなった!」

「本気で言ってる?」


聞いてはみたものの、望叶の目はキラキラと輝いていて、楽しそう。


「一回そーゆーの言われてみたかったんだよねー。夢がまた一つ叶う」


隣に座っていた望叶が、ぎゅっと抱きついてきた。


「希依、大好き」

「急にどうしたの? 私も望叶のことが大好きだよ」

「忘れないで。一番好きなのは希依だから」

「忘れるわけない……だから、そんな言い方……しないでよ」

「希依が楽しいと思うことに罪悪感なんて感じないでね」


望叶に……全部、見透かされてるような……それは、双子だから?


「そんなの、感じないよ」

「そう? なら良かった」

望叶と入れ替わる日、朝早く病院へ行くと、望叶はルーズリーフを綴じたファイルを読んでいた。


「おはよう。もしかして読んでなかったの?」

「読んだけどさぁ」


ファイルから顔を上げた望叶はにっこりと笑った。


「八尋くんの出てくるところをもう一回読んでた!」


望叶は八尋くんが好き。
私が八尋くんとふたりで試験勉強したり、一緒に帰ったりしていたことをどう思ったんだろう?
やっぱり、嫌……だよね……?


「希依? 制服脱いで?」


望叶はもうパジャマを脱いで側にたたんで待っていた。


「ごめん」


急いで制服を交換すると、望叶は鏡を見ながら髪の毛を結んでいた。

私が学校へ髪の毛を結んで行ったことはない。


「結んで行くの?」

「……うん。髪の毛、前より減っちゃったから、結んで誤魔化す」

「気にするほど少なくないよ?」

「ウィッグだから。希依を誤魔化せるくらいだから大丈夫だとは思うけど、念のため」


望叶がウィッグをつけていたことを初めて知った。
髪の毛を美容院ですいてもらったので、私の髪の毛は前より少なくは見えるけれど、それでも望叶のお団子よりは大きいものになりそうだった。


「かわいい?」

「うん、かわいいよ」

「それさぁ、自分のことかわいいって言ってるよーなもんだよ?」

「望叶が言わせたんでしょ!」


「あはは」と笑う望叶はご機嫌で、もしかしたら病気は良くなってきてるのかもしれないと思うくらい。


「行ってきまーす」


望叶は元気に病室を出て行った。

午前中のうちに望叶が帰って来ると思うと、これまでの中で1番気分が楽だった。

いつも、「途中で望叶に何かあったらどうしよう」という思いが頭から離れなくて、悪いことばかり想像して苦しくなる。
それでも、入れ替わりをやめないと決めたのは自分なのだから耐えるしかない。

年末が近づくと、毎年インフルエンザが流行るから、そうなったら望叶と入れ替わるわけにはいかなくなる。望叶にとって感染症は命取り。
いつもマスクをしてもらっているけれど、マスクだって万能ではない。
不特定多数の人が乗る電車を使い、狭い教室の中で大勢の生徒達と一緒に長い時間を過ごすのだから、本当は今だって安心できない。

もし、望叶に何かあったら、私は一生その責任を負うことになる。


もう何度も読んだ、望叶のお気に入りのマンガをまた最初から読んだ。
頭に入らなくて同じページを何度も読むから、1冊を読むのに時間がかかる。


ようやく望叶が帰って来る時間になって、ほんの少し安堵した。


でも、ずっとカーテンの方を見ているのに、望叶は帰って来ない。


予定時間はだいぶすぎている。


どくどくと心臓が早くなるのが自分でもわかる。
胃の方がチリチリと痛み出す。


どうしよう……


望叶がどこかで倒れたのかもしれない……


学校なら生徒も先生もいるからすぐに救急車を呼んでもらえる。

学校から駅まで、駅から病院まで、その道のりを思い浮かべる。
誰も通らないようなところはない。生徒だったり、近所の人だったり、いつも誰かがいる。


でも、今日に限って誰もいなかったら?


どうしよう……私のせい……


その時、スライドドアがそっと開く音がした。
一瞬、望叶が帰って来たのかと思ったけれど、望叶ならそんな静かにドアを開けたりしない。


誰?


シーツに顔を埋めて、寝たフリをする。

「望叶? 寝てるの?」


小さな声はお母さんだった。


お母さんが来るのは午後からのはずなのに、どうして今日に限って午前中に来るの?
もしかしたらこれは、「入れ替わっていることを正直に言え」と言う天の神様のお告げなのかもしれない。


お母さんの気配が近づいてくる。


どうする?
自分は望叶じゃないと言う?
それで、望叶に何かあったのかもしれないことをお母さんに伝えた方が……


「望叶……何もしてあげられなくて……ごめんね」


望叶が寝ていると思っているお母さんは、小さな声で話し始めた。


「最後を……家で過ごそうよ。病院の方がいいなんて言わないで」


その言葉に、息を止めた。


「ずっとこんなところがいいなんて、言わないで……」


声の感じは穏やかだけど、お母さんは泣いてる。
シーツの中に包まっているから、お母さんの顔を見ることはできない。でも、声が震えているのはわかる。


「前に、望叶と希依、どっちが好きか聞いたでしょ? あの時――」


お母さんの話を遮るように、スライドドアが開く音がした。


「小鳥居さん、先生がお待ちです」


看護師さんの声に、お母さんの気配が遠ざかった。

カーテンのそばで、お母さんと看護師さんが何か話すのが聞こえたけれど、それはやがてスライドドアの開閉とともに聞こえなくなった。


もう誰もいなくなったのに、シーツから顔を出すことができなくなった。


望叶と私のどっちが好きか……

お母さんは、何て答えたんだろう?

望叶はどうしてそんな質問をしたんだろう?

どうして病院の方が良いなんて言ったんだろう?

どのくらいシーツを被ったままじっとしていたのか、やがて勢いよくスライドドアが開く音がして、少ししてシーツを引っ張られた。


「起きて」


望叶は髪の毛のお団子を解いていて、制服も既に半分脱いでいた。

涙はもう乾いているから、泣いていたことは気づかれないよね?


急いで服を交換すると、望叶がベッドに滑り込んだ。


「予定の時間よりだいぶ遅いよ? 何かあったのかと思って心配した」

「ごめん、って。そんなに怖い顔しないでよー」


ふざけた物言いに、少しばかりムカついた。
心配してたのに。

お母さんだって望叶のことをどんなに心配してるか……


「約束守ってよ」

「ちょっと友達と話してて、楽しくて時間が経つのを忘れた」


忘れた? そんな簡単に言う?
その間、私がどんな気持ちでいたか……
こっちは望叶に何かあったんじゃないかと、ずっと心配してたんだよ?


「今日の分、書いてるとこだけくれる?」

「……ごめん……書いてない」

「じゃあ、口頭でいいから教えて」

「えっと……何話したっけ……待って……思い出す」

「望叶っ!」

「ごめん……思い出したら書くから」

「明日、私が学校へ行って今日のこと聞かれたらどうしたらいいの?」

「聞かれたりしないよ」

「そんなのわからない」

「希依……そんなに神経質にならなくても何とかなるよ」

「そんな簡単には考えられない……」


どうしてそんなに楽観的でいられるの? どうして笑っていられるの?
どんな思いで望叶の帰りを待っていたと思ってるの?


「ごめんね。もう二度と、迷惑をかけることはしない。約束する。ごめんなさい。希依、ごめん」

「もう、知らないっ!」


吐き捨てるような言葉だけ残して病室を飛び出した。


望叶の病気がわかって初めてケンカ。
正確にはケンカと言っていいのか、一人で怒ってた。


エレベーターまで行くと、下へ向かうボタンを連打した。

なかなか来ないエレベーターを待っていると、泣いていたお母さんのことが頭に浮かんだ。

ぶつけるべきじゃない怒りを、1番ぶつけてはいけない相手にぶつけた。
最低……

もしも、もしもこれが最後になったら……
マンガでよく見るやつ。ケンカしたその日に相手と二度と会えなくなって、一生後悔するやつ。


目の前でエレベーターの扉が開いたけれど、それには乗らずに病室へ引き返した。

勢いよくスライドドアを開けて、カーテンも開け放つと、ベッドに横たわっていた望叶は、ゆっくりと体を起こした。


「帰ったんじゃなかったの?」

「……言い過ぎた。ごめん」

「泣きそーな顔しないでよー。自分の泣き顔見てるみたいで嫌だー」

「たった数時間だったけど、ずっと心配だったの。その気持ちを無視されたみたいで腹が立った。怒ってごめん」

「希依が怒るのは当然だよ。怒られるようなことをした私が悪い」


こうやって話をしている望叶は、これまでと変わらない。
お母さんは大袈裟なんじゃないかと思うくらい。


「今日はすごく疲れちゃって、ちょっとお昼寝しようと思ってたとこ」

「うん。また明日来る」

「希依……」

「何?」

「希依が1番好き。忘れないで」


どうしてそんなに同じことを何度も言うのか……


「それ前にも聞いたよ? 私も望叶が大好き」

「だから八尋くんが希依に告白したら、OKしてねっ」


いつもの望叶がそこにいた。


「何でそうなるの? 文脈がおかしいよ?」

「約束してっ」

「う……ん……」

「良かった。じゃーねー。おやすみっ」


布団に体を沈めた望叶は、手だけ出して振った。