朝のホームルームで、定期考査の時間割とその範囲が書かれたプリントを配られた。
周りはみんな、範囲が発表になる前から勉強をしていて、プリントをもらって確認するのはテストの時間割だけらしい。
これまで通っていた高校では、範囲が配られてから勉強を始めていたから、「言われる前に勉強をする」という習慣がなくて驚いた。
西木野高校は私立だから、授業の進み具合は文部省の学校指導要項を無視して学校が決めることができる。だから高3の始めまでに高校の範囲を終わらせて、その後は受験対策に入るらしい。
高1で進路を決めている子も多く、もうそこへ向けて勉強を始めていると聞く。
塾も「勉強がわからないから行く」のではなくて、「学校の授業より先に進むため」というスタンスだった。
なにもかも勝手が違う。
自分で決めたこととはいえ、身の程知らずの学校へ編入してしまった。
それでも赤点を取らないように勉強するしかない。
放課後、望叶の病院へ寄る予定もないのでゆっくりと帰る支度をして教室を出ると、八尋くんに呼び止められた。
「小鳥居さん、暇?」
「暇じゃないよ。帰ってから試験勉強する」
「今から図書室行くんだけど、一緒に勉強しようよ。出題傾向とか教えてあげられるし。行こう」
まさか本当に「オトモダチのカナちゃん」と勉強することになるとは思わなかった。
図書室の空いている席を見つけて、並んで座った。
八尋くんが、「前回の数学」と言って見せてくれた問題を見て声が出てしまう。
「え……こんな感じなの?」
前の学校では、最初の大問は計算問題で、次は式の穴埋めだった。ここを落とさなければ30点はとれる。
けれども西木野高校の問題は、計算問題も穴埋め問題もなく、全部記述の文章問題が5つだけ。そこに3つづつ問題が書かれている。200点満点だから、大問1つにつき配点が40点もある。
こんなの出来る気がしない。
「問5は難関大の二次試験とか出るからマジでムズい。全部解けるのは広末さんくらいと思う」
広末さんは数学で学年トップの女子。
5割以下が補習だから、残りの大問4つをほとんど間違えることができない。
「問題数は少ないけど、全部記述だから、式があってたら部分点がもらえる」
部分点がもらえても……
「コツがあるんだ。時間が足らなくても、『こうやって解くんだ』って、解き方の方向性を最初に書いておけば、それも部分点がもらえる」
まじまじと八尋くんのテスト問題を見返すと、確かに最後まで解けていない答えにも部分点が与えられている。
八尋くんの数学は153点。問5の難しい問題以外はほぼ正解ということ。
「今、点数じっと見たろ? そんな暇あったら小鳥居さんも問題集開いて。さっさと問題解いていこう」
持っていた学校指定の数学の問題集を机に広げた。
「答え合わせの時、答えじゃなくて解き方の方を注意して見ること」
八尋くんはずっと普通の声で話している。
「ねぇ、図書室で話したらだめなんじゃない?」
小声で言うと、また普通の声で返事が返ってきた。
「みんな話してると思うけど?」
そう言われてみると、時折誰かが話している声が聞こえる。
「もしかして聞いてない? うちの学校の図書室は私語OKだよ」
「え? だったら静かに本読んだり、自習したい人は?」
「奥に部屋があるから、そっちへ行く」
「大学みたい」
「騒いでたら注意されるけど、そうでない限りは何も言われないよ」
望叶と違って本をあまり読まない私にとって、図書室は立ち寄りがたい要塞みたいな場所だったけれど、「話をしていい」と聞くと、高かった塀は飛び越えられるほどになった。
「小鳥居さんの手が止まってたら、俺が注意するから。ほら、次の問題やって」
「八尋くんって、スパルタだね」
「今日の分のノルマをさっさと済ませて、話がしただけ」
深い意味は……ないよね?
八尋くんはもう下を向いて、ノートに式を書いていた。
一緒に始めたのに、八尋くんは既に私のだいぶ先の問題を解いている。
遅れを取り戻すため、真剣に問題に取り組んだ。
八尋くんは、私がわからないで手がとまっているとすぐに気がついて教えてくれた。
八尋くんから前回の英語のテストも見せてもらい、単語の意味や発音を聞かれる問題がないことを知った。
並び替えの問題はあったけれど、ほとんどが長文読解。ただ単語さえわかれば書かれていることも、問題も難しくはない。編入試験のために単語をかなり覚えたのが役だった。
英語は何とかなりそうな気がしてきて、少し安心した。
結局、雑談をすることもなく図書室が閉まる時間まで勉強して、八尋くんと駅まで一緒に帰った。
「ねぇ、教えてもらってばかりいたけど、八尋くんはこれで勉強になったの? 私が邪魔してなかった?」
「逆にすっごい勉強になった。自分が苦手なとこ客観的にみれた」
八尋くんは私がこれまで知っている、どの男子とも違う。
数回しか会ったことがない望叶が好きになるのもわかる。
「やる」
「え?」
いつの間に買ったのか、烏龍茶のペットボトルを差し出された。
「あ、お金」
「いいよ」
「よくない! 待って」
リュックの中の財布を探していると、「じゃあさ」と言われ、八尋くんを見た。
「明日も一緒に勉強しよー。で、帰りに今度は小鳥居さんが奢って」
明日も一緒に……あくまで勉強だけど。
「うん。じゃあ、明日は私が奢る。ありがとう」
リュックのファスナーを閉じて、ペットボトルを受け取った。
もしかして……私に見せてくれるためにわざわざ前回のテスト問題を持って来てくれてた?
もしそうなら、前日から一緒に勉強するつもりでいてくれたことになる。
そんな都合のいいことを考えて、きちんと否定した。
望叶の病院へ行かない1週間、毎日放課後、八尋くんと一緒に図書室で勉強した。
そして、帰りには順番で飲み物を奢りあった。
土曜日は学校がお休みだから、金曜日に八尋くんが奢ってくれたのが最後になってしまう。
「今日は払うよ」
「いい」
「でも……」
「その代わり、試験が終わったらどっか遊びに行こうよ。で、そん時奢って」
次は私が「奢る番」だから。それだけのこと。意味はない。
「土日にガッツリ勉強して、テスト終わったら、どっか遊びに行こう。それ楽しみにして頑張って」
「それ、まるで私が八尋くんと遊びに行くのを楽しみにしてるみたいな言い方」
「それじゃあまるで、小鳥居さんは楽しみじゃないみたいな言い方。俺はそれを楽しみにして頑張るけど?」
いつもの冗談だから。意味はない。
「わー、楽しみー」
抑揚もなく返事をしたら、前みたいにふざけたことを言われると思っていたのに、そうじゃなかった。
「……っんだよ……俺だけか……」
ちょっと不機嫌な口調だったのに、どきんとした。
「楽しみにしてるよ」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声になってしまったのに、そっと八尋くんを見たら、笑っていた。
嬉しくなって、すぐに悲しくなった。
望叶に……何て言えばいいんだろう……
日曜日に、病院へ行っていたお母さんが帰って来ると一番に望叶の様子を聞いた。
「望叶はどう?」
「希依に会いたいって」
「本当? もう行ってもいいってこと? 明日のテストが終わったら会いに行く」
「行ってもいいけど、テスト勉強は大丈夫なの?」
「少しだけ顔出したらすぐ帰って勉強する」
「望叶も喜ぶと思うよ」
望叶に会えない間にルーズリーフが溜まってしまった。
明日、テストが終わったら早速会いに行こうと決めて、望叶に渡すものを準備した。
望叶がいつも楽しみにしているマンガの続きはまだ発売にならないから、別のマンガをリュックに入れた。
西木野高校に転校して来て初めてのテストは緊張するけれど、望叶と久しぶりに会えると思うと、そっちが嬉しいという気持ちが勝ってしまう。
望叶に会ったら、八尋くんと試験勉強をしたことと、遊びに行く約束をしたことも……言わないといけない。
八尋くんのことを考えていたタイミングで、スマホにメッセージが届いた。
<解けるもんなら解いてみろ!>
その挑戦的なメッセージは八尋くんからで、続けて画像が送られてきた。数学の問題。
スマホを見ながら問題を解き、その画像を返信した。
<正解>
しばらくするとまた問題が送られてきた。
何度かそんなやりとりをして、12時過ぎに「おやすみなさい」を送り合った。
テスト初日は最後の悪足掻きをするつもりで、朝早めに登校したら、正門を入った所で、職員室のある校舎から出て来た体育の先生と目が合った。
「おはようございます」
「おはよう。えーっと、C組の! 小鳥居さん!」
「はい?」
「いい所で会った! 悪いんだけど、このプリントを八尋に渡しておいてもらえるかな。提出期限までに書いて出すように伝えておいて」
「わかりました」
「C組まで行く手間が省けて助かったよ」
先生はそう言うと、校舎の方へ戻って行った。
先生から受け取ったプリントを手に、いつもは後ろから入るところを前のドアから教室に入った。
テストだからと思って早く来たつもりでいたけれど、半数以上の生徒がもう教室にいる。
真っ直ぐに八尋くんの机の前まで行った。
八尋くんは机に突っ伏して寝ているようだったので、起こすのは申し訳ないと思いながらも声をかけた。
「八尋くん」
一度では起きてくれなくて、今度はさっきより少しだけ大きな声で名前を呼んだ。
「八尋くんっ」
「ん……あ?」
顔を上げた八尋くんの前にプリントを見せた。
「これ、先生に頼まれた。提出期限までに書いて出すように、だって」
「あー、ありがとう」
自分の席に向かっていると、男子が「ほら、やっぱり」と言うのが聞こえた。
続けて揶揄うように「婚姻届、早く出したいの~」と言うのも聞こえた。
同じクラスでも男子とはあまり話したことがないから、声だけでは誰が言ったのかわからない。
でも、数人がこちらをチラチラ見ながら笑っていたので、彼らの中の誰かが言ったのは確か。
前の学校は男女が仲良くて、ふたりきりで試験勉強したくらいでひやかされるようなことはなかった。
登下校中に一緒になれば、それがふたりでも普通に話しをしたし、そのことをとやかく言う人なんていなかった。
最初に、必要以上に男女が話したりしないことで気がつくべきだった。
ここはそういう学校じゃない。
私が転校生というのも、悪目立ちしてしまったのかもしれない。
そんなこと、今更言っても仕方がないことだけど。
私が言われているということは、八尋くんもきっと何か言われているはず。
1時間目のテストが終わった後、八尋くんと偶然目が合った時、何か言いたそうな顔をしていたので、すぐに目を逸らした。
3時間目が終わると急いで教室を出た。
出てすぐの所で、別のクラスの女子が、私を見ているのに気がついた。
「転校して来てすぐ男漁り」
そう言うのがはっきりと聞こえたけれど、聞こえなかったフリをして校舎を出た。
こういう時、どういう態度取るのが正解なのかわからない。
望叶ならうまくかわすのだろうけど、私はうまく立ち回れないから逃げる方法しか思いつかない。
電車に乗った所で、八尋くんからメッセージが届いた。
<話がある>
何か言いたそうに見えたのは気のせいじゃなかった。
きっと八尋くんも何か言われたに違いない。
<何?>
<周りがごちゃごちゃ言ってることについて顔見て話したい>
<今は話さない方がいいと思う 話してるの見られたら またいろいろ言われると思うから>
なかなか返事がないまま、電車が駅に着いてしまった。
駅のホームで、思っていることと反対のメッセージを送った。
<遊びに行くのもやめる>
スマホを手に持ったまま病院へ向かい、入り口の前で電源を切ろうとした時、ようやく返信がきた。
<わかった>
一言だけ。
それを見て、スマホの電源を落とし、病院の中へ入った。
病室に入ると、望叶は私の顔を見て嬉しそうにしながらも憎まれ口を叩いた。
「毎日見て見飽きてる顔が来たー」
「そんなこと言うんだったら、ここでUターンして家へ帰るよ?」
「嘘嘘。早く来て座って」
ベッドの真ん中にいた望叶は、私が座れるように横へ寄った。
リュックから、会わないでいた分のルーズリーフを出して、望叶の隣に座ってから、束になったそれを望叶の前においた。
「うえぇ?、いっぱいある。これ全部読まないとだめ?」
「だめ」
大量のルーズリーフを読むわけでもなくペラペラとめくっただけで望叶が顔を上げた。
「希依が帰ってからゆっくり読むことにする。テストどうだった?」
てっきり1番最初に八尋くんの話を聞いてくると思ったのに、望叶は聞かなかった。
「まぁまぁかな。数学が難しかった」
「お疲れっ」
「他人事なんだからぁ」
「それよりさ、最近あれ食べたいって思うんだよね。何だっけ……あの……よくふたりで食べに行ってた……あれだよ!」
「『あれ』ばっかじゃわかんないよ。熟年夫婦じゃないんだから」
「双子なんだからそこは以心伝心じゃないの?」
「何だろ……ふたりでよく食べたやつ……」
ふたりで出掛けて何かを一緒に食べたのは、もう1年以上も前のことだと思うと目の奥が痛くなる。
泣いたりしないように、明るく受け答えをしながら答えを探す。
「自転車通学してた頃が懐かしい」
話が飛んじゃった。
食べたかったものはもういいのかな……?
「夏は暑かったよね」
「もう、自転車には乗れないなー。運動しないから足の筋肉がぷよぷよしてて、2階まで階段で上がるのにも休憩がいる」
「今はみんな電動自転車だから、乗るのに筋肉いらないよ。どこに行ってもエレベーターとかエスカレーターがあるから階段を上る機会もそんなにないし」
「そっか」
「そうだよ」
久しぶりに会うからなのか、望叶は妙にテンションが高くて、一人で話をしていた。



